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第二話 八坂真響

「私をこの事務所に入れてください!!」

 まるで懇願するかのような声で頭を下げる八坂真響の第一声に俺はもちろん、姉も戸惑いの表情を浮かべる。


 この事務所を立ち上げてからと言うもの、応募してくる者は多々いたけれど、最初の言葉が懇願から入る応募者は見たことがなかったからだ。


 俺と姉がその声に戸惑っている間も、彼女は頭を下げたまま上げようとはしない。その様子を見て姉も我に帰ったのか、声を上げる。


「えっと、八坂さん!!まず顔を上げて!!じゃないとお話もできないから……ね」


「……はい」

 姉の言葉に八坂さんはゆっくりと顔をあげると、学校では見たことのない、曇った顔が目に入ってくる。


 いつもは笑顔を絶やさない彼女の表情に違和感を持った俺だったが、ただ黙って事の成り行きを見守る。


「えっと……、八坂真響ちゃんだっけ?」


「はい……」


「とりあえず、お話は座ってから聞こうと思うから、とりあえず移動しましょうか」


 一応のVtuber事務所である我が家には面接や会議用にソファーとテーブルが用意されている。


 姉がそこを示し、移動をすると、八坂さんは小さな声ではい……とうなづき、後に続く。


 俺はその姿を視線で追いつつ、行く当てもないままでいると、後ろから澪さんが声をかけてくる。


「何、一彩くん?気になるの?」


「そう言う訳じゃないですが……、ただ、姉の心境の変化は気になりますよ」


「まぁね。真彩は一度決めた事は曲げない子だからねぇ〜」

 俺の疑問に澪さんが同調する。


 姉はまだ二十代前半でこの事務所を立ち上げた人間なのだ。ある程度の妥協はすれど、ハナから自分の決めたルールを変えてまで人材募集をする人間ではない。


 それは姉が所長としてマネージメントできる人間の数が多くはない。それはプリンセス・シンフォニィとして自らも演者をするVtuberでもあり、数多くのイラストを手がけるイラストレーターでもある。


 だから数多くのライバーを抱え流ほどのキャパはなく、せいぜい自分でイラストを手がけた演者の数くらいしか採用できないのだ。


 しかも未成年で、尚且つ飛び込みの面談を受けるなんて事はこれまでもなかった。


 そんな姉がなぜ八坂さんに興味を持ったのか?


 謎が謎を呼ぶ。


「もしかしたら、一彩君の高校での様子が気になって招き入れたのかもよ?」

 揶揄うように笑いながらそう言う澪さんに俺は冷や汗を流す。


 まさかとは思うけど、そんな理由で面談をしようと思ったのであれば、あとから姉に高校でのぼっち生活を揶揄われるに違いない……。


 普通の人間であればやらない事でも、姉ならやりかねないのだ。


「そんなわけないか。真彩ってあんな必死な顔をしている子を、無碍にするような子じゃないのは一彩くんも知ってるでしょ?」

 澪さんはそう言いながら面談の席で対峙する二人に視線を向け、俺も軽くうなづきながら澪さんの視線の方向に目を向ける。


 そこには緊張の面持ちの八坂さんと姉が互いに何かを言い出そうとしている姿があった。


「それに八坂さんのあんな表情、初めて見ました」


「そうなの?」


「はい。誰にでも物怖じをせず、笑顔で接することができる。それが学校での彼女の印象です……」


 ……俺を除いてはと言う言葉を飲み込みながら説明する。


「そりゃそうだよ?面接なんてこれからの自分の事が掛かってるんだから緊張するのは当然よ。一彩くんもいずれは分かるようになるわよ。ほら、気になるんだったらお茶でも持って行ってあげな!!」

 そう言うと、澪さんは俺の背中をポンっと押す。


 背中を押された俺は渋々、冷蔵庫に行きペットボトルのお茶を取り出す。


 二人分のグラスにお茶を注ぎ入れ、面談をしている二人の元へ向かう。


 そこではすでに会話が始まっており、姉が八坂さんに対して質問を投げかけていた。


「えっと、お名前は八坂さんであってる?」


「……はい」


「よかった。じゃあ、単刀直入に聞くけど、なんでファイブハーフを受けようと思ったの?しかも,飛び込みで」

 八坂さんに真面目に面談をしている姉に俺は安堵する。


 ここでふざけるようであればグラスを置いた後にお盆で叩いてやろうと画策していたのに……。


 そう思いながら、会話に水を差さないように静かに二人の会話に聞き耳を立てる。


「正直言って、私の事務所は⚪︎ライブとか⚪︎さんじとか大手の事務所じゃないのよ?それなのにどうしてうちなのかしら?」

 その姉の言葉に、八坂さんは少し考えを巡らせているのか、口を閉じる。


 その合間を見計らって、俺はお茶の入ったグラスを姉と彼女の前に置く。


 すると、彼女は自身なさげな声で何かを語り始める。


「一昨年のライブ……、フォニアちゃんのバーチャルライブを見たんです」

 その言葉に俺はぴくりと手を止める。


 一昨年のライブ……。

 俺が高校一年の夏休みに行った仮想空間でのライブの話だ。


 俺にとってはもはや黒歴史と化したライブなのだが、八坂真響がその配信を見ていたと思うと小っ恥ずかしくなる。


 そんな思いの俺をよそに、八坂さんは申し訳なさそうに話を続ける。


「……フォニアちゃんの所属する事務所なのに言うのは気が引けるんですけど、最初は運良くVtuberになれただけのなんの実力もない女だと思ってたんです」


 ……仰る通り!!

 人当たりの良い八坂さんの辛辣な言葉に俺は大きく頷く。


 あの当時のフォニアは有名Vtuberである姉に巻き込まれる形でVtuberになったなんの実力も名声もない女、いや、男だった。


 そんなポッと出の存在がなんの努力も無しにVtuberとして存在をしていたら努力をして来たVtuber達が怒りを覚えるのも無理はない。


 だが、彼女はそんなフォニアを今はどう思っているのであろうか?


 その事が気になった俺は八坂さんの話の続きを立ったまま聞き耳を立てる。


「だけどそのライブを観たんですけど、その圧巻の歌声とパフォーマンスに圧倒されたんです!!」

 そう言う八坂さんの言葉に、姉がどんな顔でその話を聞いているのか手に取るようにわかってしまう。


 今は絶対にニヤついているに決まってる。

 俺を……、フォニアを見出した私は人を見る目があるとこの面接が終わったらドヤ顔をしながら言ってくるに違いない。


 俺が小さなため息をついていると八坂さんは話の続きをする。


「私、小さい頃にアイドルになりたかったんです。だからダンスのレッスンを受けたり、ピアノを習ったりしてきたんですよ」

 てへへっと照れ笑いを浮かべながら八坂さんはそのまま、左手で髪をかきあげる。


 そこには俺が姉に説明したものより痛々しい傷跡が目に入ってくる。それを見た俺は思わず自分の首を摩る。


「だけど、この傷ができちゃってからはその夢が遠のいた気がして、諦めてたんです……」

 髪の毛を持っていた左手をゆっくりと離した八坂さんは早々に髪の毛を整え、苦笑を浮かべながら傷を隠す。


 その苦笑に自分の傷が呼応したかのように痛む。


 外見にコンプレックスがある者、身体的にコンプレックスがある者、環境的にコンプレックスがある者、声にコンプレックスがある者……。


 Vtuberになりたいと願う者はどこか、そんなものを抱えている。そんな子を俺は何人も見てきた。


 八坂さんはアイドルに足りうるルックスの持ち主だ。

 そんな彼女が顔に傷があると言うだけで選ばれない世の中に苛立ちを感じる。


 ……が、そんなものに反論しても仕方がないのだ。

 声高に叫んだところで同情されるだけで、それ以上のものは得られないのだ。


「けどフォニアちゃんの歌を聞いてたら、私も歌えるんだって、あの日思たんです」


「「…………」」


「だからこの傷があっても負けないようにって、お化粧を覚えたし、歌もダンスも、ギターも弾けるように頑張ってきたんです」


 自分の努力を認めて欲しい……。

 そう言いたげな彼女に、俺は思わず否定を口走る。


「で?同情でこの事務所に入れろってか?」


「えっ?」

「一彩?」


 突然の乱入に目を丸くする二人をよそに、俺はさらに言葉を続ける。


「Vtuberは同情だけじゃやっていけないんだよ。嫌なことだってやらなきゃいけないし、炎上しても誰も助けてくれない。もしかしたら誰も反応すらしないかもしれない。そんな世界なんだよ?Vtuberってのは」


 テレビと違って、パソコンに向かって目に見えない相手に向かって一人でリスナーにエンタメを届けなければならない。


 企画を一緒に考えてくれる仲間もいない訳ではないが、基本は自分の企画力次第でなのだ。


 しかも、最初はまるで自分が見えていないのかと疑いたくなるような虚無のコメント欄を眺めながら配信を行い、それを乗り越えた上で人気が出てくると、逆に悪意を持った怨霊が自分を祟るようなコメントも増えていく。


 そのうち自分がそうなのか、画面の向こう側に映るコメントを打ち込む人が幽霊なのかわからなくなるような感覚に陥るのだ。


 だから、夢や理想だけでVtuberをしたところで、現実は辛い事の方が多い。ましてや、同情などではリスナーの心は動かないのだ。


 辛い現実を加味しても、それすら乗り越える胆力とリスナーの心をがっしりと掴み離さない実力を見せて初めてVtuberとして生きることができるのだ。


 だから、いまだ現実を知らない高校生である八坂さんに現実を突きつけたのだ。


 俺の半ば見下したような視線に、八坂さんはしばらく気圧される。だが、すぐに彼女はキッとするどい視線を向ける。


「同情とか、そんなんじゃないです!!私は……、私はフォニアちゃんのように音楽で人の心を掴めるような存在になりたいんです!!」

 そんな事を語気強く語る彼女にとって、フォニアがどのような存在であるのかわからない。


 ただ、思いだけではVtuberという世界を生きていく事なんてできないのだ。


「よし、分かった!!じゃあ、テストをしようか」


「えっ?」

 パンっと手を叩き、そう口にする姉に俺と八坂さんは目を丸くする。


「一彩の言うように、私たちの住む世界はなりたいだけでは生きていけない世界なのよ。Vtuberになるにもお金は掛かるし、なったとしても実力がなければ淘汰されてはい終わり。たのしそう、なりたいだけではダメなんだよね?」

 そう言いながら姉はソファから立ち上がると、配信ブースのある部屋へと歩き始める。


「あなたの夢への想いがどんなものなのか、私達に見せてもらってもいいかしら?あなたの夢みるVtuberの姿を……ね」

 配信ブースに向かっていた姉がこちらを振り向き、八坂さんにウィンクをする。


 そのウィンクに八坂さんは「はい!!」と、力強くうなづき、決意を込めた表情でふんすと鼻を鳴らす。


 俺はその様子を呆れながらに見ていたが、不意に八坂さんがこちらに振り返って来たことに驚く。


「そういえば、なんで遊佐くんがここにいるの?」


「はい?」


「ここってVtuber事務所だよね?なのに、なんで遊佐くんがここにいるのかなって。あ、もしかして、遊佐くんもここのタレントさんだったりするの?」

 今から試験があると言うのに、彼女はまるで意に介していないかのように呑気に尋ねてくる。


 その言葉にドキッと心臓が跳ねる。

 確かにここの所属タレントではある。

 あるのだが、それは公言できない。


「いや、ここが俺の家だから……」


「えっ!?ほんとに?」


「ああ。高一の頃から姉貴に住まわせてもらってるんだよ」


「そうなの!!いいなぁ〜」


 ……人の気も知らないで。

 羨望の視線で俺を見る八坂さんに心の中で叫ぶ。

 が、当然のように彼女はそんな事は知らないまま話を続ける。


「じゃあ、フォニアちゃんに会った事あるの!?」


「ま、まぁな……」


「いいな、いいな!!私もフォニアちゃんに会ってみたい!!」

 学校での印象とは違う、子供のような無邪気さを見せる彼女に驚く。


「けど、お姉さんって、さっきの人だよね?この事務所ってプリン姫が開いてなかったっけ?」


「そうだけど?」


「あれ?でも、プリン姫って妹のフォニアちゃんの話しか聞いたことないよ?」


「ああ……。あいつは今実家にいるからな」

 確信をつくかのような言葉に、俺は冷や汗を浮かべながら咄嗟に嘘をつく。


 プリンセス・シンフォニィの妹、フォニア・シンフォニィなんてものは存在しないのだ。


 フォニアは俺の高校受験が終わり、ここに越して来た日から存在するようになったもう一人の俺なのだ。


 だから、存在しなくて当然だ。


「……そうなんだ。残念。一度でいいから会ってみたかったな」

 残念がる八坂さんに俺の心が痛む。


 俺は彼女に……、世界に嘘をついているのだ。


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