第6話 コンプレックス
「な、なんで……」
先程まで音楽準備室で話をしていた八坂さんが、眼鏡をかけ、その長い髪の毛を纏めた姿を見て、俺は口をぱくぱくさせる。
それもそのはずだ。
彼女のコンプレックスであるはずの傷が丸見え状態なのだ。
事務所の面談の時にはそそくさと隠した傷を見せる事自体、彼女にとっては苦痛であるはずだ。なのに、こうやってクラスメイトの前にも関わらず傷を曝け出す姿に、俺はもちろんクラスメイト達も驚きを隠せずにいる中、彼女は再び、「おはよ」と口にする。
その声に俺は思わず、「お、おはよう」と、返してしまう。
彼女がこうして勇気を振り絞っているのに、黙ったままではいられなかったのだ。
その返事を聞いた八坂さんはにこりと笑う。
その笑顔を見た俺の前に座っている男子生徒が、思わず疑問を投げかける。
「……なぁ、八坂さん。いつからそんなに遊佐くんにご執心になったんだ?」
「え?」
「ほら、最近遊佐くんのところに来ては避けられているような気がするんだけど」
「そ、それは……」
その男子生徒の疑問に彼女が答えに窮していると、他の席の生徒もそれに同調する。
「それって、私も思ったー!!毎回逃げられてるのになんでそんなに構うのさぁ〜。ほっとけばいいじゃん、逃げるやつなんて!!」
……仰る通りでございます。
こうやって目立ちたくないから黙っているのに、なぜ彼女は挫けないのであろうか?
しかも、コンプレックスを晒してまで……。
そう思っていると、彼女はその答えを話し始める。
「それはね、遊佐君のお姉さんと知り合いなのよ!!」
どや!!と言わんがばかりの表情を見せる彼女にクラスメイト達はポカンとした表情に変わる。
それはそうだろう。
答えになっていないのだ。
姉が人気Vtuber、プリンセス・シンフォニィだと言う事を誰も知らない。それゆえに、だからなんだって言うんだと言う話だ。
「それでね、その人に仲良くしてあげて欲しいって言われたの……」
「……そんな理由で?」
クラスメイトの一人がその理由を聞いて呆れ返る。
姉に頼まれたからと言う理由だけで仲良くしてもらえるのであれば、自分も……と言う考えに辿り着く奴もいるだろう。
だが、そんな事はお構いなしに、彼女は言葉を続ける。
「……遊佐くんはね、すごい人なんだよ?お姉さんの仕事の手伝いをしながら、家事までして、ピアノも弾けるの。そんな努力ができる人だし、私のことを真剣に考えてくれる人と仲良くなりたいって考えるのって普通じゃない?」
その発言にクラスメイト達はざわめきを見せる。
Vtuber事務所のことは言えないから、大まかな話しかしてない。だが、そのことが尾鰭背鰭となって勝手に歩みを始めるのであろう。
だがしかし、姉よ!!どんな話をしたのかは分からないけどそんな話までする必要あるか?そう、心の中で呟く。
「それに……、私の尊敬するフォニアちゃんがね、人の心を開くためにはまずは自分からって言ってくれたから」
そう目を輝かせながら語る八坂さんの言葉に、俺は少し恥ずかしい思いをする。
配信の上で赤スパと共に質問が来たことを思い出す。
かなで:あまり人に心を開いてくれない人と仲良くする為にはどうしたらいいですか?
『えー、えっと。私もあんまり人と関わる事が上手くないからこれって言うのは断言できないけど、その人は何か他人に言えない事を隠してるんだと思うの。そんな人には自分を信用してもらえるようにゆっくりと、真摯に距離を縮めていったらいいんじゃないかな?』
普段、人から逃げ続けてきた俺はその質問にこう答えたのだ。今考えると、顔から火が出てきそうなほど恥ずかしい。
って言うか、この口調から察するに、この質問者さんってもしかしたら八坂さんだったの!?
だとしたら、質問の答えに対して性急すぎる。
それにコンプレックスを曝け出せとは一言も言っていない。
八坂さんの話を聞いたクラスメイトの大半はフォニアが誰かピンと来ていないらしく、所々にだれ?と言った言葉が返って来る。
登録者数100万人を行ったとしても、所詮は井戸の中蛙……。意外と知られていないことに俺は肩を落とす。
その反応を見た八坂さんは、バンっと俺の机を叩くといきなり大きな声で語り始める。
「フォニアちゃんを知らないの!?彼女はね、登録者数100万人の大物Vtuberなんだよ!!彼女が初めてその姿を披露した日の配信なんて本当に凄かったんだから!!まだアーカイブも残ってるから見てみてよ」
「えっ?何?」
「急に語り出したぞ!?」
熱弁を振るう八坂さんにVtuberに興味のない人達は戸惑いをみせる。
渦中の俺もこの限界オタク……と言うか、ガチ恋勢の彼女をみて、若干引いてしまう。
だが、やはりみている人は見ているのだ。
俺の前の席に座っていた生徒が涙を流しながら、拍手をする。
「素晴らしい、素晴らしいよ!!八坂さん!!」
そう話す彼に八坂さんは視線を向けると、しばらく顔を見たのちに、「誰?」と口にする。
その言葉にそいつはショックを受けたのか、座っているにも関わらず、ふらつきを見せる。
「な、なんと!!俺を知らない……だと?」
そんなリアクションを取る彼だが、実は校内でも八坂さんに並ぶほどの有名人だ。
名前を藤浪……。
野球部のピッチャーで、うちの高校を春の選抜に連れていった野球部のエースだ。
だが野球がただ上手いだけではなく、イケメンとして野球雑誌に載るほどの甘いプロポーションに校内はおろか、世間にも認知されているのだ。
だが、残念なことにこのイケメンには彼女がいない。
どこからともなく流れてきた風の噂では相当の変わり者だと言う事だ。
俺も彼を観るたびに、なんとなく残念くんだと思っていたが、まさかVtuberオタクだったとは……。
しかも、フォニア・シンフォニィの……。
リアルで自分の仮初の姿を推す人間を見ると目眩がする。
だが、そんな俺とは対照的に彼は復活したかと思うと、彼女の目をしっかりと見て話を続ける。
「まぁいい……。君のような美少女がまさか、フォニアたんのファンだとは思わなかったよ。仲良くしようではないか、同志よ!!」
「……そうね。とは言っても、私の心はフォニアちゃんしか見えていないから、それだけは忘れないで」
「無論。君のようないかなる美女がいい寄ろうが、我が女神はフォニアたんしかいない!!」
そう言いながら不敵な笑みを浮かべる二人は俺の目の前で固い握手を交わす。
その光景に俺は頭痛を覚える。
双方まともにしていればそれなりにモテるであろうが、残念極まりないのだ。
そんな二人のやりとりに飽きたのか、クラスメイト達らそれぞれに友人と話したり、授業の準備をし始める。
その中にはフォニアの事を調べるものも現れ、ところどころで「あっ、可愛いじゃん」や「ほんとだー」と言う声がきこえてくる。
その声を聞いた八坂さんと藤浪の眼中には俺など存在していないが如く、クラスの中心に視線を向けると大声を発する。
「気になった人はフォニアちゃんの初登場の配信を見て!!」
「2年前の7月28日の弾き語り配信だぞ!!」
「「忘れるな!!」」
声を揃えて叫ぶ二人の圧に気圧されたクラスメイトの大半は後ほど、この動画を見る事になるのだが、なぜこの二人は日付まではっきりと覚えているのだろうか……。
俺はそのやり取りを終始呆れ顔で眺めていると、藤浪はとんでもない事を口走る。
「とくに男性諸君!!君たちには垂涎の情報を授けよう!!」
そう叫ぶ藤浪の声に、先程まで興味なさそうだったクラスの男子が一斉に藤浪の方を向く。
「な、なんと!!フォニアたんの昨日の下着の色は黒だ!!」
「「「な、なんだってー!!!」」」
藤浪の発言に男子諸君がこぞって歓声を上げる。
なんせ、可憐なアイドルのような見た目のフォニアが黒い下着を履いているのだ。思春期男子の妄想が捗るのも無理はない。
だが、その下着を履いているのはここでバカなやり取りを聞かされている俺なのだ。
しかも、今もそれを履いているものだ。
確かにスパチャで今の下着の色を聞かれたのは事実で、その返答に適当に返した答えが、あろう事か俺を除くクラスの男子をいきり立たせているのだ。
その様子を見た八坂さんは顔を歪ませながら、藤浪をみる。
「あ、あんた……まさか……」
「無論、俺がその質問を投げかけたのだ!!赤スパ付きで!!」
……うわぁ、アリガトウゴザイマス。
鼻息荒く腕組みをする藤浪に、もはや呆れながらスパチャのお礼を心の中で呟き、もう一人の厄介なファンに視線を向ける。
藤浪の発言にさすがの八坂さんもドンびいているのか、身体をプルプルと振るわせる。
……嗚呼、八坂さんはまともで良かった。
やはり彼女も女性だ。デリカシーのない発言に怒りを覚えたのだろう……。
そう思った俺がバカだった。
なんと、彼女はパッと顔を上げたかと思うと、「……ナイス」と、サムズアップをする始末である。
……やっぱりそっちだったか!!!!
もはや味方もいない状況に俺はなす術がなくなり、その後に言った言葉を思い返し、冷や汗を流す。
「しかも、彼女はノーブラで日々、過ごしていらっしゃるそうだ!!」
「「「なんだってー」」」
藤浪から放たれたデリカシーのない発言に、再度クラスの男子が湧き上がる。
その配信で下着の色を聞かれた後に他のリスナーからブラの色を聞かれた事を思い出す。
その時の回答は、いわずもがな。
付けているはずはなく、その発言にリスナー達が歓喜をした事を思い出して俺は羞恥心で顔を両手で隠す。
だが、クラスの男子達はそのことに興味津々なのだ。
「フォニアちゃん、少し大きめに胸が書いてあるけど、貧乳の声をしてるイメージだったんだぁ〜」
「八坂同志もか!!日々つけていないとなるとやはりないパイなのか!?」
……どんなイメージだよ!!ないパイってなんだよ?ってか、ある訳ねー!!
そう叫びたくなるのを必死に我慢する俺の気も知らない二人は顔を見合わせたかと思うと、声を揃える。
「どちらにしても……」
「「解釈一致」」
……もういっそのこと付き合っちまえよ。俺に構わず。
意気投合する二人を見て、そんな感想を抱いた俺だったが、そうは問屋が下さないらしい。
八坂さんが唐突にこちらを向くと、懇願するかのような視線を向けながら口を開く。
「だからね、遊佐くん。これからは仲良くしてもらえると嬉しいんだけど……」
……どんな理由だよ!!
先ほどまでの流れとは思えないほどの変わり身に俺は怯んでしまう。
が、彼女が言いたかったのはきっとこうだ。
弱い部分も見にくい部分も私にはあるよ。だけど、残り短い時間で仲良くできたら嬉しいな……。
そんな視線に、俺は少しの思考を巡らせたのちにこう返す。
「分かったよ……」
俺の言葉に彼女は明るい表情に変わり、「やった!!」と、小さなガッツポーズをする。
俺もスパチャの返事でそう言ったのだ……。
その手前、彼女の言葉を無碍にはできないと観念したのだ。
目の前ではしゃぐ彼女を見ながら、自分を納得させる理由をフォニアの言葉で補う。が、次の言葉で、前言撤回したくなってしまう。
「じゃあ遊佐くん、俺とも仲良くしようではないか?」
「はぁ?なぜ?」
「それは八坂同志の友は我が友と言っても過言ではない!!」
「過言だよ!?それ、過言だから!!」
無茶苦茶な理屈で友人関係を結んでこようとする藤浪に俺は精一杯のツッコミを入れる。
「はっはっはっ!!そのノリもいいぞ!!尚更気に入った。それに……」
「それに?」
「その鞄につけてるキーホルダー、フォニアたんの記念グッズだよな!!と言うことは、君もシンフォニアと見た、違うか?」
……しまったぁぁぁ!!
初めてフォニアのグッズができて嬉しくて、つい鞄につけたままにしていた事を失念していた俺は頭を抱える。
「前からずっとつけていたのが気になっていたんだが、話しかけるなオーラがすごくていい出せなかったんだ。これを機に、仲良くしようではないか!!友よ」
彼がそう言うと、八坂さんも「何なに?」と興味津々に鞄を見て来る。
だが、それを問われる間もなく、担任が教室に入ってくると、「はい、席につけー!!ホームルームをはじめるぞ!!」と口にする。
その声にクラスメイト達はそれぞれの席に戻る。
……助かった。
そう安堵したのも束の間、二人に増えた友人(自称)が事あるごとに絡んでくる、そんな一日を過ごすことになる事を、この時の俺はまだ知らなかった。
※
放課後……疲れ果てた俺だったが、今日は配信をしなければならず、気力を振り絞って配信をつける。
「こんふぉにぃー、みんなとシンフォニー!!フォニアです!!一緒にシンフォニーを奏でましょ!!」
フォニアの声でいつも通り配信を始めると、徐々に同接の数が増えて来る。
配信の日常風景だ。
だが、若干いつもよりその伸びがいいような気がしながらも、俺は配信を続ける。
だが、その印象は間違いではない。若干数……約100余人程度登録者がその日だけで増えた。
登録者は増える時は増えるのが動画配信なのだが、目立ったような企画を立てていない今日に限って増えたことを疑問に感じながら、今日起こった事を思い返す。
……まさかね。
学校の件で登録者が増えるわけがない。
そう思っていたのに、翌日……学校ではフォニアの話題一色に染まってしまったのは、ここだけの話。