45:お前、“ヴェ”ですらないやんけ!
「では、やはりサイスの身柄はそちらへ。彼の能力や力については僕の方で使用できないようにしておきます。あなた方に取っては未だ脅威だと思われますので。その後は必要なだけ聴取をしてくださって構いません」
アクシャが更なる提案を重ねる。取り敢えずサイスはどうあっても聖界に引き渡すべきだ。まともな聖族であれば得体の知れない魔族を殺すことはしないだろう。
「……分かりました。それではこちらで彼をお引き取りします。……聴取に関しては可能な限り行いますが、その後の最終的な処分については元の所属である魔界に委ねたいと思います」
(……やっぱりな、自分らでは殺さへん)
これはつまり、アクシャの元に聖界の情報を蓄えたサイスが手駒として戻ってくる、という事になる。
勿論、アクシャ自身は聖界をどうこうしようというつもりはないが。
「連絡なども今後必要になるかと思います。その際はその……そこのバルディエルを通じて行う、で構いませんか?」
ミカエルがベルに目をやる。とうとう自分の事に触れられたベルは少し緊張したような表情でミカエルを見た。
「バ……?」
これはアクシャの声だが、コイツの名は“ヴェルディエル”だったはずだ。
「あっ、あっ……そこの聖族の登録名がバルディエルでしたので……」
流石にエリクスが笑いかけて口元がヒクついている。
ここに来てサイスが”適当に報告した名前“が突如飛来して刺さるとは思っていなかった。
(あっかんエリクスにつられるやん! “ヴェ”ルディエルやなくて“バ”ルディエルやったん!? あんなに“ヴェ”に固執しとったのに!? あかんわろてまう)
そう、ヴェルディエルはアクシャと初めて対峙した時に名前が言いにくいとの理由でベルと呼ばれた。その時、『“べ”じゃありません、“ヴェ”です!!』と必死に訂正していたのだ。
見ればベルの顔が真っ赤になっている。自分のせいではないとはいえ、まさか“バ”だとは思っていなかった。後で“バル”に改名させられるかもしれない。
笑いを何とか堪えたアクシャがミカエルに質問をする。
「それは……その、こちらの“バ”ルディエルをそちらへ返還する、という事でよろしいですか?」
これを言うだけで口からは笑いが漏れそうで大変だったが、何とか言い切る。
しかし大変な問題を口にした。
「はい、彼女はサイスの策略によって翼が変わってしまったとは言え、彼女自身の意思ではありません。今一度聖界に戻る事を許します。聖界と魔界の間に立つ者として働いて頂きたいのです」
ミカエルがベルを見てそう話す。
それを聞いたベルはショックを受けたような表情をしてしまった。それに可能性として想像もしていたはずだが。
勿論、アクシャの方でもそう言われることぐらい予想もしていた。ベル自身は聖界の上部に従って動いただけなのだ。
「どうしましたか、バルディエル? 恐れないでください、あなたの翼に関することも他者が触れる事を禁じますし、私の配下の元で働いて頂きます。あなたをそのような姿にした場からはちゃんと離します」
違う、違うのだ。
ミカエルの申し出は上級最下級のベルにとっては破格のものだ。直々に上位2階級から提案されることなど、普通はない。
だがそれでも違う。
「……ベル、ええ話と思うけど?」
アクシャが優しくそう言うと、ベルの目から涙が溢れ出した。
今日はよく泣く日だ。
「ミカエル様、私……この翼を気に入っているのです」
自分でも悲しんではいたが、アクシャの妹達は綺麗だと褒めてくれた。
「私……私は……」
勇気を出さなければいけない。ここでアクシャに頼ってはいけない。むしろ今、彼はベルをまた試している。
そう、魔界で話した時もそうだ。彼が「ええ話」と言う時、それは試されている時だ。
「ミカエル様、寛大な配慮に感謝致します。ですが……私はそのサイスに謀られていたとはいえ、ここに来るまでの短い間……アクシャ様の元で、聖界ではとても得難い経験をしました」
ベルの涙は決心が固まって流れを止めた。
そして強くはっきりと、発言する。
「私は自分で聖族としての名を捨てた不届者。私の名はベル。魔王子アクシャの配下、ベルなのです」
ミカエルが苦い顔をする。それはそうだ、自分の命令を反故にするとは思っていなかった。
だが、聖界で得難いもの、彼女……ベルはそう言った。それがどのような物かは分からない。だが、聖族である事を捨てる程に魅力的であるようだ。
「……聖界へ戻らない、そういう事ですか? それほどに下界は……素晴らしいというのですか?」
聖界が荒れているとはいえ、その原因になっている今の人間界は負の感情を多く生み出す穢れた場所。ミカエルがそれ……今の聖界における常識を踏まえてベルに問う。
「はい! とっても素敵な場所です!」
自信をもって答えられる。まだ分からないことだらけで、不勉強が目立つがそれでも人間界は楽しい。
何より、アクシャ達と一緒に居ると楽しい。
アクシャがいつか言っていた。『聖族の方が人間界に来やすいのに、何で改善しに来ないのか』と。
自分がそれをやるのだと決心したはずだ。
「あっ、で、でも魔界の自然はとても恐ろしい場所でした。だ、だからアクシャ様はその人間界からエネルギーバランスの改善の糸口を探して居られるのです。引いては聖界、魔界の環境改善に繋がるのです!」
ベルの話を聞き終えたアクシャがゆっくりと立ち上がった。感極まっているベルの話だけでは、ミカエルが理解できない可能性があるからだ。
「ミカエル様。僕の活動が勘違いされていたようで申し訳ありませんが……僕達魔族も現状の魔界に手を焼いておりましてね。エネルギー過多のお陰で弱者から順に命を落としていくような環境に成り果てているのですよ。僕は王子として、弱き者も守る義務がある」
そしてもう一つ、交渉をする。
「彼女は魔界の現状も知り、人間界の知見もある。あなたの言う通り、聖界と魔界の間に立つにはこれ以上の適任は居ません。ですが、500年程人間界に出入りしている僕から言わせて貰えば不勉強が多い」
ゆっくりとミカエルの前に歩み、そしてまた跪いて、彼女を見上げた。
「僕に人間界の事を教え、興味を持たせたのは先々代のミカエル様です。僕は彼を忘れてはいません。同様に、あなたは僕のツノから作ったペンダントを大切にしてくださっている……彼と僕の記録もご存知でしょう?」
ミカエルが胸に下げた黒く丸いペンダント。それはかつてのアクシャが、仲良くなった先々代のミカエルのために贈った物だった。
当時の幼いアクシャが何か渡せないかと思い、わざわざ引っこ抜いた物で作ったのだ。かなり出血した覚えがある。
「僕の元で彼女を教育し、定期的にそちらに向かわせます。代わりに必要に応じて連絡事項を彼女に持たせる。そちらにとっても、先々代の意思を大切にしつつ、現状から進む手掛かりを多く得る機会だと思いますが」
ミカエルは黙ったままで俯いてしまった。これを話し合いなどとは言わない。
「魔界も、人間界も、全てが恐ろしいですか? このベルはそれを乗り越えましたよ?」
聞いていたミカエルが少し黙って、それから小さく口を開く。
「……うう……狡い、狡いです……」
そして紫色の瞳からボロボロと大きな涙を流して泣き出してしまった。




