第1話 静かに告げられた婚約破棄
この物語は、
婚約破棄と追放から始まりますが、
復讐や無双が目的の話ではありません。
戦えない支援職が、
強くするのではなく「整える」ことで、
静かな居場所をつくっていく物語です。
大きな事件は少なめで、
夜が静かになることや、
何も起きない一日を大切に書いています。
ゆっくりした話がお好きな方に、
安心して読んでいただけたら嬉しいです。
第六結界塔の朝は、いつも静かだった。
アリア・エルフェルトは、薄く冷えた石床の上に膝をつき、結界盤の歪みを指先でなぞる。魔力を流し込むでも、呪文を唱えるでもない。ほんのわずかなズレを感じ取り、呼吸を合わせるように整える。それだけで、昨日まであった微細な軋みは消えていった。
「……これで、しばらくは大丈夫」
誰に聞かせるでもなく呟く。結界が正常に機能している限り、ここに人が訪れることはない。異変が起きないということは、仕事が完璧に果たされている証拠でもあり、同時に誰からも評価されないということでもあった。
それでいい、とアリアは思う。
問題が起きないのが一番だ。自分の名前が呼ばれなくても、報告書に記されなくても。
塔を出る頃、空はようやく白み始めていた。
その日の昼前、城からの使いが来た。
王太子殿下より、謁見の要請。場所は小広間。形式ばった言い回しに、胸の奥がわずかにざわつく。
婚約者として呼ばれるなら、通常は執務室か私室だ。
小広間、という言葉に、理由のわからない冷たさを覚えた。
扉を開けた先には、王太子と、もう一人。
白を基調とした法衣に身を包んだ聖女が、そこにいた。
椅子は二つだけ用意されている。
「来てくれてありがとう」
王太子は穏やかにそう言った。だが、名前を呼ばれなかったことに、アリアは気づいてしまった。
形式的な挨拶の後、沈黙が落ちる。
先に口を開いたのは王太子だった。
「結論から言おう。君との婚約は、ここで解消する」
声音は冷静で、感情の揺れはない。
まるで、事務的な報告のように。
理由はすぐに続いた。
聖女の存在。国にとって最適な選択。役割の重複。そして――。
「君の支援は、王都には過剰だ。前線で戦える力もない。今後は、より直接的な力が必要になる」
責める口調ではなかった。
だからこそ、その言葉は、逃げ場なく胸に落ちてきた。
アリアは一瞬、言葉を探した。
反論できる理屈は、たぶんあった。それでも喉が動かなかった。
結局、彼女が口にしたのは、短い一言だった。
「……承知しました」
王太子が、ほっとしたように息をつくのがわかった。
それを見て、胸の奥が少しだけ痛んだ。
部屋を出た後、足取りは不思議と軽かった。
泣きたいほど苦しいはずなのに、頭の中は妙に静かで、整っていた。
(やっぱり、私は前に立つ人間じゃなかったんだ)
支援職は、後ろに立つ仕事だ。
それがわかっていなかったのは、自分だけだったのかもしれない。
数日後、アリアは自ら願い出て、辺境行きの許可を得た。
引き留める者はいなかった。
出立の前夜、彼女はもう一度、第六結界塔に足を運ぶ。
誰もいない塔の最上階で、いつものように歪みを確かめ、ほんの少しだけ調整する。
今日も異常はない。
明日も、きっと。
塔を出る前、振り返って空を見上げた。
王都の結界は、今も静かに輝いている。
「……これで、大丈夫」
そう呟いて、アリアは歩き出した。
もう、ここに戻る理由はなかった。
ここまでご覧いただきありがとうございます。
当面の間は、1日に3話を投稿予定です。
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