19:ちゃんと勉強して留守番しいや?
「僕、今日は人間として仕事やから。大人しく待っとくんやで? 何かあっても家から出たらあかんで」
時刻は朝。
昨日作って貰ったベッドでの寝心地は最高だった。アクシャのベッドもふかふかしていたが、あんなに素敵な寝床を自分専用で用意して貰えるとは思ってもいなかった。
温かい湯船に、温かい食事……牛丼と言ったか。初めての物ばかりで、全てが新鮮で堪らない。
一応上級だったベルには、聖界でもそれなりに良い物が供されていたが、今程ではなかった。
今朝の食事はサンドイッチで、柔らかいパンに包まれた少し塩気と酸味のある卵は口当たりもよく、出された紅茶によく合った。この王子はシェフにでもなるつもりかと疑う程である。
そんな王子は今、人間……レイに変身してスーツを整えていた。
黙っていればキリッとした、いかにも仕事の出来る男だ。
ベルはそれを見ながら(初めてお会いした時もこの姿でしたね……)と思っていた。
彼曰く、人間を観察するために人間として働いているのだと言う。
「人間界で生きるのも金銭が必要やし、それ以上に人間を知るに他の人間との関わりは必須や。その為に仕事をするのは割と最適な方法やで」
ベルが教わった魔族像とは掛け離れた事を話すレイに、キョトンとしながら尋ねる。
「えと、では私も……?」
そうした方が良いのか?という事で口を開いたが、レイは当然かのように首を縦に振った。
そんな彼の顔は、青い光沢を見せる黒髪の下から暗く赤い瞳が覗いて妖美だ。
「もちろん。でも今のベルにそんな事すぐ出来へんやろ?」
そう言ったレイが、ボタンがたくさん付いた板状の道具をベルに渡す。
「これリモコン。あのテレビを操作できる。コレが電源、ここで音量の調節、番号のついたボタンで見たい番組の切り替え。これでも見て人間の文化の端くれぐらい、ちったぁ勉強しておくんやな」
簡単に説明して、彼は水筒とカバンを手に持った。
「弁当はキッチンにあるから、それ食え。茶は好きに飲め。ほな、急ぐからもう行ってくるで。18時までには帰るから、いい子にしとくんやで」
「あっ、はい。行ってらっしゃいませ、アクシャ様」
少し慌てた様子で外に出ていく。ガチャリと鍵を掛け、ベルはリビングに1人残された。
実はエリクスも家には居るのだが、朝が苦手な彼はまだ眠ったままである。レイ……アクシャが用意した弁当も2人分だ。
全くマメな男である。
「ええと、まず……何をしましょうね……」
ベルが1人、リビングで呟く。
部下になったからには役立つ事を何か1つぐらいはしておきたいものだ。
「お掃除かしら?」
しかし、それこそアクシャが小マメに掃除をしているせいで、特に目立った汚れがある場所はない。
「お洗濯かしら?」
だがそれも乾燥機付きの自動洗濯機で洗ってしまっており、朝起きたアクシャがテキパキと畳んでしまっている。
「ううん……何でもこなされちゃうのも問題ですね……」
そうなのだ。あの男は王子という立場を、自分が一番理解していないかのような生活スタイルでこの世界を楽しんでいる。
何度か耳にした“ご都合魔法”とやらも便利に見えるのだが、家事に関してはそれを使う様子もない。
そんな泥臭い事こそご都合魔法を使えば良いのに、とも思う。しかし彼にとっては違うらしい。
そしてベルにもあんな魔法が使えたら良いのに、と少し考えた。
今のベルは輪を額装着しても大して聖力を吸収する事は出来ない。
名付けと輪は無関係であるため、ベルが新しい名を得た事は特に問題ではない。
人間界はそもそも聖力が希薄なのだ。それは魔族にとっても同様で、あまり負のエネルギーを吸収する事は出来ない。
魔族はどうも感情を発している人間そのものからエネルギーを吸収する事も出来るらしいのだが、あまり推奨されるものではないようだ。
原油とガソリンみたいな物だとは聞いたが、ベルにはチンプンカンプンである。
「魔族は持ち前のツノでエネルギーを吸収できるのに、どうして私達聖族は輪が無いとエネルギーの吸収ができないんでしょう」
ベルが何となくポツリと呟いた。
そして少し考えて、答えが出なかったためソファに座り込む。
「考えても仕方ありません、取り敢えず言われた事だけでもこなしましょう! 人間のお勉強をするのです!」
言いながらテレビの電源を入れた。
レイが夕方に帰ってから、テレビを観ていただけのはずのベルが凄い事になっていたのは後の話である。




