最後まで走り抜けて!
始まりにして終わりの場所。
約四十分ほど前に立っていた場所に戻って来た春海と空人は、じっと木々の奥を見つめ、石畳を踏む足音が聞こえてこないか耳を澄ませていた。
時折、蚊が耳元を飛んでいくので、春海は片手でそれを何とか追い払う。
「空人さんは魔法で大体の二人の位置を把握できてるんですか?」
「さっきまでやっていたが車を降りた時点でやめた。一応、途中で倒れているといけないから、動いているかいないかだけはわかるようにしてある」
ポケットに手を突っ込んだ状態で、空人はゴールの基準となる場所で立ち尽くしていた。時折、横にある小さな池に視線を落とし、踵を上げては下ろしを繰り返して落ち着かない様子を見せる。
その時、二人の耳に軽快なリズムで近づいて来る音が聞こえて来た。
「凛さんが!」
うねった道を走って来る凛の姿がそこにあった。流石に少し表情は険しくなっており、口も半開きの状態だ。しかし、その速度には衰えるどころかラストスパートと言わんばかりに上げているようにすら思える。
最後の階段を一段ずつ下り、やっとそこで速度を落としながら勇輝の前に立った。
「さて――――ついて来れているかな?」
苦しいはずなのに、凛はやり切った表情で後ろを振り返った。春海も凛に駆け寄りながら、彼女が走って来た道を目で追って行く。
両手を膝に着いた凛の横で、春海は目を細めた。
「佑介さんは――――」
「――――いないようだな」
言い切ることのできなかった春海の言葉を代弁する様に凛はきっぱりと言い放った。
春海は凛を見下ろすが、その表情を窺うことはできない。そして、その表情がどんなものかも想像することができない。怒っているのか、悲しんでいるのかすらわからなかった。
――――十秒、二十秒、三十秒。
時間が経過するが一向に佑介の姿は見えてこない。
どこかで倒れているのではないか、と春海は空人に視線を送るが、彼もまた凛と同じように公園の奥をじっと見つめていた。
そして、一分が経過した頃。明らかに重く、引き摺るような音が聞こえて来た。
「はぁっ、はぁっ……」
まさに息も絶え絶えと言った様子で、佑介が姿を現す。その足取りは遅く、最初の早さが嘘のようだ。それでも佑介の目には力強い光が宿っており、何があろうともゴールだけはして見せるという意思が感じられた。
階段まで辿り着いた佑介は片手を手すりに添えながら、ゆっくりと下りて来る。最後の一段でがくりと膝が崩れ落ちそうになり、手すりで体を支えるのを見て、春海が足を踏み出そうとして――――
「行くな。あいつはまだゴールしていない」
凛の鋭い一言に春海は前に出ることを踏み止まった。
何とか手すりに寄り掛かって立ち上がった佑介に凛が一歩前に進み出て呼びかける。
「ほら、ゴールはここだぞ。最後まで走り抜けろ」
「言われ、なくても――――」
吐き出すように声を絞り出した佑介は、一歩一歩とよろめくようにしながら歩を進める。そして、ゴールへの最後の一歩を踏み出したと同時に、凛がその体を受け止めた。
「よく頑張ったな。正直、その体でここまで着いて来るとは思っていなかったぞ」
背中を叩いて、凛は佑介の完走を称える。そんな佑介は、力を出し尽くしたのか。完全に膝から力が抜けて、凛に体重を預けていた。
「だが、それも無駄だった。あなたの背中を見ることはできなかった」
ゴールまでに目視できる距離にいること。それが条件だった。肩で息をする佑介は表情を歪めて言葉を吐き出していた。自分には届かなかったのだ、と。
「背中なんて追ってもらっては困る。これから一緒に歩いていくんだ。せめて、横顔にしてくれないと」
「――――は?」
呆けた表情で佑介が顔を上げる。汗がいくつも顎を伝い、地面に黒い染みを作った。
凛は佑介を抱きかかえたまま空人へと問いかける。
「聞きたいのだけど、ゴールは空人が立っている場所だったな?」
「えぇ、その通りですね」
「私が振り返って見ていた場所は、ゴールする前だったな?」
「えぇ、仰る通りです」
淡々と、しかし笑顔で空人が答えていくのを見て、春海はあんぐりと口が開いてしまった。
凛と空人が言っていることを頭の片隅で理解はしているが、それを受け止めきれていない。
「では、最後の質問だ。ゴールしたのは、いつだ?」
「たった今、お二人でのゴールだと認識していますが?」
春海と佑介が足下へと視線を移す。
そこはちょうど、空人が立っていた位置よりも一歩だけ前に進んだところだった。
「え? えっ!? じゃあ、つまり――――そういうこと!?」
春海は自身が混乱しながらも笑顔になっていくのを感じた。対して、佑介はまだ事態が飲み込めていないようで、放心状態だ。
「では今回のレースの結果ですが、笹谷凛様と桟敷佑介様。両名の同着ということで、結婚成立と致します。誠におめでとうございます!」
ほのかな光に照らされた公園の入り口で、空人の拍手が響く。
そこでやっと佑介も理解が追い付いたのか。苦しさではなく、別の感情で顔が歪み始めたようだ。
「まったく、泣いている暇はないぞ。この後は新婚初夜が控えているんだ。さっさと――――」
そこまで口にした凛だったが、急にガクリ、と彼女も崩れ落ちた。慌てて、佑介が凛を支えると、空人が呆れたように近づいていく。
「まったく、身体強化を使わない状態で、十キロも水分補給せずに走れば体調も崩します。日本の湿度、舐めてませんか?」
「な、何を――――うぷっ!?」
戸惑いの声を挙げる凛に、空人は強制的に持っていたボトルを口に突っ込んだ。
「汗が蒸発しないから、体温が籠る。特に狐の亜人なんですから頭部の毛量は人間よりも多い。そんな凛さんが熱中症にならないはずがないんです。ちゃんと、水分を取っていれば、もっと二人の差は離れていたかもしれませんね」
スポーツドリンクのボトルを外した空人は、間髪入れずに水を凛の頭からぶっかける。
「佑介さん。このように、まだまだ凛さんはこちらの生活になれていません。ですが、彼女の言った通り、二人で一緒に歩いて行けば、必ず上手くいくでしょう。だから、これから頑張って行ってください。何かお困りのことがあれば、相談に乗りますので」
「け、結婚までが、そちらの業務なのでは?」
「表向きは、です。亜人の皆さんが平和にこちらで過ごせるようにサポートするのも、俺の役目なので。とりあえず、今は細かいことを忘れて、休んでください。送迎はこちらに任せていただければ、と」
指を空人が鳴らすと、ふっと佑介と凛の体から力が抜けた。
その体が崩れ落ちるよりも先に、空人が人差し指を二人に向ける。
「『水よ。彼の者らの身より、彼の者らで無きものを洗い流せ』」
春海は、その呪文が凛が使っていた身を清める水の魔法であると気付く。しかし、空人はその水で二人を包むと、そのまま空中に浮かせて車に向かった。
空いている手で後部座席のドアを開けると、二人を中へと押し込んで、水だけを池の方へと投げ捨てる。ほぼ枯れた池にバシャリ、と水の音が響き、羽虫の柱が立ち昇った。
「ほら、さっさと二人を送り届けるぞ」
「えっと、どこにですか?」
「もちろん、佑介さんの家に。凛さんの最低限の荷物も後ろに積み込んである」
空人の解答に春海は再び開いた口が塞がらなくなりそうになった。
「もしかして、最初から佑介さんが勝つって思ってました?」
「もちろん、狐の亜人の女性は気まぐれ。男を選ぶ時の基準は、その個体次第。俺からすれば、ある意味出来レースだったよ」
そう言って空人は己の目を指差す。
その仕草にあっ、と春海は声を挙げた。そう言えば、空人は魔眼で二人の相性を見ることができるのだったと思い出す。
「並んだ瞬間に共鳴って言うのか、ばっちり噛み合った感じがあった。神様でもあの二人は引き離せないってくらいにな。っていうか、どっかの神様が引き合わせたんじゃないのかって思ってしまうくらいだ」
運転席に行きながら、空人は春海に視線を投げかける。早くしないと置いていくぞ、と。
「ちょっと待ってくださいよ!」
そうして走り出した春海の表情は声とは裏腹に満面の笑みであった。
【読者の皆様へのお願い】
・この作品が少しでも面白いと思った。
・続きが気になる!
・気に入った
以上のような感想をもっていただけたら、
後書きの下側にある〔☆☆☆☆☆〕を押して、評価をしていただけると作者が喜びます。
また、ブックマークの登録をしていただけると、次回からは既読部分に自動的に栞が挿入されて読み進めやすくなります。
今後とも、本作品をよろしくお願いいたします。




