帰省
それは海斗にとって小学校生活最後の夏休みだった。
終業式が終わり、これから始まる四十日間の休みにウキウキとしていた彼は家に帰った途端に父親に車に乗せられ、父方の祖母の家である、折原家へと預けられることになった。
行きの車の中で、彼の父である昌司は告げた。
「母さんと離婚する」
お前も、もう大きいから。と、昌司は抑揚なく付け加えた。
海斗は両親が不仲なことは、知っていた。だが、なるべくしてなったことを改めて聞かされると、ぐさりと心に冷たい杭を刺されたような気になって、彼はぎゅっと短パンの裾を握りしめた。
「母さんと父さん。どっちについていきたい?」
そんなことを即答できるはずもなく。海斗は目に涙を潤ませて、鼻をすすった。
「母さんについていけば、新しい父さんもいるからな。そっちの方がいいんじゃないか」
返答のない後部座席に、昌司はこれ見よがしに大きなため息をついて、「お前が決めてくれれば楽なのに」と面倒くさそうに小さく呟いた。
山々に囲まれた、谷間の村にたどり着くには都内から三時間ほどかかった。開けた土地には草がぼうぼうと生えへ揃い、どこからかカラスが鳴く声がした。
海斗が車から降りると、ガラリと玄関の引き戸が開いて、老年の女性が出てきた。昌司の母であり、海斗にとっては祖母にあたる折原月子であった。
「よく来たね。かいちゃん。待ってたよ」
海斗の赤くなった瞳を見つめて、月子は彼の頭にそっと手を置いた。
「かいちゃん。先に上がってて、ひいばあちゃんもお前が来るのを楽しみにしてたんだ。挨拶してあげなさい」
月子にせっつかれて、海斗は家の中に入った。閉められた引き戸の隙間から、海斗がそっと外の様子を伺うと、月子は何やら昌司に詰め寄っている様子だった。昌司はそれを面倒くさそうにあしらっていた。
何度だってにじんでくる涙を拭って、海斗は月子が戻ってくる前に、急いで靴を脱いで家と上がった。
廊下を歩き、海斗は居間に入った。藤でできた椅子に、やせ細った老婆が座っていた。
海斗の曾祖母。おぼろであった。海斗は少し、この曾祖母が苦手だった。彼が物心着く頃にはすでに痴呆が始まっており、この曽祖母が外をぼぉっと眺めている姿しか知らなかった。
おぼろはゆっくりと目を開けると、海斗を見つけて嬉しそうに微笑んだ。
「そうにいちゃん」
月子曰く、そうにいちゃんとは、おぼろが子供の頃に死に別れた彼女の兄だそうで、彼と海斗の面影を重ねてか、いつの頃からか、おぼろは海斗のことをそう呼ぶのであった。
海斗が部屋の隅に丸まって座ると、すぐに、月子が居間に入ってきた。窓の外から、ぶぉんというエンジン音が響き、もう父は行ってしまったのだ。と海斗は察した。
道中の車内で、昌司は海斗にこれからのことを淡々と話していた。海斗の親権を巡って離婚調停をすること。離婚の原因は母親の不倫であること。小学生の海斗が受け止めるにはあまりに重すぎた。重すぎて、受け止めきれなくて。海斗はまるで他人事のような気さえしていた。