エピローグ
事務所へと続く階段を上った春海は、そこで二人の人影を見つけた。
「凛さん! 佑介さんも!」
「あぁ、春海。久しぶり――――ってほどでもないか。元気にしてた?」
春海の姿に気付いた凛は、満面の笑みで手を振って来る。もう片方の手はしっかりと佑介の手に繋がれており、傍から見てもお似合いのカップル。いや、夫婦に見えた。
「はい。凛さんたちは、どうしてここに?」
「最後の契約書へのサインをしに来たの。それも今終わったところで、これで晴れて、こちらの世界で正式に暮らすことができるってこと」
「おめでとうございます。じゃあ、これからは佑介さんの家で?」
春海が佑介へと視線を送ると、照れくさそうに後頭部を掻き始める。心なしか、頬も赤くなり、照れくさそうにしているのが丸わかりだ。
「えぇ、お二人の協力のおかげで同棲生活を送ることになりました。両親も彼女の身の上のことは受け止めてくれまして、無事に婚姻届けも出すことができました。本当にありがとうございます」
「いえ、私は何もしてないですよ。ただ佑介さんが頑張って、凛さんの心を射止めただけです!」
両手と首を振って否定していると、ニヤリと笑った凛と目が合った。
「あら、それじゃあ、まるで私が何も努力していないみたいじゃない?」
「そ、そんなこと言ってないですよ!」
「冗談よ。冗談」
慌てる春海を凛は笑顔で宥める。そして、唐突に柔らかな眼差しを投げかけると、小さく頷いた。
「あなたはあなたで大変だろうけど、頑張ってね。あなたが私たちを笑顔にしてくれたように、あなた自身も笑顔でいてくれることを願ってる」
――――それじゃあ、また。
そう言って、凛は佑介と共に階段を下って行く。それを春海は見送って、姿が見えなくなった後も、その場に立ち尽くしていた。
「――――おい、そんなところ突っ立ってないで、さっさと入ったらどうだ?」
「うひゃいっ!?」
急に開いたドアと顔だけが出た空人に、数センチほど跳び上がった春海は、胸を抑えて階段傍の手すりに寄り掛かった。
「何だ。化け物でも見たような顔して」
「自分の姿を客観視したらどうですか? 生首が出て来たようにしか見えないですよ」
「あぁ、そう見えるようにわざとやったからな。ほら、入れ入れ」
そう言って中に引っ込んだ空人を追うように、春海も事務所の中へと入って行く。
中に入ると珍しく、何かの音声が響いていた。
「あれ? 何かテレビでも見てました?」
「いや、ただの動画サイトのライブ映像だ。それで? 今日は何しに?」
冷蔵庫からボトルを取り出して机に向かっていく空人。春海はソファへと鞄を置いて、座った空人の前に立った。
スマホの音量を下げた空人が、春海と視線を合わせる。不思議と心拍数が上がる春海であったが、手を握りしめると、意を決して口を開いた。
「先日の個人面接。通過して内定をもらいました」
「おぉ、それは良かった。やっと就活から解放されて、肩の荷も下りただろ? まぁ、残り少ない大学生活。本当の社会人になるまでの限られたモラトリアム期間を大切に過ごすんだな」
ボトルを机に置いて、空人は拍手する。
しかし、春海の表情は浮かないままだった。
「私、この内定、お断りしようと思います」
その瞬間、時が止まった。
空人の笑顔が凍り付き、拍手していた手が動かなくなる。どこからか聞こえる時計の秒針が動く音だけが、実際に時が流れていることを教えてくれていた。
「――――そりゃ、またどうして? 例の面接官が許せなかったか?」
亜人の存在を否定する面接官の言葉。それは春海にとっては許せる言葉ではなかった。だが、内定を辞退するのは、そんなネガティブな気持ちからではないと春海は告げる。
「私、企業を志望する強い理由がない。そう話をしたのを覚えてますか?」
「あぁ、でも、それは多かれ少なかれ誰にでもあることだ。とりあえず、働かなければ金が無くなる。そうじゃなければ生活が出来なくなる。小学生でもわかることだ」
「だから、ずっと考えてたんです。私は本当は何をしたいんだろうって。――――でも、やっとそれが見つかった」
春海は一拍間を開けると、頭を下げた。
「私をここで正式に雇ってください」
「――――頭を上げてください」
春海が言われた通りにすると、空人の指を鳴らす音でパイプ椅子が背後に飛んできた。
「どうぞ、お掛けください」
「……失礼します」
礼をして、春海は椅子に腰かけた。
「弊社を志望する理由をお聞かせください」
丁寧に、しかし、眼光鋭く値踏みをするような視線を空人は春海に投げかける。
何度も就活で晒された視線。それに春海は震えることなく、まっすぐに見返した。
「私が御社を希望したのは、異世界の亜人とこちらの人間とを繋ぐ事業に感銘を受けたからです。短い期間でしたが、お客様である凛さんと接する中で、何もわからない中で生活をする不安を取り除く大変さや、お見合い相手とのやり取りで心情の変化を感じ取る難しさを経験しました。しかし、最後に二人が笑顔でここを去って行く姿を見て、もっと多くの人に同じように笑顔になって欲しい。そう強く感じました。それが、私が御社に入りたい理由になります」
再び、時計の秒針が出す音が聞こえ始める。十秒、二十秒と無言の時間が流れた後、ようやく空人が動いた。
机の引き出しを開けて、羊皮紙と普通の紙束を取り出す。それを机の上に片手で置いて、春海を見た。
「及第点には程遠いが、そのやる気は気に入った。改めて――――『ようこそ、異種族交流ヤタガラス婚活相談所』へ。ご入社にあたり弊社にご提出いただく書類はこちらになります。必要な書類をご用意のうえ、同封の返信用封筒でご返送くださいますようお願いいたします」
そう告げた空人は、更に封筒を追加でその上に置いた。
「さて、祝杯だ。お望み通り、ちょっと高めのお茶を用意しておいてやったぞ」
「うっ、それはそれで胃が痛くなる……」
パイプ椅子を手で戻しながら、ショットグラスを持って戻って来る空人。机のボトルを開けて、注ぎ始める。
「何、その内、働くことの大変さで胃が痛くなる。それに比べれば、飯が美味すぎて胃が痛いなんて、贅沢すぎるだろ」
ショットグラスを掲げた空人は、ニヤリと笑った。
「では、我が社の発展と新入予定社員の活躍を祈って――――乾杯」
「……乾杯」
カチリ、と音を鳴らして、二人同時にグラスを空にする。小さく頷く空人と目を丸くして震える春海。
その陰で空人のスマホの画面にスーツ姿の男たちの後ろ姿が映った。テロップには大きく『清々保険にガサ入れか!?』と赤い文字が記されていた。
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