愛情
次の日の深夜二時。海斗は約束通り屋根裏部屋へと戻ってきた。
扉から現れた彼を見て、妖精は頬を赤らめ、虹色の瞳を輝かせて喜んだ。
「ああ、カイト。来てくれたのね!もう……戻ってこないと思ってた」
目を潤ませて、エスカは海斗に向かって手を伸ばした。海斗は微笑むと彼女の元へと駆け寄った。
「約束しただろ。僕は、エスカのそばにいるって」
エスカは海斗の身体を抱き寄せた。
海斗は、しばらく浮いた手をあたふたと動かしていたが、やがて観念したように、彼女の背に自分の手を回した。
「これから永遠に一緒にいられるのね」
「うん」
エスカは海斗の胸に預けていた頭をあげると、背から頬へとその手を移した。
海斗は、エスカの白い透き通るまつ毛、虹色の瞳をじっと見つめ返す。甘い匂いに思考はまとまらずのまま彼女に吸い込まれていった。
彼女の柔らかい唇に触れる。花の蜜のように甘いそれに、海斗は喉が鳴るのを感じ、息を吸うのにわずかに口腔を開けた。そこになにかぬるりとしたものが入ってくる。その熱さと香り、舌触りに海斗はエスカを抱きしめたまま、その場に仰向けに倒れ込んだ。
しばらくの後、エスカはやっとその顔をあげる。海斗はやっと息を吸って、彼女の顔を見上げた。サラリとした髪の毛が頬を撫でて、それが海斗にはとても心地よかった。
「嗚呼、カイト。好き。ワタシ、大好き。カイトはワタシのこと好き?」
「うん……。好き。好きだよエスカ」
海斗はエスカの頬を撫で、少しだけ身体を起こして彼女にキスをした。一度目とは違う、すぐ離れる軽いもの。エスカが恥ずかしそうに笑うと、海斗も嬉しかった。
「ああ、好き。大好き」
エスカは海斗の顔を上から順に撫でていく。白く、冷たい手が心地よく、海斗は目を瞑り、その体温を静かに感じた。
「貴方の髪も、目も好き。鼻も口も、耳も好きよ」
「ふふ、顔が好きなの?」
嬉しそうに吹き出す海斗にエスカは首を振った。
「顔だけじゃない。声も好き。匂いも好き。体温も……あと」
顔や身体をいたずらに這うその手のくすぐったさに海斗は目をつむる。
「味も好き」
その瞬間。背中にぬるい風が吹いた。背中にあった布が優しくほどけていくのを海斗は感じた。あっと思った時には、体はぽっかりと空いた宙に投げ出され、彼が必死にしがみついたのは、エスカの首筋だった。
エスカは、恍惚したまま、彼を首筋にぶら下げて、穴の淵から見下ろしていた。
海斗は、恐る恐る眼下を見下ろす。深いその場所には大きな目を光らせる。あの時の魚化け物が、海斗が落ちてくるのを口を開けて待っているのが見えた。
ポタリポタリと海斗の頭に液体が垂れる。彼女の口元から溢れるばかりの唾液が、彼に注がれていた。
「貴方の味。とっても素敵だった。ワタシのことが大好きって感情でいっぱいの味。ああ、なんて貴方は最高なの!」
「何言って……」
そこで、海斗は気が付く。穴の中に垂れ下がる布の束一つ一つが、眼下の巨大な魚につながっていることに。
「だましたのか……!最初から僕を食べるつもりで」
腸がぐつぐと煮えたぎるよう憎しみが、海斗の中で沸き起こる。顔をゆがめて怒りを表出する海斗を、それでも愛おしそうにエスカは見つめていた。
「騙してなんかないわ……。ああ、本当に愛してる。だから私の体に入れたいの。貴方の体の隅々まで味を知って、私のものにしたいの。私の血肉なって、私の体の一端まで、貴方を行き渡らせたいの。貴方に私の中まで見てほしいの……貴方と一つになりたいの」
エスカはちらりと視線を横に逸らした。
「|前のはね(、、、、)もうその味がなくなってしまったの。だからもういらないのよ?貴方が教えてくれたのよ。味のなくなったものは吐き出していいって……」
その目線を追うと、扉の近くで、何か赤黒い塊がフツフツと煮詰まった鍋の中身のように蠢いていた。それは次第に腕や、足のような形を作っていく。その異様な光景に、海斗は吐き気を覚えた。
『この世界では、病気にならないし、怪我をすることはないのよ』
エスカが、過去に言ったことが海斗の脳裏に浮かんだ。そして考える。最悪より最悪を。
ーもし、このまま落ちて化け物にめちゃくちゃに食べられてしまった時。自分はどうなってしまうのだろうか。
ちゃんと、死ねるのだろうか。
声の限り叫んで、海斗は眼下に向かって魔法を放つ。たが、小さな火の粉は、怪物に届く前に消えていく。痺れてきた手に、エスカはそっとその冷たい手をかける。その感触に海斗は彼女へと視線を戻した。
「エスカ?」
美しい妖精に、温情を望んで、海斗は涙で歪んだ顔で微笑みかけた。妖精はそれに応えるように、ぞっとするほど美しい顔で微笑み返す。
「ああ、愛してるわカイト。大好きよ」
エスカは、驚くほど簡単に、海斗の手を剥がした。そうして彼は、怪物の腸へと堕ちていく。妖精は、ただ幸せそうにそれを見ていた。