第10話:夜に揺れる秘密の香と、忍び寄る影
夜の帳が下り、後宮は静寂に包まれていた。
だがその静けさの奥には、見えざる蠢きがあった。
玲玲は月明かりの差し込む小部屋で、慎重に薬草の調合をしていた。
昨夜、香炉の灰から採取した鸚鵡嘴の成分を分析し、微量でも人体に与える影響を確かめるための試薬を作っていたのだ。
「鸚鵡嘴は古来より猛毒として知られているが、香料として用いられる場合は、微量かつ他の香草との混合により安全を保つ。……だが、過剰に使われた場合、慢性中毒を引き起こす可能性がある」
玲玲は蒸留器の前でそう呟き、試験管の中の液体の色の変化を見つめる。淡い琥珀色が、ゆっくりと濃くなっていった。
「これで、薛麗花妃の症状が説明できるかもしれない」
しかし、玲玲の胸には不安があった。
「誰がこの毒香を意図的に使っているのか……」
その頃、後宮の庭園では、侍女長・李瑤が影のように歩いていた。
玲玲の動きを密かに監視しつつ、彼女の調合した薬草の成分について調べている。
「薬草の知識だけでは、この後宮の闇には太刀打ちできぬ。だが、あの娘の才覚は侮れぬ……」
李瑤は低く呟き、懐から小さな香包を取り出した。
それは、鸚鵡嘴を含んだ特製の香だった。
「これで、状況を見極めねばならぬ」
翌朝。妃宮では、薛麗花の容態が急変していた。
怠さと咳は悪化し、顔色はさらに青白くなっている。
侍医たちが集まり、議論を交わす中、玲玲は静かに一歩前に出た。
「高貴妃様の症状は、鸚鵡嘴の慢性中毒によるものと考えられます。これを解毒するためには、急須草という薬草の煎じ液が有効です」
急須草は、解毒作用と肝臓機能回復に優れており、明代の医書にもその効能が記されている。
「ただし、急須草は扱いが難しく、間違えると逆効果になることもあります。私に調合を任せてください」
侍医たちの間に緊張が走ったが、高貴妃自身も玲玲の提案に一縷の望みをかけた。
その夜、玲玲は特別に許可を得て、宮中で急須草の煎じ薬を調合した。
薄明かりの中、薬草の葉を丁寧に洗い、火加減を細かく調整する。
「これで麗花妃が少しでも楽になれば……」
心の中で祈りながら、玲玲は薬を差し出した。
数日後、薛麗花の顔にわずかな色が戻った。
咳も軽減し、体の倦怠感も和らいでいる。
侍医たちも驚き、玲玲への評価が徐々に変わり始めた。
だが玲玲の心は晴れなかった。
「これで本当に終わりなのか? 背後に潜む黒い影は……まだ動いている」
そして、玲玲の元に匿名の書簡が届いた。
「真実を知りたければ、夜半に庭園の東屋へ来い。だが、一人で来るな」
その文字は不気味に揺れており、差出人の気配は微塵もない。
玲玲は深く息を吸い込み、覚悟を決めた。
「後宮の闇は、深すぎる」