69:魔族とは魔性なり
エイルはゴリゴリという音で目が覚めた。隣では同じ隊のクレドが腕に何かを取り付けられて床に横たわっている。彼は穏やかに眠っていた。
自分もクレドと同じく床に横たえられており、下には薄い布が敷かれているのが感触で分かる。
白く、狭い部屋だ。簡素なテーブルが視界に映る。
自分はミカエルに言われて訓練……対魔族訓練に駆り出されたのを思い出した。
気分が悪い、苦しい。傷がズキズキと脈打つ感覚を寄越す。時折、脳にまで到達するかのような痛みが過って声が漏れる。
「目が覚めたか。ふん、良い顔だな」
白い長髪を背に流した黒い服の男がこちらを背にして床に座り込み、振り向きもせずに言う。
「う、後ろに目でもあるのか……」
痛みに耐えながら声を出すと、返事があった。
「そうだよ」
あまりにも普通のトーンで返事をされてしまう。
彼が後頭部の髪を掻き分けると、こちらを見据えた眼球が現れた。
「ひっ、ヒイッ!!」
それを見たエイルは思わず身じろぎするが、身体が言う事を聞かずモゾモゾとしただけに終わる。
「そんなに驚くことはないだろう? 貴様らにも眼はあるのではないのかな、節穴とかいうのが」
いちいち気に障る言い方をするが、この男……サイスに簡単に負けたのだから何も言い返せない。
ミカエルが魔族を飼いだしたと言うのは聞いていた。
なんでも、あの魔族の王子に贈られたとか。それが我々聖族を喰らった魔族だと言うではないか。
それを体良く処刑する言い分に違いない、もしくは痛め付けて同胞の恨みを晴らせということかと思い、いい気味だと仲間で笑ったのだ。
とにかく、招集されて向かった先に居たのは、同じ隊でも名のある者達ばかり。ミカエル直接の招集であり、自分もそれに呼ばれたのは誇らしく思ったが……。
「お、お前は一体……」
「魔族だよ」
エイルがまたもサイスに軽く返事をされるが、聞きたいのはそういう事ではなかった。
身体が自在に変形する、刺されても治る、そんな生物が居たのか、そんな疑問と驚愕だ。
「魔族とは、みんな……そうなのか……!?」
「……何を訊きたいのかよくわからないが、私に関して言えばそうだ。私の一族はほぼ誰でも、私と同様の能力を持つ」
「一族……」
エイルがそう言うと、サイスがずっとゴリゴリと音を立てていた作業をやめる。
背から触手を一本生やした。
その触手の先端の爪が開き、中から更に細い触手が何本も現れる。
そこから毒液を滲ませ、それを小さなガラスの容器に採った。
「そもそも、魔族はお前ら聖族のように単一の種族ではない。お前らが打倒とほざくアクシャに至っては混血だし、その側近はまた別の種族だ」
何度かカチャカチャと容器の触れる音がして、ようやくサイスがこちらを振り向いた。
「お前は私の毒を受けただろう。この薬を飲むのだよ。少量しか作れんが」
そう言って差し出された10cmもない小瓶の中身は妙に褐色気味にくすんだ緑色の液体で、トロンとしている。
「う……だ、誰がそんなもの……」
魔族なんぞから物など貰いたくはない。
そう思えばミカエルは若い個体だからか分からないが、変わった人物だ。コイツを側に置くなど、やはり器が大きいのかもしれない。
「魔族のものなんか口にするか!」
声も乾いて頼りないが、やっとの思いで声帯を震わせて口にできた。
こんな物言いをすれば口に突っ込まれるかもしれないが、その時は噛み付いてやる。
聖族と魔族は相容れないのだ、怒り出すかもしれない。
だが、サイスは驚いた様子もなく小首を傾げただけだった。
「嫌かね? 別に構わんが、聖族の作るくだらん水が良いか? 正直私もそうしてくれると嬉しい。苦しんで死ぬところを楽しめるからな」
サイスが手にした小瓶を傾ける。当然だが、中の液体は徐々に小瓶の出口に向かってトロトロとゆっくり動いた。
それが溢れてしまったら薬はもう無い。
(あ……でも……いや、魔族は無理だ……!)
エイルの中で惜しむ気持ちと拒否が戦う。
そしてトロリと、その雫が溢れ……一滴を合図に、その中身が全てトポトポと床に溢れた。
ポタポタと小瓶から惜しむような雫がまだ垂れる。
エイルの前に座ったサイスが僅かに満足そうな表情をしているのを見逃さなかった。
「……さて、それはお前が片付けるのだよ。方法は問わん」
「なっ、なに……」
「死ぬ前に片付けろ、私の部屋を汚すな。それこそ死に物狂いでやるが良い」
そうは言うが、薬を溢したのはコイツだし、エイルはコイツの毒で思ったように身体が動かせない。
傷もズキズキと痛んで、今にも意識がまた飛びそうだ。
コイツの言う通りなら、本当に死ぬのだろう、冷や汗を伴った悪寒が全身を包む。
「その内更に神経を侵して、今度は首も動かなくなる。喋れる内に遺言でも聞いてやろうか? 聞くだけだがね。その後、床をお前ごと掃除する事にするよ」
サイスは機嫌の良い様子で、あぐらを掻いた膝に頬杖を付いて横たわったエイルを見ている。
よく見ればサイスの胸元が服ごとミシミシと開きかけており、その隙間から白く硬い物……恐らく歯列が覗いているのが分かった。
掃除とは、まさか捕食ではないのか。自分も食われるのか。
そう思ったエイルが床に溢れた液体を見る。
「う、うう……」
そして痺れが強まる中でゆっくりと液体の溢れた所までモゾモゾと身体を動かす。
ゴソゴソと這い、ようやく辿り付いたところで一瞬躊躇った。
そんな様子をずっと見ているサイスの胸元が徐々に開きつつあり、舌も覗いている。
屈辱にも程がある。
早く飲めば良かったのかもしれないが。
「……ふふ」
サイスの笑う声が微かに聞こえた。
それを皮切りに、別の感情が溢れる。
怖い。死んでしまう。本当に死ぬ。
エイルがそう思った途端、拒否の中で身体が僅かに動いた。
「ほう、聖族の掃除とはそのようにやるのかね。知性のない生き物以外では初めて見たよ」
サイスの声が上から降ってくる。
ピチャピチャと床に溢れた薬を舐めとるエイルの様子を見た、心底愉快な色を孕ませたサイスの声音が更に恐怖と嫌悪感を抱かせた。
エイルがようやくの思いで薬を舐め切る。そこで力尽きてそのまパタン、と首の力を抜いて横たわった。
確かに、疲れたのもあるが首元が妙にじんわりと麻痺しているような感覚で、呼吸も苦しい。コイツの言う毒は確かに死ぬのだろう。
「ようやく出来たか、聖族の妙な掃除方法でよく頑張ったものだね」
明らかにバカにしているのは分かる。だが、結局は薬を飲んだ事にはなった。
(ひ、捻くれすぎだ……)
無理矢理口に突っ込まれた方がマシだ。
「ふふふふ、お前みたいな魔界のゴミ以下の生き物に対していちいち怒りを顕にすると思ったかね? 強いて言えば弱すぎる事に怒りを覚えるがね。軍で一体何を学んできたんだ? 体操か?」
いちいち嫌味ったらしく言い、エイルが睨み付けるのも面白がる。
「さて、私は別の仕事に戻る。お前はマシになったら掃除し直せ。良いかね、この場合の掃除とは、綺麗な水で湿らせた布を用いて、汚れを拭き取る事を言うのだよ。分かったらお前の唾液を拭き取れ」
そう言うサイスが水の入った桶と布をエイルの前に置き、スタスタと立ち去った。
なんととんでもない。
魔族は聞いていた以上に悪い奴らだ。
こんな奴が聖界に居る、しかもミカエルの側に居るなどととんでもない事である。
何とかしなければ……!
そう思っているうちにエイルの意識が遠退いた。




