38:はよせえ! はよせえってマジで!
深く構え直したベルの姿にエルヴィエルが驚きの表情を見せた。
(わ、私の力が効いていない!? いや、一旦効いたが……)
エルヴィエルの洗脳の力は、自身よりも上位の聖族ですら操れる。サドキエルなどは良い例である。
だが、ベルは何と食い気でそれを弾いてしまった。
「魔族に飼い慣らされてしまったとは嘆かわしい……堕天として始末せざるを得ませんよ、ヴェルディエル。さあ、今ならまだ上部も許してくださるはず、聖界の誇り高き戦士としてやり直すのですよ」
そしてもう一度、力を使おうとするが、それはベル自身によって阻まれた。
「いいえ、もう貴方の言う事に信用できる部分などありません! その目を使っている事も先程分かりました、同じ手は通用しません!」
ベルの指摘にエルヴィエルの表情が強張り、今度は笑う。そしてゆっくりと下に降りてきた。虹の混じる翼が昼間と言えど薄暗いシャッター街でもよく見える。
ふわりと着地したエルヴィエルがボソリと呟いた。
「なら力ずくだ」
エルヴィエルがヴェルディエルの構えた姿からどこを叩けば良いかを想像する。彼女は賢くなくとも、それなりに鍛えられている聖族だ。
疲弊した状態ならいざ知らず、聖力無くともピンピンした状態の彼女はちょっとやそっとの体術だけで片が付く相手ではない。
一瞬で仕留めるためには、自身の強化に聖力を注ぎ、それから素早く怪我をさせた方が良いだろう。ならば狙いは脚だ。
もう一つ考慮しなければいけない事がある。
彼女があの魔王子を「アクシャ様」と呼んでいたのであれば、名の力を切ったのも間違いなくあの男だ。彼に従属してしまったのだろう。
今回のヴェルディエルの外出。
正直罠だとは思っている。だからこそエルヴィエルの力でさっさと連れ帰ろうとしたのだが、予想外にヴェルディエルが洗脳を振り切ってしまった。
ならばそれこそ後がない。あの男がどこからか見ているのだから、さっさと終わらせなければ……と思考を凝らしたが……。
「いや、遅いてホンマに。ここまで御膳立てしたのに、何チンタラしてんねんマジで。今日の晩飯でも考えてんの? 僕のカツ丼に勝てるメニュー?」
「あっアクシャ様!」
我慢出来ずに現れてしまったアクシャ。嬉しそうに声を上げるベル。後方から走ってくるエリクス。
(あああ普通に来た……)
エルヴィエルが冷や汗を流す。
「いや、罠だとは分かっていたのだ。だからこそ俊敏に終わらせようと考えていたところに貴様は、貴様はやっぱり!!」
エルヴィエルが怒りの表情で指を突き付ける。
「いや、それなら余計にはよしろや。何か魔法みたいなん掛けてベルを連れて行くぐらいやったら、さっさと影から飛び出してパーッと連れ去った方がシンプルかつ相当早かったで?」
間違いない。その通りだ。
後ろのエリクスも困った顔でうんうんと頷いていた。
「あのな、言い難いけど、賢いフリするんやめよ? ちょっとその……痛いしな?」
本気で心配そうな顔をしたアクシャだが、完全に煽りにしかなっていない。
「ぐ……き、貴様……貴様ぁぁぁぁ!! ふ、ふん、貴様と戦う気など今はない!! まずはそのヴェルディエルをこちらに返せ!! 私の部下だ!!」
ここでアクシャと戦うのは分が悪い。冷静になってヴェルディエルの身柄を要求する。もちろん、そんな簡単に返してくれないだろう事は分かるが……。
「えっ、嫌です……」
事もあろうにヴェルディエル……ベルの口から拒否の発言が出る。
「やってさ。ベルも帰る気ないし、そもそもコイツはもう僕のもんや。というか僕に今まで散々刺客送っといて、そんで返せは無いやろ。しかもお前誰?」
アクシャがベルの隣に立ち、エルヴィエルに訊ねた。
「王子、昔会ったっていう聖族ってコイツじゃないんすか?」
後ろからエリクスが質問してくるが、アクシャはエルヴィエルから目を逸らさずに答えた。
「違う。僕が今まで聖族に会ったのは1回だけ。その時に会ったのはミカエルや。こんなアホちゃうかったし、代替わりしとっても名前が違う。コイツちゃうで」
「ミっ、ミカエル様!?」
ベルが素っ頓狂な声を上げる。
聖界の上級聖族は更に6階級に分かれている。その上位2階級目に居る聖族だ。目の前のエルヴィエルですら4階級目である。
「“ヴェルディエル”の回収、大変やねえ? 僕が殺さへんって分かっとって送り込んで来とったんやろ? そらそうやで、聖族はヨソの世界の生き物や。そんな簡単に命を奪って良い相手やないもん」
ベルの声も気にせず、アクシャは続けた。閑散としたシャッター街は、それでも不自然に静かである。エリクスが結界を張ったらしい。
「貴様、何故そう思う。回収が目的だと」
エルヴィエルがアクシャに尋ねた。これがもしも、明後日の方向の推論であれば、それこそ彼を笑うタネになるからだ。
プライドの高いこの男に、少しでも傷を入れてやりたいからこそ。
「回収の目的とか知らんよ。でも信じやすいアホを選定して、堕とす名前を付けて、わざわざ20年ぐらい育てる。しかも今ベルの回収に必死。僕を倒すんとか、どうせワンチャンのオマケやろ? 聖界に見つかったらマズイ事、しとるんよな?」
「……」
黙り込んだエルヴィエルは決心した。 全て図星だからである。
そう、その通りだ。こんな事で彼を傷付ける事はできなかった。
だが、まだ良いだろう。
「フフ」
自然と笑う声が溢れる。
「……勿論、私は最終的に貴様を倒すつもりでいる。その為に必要だったのだ……“ヴェルディエル達”は。正直、あと6人は余分に欲しかった」
その余分に足りない6人の内の1人、それがベル。
「私としては不本意だが……やむを得ん。私はあの時の恨みを晴らし、更にその先にある目的を達成しなければならない」
エルヴィエルがまた宙に浮く。その形相は、ベルですら今までに見た事のないおぞましいものだった。
「これ以上先に伸ばすのは、もう無理とみて良いだろう。だが十分蓄積させてきた。私も腹を決めたよ、アクシャ」
笑顔とも怒りともつかない、その歪んだ表情が美しい翼で彩られる。




