第16話 翌朝の温度
翌朝の村は、いつもと変わらない顔をしていた。
早く起きた者が井戸に向かい、畑に出る準備をする。宿屋の裏では、ミラが桶を抱えて走っている。昨夜の緊張を引きずる様子は、どこにもない。
アリアは少し離れた場所から、その様子を眺めていた。
結界の流れは落ち着いている。外側の圧も、もう感じられない。
(……大丈夫ですね)
それを確認してから、ようやく歩き出す。
集会所の前で、年配の女性が声をかけてきた。
「昨日は、静かだったね」
「ええ」
「昔なら、鍋を落とす音一つで騒いだもんだよ」
懐かしむような口調だった。
恐怖を思い出すでもなく、誇るでもない。
「静かにしてりゃ、朝が来るってわかったからさ」
その言葉に、アリアは足を止めた。
「……そうですね」
誰かが守った、という言い方ではない。
村が選んだ行動の結果として、朝が来た。
見張り台の下では、レオンが交代を終えて戻ってきていた。
「騒ぎは、なかった」
「お疲れさまです」
「静かな方が、疲れないな」
冗談めいた言い方だったが、実感がこもっている。
昼前、ミラがパンを運びながら言った。
「ねえお姉さん。昨日ね、弟が聞いてきたの」
「何を?」
「結界って、強いの? って」
アリアは少し考えてから答えた。
「強い、というより……合っている、ですね」
「ふーん……」
完全にはわからなくても、それでいい。
無理に理解させる必要はない。
午後、結界点を一巡しても、問題はなかった。
記録帳に短く書き込み、印を一つつける。
異常なし。
ただし、季節の変わり目に注意。
宿に戻る途中、村長のグスタフとすれ違った。
「昨日の件だが……」
一瞬、身構える。
「騒がなかった。それが、一番だ」
それだけだった。
評価でも、称賛でもない。
事実の確認。
夜になっても、村は穏やかだった。
灯りは必要な分だけ点り、人々は早めに休む。
アリアは結界の縁に立ち、静かに思う。
(“いなかったらどうなったか”より……)
“どうしたから、無事だったか”。
その答えが、村の中に分散している。
それが、少しだけ嬉しかった。
結界は、今日も薄く村を包んでいる。
誰か一人のものではなく、生活の一部として。
翌朝の温度は、昨日と変わらない。
それこそが、守れた証なのだと、アリアは思った。




