第7話 ダンス
「なぁ、お前。なんか変わったよな……」
「そうか?」
5月に入り、体育の授業で体育祭の種目の練習をしていた俺に藤浪が語りかけて来る。
変わったと言われても、俺に特段の変化はないはずだ。だが、そんな俺に藤浪はいいやと告げると話を続ける。
「かなり変わったと思うぞ?そもそも、俺がこうやって話しかけたとき、前だったら無視してただろ?」
「……」
確かにそれは否めない。
八坂さんが傷を晒しはじめた日から、俺も少しづつクラスメイト達と会話をするようになってきたのだ。
その中でも藤浪とは特によく会話をするようになった。
前の席に座っていると言うのもあるが、彼がフォニアのリスナーと言うことも大きかった。
普通の配信者は身バレを気にし、リスナーとの個人的交流は避けるのであろうが、幸いにもこいつの中でフォニアは美少女なのだ。
まさか、推しが目の前にいるとは思わないだろう。
それも、男であると言う事実を知れば、正気ではいられない筈だ。
申し訳なさを感じながらも、身体を動かす俺に藤浪は話を続ける。
「何があったかは知らないが、やっぱり八坂さんがきっかけなんだろうけど、なんかあったのか?」
「……なにもねぇよ」
疑いに似た視線を向ける藤浪の言葉を俺は否定する。
ない訳ではないが、それは言えない。
週に一度の頻度でうちに来ては配信についての話をしたり、姉の配信に参加するなど、八坂さんとの接点が増えたのは事実だ。
少し離れたところで同じように体育の授業を受ける女子達の方に視線を向ける。
そこには仲の良い女子と楽しそうに会話をする八坂さんの姿もある。その姿を見つけた俺が彼女を見ていると、その視線に藤浪はちゃかしを入れる。
「……もしかして、付き合いだしたとか?」
「そ、そんなんじゃないから!!」
藤浪の言葉を即座に否定をすると、藤浪は苦笑いを浮かべる。
「ククッ……。フォニアたんが推しだからって、男がその言葉遣いをしても気持ち悪りぃぞ?」
「…………くっ」
普段は言葉遣いに気をつけてはいても、こういった咄嗟の反応をする時に配信の口癖が出てしまう。
そんな俺を揶揄うような反応を見せる。が、すぐに藤浪も女子の方に視線を向ける。
「まぁ、八坂さん、可愛いもんな。遊佐が惚れたとしても仕方ない」
「だから違うって!!」
「ほんとか?あの子に追いかけられるなんて、学校中の男子がどれだけ羨んだか知らないだろ?」
「知らない」
「……だろうな。あんな美人から逃げ回るなんて、遊佐ってホモなのかって噂になったんだぞ?ああ、俺にそんな気はないからな?」
そう言いながら、一歩後退る藤浪に俺は即座に、「違うから!!」と、否定する。
確かに彼女がフォニアのリスナーでなければ逃げ回る必要なんてない。
スラリと長い四肢に、スレンダーであってもちゃんと主張をする胸と傷があるとはいえ整った顔立ち。
見るものを魅了してやまないパッチリととした二重の眼に見つめられて嬉しくないはずがない。
その上、誰からも好かれる笑顔と性格の持ち主の人間から逃げる人間などいない。
改めて彼女がいかにクラス……、いや、学校のアイドルとして君臨しているかがわかる。事務所の人間としてでなければ関わる事のない、絶対的な壁が俺と彼女の間にはあるのだ。
それを見透かすかのように、藤浪は話を続ける。
「けど、あの子は強敵だぞ?なんせ、幾人もの男子が彼女にアタックしては玉砕したのは有名だろ?」
「……あぁ」
確かにぼっちの俺でも耳にするほどの噂だ。
なんせ、藤浪と双璧をなすイケメンですら、悩む間も無く振ったのだ。
顔の傷がそうさせるのか、彼女のもつ夢がそうさせるのかは分からない。が、彼女と交流を交わすなかで、その真摯な姿勢に俺も少しづつだが、心を開くようになってきた。
そんな俺の心など知るよしもないまま、授業は始まる。体育祭で行う種目のなかで、三年生全体で行う種目にダンスがある。
そのダンスの中でも男子パートと女子パートが分かれており、最後は全体でダンスをする。
今日はその種目の楽曲を決めるのだ。
幸いにも、男子の楽曲はすぐに決まった。
洋楽でテンポの良い男性アーティストをアレンジして踊る事になった。
あとは女性パートと全体で使用する曲を決めるのだが、それが難航したのだ。
流行りの曲から、今では定番となった曲まで様々なものが提案される。
その意見の中で、全体ダンスの時に男女一人ずつが代表でダンスを踊る意見も取り入れられた。そうなるとその代表を決めるのにも時間を割かれる事になる。
とりあえず、意見のまとまらない曲の選定は後にし、二人の代表を選ぶ事となった。
「この中でダンス経験者は挙手〜!!」
体育の教師が尋ねる。
ソロパートでダンス経験者じゃない者がダンスを披露するのは無謀だからだ。
ちらほらとダンス経験者が手を挙げる。俺も経験者ではあったが、目立ちたくないから成り行きを見守っていると、その中には八坂さんの姿もあった。
……女子は決まったな。
俺は心の中で呟く。
それもそのはず。
俺は彼女のダンスを目の当たりにした事がある。
それはとある休日に、彼女を連れて行きつけのダンススタジオに行った時の事だ。
Vtuberといえば歌にダンスを踊ることは今では必須能力だ。
特に俺の場合は歌をメインに活動しているから、ダンスは欠かせないのだ。それは今後活躍を期待される八坂さんにも言える訳で、そんな彼女もレッスンを受けたのだ。
いつものように俺が講師に倣ってダンスを踊る。
その様子を感心した様子で見ていた彼女だったが、いざ自分の番が回って来ると、それを彼女は最も簡単に踊りきったのだ。
彼女曰く、フォニアのダンス付きの歌は大抵踊れるらしいが、本人以上のキレにしなやかな動きに俺と講師は目を丸くした事を思い出したのだ。
選抜が行われると、ダンス経験者達は音に合わせてダンスを始める。が、やはり彼女のダンス技術は他の生徒の頭ひとつ抜けている。
現役でダンスをしているダンス部の面々をも凌駕しているのだから尚更だ。
その動きに参加をしていない生徒達は口々に、「すごい!!」や、「綺麗……」と言った言葉を並べる。
そして、試技後に投票が行われるのだが、案の定、彼女はそのパートの代表に選ばれる。
その結果に俺も拍手を贈っていると、あろう事か俺に向かってピースをする。
……やめてくれ。
拍手をしていた俺だったが、恥ずかしさに膝に顔を埋める。
いかに彼女のマネージメントをしているからとて、後方彼氏面が出来る関係ではないのだ。
「それでは、次に男子の方も選びたいと思うのだが……」
体育教師がそう述べるやいなや、八坂さんははいっと手を上げる。
その行動に嫌な予感がしていると、体育教師が八坂さんの話を聞く。
「八坂さん、なんですか?」
「はい!!私は遊佐くんがいいと思います!!」
八坂さんがそう言うと、体育に参加する生徒達が一斉にざわめきだす。
その提案に、俺はやっぱりか!!と、心の中で悲鳴を上げる。今の彼女ならそう言い出すに違いないと思ってしまったのだ。
他の生徒達もその提案に、「本当に踊れるの?」や、「なんで遊佐なんだ」と、私怨も混じった疑心暗鬼な声が聞こえてくる。
「……でも、遊佐くんはダンス経験者なのか分からないじゃない」
そう話す体育教師に、彼女は自信満々に大丈夫ですと答える。
‘……何が大丈夫なんだ!?
俺の届く事のない心の悲鳴を知る由もない彼女はなおも話を続ける。
「遊佐くんは私よりよっぽどダンスが上手いんですよ?だから大丈夫です!!」
その言葉にますますざわめきを強める生徒達に教師も困惑する。
「……遊佐くん、そう言う事だけど、踊れる?」
「…………」
その問いに俺は考えを巡らせる。
もちろん、踊れない事はない。
だが、同時に目立ちたくもないのだ。
そんな優柔不断な俺にイラついたのか、一人の生徒が手を上げる。
「八坂さん、こんなボッチ野郎より、俺の方が踊る相手に相応しいと思うぜ!!」
そう言い出したのはダンス部のチャラ男だ。
彼については女たらしだと言う噂もある。
だからと言ってその挑発に乗る訳にもいかず、黙っていると、彼女はチャラ男の言葉を一蹴する。
「そんな事ないです!!遊佐くんの実力は誰よりも知っていますから!!」
……マジやめて!!もう俺のLPはゼロよ!!
彼女とチャラ男の間で繰り広げられるやりとりに意気消沈する。が、チャラ男の次の言葉に俺の心に火がつく。
「じゃあ、俺が選ばれたら八坂さんは俺と付き合うって言うのはどうだ?」
「えっ?」
「ちょっと、茶楽くん!?」
授業中にも関わらずそんな事を言い出すチャラ男に体育教師は戸惑いを見せる。
だが、八坂さんは動じる事なく静かに頷く。
「……いいでしょう。じゃあ、茶楽くんが負けたらどうしますか?条件をつけてきた以上は何かペナルティがなければこの勝負に乗る必要もないですが」
「いいぜ?俺が負けたら坊主にして、ここにいる全員の前で遊佐に土下座でもなんでもしてやる」
「……いいでしょう」
「ちょっと、八坂さん!?」
当人である俺を除いて進んでいく話に、他の生徒達は盛り上がりを見せ、先程までやる気だったダンス経験者達が辞退しはじめる。
その様子に俺は戸惑うしかなかった。
「俺はやるとは言ってないんだけど……」
自分の許可もなく進んだ話に乗る理由はない。
そんな俺に八坂さんは懇願の視線を向けて来る。
前から思ってはいたが、彼女の行動力にはいい意味でも悪い意味でも感心する。
だが、次の言葉に俺もカチンときたのだ。
「まぁ、お前みたいな根性なしが大観衆の中で踊れる訳がないよな?なら、八坂は俺がもらったようなもんだな!!」
はっはっはと高笑いをするチャラ男に俺の小さなプライドが傷つく。
少なくとも体育祭に来る観衆よりも数倍多い観衆の前で踊ったこともあるのだ。体育祭ごときで緊張するはずがなかった。
それにうちの大事なタレントを傷ものにさせるわけにはいかない。もう傷(物理)はあるけど……。
そんな事を思いながら、俺はゆっくりと立ち上がる。
その様子に生徒達が湧き上がる。
「……ほう?」
「遊佐くん!!」
いないと思っていた敵が現れた事に余裕の表情を浮かべるチャラ男に、まるでヒーローを待ち侘びていた囚われの姫君のような八坂さん。
「……条件に負けたら今後舎弟として卒業まで過ごす事も追加でいいか?」
「はん!?いいに決まってるだろ?」
もはや勝った気でいるチャラ男に俺は条件を付け加える。
そんなやりとりに教師もどこか楽しくなったのか、ため息をつくと、この勝負を許可する。
おそらく生徒のやる気を上げながらも、行き過ぎた行動については後で灸を据える予定なのだろう。
まずはチャラ男の試技が始まった。
さすがはダンス部なだけあって動きにキレがある。
だが表現力についてはまだ荒削りだ。
力強さはあるが、傲慢……。
そんな踊りが人の心に届くわけもなく、終わった時の反応はイマイチだった。
次に俺の試技が始まるのだが、八坂さんがある提案をする。
「あ、使う曲は私が選んでいいでしょうか?」
「えっ?」
その言葉に嫌な予感がするのだが、その言葉に教師は許可を出す。
すると、音源であるパソコンからとある曲を彼女はセレクトする。
流れてきた曲に聞き覚えのあった俺の全身に鳥肌が立つ。その曲は俺が歌った曲なのだが、その曲が俺は好きではなかった。
ダンスミュージックを意識して作られた楽曲なのだが、この歌は女性特有の艶かしさがあるのだ。
その曲を作ると決まったときに、俺は全力で拒否をしたのだが、結局は姉のゴリ押しで世に出回ったのだ。
結果としてはなかなかの売り上げを出したのだが、この曲を歌った事により、男の尊厳が削がれた気がした俺はこの曲を歌うのはおろか、聴くたびに鳥肌が立つようになったのだ。
クラスメイトの中にもこの曲を知っている奴が多いらしく、中にはノリノリのやつもいた。
だが、始まってしまうと俺は苦手意識を無にする。
普段であれば女の子、フォニアをイメージしてダンスをするのだが、今日は初めて遊佐一彩をイメージして踊る。
女性特有のしなやかな動きではなく、少し男性のような力強さを表現しながら曲に動きを合わせると生徒の中からだんだん手拍子が起こる。
その手拍子を聞いたチャラ男は表情を歪めていく。
手拍子が起きた時点で勝ちは決まったようなものだったからだ。
曲が終わり、ダンス特有の決めポーズをすると、生徒達から万雷の拍手が送られる。
「すごい……」
「遊佐くんってこんなダンスができる人だったんだ」
俺に向けられる賛辞の声にチャラ男は絶望の表情を浮かべ、八坂さんはドヤ顔をする。
……なんで八坂さんがそんな顔をするんだよ。
八坂さんの後方彼氏面に苦笑をしながらも、自分に向けられた称賛に喜びを感じる。今までフォニアに向けられた賛辞はたくさんあったが、俺に向けられたのは近年なかったのだ。
そんな達成感に満足していると、教師が結果を募る。
もちろん勝者は俺だ。
その結果にプライドをへし折られたチャラ男は悔しそうに顔を歪ませる。
当然の結果だ。
常に結果を求められるプロと自己満足のために踊るアマ……、立っている土俵がそもそも違うのだ。
だが……。
「なぁ、茶楽は将来ダンサーを目指しているのか?」
俺の言葉にチャラ男は顔を歪める。
「ああ……。わりぃか?」
「……いや。悪くはない。けど、その目的は?」
「んなもん、女にモテるからに決まってるだろう!!」
オブラートに包む事を知らないのか、明け透けに答えて来るチャラ男に俺はため息をつく。
「なんだよ?なんかもんくあっか?」
「ああ、文句なんて大有りだ。プロを目指すならそんな理由なんて捨てちまいな。プロの世界なんてそんなぬ甘くはねぇよ」
「ぐっ……」
俺の言葉にチャラ男は苦虫を噛む。
「プロのダンサーを目指す奴なんて星の数ほどいる」
そう言いながら俺はチラッと八坂さんを見る。
彼女こそ、その才を傷というハンデによって潰されかけた子だ。そんな彼女だが、自分の夢に向かって真摯に努力をしている姿をこの1ヶ月間、俺は見てきた。
「どんだけ才能があっても、自分の行動一つで夢なんて潰れちまう。それでも真摯に行動ができる人間が初めてチャンスを掴めるんだよ!!」
才能ではなく、環境だけで今の立ち位置を得た俺が言えた義理ではないが、それでも口は止まらない。
ただ一つ言えることがあった。それは……。
「夢なら真摯に向き合えよ。叶えられる力はあると、俺は思うから……」
「……遊佐」
……らしくない事をしている。
ただ夢を持ってうちの事務所の門を叩いては、潰れていった人達の悲しげな顔を思い出して、彼にはそうなって欲しくはなかったのだ。
それに気づいた俺は恥ずかしくなり、いそいそと元いた所に移動し、小さくなる。
その様子を見た藤浪は小声で俺に耳打ちする。
「……青春してんな」
「……うっせ」
そんなやりとりをしている中、体育教師が話を始める。
「はい!!それでは、代表も決まりましたので、次は全体曲を決めたいと思います!!」
その声に生徒達が再びざわめきを始める。
もちろん曲の選定をする為の相談……と、思いきや、一人の生徒が意見を述べる。
「せんせー、さっきの曲でいいと思います」
……なに!?
その声に俺は焦って顔を上げる。
俺の黒歴史が全校生徒の前で晒される!?
そう考えただけでも、冷や汗が止まらないのだ。
それだけは避けなければならない。
そう思いながら、知っている限りのダンスミュージックを脳内で検索する。
だが、一人の脳みそではいい案が浮かばない。
それどころか、生徒全体が意見を統一する方が早かったのだ。
もちろん皆の意見は賛成……。
その様子に俺は、「あっ、あっ……」と、言葉を失っていると、教師が口を開く。
「それじゃあ、反対意見も少ないようなので、この曲を採用したいと思います!!」
「よっしゃ!!」
体育教師の言葉にシンフォニアである藤浪はガッツポーズをし、離れたところで八坂さんも嬉しそうに手を叩く。
……のーーー!!
そんな中でただ一人、俺だけが心のなかで絶望の雄叫びを上げるのだった
だが、ショッキングな事件は立て続けに起こるもので……。
その日の晩、フォニアのYouTube登録者が学年全体の数だけ増えていたのは言うまでもなかった。