(40)亡霊
――それは、奇妙な噂だった。
「あの山には亡霊がいる」
黒い森の奥から鈴の音が聞こえ、それに出会ったら最後、誰も生きて戻らないという……。
「……だけど、変じゃね?」
俺は容赦なくツッ込んだ。
「誰も生きて戻らないのに、どうして亡霊に会ったって分かるんだよ?」
「確かに」
まともに反応を返したのはマヤだ。
「そもそも、私たちは一度死んでるんだから、言ってみれば、みんな亡霊ですよね」
――ヘルヘイムと呼ばれるこの世界は、死者が生き返るための試練を受けるべく転生する場所。
この世界にいる人は全員、一度は死を経験しているのだ。
「亡霊が亡霊を怖がるってのも、おかしな話よね」
エドが興味深げに顎を撫でる。
「ワタシ、ホラーが大好きなの。どんな亡霊なのか、会ってみたいわ」
「やめてよ、そういうの」
珍しくファイが浮かない顔をする。
「――それらしいモノ、何度も見てるから」
生前、長く病院で暮らしていたファイが言うと、説得力が半端ない。
何となく会話が途切れたところに、言葉を挟んだのはバルサだ。
「しかし、本当に亡霊なのか? もしかしたら、略奪者の可能性もあるんじゃないか?」
それには、みんな顔を見合わせた。
「まさか……」
――エインヘリアル。
その名は決して忘れたりしない。
みんなで暮らしたストランド村を奪った奴らだから。
そして……。
俺は首に提げた、ヤクの歯のペンダントに手をやった。
大事な仲間の、命を縮めた奴ら。
ダーダル村でマヤと合流した俺たちは、大きな川に突き当たり、迂回路を探して川沿いを旅していた。
古代文明がそうであったように、命の源である水に人々は集まるらしい。
川沿いに幾つもの村を見付け、森で採った果物や薬草と物々交換をしたり、情報を集めたりした。
……バルサとニーナは、赤ちゃんの転生者について聞いていたけれど、残念ながら、その噂は聞かなかった。
けれども、最後に寄った村で聞いた話が妙なものだったのだ。
「あの山を超えるのか?」
村の老人は、川の上流にある黒々とした山を指した。
「上流まで行けば、さすがに川を渡れるだろう」
バルサが答えると、別の老人が首を横に振った。
「やめておけ――あの山は、呪われている」
……と、そんな噂で足を止める俺たちじゃない。
何だかんだと亡霊の正体を推理しながら、いつものようにヤクが引く台車を押していた。
川の上流に行くほど、当然ながら標高が高くなる。木の密度が上がってきて、ゴツゴツとした岩が増えてきた。
こんな時は、アニとファルコンが頼もしくて、少し先回りをして、台車が通りやすい道を探してくれる。
険しい道ながらも、俺たちは和気あいあいと旅を続けていたのだった。
――その夜。
俺たちはいつも通り、チョーさんの料理で夕食を済ませると、焚き火を囲んで横になった。
この頃になると、眠る場所は違えど、並びはだいたい決まっていた。
バルサとニーナ夫妻の横に、ファイとマヤの小学生カップル。その横が、なぜか気が合うエドとチョーさん。
で、残りの俺とアニが、いつも隣なのだ。
アニの相棒の鷹・ファルコンは、ヤクの大きな角が気に入ったようで、羽を休める時はいつもそこだ。
雨の日には、マヤの植木鉢が生やす木に助けられるが、こんな月夜に雨宿りは必要ない。
俺は定位置にヤクの毛皮を敷いて、木の葉の隙間から星空を見上げた。
キラキラと瞬く天の川を眺めるのも、これで何度目だろう。
生きている頃は、スマホのゲーム画面ばかり眺めていて、夜空を見上げる事なんてなかった。
……それに、夜の森は思ったよりうるさい。
虫なのか鳥なのかがギーギーガーガーと一晩中鳴いていて、東京育ちの俺からしたら、幹線道路の近くで寝ているような気分だ。
まぁ、慣れたが。
と、目を閉じて間もなく。
横腹をツンツンとつつかれ、俺は横に顔を向けた。
「何だよ、アニ」
アニはシッと、口の前で指を立てた。
「なんか、変な声が聞こえねえか?」
「変な声?」
俺は耳を澄ませてみたが、虫の声と、川のせせらぎがわずかに聞こえるだけだった。
「別に何も聞こえねえけど」
「……なら、いいや」
アニはそう言いながらも、俺の方を向いて丸まっている。
普段は粗野な乱暴者なのだが、時々可愛いところがあるから困る。
俺はついニヤけた。
「あ、もしかして、亡霊が怖いのか?」
……思い切り膝蹴りを食らい、気絶するように眠りに就いたのは、言うまでもない。
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――翌朝。
ファルコンの鳴き声に起こされると、それぞれが自分の仕事を始める。
チョーさんは朝食の準備。それを、ニーナとマヤが手伝う。
村にいる頃は、自分の仕事に手を出されるのを嫌がっていたチョーさんだが、最近はみんなの手伝いを受け入れている。
野菜の切り方が少し雑でも、チョーさんの味付けは変わらず天下一品だ。
エドは眠気まなこをこすりながら、これまで来た道のりを地図に描く。
ファルコンがみんなを起こすのが、日の出から間もなく。この世界に季節はないから、時計はなくても、だいたい同じ時間というのは分かる。
太陽の方角を基準に、森に川に村、特徴的な地形の位置を、目測で書き込んでいくのだ。
そもそも、精密な地図など必要ないのだ……ストランド村へ戻るための道を覚えておきたい、そのための地図なのだから。
地図は羊皮紙が継ぎ足され、巻物になってきた。
絵のセンスは、エドはなかなかのものなのだが、方角と記憶力が怪しい。そこをファイが千里眼でカバーする。
バルサはヤクの世話。
エサは勝手に草を食べるからいいとして、長い毛は手入れをしてやらないと大変な事になるのだ。
そして、荷物を整理して台車に積み、荷造りをする。
俺とアニとファルコンは、道中で困らないよう食材探しだ。俺は果物や山菜やキノコ、アニはファルコンと一緒に水鳥やウサギなんかの狩りをする。
こうしてみんなで腹ごしらえをしてから、また旅に出る。
――試練の終着地である、女神ヘルの宮殿・エリューズニルを目指して。




