37:おつかいの時は道中に気を付けるんやな!
「横断歩道を渡る時はどうするんやったで?」
「はい! 青信号の時に左右を確認して渡ります!」
「知らん人にケーキ食べに行こうとか誘われたらどうするんで?」
「はい! お断りします! 知らない人、怪しい人には付いて行きません! 物も貰いません!」
まるで幼子に教えるかのような内容でアクシャとベルが問答している。
その様子を眺めているのは、ぼーっとココアを飲んでいるエリクスだ。その額には新しい金色のツノが生えている。勿論、歯も新品だ。
「はい、よく出来ました。ほな今日はそんなベルちゃんに、僕から新しいお仕事を言い渡します」
「はいっ!」
キラキラとした表情で勢いよく返事をするベルは完全にアクシャの部下として馴染んでいる。
正直、大変幸せそうだ。
「はい、ほなコレ地図。今日はここの店に行って、豚ロース肉3枚と、10個入りの卵1パック、僕のウイスキーを買ってきて貰います。おつかいやな。上手く出来たら今日の晩御飯はカツ丼、デザートにプリンやで」
「わぁぁぁ!! あっ、あの、プリンには……」
「サクランボ乗せたるわ」
「きゃーっ!! 頑張りますうー!!」
ベルが無邪気に大喜びしている。
どうもこのベル、聖界に居た時の食事が質素だったせいか、かなり食い気が強いようだ。食べ物が絡むと割と本気になる場面が多くなってきた。
それに関してはアクシャやエリクスも概ね気持ちは分かっている。魔界の食事も嫌いではないが、人間界の食事や飲み物は大変美味であり、魔族の彼らも虜になっている。
特にアクシャは人間界の酒に目がなく、常に何らかのアルコール類を多数買い込んでいる程だ。晩酌をしない日など無い。
「5000円あったら十分足りると思うで。ほら、落としたらあかんよ。道に迷っても飛んだらあかんで。何かあったらスマホで僕に電話するんやで」
そう言ったアクシャが小さな二つ折りの財布に5000円札を入れて渡した。もう一つ、渡しているスマホはアクシャが殆ど使用していないサブ端末だ。
新しい物を購入しようと思ったが、まだネットの理解もしていない彼女に電話をする以外でのスマホは早いと判断したのだ。
ベルがアクシャに買ってもらった白い鞄に財布やスマホを仕舞い、玄関を開ける。
「絶対にこなしてきます、アクシャ様!」
濃いブルーのAラインワンピースに大人っぽい白の小さめバッグ。白いパンプス。
その姿だけ見れば美女なのだが。
「行ってきます〜!!」
玄関を出て扉が閉まる。それを確認したエリクスがボソっと呟いた。
「ガキのおつかいじゃないっすか。初めての」
「おん、でも必要な事やからな。……よし、ほな僕らも行くで、エリクス! 障壁纏って追跡や!!」
ベルが十分遠くに離れたのを窓から確認したアクシャが手をグッと握り込む。
「マジでガキじゃないっすか! もう〜」
「ええねんて、ほら行くで!」
魔族2人が他人に、そして聖族のベルに気付かれないよう、魔法の障壁を纏って外に出てベルを追った。
「えとお……お店はこの道を真っ直ぐ行って……それから曲がって、ここの通りを行けば早く着くって言っていましたね!」
アクシャがマーキングした通りの道を確認しながら歩いていく。
途中で昔は繁栄していたであろう商店街……シャッター街を通る道のりだ。「人間の営みは短い時間で廃れる。それを見ていくのもええで」と赤いマーカーでキュッキュと通るルートに含めていた。
「社会見学もしながらおつかいです! きっと成功ですね!」
これなら楽勝だ、そう思いながら順調に歩を進める。
そしてアクシャの言っていた通りに差し掛かった。
教わった通り、その通りは人も居らず、古びた建物が所狭しと並び、そのどれもが錆びたシャッターで固く閉ざされている。
「何と閑散としているのでしょう……廃墟群といっても差し支えない程です。人間の生は短いというのに、寂れるのも早いのですね……」
興味深くそれらを眺めながら歩き、丁度中間に差し掛かった時だった。
「全く……貴女と接触するのは苦労しますね……」
聞き覚えのある声がどこからか聞こえる。上を見ると、虹の混じる美しい翼、性別の判らぬ声と見た目。そんな人物が舞い降りてきていた。
「エルヴィエル様……!」
「探しましたよ、ヴェルディエル。さあ、私と聖界に帰りますよ、一度立て直してアクシャを倒しましょう……」
ヴェルディエル……いつかのベルを疲弊し切った状態で聖界から落とし、追い出したかつての上司がそうのたまう。
今のベルは輪も装着しておらず、聖力は使えない。つまり翼を出しても人間から隠す術はない。
「……お断りします。怪しい人には付いていくなと、アクシャ様より仰せつかっております」
ベルが少し腰を落としてエルヴィエルを睨みつけた。
「なんと嘆かわしい……ヴェルディエル、貴女はあの憎き魔王子に騙されているのですよ。恥ずかしいとは思わないのですか? 今の貴女はただの翼の生えた人間同然の状態でしょうに。今なら間に合います、さあ、私と来るのです」
言われたベルが更にエルヴィエルを睨みつける。
すると、それを待っていたかのようにエルヴィエルの紅い瞳が妖しく光った。
この瞳をまともに見た者は、エルヴィエルの都合の良いように洗脳される。
エルヴィエルの言う通り、今のベルはただの翼が生えた人間のようなものだ。下級聖族だった時と同じ。
強い力でベルの気付かない内に思考が変わってくる。
(あら、私は……なぜ……。そうです、倒さなければいけない人が居るのです……)
一気に記憶が無くなって大人しくなる。
そして、ベルはそろりと構えを解き、倒すべき人物が誰だったかを思い出した。彼を倒さなければ人間界に、聖界に幸せなど来ないのだ。
紅い瞳がそれを更に促す。
「さあ、倒すために帰りましょう、聖界へ……」
薄紅の髪。妖艶なシアンの瞳。勘に触る高笑い。超威力のデコピン。そして。
『僕の部下にならへん?』
ぼんやりと思い出す。とんでもない侮辱を受けた気もする。
『上手く出来たら今日の晩御飯はカツ丼、デザートにプリンやで』
そしてハッとして首を横にブンブンと振ったベルは、改めて構えを深くした。
「今日のご飯はカツ丼なんです! プリンも食べるんです!」
ベルが脚の踏ん張りを強くする。
もう、エルヴィエルの嘘には騙されない!




