爆散
まるで梅雨に戻ったように毎日長雨が続いていた。
縁側に転がりながら、海斗はただじっと雨音に耳をたてる。雨は真っ直ぐに地面に落ちていく。景色がぼんやりと滲んで、灰色の幕のようだった。代わり映えのない景色にうとうとしていると、不意に幕の中を何かが横切った。
少しだけ体を起こして、海斗はその正体を目を細めて見定める。
ウシガエルが一匹、庭の木の下から海斗を見つめていた。持ち上げるとするならば、両の手には収まらないであろうほどの大物で、腹をひくひくと動かして、時折低い声で鳴いた。
海斗は縁側に転がったままそれを見つめ返すと、蛙に向かって手を伸ばす。人差し指と親指だけを立て、右手を拳銃に見立てると、「バンッ」と小さく呟いた。
その瞬間、カエルは後方に砕け散る。
海斗は思わず、がばりと、完全に半身を持ち上げる。カエルがいた場所からはゆらりと黒煙が上がっていたが、すぐに雨粒がかき消した。
海斗は鼻で大きく息を吸う。何か香ばしい。そんな香りが鼻腔から体全体に染み渡っていった。
海斗はうとうと微睡の中にいたこともすっかり忘れ、立ち上がって縁側を右から左へ移動してカエルを探した。そうして見つけるたびに「バンッバンッ」と声をあげて、魔法でカエルを潰していった。
いつまで、そうしていたかは分からない。ただ、いつのまにか辺りからカエルの声はしなくなっていった。
海斗は荒い息と、上下する肩を整えるため、息をすった。ふと、鼻下に冷たい物を感じ、拭ってみれば血であった。
「うわぁ、ティッシュ……」
縁側から部屋に戻ろうと振り返った瞬間に、海斗は、ぼすり。と、何かにぶつかった。柔らかいような硬いようなそれに海斗が顔を上げると、そこにいたのはぼうっと庭を見つめるおぼろであった。
「うわぁ!」
その気配のなさに、海斗はびっくりして情けない声をあげた。
「そうにいちゃん」
能面のようだったおぼろの顔は、その名を呟いた途端にへにゃりと歪んでいった。目は細まり、口角がぎゅっと上がっていった。
海斗はそこで思いつく。
―秘密を、決して漏らすことのない存在になら魔法を見せてもいいんじゃないか。
この白痴の曽祖母には、屋根裏をどうにかする力はない。噂を流すと友もいない。例え、月子に漏らしたところで老人の戯言と聞き流されるに決まっている。
海斗はにやりと笑うと、おぼろの前に手を突き出した。エスカと約束はしたが、この力を自慢せずには、どうしてもいられなかった。
「ねぇ、ひぃばあちゃん。見てて」
おぼろの眼前に手をかざして、海斗はその手を翻し、小さな炎を乗せた。
おぼろはそれを見て、目を大きく見開く。
びっくりしている。驚いている。そう確信した海斗は嬉しくて目を細め、くくくっと声を漏らした。
「どう、ひいおばあちゃんすごいでしょう」
次の瞬間だった。
おぼろの手のひらが素早く、海斗の手首を掴んだ。
枯れ木のようなその細い腕は、信じられないほど強い力で海斗の腕を締め付ける。
「ソオーーーーーーーーーーーーニィイイーーーーチャアアアーーーン!!」
まるでお経でもあげるように、抑揚のない声音でおぼろはその名を叫んだ。血走った目で海斗を見つめた。折れるかと思うほどの腕の痛みとおぼろの鬼の形相が恐ろしくて海斗は全身を引き攣らせた。
「そうちゃん、そうちゃん、そうちゃん、そうにいちゃん、そうにいちゃん、そうにいちゃん、そうにいちゃん、そうにいちゃん、そうちゃん、そうちゃん、そうちゃん、そうにいちゃん、そうちゃん、そうにいちゃん、そうにちゃん、そうにいちゃん、そうにいちゃん……」
繰り返し、繰り返し、おぼろはそう呟いた。
「離して!離してよ!痛いよ!ひぃばあちゃん!!」
「そうにいちゃん、そうにいちゃん……」
騒ぎを聞きつけた月子が縁側へとやってきた。縁側で押し問答する二人に月子はわっと、声を上げると、おぼろの手を、掴んで無理に二人を引き離した。二人の手が離れると、海斗はその場に尻餅をつく。おぼろは頭を抱えたまま「そうにいちゃん」と叫び続けていた。
「かいちゃん!ひぃおばあちゃんに何をしたの!」
おぼろを抱き抱えるように羽交い絞めにして、月子は叫んだ。
「何も……、何もしてないよ。遊んでたら……ぶつかっちゃって……」
魔法を見せたなんてことはとても言えなかった。
「分かったわ。ちょっとひいおばあちゃんを落ち着かせてくるから、あんたはそこに座ってなさい。上を向いてね」
自らの鼻をつついて、月子は喚くおぼろを部屋の奥へと連れていった。
海斗はその場にへたり込む。ぼたぼたと鼻血は流れ続けた。
雨の勢いはいっそう増すばかりだった。