14:飯はゆっくり食うんやで?
はくはくはくはく……!!
ヴェルディエルが食事をしているのだが、それを片手に酒を持ったアクシャが眺めていた。
「そんな泣きながら食わんでも……酒進まへんわ……」
そう、ヴェルディエルは今、薄い白出汁で炊いただけの卵粥を涙と鼻水でいっぱいになりながら口へせっせと運んでいる。
「んむ、うぇ……」
「汚いよ、拭けって……」
また何か感情が振り切ったのか、涙と鼻水が溢れる彼女にしんどい顔のアクシャがティッシュを渡す。一箱はもう使い切りそうだ。
その様子を背にしたエリクスは、無視するかのようにアイドルのダンス練習動画を観ている。
「あんま食いすぎると逆に身体に悪いで? もう鍋空っぽやから、それ食い終わったら取り敢えず寝るんやな」
溜め息を吐いて、酒を飲む。
粥を炊いたのはアクシャだが、胃に負担が無いようにと作った病人食がこんな聖族の姿を招くとは思っていなかった。
当のヴェルディエルは泣くやら食べるやら、顔を拭くやらで忙しい。
聖界の食物は荒れた場所でも育つ植物を薄いスープにしたものや、上空を飛ぶ鳥の肉を乾燥させた物などである。
ヴェルディエルは一応上級聖族だ。だが、その上級の中でも6階級が設けられており、その中では最下級。
勿論、聖族達の中で言えば比較的高級な物を与えてもらっていたが、それでも乾燥を誤魔化すために水に浸した果物や、パンに味気のない肉のペーストを塗った程度。
こんな温かくて口当たりの良い、味気のある物など口にしたことはなかったのだ。
それが敬愛する上司に回復の間も貰えない程冷たくされた挙句、討伐を命じられた魔族からこんな施しを受けてしまった後では感情も感動もごちゃ混ぜになって止まらない。
美味しいやら情けないやら。
そんな様子を見たアクシャは、聖界のエネルギー不足が想像よりも深刻なのかも知れない、と何となく思った。
ヴェルディエルが粥を食べ切る。予想通り、ティッシュは一箱使い切ってしまったが……まだ足りていないようだ。
「……聖族、お前、王子に感謝するんすよ」
エリクスが見向きもせずにヴェルディエルに言う。
コクコクと頷くが、今度は嗚咽でまともな言葉が出なかった。
「もうええて、喋んなめんどくさいわお前ら」
酒を口にしながら両方に言ったが、エリクスは余計に不貞腐れるだけだった。
「まあベル、お前は一旦寝ろ。何やかんや話はあるけど、一回寝てから話したほうが頭に入るやろ。エリクス、お前は昼からバイトやろ、さっさと寝ろ」
「……うーっす……」
エリクスの態度にも普段ならはたく等はしているが、今日はそうしなかった。
(ま……当然やわなあ……聖族が嫌なのは当たり前やからなあ)
寛大。まさに上に立つ者の鑑である。
「ほら、さっきの部屋分かるか? そこに戻って寝とけ。黙って逃げようとするなよ、普通に失礼やからな。後で水差し置いとくから、喉乾いたら飲めよ? そんでトイレはあっちや」
「あい……」
鼻が詰まって”はい“と返事出来ないヴェルディエルが、まだ回復し切っていない身体をヒョコヒョコさせながら部屋に向かう。
(大丈夫かいな……)
酒を口に含んでその様子を見守った。
その頃、聖界ではエルヴィエルが自身の上司……サドキエルと話している最中だった。
「あの魔王子から人間界を守るには、やはり我々のような立場の者が出向くべきなのではありませんか? エルヴィエル」
白い石の柱で見えないが、サドキエルが溜め息をついた事だけは分かる。
「そういう訳にはいきません。向かうのは宿命の子でなければ」
エルヴィエルが首を横に振りながら答えた。
「サドキエル様、宿命の子は死にません。肉体が死しても新しい身体で生まれ変わるだけ……あの子の宿願を果たすまで止めてはならないのです。その度、肉体に応じた強い名を付けるのは骨が折れますが……」
ヴェルディエルをゲートから上空へ放り出した、その張本人がそう言った。
「……勿論あなたの事は信じています。ですが、そうしている間にも人間界では多くの負の感情が生まれ続けているのです。エネルギーバランスを忘れた魔界の実働隊とも言えるアクシャ……彼を早く止めなければなりません」
サドキエルはその姿を柱から現す。サドキエルの姿は、ベルベットのような赤茶の髪を伸ばした美しい女性だった。
「我々の立場で向かえば、それこそ魔界は黙らないでしょう。目立ちすぎます。今の魔界に立ち向かう程の力など、残念ながらこの聖界にはありません」
白い壁が月明かりを反射して美しい。その部屋で彼らは静かに話あっている。
「これまで通り、アクシャが人間界で人間として振る舞い騙すために魔族の力を制限している、その隙を宿命の子が上手く狙うしかないのです」
これはその通りで、実際アクシャがレイになっている間、ヴェルディエルの気配には気付かなかった。大した魔法が使える状態でもなく、実際に戦えば聖族の方が強い恐れもある。
「幸いにも彼は自分より弱い存在に興味がない……人間の姿になっている状態ですら、宿命の子など、いつか自分を刺す脅威だとは微塵も思ってもいないでしょう」
まるで彼の事を知り尽くしているかのように話したエルヴィエルは、モノクルをすっと触って位置を直した。その奥で赤い瞳が月明かりに映えて美しい。
「……良いでしょう、エルヴィエル。もう一度宿命の子を連れ戻し、新しい肉体を与えなさい。ですが、次でダメなら協議が必要です」
サドキエルが命じる。それに応えるように頭を下げたエルヴィエルは、少し微笑んでいた。
(次もある、その甘さが悪いのですよ)