ま、ゆっくりしていきや!
「……はぁ!?」
ヴェルディエルが素っ頓狂な声を出した。
当然である。魔族が聖族を部下にしようなど、とんでもない侮辱だ。
「まあまあ、急に言われても飲み込めへんやろ」
ニヤニヤと笑いながらも宥めるアクシャ。その様子に余計に腹が立ったヴェルディエルは更に声を荒げた。
「当然ですっ!! 何が悲しくて魔族などと……それこそ死んだ方がマシです!!」
リビングで正座したヴェルディエルが限界だとばかりに立ちあがろうとしたが、それは出来なかった。脚が思ったように動かなかったのだ。
「アッハッハ!! 正座で痺れたんやろ、どうせ! まあ楽にせえや、カッカせんと人の話ぐらい聞け、何も死ぬこたぁ無いで」
その通り。聖界で過ごす聖族が床に座るなど普通は無いのだ。正座による脚への苦痛、聖族だからこその屈辱は計り知れなかった。
アクシャが死ぬ事は無いなどと言おうと、今の状況から来る羞恥たるや死に値する。そんなヴェルディエルの心情を知ってか知らずか、目の前の薄紅の男は続けた。
「エリクス、何か温い茶でも淹れてやれ。せやなあ、アールグレイとかええんちゃう、あれは鉄板のええ香りや。僕の気に入った葉があるやろ。ついでに僕にも同じ茶くれ」
「……っす……」
先程エリクスに寄越したような目付きなどなかったかのように穏やかな笑顔で話すアクシャは、まるで別人のようだった。
代わってエリクスは急に聖族を部下にしようなどというアクシャの魂胆がわからず、やや不服な様子で命令に従う。
「君は大体3日ぐらい寝とったんちゃうかな。調子悪いやろ」
エリクスと呼ばれた少年が茶の用意をしているその間、アクシャがヴェルディエルに話し掛ける。
実際調子は良くない。聖のエネルギーを吸収していないこと、食事をしていないこと、身体を動かしていないこと。
多くの要因が彼女をジワリと苦しめていた。
「別にさっきの答えを今すぐ貰おうとは思ってへん。調子が悪い今、答えを貰っても正しい答えとは思わへんわ。勝手やけど、さっきの質問で急に『はい!』言われたところで、よう考えろって返事すると思う」
そう言いながら缶の酒を飲み干していく。
ヴェルディエルは警戒しながらもアクシャの言葉を静かに聞いた。
聞いていた、学んでいた常識とあまりにも違う。
彼は魔王子アクシャで間違いない。連れている従者の名前も資料で確認したものと同じだ。
だが、“魔族に話など通じない”。そこがヴェルディエルの常識と違っているのだ。
「ああ、脚が落ち着いたらソファ座りや? お客さんの、しかも女の子を床に座らせたままにしとく趣味はないで」
むしろ積極的に話し掛けてくる。それも人間にかぶれた言語で。
アクシャに促された通り、ゆるゆるとソファに座りながら、先程の事を考える。
そうこう考えている内に紅茶が用意された。ティーカップはまだ空の状態で、ポットから茶を注ごうとしたエリクスの手をアクシャが止めた。
「見てくれ、ベル。これは僕が人間界で集めたお気に入りのカップの内の2つや。君はどっちのカップが好みよ?」
言われてカップを見ると、涼やかな青の紋様に金の縁取りがあるカップ。それと、木漏れ日に当たったような草木の柄にベリーと思われる小さな紅が散りばめられたカップ。
甲乙付け難い、どちらも美しいのだ。
その中で最も自分に近い色……草木のカップを指差した。
「こ、このカップです……」
「ほうか」
そう答え、アクシャはそのカップをヴェルディエルではなく、自分の方に引き寄せた。
代わりに青い紋様のカップがヴェルディエルに差し出される。
そこにアクシャがそれぞれ紅茶を注いだ。
「え、えっと……?」
この場合なら普通は自分……ヴェルディエルが選んだカップが差し出されるのだと思っていた。
だが目の前の男はイタズラっぽく笑ってこうのたまう。
「ありがとうなぁ〜、僕に選んでくれて」
そしてそのヴェルディエルが選んだカップに口を付けた。
紅茶は甘く良い香りをさせながらヴェルディエルの鼻を僅かにつく。
その様子を見ていたエリクスは気付いていた。
(毒がどちらのカップにも無いことを証明するため、っすね)
実はその通り。初めから毒などどこにも無いのだが、聖族と魔族ではお互いに抱く警戒心が違う。
魔族はあまり聖族を目の敵にはしていない。勿論、聖族に対する漠然とした不満はある。だが、それよりも魔界自体の方を気にした方が良い。他人のフリ見て我がフリ直せ、とはこの事だ。
一方、聖族はエネルギー不足が魔族の所為だと決めつけて久しく、そもそも魔族に対する敵意が非常に強い。
ヴェルディエルが魔族のアクシャを前にして大人しくしているのも、先に述べた不調に加えて武器を取り上げられていること、アクシャが存外対話を試みるタイプだからである。
ただ、実はアクシャもこの相手が魔族であればとっくに殺しているのだが、それはまた別の話だ。
そんな事を知ってか知らずか、ヴェルディエルはようやく紅茶に口を付けた。
途端、口に広がる甘やかな味わい、鼻に抜ける爽やかな香り。
目が覚めるようだった。それと同時に蕩けそうな安堵を感じる。
それがこの温かい紅茶、たった1杯に含まれていのだ。
「……美味いやろ? 人間って凄いよなあ……茶葉に柑橘と呼ばれる植物の香りを付けた物がコレやねんて。悔しいけど、魔界にこんなもん無いし、作り方知ったところで作られへんで」
言いながらもう一口を大事そうに口付ける魔王子の姿が、柔らかい陽に照らされた。
「なあ、君の話も聞かせてくれへん?」
災いの薄紅。
そんな二つ名など似合わなさそうな小柄な男が、またイタズラっぽく笑って見せた。