(52)ルールブック
新たな「死」の条件の登場に、俺は固まった。
この世界に来た時に、ニーナにいくつか聞いた。確か……
・肉体が破壊された場合
・武器が壊れた場合
・『生きる』という意思を失った場合
・現状に満足してしまった場合
だったと思う。
そこに、
・ルールブックの禁止事項に違反した場合
というのが加わったのだ。
……まぁ、現実世界でも法律というルールがあり、それに著しく触れた場合は最悪死刑になるから、そう考えると、ごく当然な内容ではある。
考え込みだした俺にチラッと目を向けて、けれど相変わらずフランクな素振りでエドが続ける。
「でも、アタシたち転生者は、そのルールブックの内容どころか、ルールブックの存在も知らないワケじゃない? フェアじゃないわよね。うっかり禁止事項を踏んだら死んじゃうって」
「大丈夫よ、普通に生きてればそんな事にはならないから。だって、死に匹敵するルール違反なんて、さっき言った『ヘル様を呼び付けない』『転生者を共食いしない』と、もうひとつだけよ」
「もうひとつって?」
文学の精霊は、そろそろ酔い潰れそうだ。
半ばテーブルに突っ伏すような格好で、トロンとした目をエドに向けている。
――眠ってしまう前に、もうひとつの禁止事項を言ってくれ!
という、俺の思いが通じたのかは分からないが、文学の精霊はムニャムニャと答えた。
「『ルールブックの禁止事項を増やすような事をしない』……よ……」
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――翌朝。
俺のヤクの毛皮の上で、ピィ助のモフモフを抱き枕に寝ていた文学の精霊は、気まずそうに目を覚ました。
「…………」
寝床を取られた俺は仕方なく、テーブルクロスに使っていた荷車の幌を敷いて寝たのだが、クッション性が皆無だから腰が痛い。
寝起きの悪さを隠せない顔で起き上がると、すでにチョーさんとエドが朝食の準備をしていた。
「あら、おはよう」
今朝のメニューは、キノコのリゾットに、サーモンクネル(つみれ)のスープ。
美味しそうな香りが漂うテーブルに着く。
すると、所在なさげに文学の精霊が俺の横に座った。
「昨夜の記憶がありません」
「それは、良かったんじゃないかな……」
朝食を済ませ、みんなが荷物をまとめている時。
俺とエドは、文学の精霊と話し合って――いや、脅していた。
「……ルールブックの話を、しましたか……」
彼女は美しい顔を曇らせた。
「あれは、アナタ的にはマズい事だったんじゃないの?」
「一応、部外秘扱いになっているので」
「なら、アタシたちにしゃべった事がヘル様にバレると都合が悪いわね」
だが、相手は赤ペンの中の人。そうそうこちらの都合の良い反応はしない。
「ヘル様に言わないでください!」と下手には出ず、あっけらかんとこう言った。
「ですが、既に内容は、一部の転生者に漏れていますから、そこまでの痛手ではありません」
「そうなの?」
多分、俺たち転生者に、転生者自身で得られる情報以上の事を教えるのは禁止されているのだろう。
文学の精霊はチッと不快そうに舌打ちしてから、仕方なさそうに続けた。
「書く事で発動する能力は、小説家だけではありませんので」
俺は驚いた。と同時に、心の奥底に沸々と湧き上がるような恐怖を感じた。
――物語を紡ぐ。それは、登場人物の運命を左右する神の如き所業。
その能力をもし、悪い方向に使ったらどうなるのか。
例えば、エインヘリアルとか。
文学の精霊は、そんな俺をじっと見据える。
「その人物は、あなたがたと敵対する勢力に身を置き、狡猾な手段で情報を手に入れています。その人物がルールブックの中身を把握しているという事は、あなたがたにとって非常に不利かと」
エドが難しい顔をしながら、彼女に念押しする。
「――その、アタシたちと敵対する組織というのは、エインヘリアルで間違いないわね?」
「個人情報に当たるので、具体的な名称は差し控えます」
それにしても、なぜ文学の精霊はこんな話をしだしたのか。
うっかりルールブックの話をしてしまった罪を軽減させようとしているだけではない気がする。
それをエドも感づいたようで、顎に手を置いて彼女の横顔をじっと見つめた。
「相手の知っている情報をこちらにも教えて、状況をフェアにしたかったの?」
でも、自分から明かすのは立場上まずいので、ついうっかりを装った……。
文学の精霊は返事をしない。
澄まし顔で俺とエドの間に目を向けている。
エドは少し考えてから言った。
「……アナタ、もしかして、エインヘリアルを潰したいの?」
文学の妖精はエドに顔を向ける。
そして答えた。
「私の立場としては、彼らがルールブックに抵触しない限り、それを見守るべきと答えるしかありません」
「つまり、アナタ個人としたは、あいつらが気に入らないと」
文学の妖精は再び口を閉ざした。
特定の転生者を貶める発言はフェアではないからだろう。
エドはじっと、彼女の無機質なまでに整った顔立ちに向き合う。
表情筋の微妙な動きから、彼女の思考を読み取ろうとしているかのようだった。
そしてゆっくりと口を動かす。
「……自分からは協力を求められないけど、アタシたちがその気なら、エインヘリアル討伐に力を貸すのはやぶさかではない、って言いたいの?」
「あなたがそう思ったのなら、私の思いがそこにあると判断するのは、あなたの自由です」
二人はしばらく見つめ合っていた。
これは、肯定の意思表示と解釈していいだろう。となると、利害は一致したとなる。
やがてエドは、彼女の湧き水のように深く澄んだ瞳を見たままニコリとした。
「アナタのそういうところ、可愛いと思うわ」
「あなたは昨夜、言いましたよね。容姿を褒めるのはNGだと」
――俺はまたしても目を丸くした。
昨夜の記憶がないと言ったのは嘘だったのだ!
やはり、昨日俺に呼び出された時から、こうなる展開を読んで、酔っぱらったフリをしてそれとなくルールブックの話を聞かせて、こちらが協力を求めてくるように仕向けていたのだろう。
こちらが策を弄したつもりで、逆に掌で踊らされていたのだ!
いや、赤ペンならやりかねない。むしろ彼女らしい。
このくらいでないと、この先、彼女の言う小説家でない文字スキルを持つ人物との、腹の探り合いに勝てないだろう。
心強い味方ができた。
俺は文学の精霊に握手を求めた。
「頼りにしてるよ」
しかし、彼女は手を出さない。
「過信されては困ります。私はあくまで原稿用紙ですから。ペンが書かなければ何もできません」
とはいえ、作家にとって、協力的で優秀な担当編集が付くという事がどれほど心強いか分からない。
きちんとした校正があるからこそ、伸び伸びと書けるのだ……少々クセは強いが。
「……で、アナタはまた原稿用紙に戻るの?」
エドが聞くと、彼女は
「いえ」
と首を横に振った。
「お料理が美味しかったので」
……法心に続き、チョーさんに胃袋を掴まれたお客さんが、また増えたようだ。
チョーさんの能力はさらにパワーアップしそうだ。
「なら、名前を教えてくれない? 一緒に旅をするのに、名前がないと不便だわ」
エドがそう言うと、
「名前、ですか」
と、今度は彼女が目を丸くした。
「考えた事がありませんでした。今まで、自らの存在を明かした事がありませんので」
「なら、俺が考えるよ」
俺が言うと、エドが渋い顔をする。
「ちゃんと考えなさいよ」
「俺はいつでも真剣だ!」
と言いつつ、ピィ助みたいな訳にはいかない。
少し考えてから、俺は手を打った。
「そうだ! メーティスというのはどうかな? ギリシャ神話の知恵の女神!」
「ありきたりではありますが、悪くはありません。これからはメーティスと呼ばれる事にします」
相変わらず辛口だが、満更でもないようだ。
だが、そう言ってからすぐに、彼女は俺に険しい顔を見せた。
「あなたがたが私に協力を求めるのなら、私からもあなたにお願いがあります」
そして、ジャージのポケットからはみ出している原稿用紙を指さす。
「もう二度と、下着の中に保管しないでください」




