(26)旅の途中
旅といっても、旅程表もなければ、地図もない。
ただひとつ。
目的地だけは決まっていた。
――エリューズニル。
女神ヘルがいるとされる神殿。
ただしそれは、どこにあるのか分からないし、どんな姿をしているのか誰も知らない。
ただ当てもなく、草原を行くだけだ。
転生者が生き返るための試練を受けるこの世界――ヘルヘイム。
それがどのくらい広いのかも、転生者がどのくらいいるのかも、それすら知る者はいない。
俺たちは、日が出ているうちは歩き、日が沈むと野宿する生活で、何日か過ごした。
アニは、俺たちの仲間で一番野生に近い生活をしていたから、木の影や星の位置で、方角や時間を知る術を心得ていた。
それを、意外にも絵心があるエドが、羊皮紙に描いて地図を作っていく。
山の位置、川の位置、特徴的な木や岩の位置。
そして、出発地である、ストランド村の位置。
それで俺たちがどこに向かっているのかを把握していった。
……けれども未だに、人の住む村には出会っていない。
何年も前に放棄された村はあった。
何度か旅をしてきたバルサとニーナの話だと、数日の距離で村があれば近い方だそうだ。
東京に住んでた俺なんかからすると、途方がなさすぎる。
――それに、村があったところで、宿に泊まれるわけではない。
転生者の命とも言える武器を狙って襲撃を行う略奪者集団――エインヘリアルの存在があるから。
彼らに入り込まれたら最後。
皆殺しは避けられない。
村でできる事といえば、食べ物や生活用品の物々交換くらいだ。
それでも、麦ばかりは飽きてきたから、米と交換できたらいいな、と、俺はちょっと思ってる。
でも、食べ物に困っているわけではない。
アニやバルサが狩りをして肉は手に入るし、果物が実る木があちこちに自生している。
それに、チョーさんが薬草に詳しく、食べられる草を集めてきて美味しく調理してくれるのだ。
……米が食いたいのは、俺のただの贅沢だ。
この日も、夕暮れにはキャンプ地を決めて、寝床と食事の準備を始めた。
川沿いの森と草原の中間……ストランド村にちょっと似た立地だ。
俺とファイは、果物やキノコを探しに森に入った。
……俺は気付いていた。
体の弱いファイは、旅生活を始めてから、ずっと無理をしている。
少し森に入った木陰に、俺はファイを座らせた。
「ヤクの台車で休めるように、俺からみんなに話をする」
「いや、僕だけ申し訳ないよ」
「いいか、これはズルなんかじゃない。それぞれの個性に合わせて、あるものを利用するだけじゃないか。遠慮なんてするなよ」
俺は分かっていた。
ファイは誰かの役に立ちたいという思いが強いから、みんなの迷惑にならないようにと、気を遣いすぎている。
俺は笑って立ち上がった。
「おまえの能力で果物の木を探してくれよ。梨がいいな」
「ハハッ、分かったよ」
ファイの超能力には、念動力や読心術だけでなく、捜し物の力もあるのだ。
難しいものでなければ、大した体力も使わずに済むようなので、俺はファイのおかげで役割分担を楽していた。
両手いっぱいに梨を持って戻ると、食事の時間。
バルサとエドが珍しく釣りをしたらしい。釣果はなかなかのもので、チョーさんの調理で唐揚げになって出てきた。
「うめえ!!」
転生前は魚が嫌いだった。生臭いし、骨が面倒だから。
しかし、久しぶりに食べた新鮮な魚の唐揚げは、驚くほどクセがなくて食べやすかった。
それに、信頼できる仲間と焚き火を囲むこの雰囲気が、何よりの調味料かもしれない。
……ただ……。
誰が言い出したか忘れたが、夕食の後で順番に、転生前に好きだった歌を歌う、という謎ルールができていた。
これがなかなか面白いのだが、問題は、今日の順番が俺だという事だ。
「いいか、期待するなよ。絶ッ対に期待するなよ」
そう前置きして、好きだったアニメソングを振り付きで歌ったのだが……。
スべる、というのには、出身地も年齢も関係ないらしい。
微妙な空気の中、エドが、
「アナタの度胸を見直したわ」
と言ってくれた事だけが、唯一の救いだった。
……今夜の空も、満天の星々の煌めきが眩いばかりだった。
俺は、アニがスニフ爺さんの家から持ってきたヤクの毛皮を草の上に敷いて横になった。
それぞれ、鹿やらオークの革(チクチクした毛は抜いてある)やらを使って、焚き火を囲んで就寝する。
アニは少し離れて、ヤクにもたれて眠る。
彼女の近くの木には、ファルコン。
鋭い猛禽類の感覚で、近くに敵を感知すれば、甲高い声で起こしてくれる……朝も早くから鳴くから、寝坊できないのが難点だが。
こうして夜空を見上げていると、信じられないほどに平和だった。
しかし、こんな夜が過ごせるのも、旅に出てからずっと天気がいいからで、雨が降れば、途端に路頭に迷うだろう。
今はこの一時の平和に感謝して、目を閉じ眠りを満喫するのだ。