(42)インドラの杵《きね》①
休憩を終え、俺たちは再び、あの岩山へ進み出したのだが……。
原稿用紙を片付ける前。
念のため、俺はおまじないにと、例の文言を原稿用紙に書いた。
〖今日の夕食は、八人みんなで美味しく食べる。〗
――ところがである。
赤ペンはこう反応を返してきた。
【それはできません。】
……とてつもなく嫌な予感がする。
けれど、旅を続けるには、この先に進む以外にないのだから、言ったところでみんなを怖がらせるだけで、メリットはないと思った。
一人の胸に納めておくには少々苦しいが、これもリーダーの苦悩なのだろう。
――赤ペンの言葉が本当にならないよう、俺が物語を作り上げればいいだけだ。
……と、先頭を歩くバルサが足を止めた。
ゴツゴツした岩の斜面に黒焦げの木々が点在する、あの場所に到着したのだ。
そして、俺たちは息を呑んだ。
先程までと、空の色が全く違う。
重い黒雲がドロドロと、斜面に突き出したあの岩の上で渦を巻いているのだ。
「…………」
天候に対して「おどろおどろしい」と表現するのは、こんな空色の事だろう。
時々ゴロゴロと稲妻を光らせながら、黒雲は急速に広がってくる。
「て、天気が回復するまで、待った方が……」
ニーナが言うが、ファイが否定した。
「この雲、意思を持ってる」
「えっ……!」
「やっぱり、自然現象じゃないんだ。逃げても無駄だと思う」
俺は生前、創作のネタにと一度、雷について調べた事がある。
雷鳴は十キロメートルの範囲に聞こえる。
その範囲にいれば、いつ何時、自分のところに落雷しても不思議はないらしい。
まるで俺たちを覆うように、頭上にまで広がったこの雷雲から、逃れる事はできないだろう。
「じ、じゃあ、どうするんだよ!」
アニが、怯えた様子で肩にとまるファルコンよりも焦った声で、俺の腕を掴んだ。
――その瞬間。
ゴオオオオオオオン!!
閃光と同時に、百メートルくらい先の木が弾け飛んだ。
「イヤッ!」
アニが頭を抱えて座り込む。
続く地響き。背筋が冷えるような自然の猛威だ。
「いいか、みんな!」
俺は雷について調べた時に見た、気象庁のホームページを思い出す。
「雷の落ちても、安全な範囲はある。雷は木みたいな高いところに落ちるから、あまり木に近付き過ぎてはダメだ。だけど、あまり離れ過ぎると、自分に落ちる可能性がある。だから、木のてっぺんから直線を引いた時に、角度が四十五度になる範囲――保護範囲と言うんだ――そこで身を屈めろ。武器は抱えて、できるだけ小さく持て。いいな!」
――と言っている間に、二発目が落ちた。
今度は五十メートルくらい先。確実に近付いてきている。
俺は木の高さを見定めて、手近な木から四メートルほど離れた位置に身を屈めた。
みんなそれぞれ、近くの木から少し離れて身を小さくする。
……と、俺に張り付くようにしているのはアニだ。
半ば泣きそうな顔で、
「お、オバケと雷だけは、どうしても無理なんだよ!」
と震えている……不覚にも、ちょっと可愛いと思ってしまった。
だが、俺の作戦もあまり意味のないものである事が、間もなく分かった。
バリバリバリバリ!
三発、四発、五発――。
次々と落ちる落雷で、周囲の木が木っ端微塵になぎ倒されてしまったのだ。
「まずいぞ!」
「ねぇ、どうすればいいの!」
いくら腕っぷしに覚えがあっても、これに勝てるはずがない。
あちこちの木に逃げ惑いながら、雷鳴に負けじと、バルサとエドが叫ぶ。
俺たちが避難していた木も吹き飛んでしまい、アニの腕を引っ張って俺も走る。
「そ、そんなに長時間は続かないはずだ! とにかく、逃げるしかない!」
「何を言ってるか聞こえねえよ!」
――すると、脳裏に直接語り掛けてくる声があった。
ファイだ!
サイコキネシスの能力で、テレパシーを送っているのだ。
「あの岩のところに、何かとてつもなく嫌なものを感じるんだ」
……確かに、この雷雲の中心はそこだ。
「あの岩まで行けば、嫌なものの正体が分かるし、取り除けるかもしれない」
「で、でも、どうやってあそこまで……!」
エドの声をかき消すように、立て続けに数発、閃光が奔る。
「もうイヤー!」
アニが叫ぶから余計に事態は混乱する。
そんなアニを落ち着けようと、ファイが冷静に返事をする。
「木よりももっと確かな、避雷針のようなものがあればいいんだけど」
「如意棒はどうアルか?」
チョーさんの提案を、バルサが即座に否定した。
「それはダメだ! 万一の事があったら……」
武器が壊れたら、転生者はその瞬間、死ぬのだ。
「何か、他のものを……!」
すると、ファイの脳波を通して、ニーナの澄んだ声が響いた。
「私にいい考えがあるわ――みんな、私のところに集まって」
雨雲の様子を見ながら一斉に駆け出す。
ニーナは、あの岩山が見える場所に立ち向かうように立っていた。
「光に導かれし我が願いを聞き入れ給え。どうか、善良なるこの者たちに水の加護を……ッ!」
彼女はそう言って、杖を高々と頭上に掲げたものだから、俺たちは焦った。
「ニーナ!」
「やめろ! 死ぬ気か!」
ニーナは、自分を避雷針にして雷撃を集め、みんなを進ませる気だ。
そう思った。
案の上、黒雲で発した閃光が、ニーナに向けて牙を剥く。
俺たちは無我夢中で、ニーナの元へと急いだ。
――俺たちは一蓮托生。
ニーナを捨て駒にする訳にはいかない。
そして、カドゥケウスに落雷が届く直前。
杖の先端に付けられた、白い宝玉が眩い光を放った。
ニーナに手の届きそうな距離に来ていた俺たちは、その光に包み込まれる。
そして、見た。
光のように見えたものは水の幕で、それが雷撃を受け止めて、四方に受け流した。
水のドームが、アースの役割をしたのだ。
続けて何発か雷撃を受けたが、全てを地面に受け流して、未だ整然と流れている。
「ニーナ……」
水のドームに身を屈めて、バルサが妻を見上げた。
ニーナは毅然と立ち、こう言った。
「私たちには、この世界で生きていく理由があるのよ。こんな所で、死んでなんかいられないわ!」




