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少女

「天井にはお化けがいる!」


 翌日、海斗は昨夜のことを燈凛に興奮気味に話した。


「まさかー、天井にあるのは屋根裏部屋だけでしょ」


 いたって真剣に話したのに、燈凛はせせら笑った。そうして、

「確かめてみよう」と気の進まない海斗を連れ、二人は物置部屋に入った。


 燈凛は厚いカーテンを勢いよく開けた。朝の日差しが、一気に差し込み、舞い上がった埃がキラキラと光っていた。部屋の中にはおそらくは昌司や朋恵が幼少の頃に使っていたであろう勉強机や小さなベッドが乱雑に押し込められていた。壁際には戸の外れた棚があり、布切れや色褪せた日用品。潰れたダンボールなとが無造作に突っ込んであった。


 燈凛は部屋の端に立てかけてある長い金属の棒を持ってきた。先端にはかぎ針のようなフックがついている。燈凛はそのフックを器用に天井のでっぱりにひっかけた。彼女が一気に引くと、バタンと音を立てて、天井の板が一枚外れ、ゆっくりとハシゴが降りてきた。


「じゃあ、見てみようか」


「やっぱり。やめよう……。ほんとにお化けがいるかもよ」


「馬鹿だな。そんなのいるわけないよ。怖いなら下で待っててもいいよ」


「やだっ……置いてかないで!」


 駆け足でハシゴを上る燈凛を海斗はおそるおそる追いかけた。屋根裏に入ってすぐ、二人が中腰でしか立ち上がれないほどの狭い空間には、古めかしい段ボールがいくつか押し込められていた。そしてその奥には、海斗の身長の半分もない、小さな扉があった。


 扉には確かに錠前がかかっていた。黒く錆びた古い南京錠。鍵穴は何か詰めものがされていて、完全に塞がっていた。


 燈凛は扉に手をかけると無理矢理にそれを引っ張った。蝶番が、ぎぃっと音を立ててそれに抵抗する。そうしてできたわずかな隙間を彼女は無理やりに覗き込んだ。


「やっぱり何もないと思う」


 海斗の方へと振り返り、燈凛はとんとんと指で扉を叩いた。海斗も促されるままその隙間に額を当てた。


 そこにあるのは薄暗い、木や土でできた空間だった。ところどころに隙間があるようで、日光が線のように差し込んでいた。


「だって、昨日の夜は……本当に」


「だっから、夢なんだって。それかほら、隙間はあるでしょう。やっぱり動物が入り込んだんだよ。気にする必要なし!もう降りよう」


 燈凛はとっとと階下に降りていく。海斗は一人、屋根裏部屋の隙間を首を傾げて見つめていた。


   *


 ドンッ


 その音が鳴るのを、海斗は待ち望んでいた。時計を見ると、昨日と同じ深夜二時。


 海斗はなるべく音を立てないように、四つ這いになりながら階段をあがった。


 燈凛の部屋からは物音はしない。よく耳を澄ませば、天井を叩くようなその音は、燈凛の部屋は真上ではなく、もっとずれた場所から聞えてきた。


 海斗がじっと天井を見つめると、音はぴたりと止んだ。音がうるさく鳴っていた時よりも、しんとした今の方が、闇に見られているような気がして恐ろしく、海斗はごくりと生唾を飲み込んだ。


 突然。きいっ。という今までとは違う音が響く。


 天井に一つ。真四角な穴が開いた。海斗は尻餅をつき、急いで持ってきていた懐中電灯でその場所をよく照らした。


 それは屋根裏へと通じる天板の扉が外れた音であった。きぃきぃと蝶番が音を立てて揺れている。そうしてそこからまる蛇のようにするするとハシゴが降りてきた。


 叫び出したくなるのを堪えて、海斗は這うようにしてその下まで移動する。


 ここで逃げれば「ねぼけていた」というレッテルを燈凛に貼られてしまう。そのイメージの悔しさが、ほんの少しだけ恐怖より優っていた。海斗は懐中電灯を口に咥えると、意を決してハシゴを一段ずつ登っていった。


 やっと登り切ると、海斗は「あっ」と声をあげた。屋根裏に続く、扉の錠前が外れかかっていた。軽く触れると、存外簡単にそれは外れた。


 海斗は扉をそっと押してみる。扉は重くて中々開かず、それでも肩ごと使って、押し開けた。


 小さく開いた隙間から、何か柔らかい緑色とも白とも言えぬ光が差し込んできて、海斗の顔を照らした。突然のそれはあまりに眩しく海斗は顔を顰めた。目が慣れてくると、扉の奥にあるものがしっかりと輪郭を持ち始めた。


 光のもとには、少女が一人座り込んでいた。いや、より正確に言うのであれば、


 白い美しい少女が床から生えていた。

 

 その美しい姿に吸い込まれるように、海斗は無意識に扉を押し開けていく。


「誰?」


「えっ……あ!」


 鈴が鳴るようなその柔く小さな声に驚いた海斗は、扉から手を離し、床に手をついた。しかし床は、ぐにゃりという柔らかな感触とともに崩れ始め、ついには何もない宙がぽっかりと口を開けて現れた。


 海斗はあっという間に宙に落ちていく。手ににぎりしめたまま懐中電灯が一瞬穴の中を照らした。穴の底には、澱みのような生臭い水が、波打って溜まっていた。そうしてその水から半身を出すのは、一目では捉えきれないほどの魚の化け物であった。化け物はぬらぬらとした光鱗を携え、ギザギザとした茶褐色の牙のついた口をガッパリと開けて、海斗が落ちてくるのを待っていた。


「うわあああああああああああああ!」


 悲鳴をあげる海斗だったが、化け物けの口の中に彼の体が収まることはなかった。


 手を伸ばせば、その黄ばんで異臭を放つ牙へと手が届くほどの距離。その宙で、海斗は逆さずりに浮いていた。


 海斗は恐る恐る上を見上げる。左足に、白い布が巻き付いていた。穴の入り口から垂れるそれは、どこか生暖かく、時折脈打った。


「ひっ」


 海斗は振り払いたい気持ちを必死で抑え込み、ただ化け物の口の中に落ちないようにじっとその支えに吊られるがままになる。


 ゆっくりゆっくりと布は、上に吊り上げられていく。やっと縁まで届いた時。海斗は少女に見下ろされていた。


「ねえ、大丈夫?今、引っ張り上げてあげるから」


 少女は海斗の穴の淵から手を伸ばすと、海斗の服の裾を掴んで、ゆっくりと上に引き上げた。


 穴から生還し、海斗は白い布の上にいた。床だと思って触れるものは、少し生暖かい。呼吸をするように脈打つ布だった。布は床の全てに張り巡らされているようで、全てが少女の上半身へとワンピースのように繋がっていた。入ってきた扉以外に本来あるはずの壁などはなく。時折、はるか下方で波が弾けるような音がした。


ほっと一息つき、海斗は改めてその不思議な少女を見つめなおした。少女はとにかく白かった。床まで伸びる髪、透き通るような肌。ばさばさと広がるまつ毛までも。


 ただ瞳は、虹色に輝いていた。海斗はその煌めきに、母親が気に入っていた指輪の宝石を思い浮かべた。オパールだ。と。海斗とその名を思い出した。母親の持っていた石はくすんでいたけど、少女の瞳の方がずっと美しい。と海斗は思った。


「ねぇ、大丈夫?」


 再度の声かけに、海斗ははたと我に帰った。


「あ、ああ……うん。大丈夫。助けてくれてありがとう……痛ッ」


 鈍痛がして、海斗は布が巻き付いたままの足を見つめた。


「ああ、ごめんね」


 少女が布を引っ張ると、海斗の赤く腫れ上がった足が露出した。布が擦れた部分からは薄らと血が滲んでいる。どう見ても、折れているといった有様だった。


「大丈夫よ。戻るから」


「戻る……って。痛ッア!」


 メキッという音が響いたかと思うと、みるみると彼の足の腫れは引いていく。まるで時間が戻るような様な光景に海斗は目は疑った。擦れた傷跡に滲んでいた血までもが、皮膚に吸い込まれていった。


 海斗は震えた手で、そっと自分の足を撫でた。そこには傷一つなく、触れた手のひらを見つめても、血はついていなかった。


「なんで……」


 不意に、足に感じたひんやりとした物を感じ、海斗は視線を上げる。


 少女は海斗の足にそっと手を当て、くすくすと笑った。長い白髪も、一緒に素肌に触れて、そのこそばゆさとなんともいえない恥ずかしさに、海斗は足をそっと引き寄せ、小さく座って足を守った。


「ここでは、怪我や病気をすることはないの。時間が流れることもない。いつも全てが元通り。全てが変わらないの。永遠に」


「すごい。それって不老不死ってことじゃん」


 ゲームでしか聞いたことのないような状況に、海斗の胸はドキドキと高揚した。未だ恐怖はあったもの、お化けよりももっとすごい。未知の物を見つけた喜びの方が、優っていた。そしてなにより、自分を救ってくれた少女に対しては、恐怖心よりも感謝を感じていた。


「助けてくれてありがとう。僕、僕は折原海斗って言うんだ」


「オリハラ……?オリハラカイト?」


 少女は不思議そうに繰り返し、その名を呼んだ。


「海斗でいいよ。君の名前は?」


「私は、私は……。エスカ」


「エスカは、妖怪?お化けなのかな」


 エスカは困ったように笑う。


「よくわからないけど。確か、いつかこう呼ばれてた。ヨウセイって」


「妖精?すごい!妖精って本当にいたんだ!魔法とかって使えるの?!」


 鼻息を荒くして、海斗は目を輝かせる。エスカは首を傾げると手のひらを海斗に向ける。海斗がそれを見つめていると、彼の鼻先目掛けて、彼女の指先から緑の炎が立ち上がった。


 海斗は思わずのけ反って転んだ。


 心配そうにエスカが彼を覗き込むと、彼は勢いよく立ち上がり、わっという。歓声を上げた。


「すごい!すごい!すごい!魔法って本当にあるんだー!」


 ぴょんぴょんとその場で跳ねて、海斗は肩で息をする。エスカはそれがおかしいのかクスクスと微笑んだ。


「そんなに面白い?」


「うん!すっごく」


「じゃぁ、よければ、教えるわ」


「俺にもできるの!」


「すぐにはできないかもしれないけど。念じる力があれば……」


 エスカは海斗の方に手を伸ばす。海斗は自分の手を彼女に向かって伸ばし返した。


 エスカは海斗の手のひらを、下から包み込むようにして握りこみ、じっと重なった手を見つめた。


 その美しさと、手の柔らかさに、海斗はドキドキと彼女を見つめた。長いまつ毛がはためきながら、海斗を見つめていた。


「火を想像するの。熱い。明るい。なんでもいいわ」


 エスカに言われるがまま、海斗はイメージをする。熱い炎。強く燃え上がる火柱。スイッチをひねったときのガスコンロ、蝋燭の先のゆらめき、夜空に散る花火。


 瞬間。チカっと指先が光ったかと思うと、ほんの一瞬。小さな火花が海斗の手のひらの上で爆ぜた。


「うわっ」


 払い除けようとした海斗の手を、エスカはぎゅっと掴む。


「そのまま、考え続けて」


 海斗は、頷くとイメージを続けた。するとそのうち火花は手のひらの中心へと集まっていき、最後には小さな小さな火種となって静かにそこで燃え続けた。


「……すごい!すごいよ!エスカ!!」


 エスカはそっと海斗の手を離して微笑んだ。


「慣れればきっと。もっと大きな炎も出せるようになるわ」


「すごい。他にはどんなことができるの?」


「そうね、水を出したり、物を動かしたり?想像できることは大抵できるわ」


「うわあ!すごい!もっと教えてよ!」


「……ふふ。いいわよ。でもその代わりお願いあるの」


「お願い?」


 気がそれた途端に、炎は手のひらから消える。闇の中で静かに光るエスカは今にも泣き出しそうな顔でおずおずと頷いた。


「どうか。これからも私とお話ししてほしいの」


 しばしの沈黙の後、海斗は首を傾げた。


「え、そんなこと?」


 エスカは眉を顰めて首を振ると、ぎゅっと胸のあたりの布を握りしめた。


「そんなことじゃないわよ。私はね、この通りこの世界から出ることができないのよ。一人はつまらないの……。カイトが毎日ここにきて、お話ししてくれたら、どんなにうれしいか」


 エスカは潤んだ瞳で海斗を見つめる。オパールの輝きはゆらゆらと揺らめいていた。


 その美しさに目を奪われながらも、海斗はゆっくりと頷いた。


「もちろんだよ。エスカ。僕もエスカともっと話したい!」


 エスカは大きく目を見開く。


「本当……?」


「ああ、そんなことならいくらでも」


「ありがとう。カイト」


 目を細めて、エスカはにっこりと微笑んだ。


 それから何時間たっただろうか。たわいもない話を二人はずっと続けていた。


 流石に海斗が欠伸を一つすると、エスカはそれに気がついて、目を伏せながら小さく呟いた。


「そろそろ時間みたい」


「時間?ここは時間も流れもないんだでしょ」


「そうだけど、貴方の世界は違うでしょ。また明日来て、待ってるから」


 エスカは微笑む。


「え、それってどういう……」


 海斗が呟いた途端。目の前からエスカの姿が消えた。


 辺りは暗闇の空間でもなくなっており、埃臭い板張りの床と、梁。土壁の屋根裏が現れる。いくつかの壁の隙間からは白い光が差し込んでいた。


 そこはただの屋根裏部屋に戻っていた。


 手のひらを広げ、海斗はそれを見つめた。

炎をイメージする。すると、小さく小さく火花が散った。


「夢じゃない」


 手のひらを握りしめ、海斗はにやりと笑った。


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