第17話 遠くの歪み
その日の午後、村に一台の馬車が立ち寄った。
商人のエリスだった。荷は少なめで、足も早い。用件がある時の走り方だと、アリアは気づいた。
「寄り道できて、助かった」
軽く手を振りながら、エリスは集会所の影に腰を下ろす。
「噂、少しだけ聞いてほしくてね」
“噂”という言い方に、アリアは構えなかった。
大きな話ではない。そういう声色だ。
「王都の外縁で、調整の回数が増えてるらしい」
「……増えている、ですか」
「壊れてはいない。けど、落ち着かないって」
それだけだった。
名前も、原因も、続報もない。
アリアは頷いた。
「珍しいことではありません。季節の変わり目ですから」
「そう言うと思った」
エリスは肩をすくめる。
「ただね。外縁だけじゃなく、街道沿いの村も、似た話が出てる」
少しだけ、間があった。
「皆、真似し始めてる。強くすることを」
アリアは視線を落とし、手帳を閉じた。
(遠くで、歪みが生まれている)
ここではない。
手の届かない場所だ。
「助けに行かないの?」
からかいではない。確認だった。
「行きません」
即答だった。
「私が整えているのは、ここです」
エリスは、満足そうに息を吐いた。
「それでいい。あんたが動いたら、余計に広がる」
馬車に戻る前、エリスは一言だけ残した。
「静かな村ってのは、目立つんだよ」
去っていく馬車を見送りながら、アリアは村の縁に立った。
結界は、変わらず薄く、均一だ。
夕方、レオンが巡回から戻ってくる。
「外、ざわついてる感じはない」
「ありがとうございます」
「……遠くの話は?」
「遠いままで、いい話です」
それで、十分だった。
夜、結界に触れると、微かな反響が返ってくる。
ここは、安定している。
(全部は、整えられない)
それでも、ここを整え続けることはできる。
遠くの歪みを、近くに引き寄せない。
それもまた、境界を守るということだ。
静かな夜が、今日も村に降りてくる。
遠くで揺れるものを、内に持ち込まないまま。




