(25)旅立ち
収穫できる限り食料を集めて袋に詰め、水撒きに使っていた台車に載せる。
荷役担当のヤクには、腹いっぱい草を食わせた。
各自、寝具にする敷物やら荷物をまとめ、夕食の準備はみんなでチョーさんを手伝った。
そんな中、アニが戻ってきた。
その様子を見て、俺は眉を寄せた。
「何だよ、その眼帯」
まるで海賊みたいに、黒い革の眼帯で左目を覆っているのだ。
「知ってるか? 海賊がなぜ眼帯をしているか」
「目を怪我したから……」
「単純だな、おめえは」
アニに呆れられて、俺は口を尖らせた。
「明るい場所から暗い場所に入ってもすぐに順応できるように、光を遮断して目を慣らしてるんだ」
アニはそう言うと、焼いたグースの足にかぶり付いた。
「これから旅に出るだろ? いつどんなところで襲われるか分からないからな。狩人は目が命。やるだけの事はやっておかねえと」
アニが行ってきたのは、スニフ爺さんの小屋だった。
彼は左目が悪く、昔は眼帯をしていたが、最近はめんどくさいと使っていなかったようだ。
それを探しに行っていたそうだ。
「……それと、もうひとつ」
アニは、夕闇が濃くなった空に向かい、指笛を吹いた。
ピィー……という甲高い音が響いた後に現れたのは、悠然と空を滑る翼。
翼は頭上を旋回すると、アニの肩当てにとまった。
「――ファルコンだ。身寄りがなくなってしまったんだ。仲間として迎えてやって欲しい」
ファルコンはまるで挨拶するように、ピィと鳴いた。
……その夜は、別れを告げるように、各自が過ごした小屋で休んだ。
ファイと俺の小屋は、幸いにもベッドが無事だったから、少し埃を払った程度で使えた。
鐘楼が根元から折れてしまったから、アニも誘ったのだが、
「あたいは山賊だ。どこでだって眠れる」
と、鐘楼の瓦礫をベッドに眠ると言って聞かなかった。
……いきなり知らないところへ来て、彼女から離れようとしないファルコンに、気遣いしているのだろう。
俺とファイは隣合うベッドに並んで、辛うじて残った天井を眺めた。
そこだけを見ていると、俺がここに来た日と何も変わっていないようで、昨日の出来事がまるで嘘のように思えた――嘘であってくれたらいいのに。
今日の様子を見ていると、ファイはだいぶ体調を取り戻したようだった。
午前中は、コスモの死を聞いたショックもあり落ち込んでいたけど、彼よりも辛いはずのニーナが気丈に看病してくれているから、元気にならなきゃと思ったようだ。
天井に顔を向けたまま、俺はファイに言った。
「無理をさせて、ごめんな」
ファイの能力発動で消費する体力コストは、俺の想像以上のものだった。
これから俺が戦闘における作戦を組み立てていく時には、サイコキネシスの使用はできるだけ避け、どうしても必要な場合でも、一日一回に留めた方がいいだろう。
いわゆる、捨て身の必殺技扱いだ。
ファイは弱々しく微笑んだ。
「僕こそ、ごめん。体が弱くて」
確かに、最大体力が高ければ、能力の発動回数に余裕はできるだろう。
けれども、それはファイのせいじゃない。
「謝る事なんてないさ。みんな、必死で戦ったんだ」
……俺がもっと早く、もっとマシな作戦を立てていれば、誰も死なずに済んだのかもしれないのだ。
「それは言いっこなしの約束だよ」
ファイが心の声に反応したから、俺は目を丸くしてベッドに起き上がった。
「ごめんね。気持ち悪がられると思って、誰にも言ってないんだけど……僕、心の声が聞こえるんだ」
死ぬ前、病院にいる時から、ずっとだった。
「毎日のお見舞いは大変だわ。仕事もできなくて家計が辛いのよ」
「こんなどうでもいい事で、ナースコールを呼ばないで」
「死ねばいいのに」
「――絶対にこれだけは、誰にも言ってはいけないと思ってた」
「…………」
「できるだけ心の声に応えようとして、毎日毎日気を使って、疲れちゃったんだ」
その辛さは、想像を絶するものだっただろう。
俺には分からない絶望を背負い込んで生きているファイを、心から哀れに思った。
だがファイは明るく笑った。
「でもこの村では、嫌な声を聞かなかった。みんな一生懸命生きていて――心が綺麗だ」
そう言ってファイは俺を見た。
「特に君は、何の影もなくて、何というか……」
「単純バカ、だろ?」
ハハハと笑うと、急にファイは真面目な顔になった。
「僕の事は気にしないで」
「…………」
「誰かの役に立ちたい。これが僕の、この世界で生きる目的さ。君ならきっと、僕の望みを叶えてくれる気がする」
あえて「念動力」でなく「超能力」と名乗っていた理由。
秘密の共有は、俺とファイとの繋がりを強くした気がした。
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旅立ちの朝は快晴だった。
朝食を済ませ、手の空いた者から旅支度を始める。
ヤクの背に荷物を載せ、台車に繋ぐ。
それぞれの持ち物と武器とを確認し、中庭に集まると、村を振り返った。
――最後に小屋を出たバルサが、小屋に火を放った。
万が一にも、壊した武器をエインヘリアルに利用されないよう、灰にするためだ。
……そして、村への未練を断つため。
「さあ、行くぞ」
バルサが先頭に立ち、門を出ようとするところで俺は足を止めた。
……ストランド村の村旗。
村の記憶が、ひとつくらいあったっていいだろう。
ストランドおじさんや、スニフ爺さん、そしてコスモの存在が確かにあった、その記憶を胸に刻んでおくために。
俺は鐘楼の残骸から、麦の穂が描かれた旗を外し、マントのように肩に巻いた。
「何やってんだ?」
バルサが振り返る。
「あー、……ジャージじゃ、旅人っぽくないだろ。カッコつけたいんだよ」
俺がそう言うと、みんな笑顔になった。
――これから先、この笑顔が続きますように。
ヤクの引く台車を押しながら、俺たちはストランド村を後にした。
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――ヴァルハラ。
不毛な岩山に突如として現われる白亜の宮殿。
その城の主は玉座から、二人の男を見下ろしていた。
「……メフィストフェレスが死んだんだって?」
プラチナの髪に、アメジストの瞳。
上質な絹のような滑らかな頬を指でなぞり、玉座の青年は顎に手を当てた。
「は、はい!」
「力及ばず……」
「で、おめおめと逃げ帰って来た、と」
二人の男は汚れた鎧をカチリと鳴らして、大理石の床に額を擦り付ける。
「申し訳ございません!」
「どうか、どうかお許しを――アルファズ様!」
玉座の主――アルファズは、肘掛けに身を預け、整った顔立ちを彩る目を細めた。
「――で、メフィストフェレスを殺った奴というのは何者なんだい?」
「は、はい! ……アルファズ様と同じく、自然現象を操る能力を持っていました」
「へぇ……」
アルファズは、形の良い眉を跳ね上げる。
「それを見たの?」
「はい! か、雷を呼び、その後、大雨を降らせていました」
アルファズは無表情に細い顎を撫でた。
「それは間違いないのかい?」
「はい、確かにこの目で」
しばらくの沈黙があった。
ひれ伏す二人の兵士の額から、冷や汗が滴り落ちる。
やがてアルファズの薄い唇が動いた。
「分かったよ」
「ははっ!」
二人の兵士は安堵しつつ、玉座の前から下がろうとした。
……その足元が、突如、凍り付く。
「――――!」
兵士たちは身をよじり振り返った。
――そして彼らの主の目が、ブルーダイヤの色に光っているのを見て恐れ慄いた。
アルファズの口元がニッと歪む。
「誰が帰っていいって言った?」
「…………」
「役立たずは生きるに値しないと、何度言えば分かるのかな」
アルファズの手には槍があった。淡い光を放つそれ――神槍グングニルを前に向ける。
すると兵士たちは、たちまち氷柱に閉じ込められた。
なおも温度は下がっていき、二本の氷柱は霜に覆われ真っ白になる。
「無様な奴らだ」
アルファズが槍を軽く振る――と同時に、彼の目がルビーの色に変化する。
……と、氷柱を劫火が覆った。
急激な温度変化に、氷柱は木っ端微塵に砕け散る。
劫火はその欠片をも燃やし尽くし、跡にはわずかな灰が残っただけだった。
――それを侍従が掃除した後、六人の人物が玉座の前に控えた。
神聖騎兵隊長 ドゥンナー
双星の錬金術師 エイトリとシンドリ
叡智の書の編纂者 ミミル
運命を司る者 ノルン
永劫の芸術家 ヴィンセント
――『アルファズの六賢』である。
ただし、ノルンとヴィンセントの間に、一人分の空間が空いていた。本来、メフィストフェレスが控えるべき場所だ。
六人は恭しくひざまずき、胸に手を当てた。
「この度は、不肖の同列が、アルファズ様の過分のご加護を頂きながら、敗北を期すという失態を犯しました事、深くお詫び申し上げます」
六賢の筆頭であるドゥンナーが口上を述べる。
アルファズはアメジストの目でそれを聞いた後、六賢の一人に呼び掛けた。
「ミミル」
「はい、アルファズ様」
分厚い本を胸に抱いた女は畏まる。
「――僕が君に尋ねたい事は、分かるね?」
「もちろん」
ミミルは手にした本――叡智の書を開く。
「アルファズ様のお心を煩わせる不届き者の名は……ヘヴン」
「天国、か……。随分とふざけた名前じゃないか」
「畏れ多い事でございます……ただ恐縮ながら、未だデータに乏しく、能力の詳細を確定するのは時期尚早かと」
「なるほど、ね……。居場所は?」
「ストランド村を放棄したところまでは確認が取れましたが、その後は……」
アルファズは脚を組み、六人を見下ろした。
「まぁいい。そう慌てる事はないさ。でも、この僕をこき下ろした罪は、許せないかな」
「…………」
神妙に畏まる一同に、アメジストの瞳は告げた。
「奴だけは、絶対にエリューズニルに辿り着かせてはいけないよ――見付け次第、八つ裂きにするんだ」
――Ⅰ章 ストランド村編 ~完~――