第11話 善意の手
その変化に、最初に気づいたのは、アリア自身ではなかった。
朝の巡回を終えて戻る途中、見張り台に立っていたレオンが、珍しく眉をひそめていた。
「……今朝、北の縁、少し匂う」
「匂い、ですか」
「ああ。魔物じゃない。魔力の残り香だ」
アリアは立ち止まり、北側の結界に意識を向けた。
確かに、わずかながら流れが乱れている。昨夜までは、なかったはずの癖だ。
(……触られた?)
結界は目に見えない。だが、調整の痕跡は、触れる者が触れれば残る。
「すぐには危険ではありません。ただ……少し、見てきます」
そう告げて、アリアは村の北側へ向かった。
結界点の近くには、村人が二人、落ち着かない様子で立っていた。
若い男と、年配の女性。どちらも、見覚えがある。
「あ……アリアさん」
声をかけられて、アリアは足を止める。
「ここで、何かありましたか」
しばらくの沈黙のあと、若い男が意を決したように口を開いた。
「……触りました」
正直な告白だった。
「結界が大事だって、聞いてたから。灯りも位置を変えたし、じゃあ、少し強くすればもっと安全なんじゃないかって……」
悪意は、ない。
むしろ、村のためを思っての行動だ。
アリアは、ゆっくりと息を吐いた。
「どこを、どのくらい」
問い詰める口調にはならなかった。
「この辺りを……魔力を、足しました」
示された場所を見て、納得がいく。
強度は上がっているが、流れが土地に合っていない。だから、匂いとして滞留している。
「壊れてはいません。ただ……このままだと、夜に気配を集めます」
二人の顔色が変わる。
「ご、ごめんなさい……」
「謝らなくていいんです」
アリアは、はっきりとそう言った。
「ただ、次からは、必ず声をかけてください。結界は、善意でも触り方を間違えると、逆になります」
年配の女性が、深く頭を下げた。
「余計なことをしてしまったね……」
「余計ではありません」
その言葉は、すぐに続いた。
「守ろうとしてくれた。それは、ありがたいことです。ただ……役割が違うだけです」
役割。
その言葉に、二人はゆっくりと頷いた。
アリアは結界点に手を当て、丁寧に流れを戻していく。
強めた部分を削ぐのではなく、周囲になじませる。時間はかかるが、その方が歪みは残らない。
作業が終わる頃には、匂いは薄れていた。
「……これで、大丈夫です」
本当に、それだけで済む問題だった。
昼過ぎ、村長のグスタフが事情を聞きに来た。
「触った者を、責める気はない」
「ええ。むしろ……」
言葉を探して、アリアは続ける。
「結界が、生活の一部になってきている証拠です」
グスタフは、少しだけ目を細めた。
「なら、決まりだな」
「?」
「今後、結界に関することは、お前を通す。村の決まりにする」
それは役職でも、命令でもない。
ただの、共有事項だった。
「……はい」
その返事に、重さはなかった。
夕方、ミラが不安そうに聞いてくる。
「お姉さん、結界……壊れちゃった?」
「いいえ。ちゃんと、守られています」
「そっか……」
それだけで、安心した顔になる。
夜、村はいつも通り静かだった。
結界の流れは、均一で、無理がない。
(善意も、調整が必要なんですね)
王都では、触れなかった問題だ。
人が関わるからこそ、生まれる歪み。
それを整えるのも、支援の一部なのだと、アリアは思った。
静かな夜は、今日も続いている。
少しだけ、理解を深めながら。




