(15)ファルコンと湖
朝日が出るのと同時に出発だった。
早く出るとは聞いていたが、そんなに早いとは聞いてない。
眠い目をこすっていると、
「てめえの足が遅いからだ!」
と、アニに怒鳴られた。
……だが、朝の山の光景は、見る価値が十分にあるものだった。
霧で霞んだ山々の間に昇るご来光。
日本人としては、つい手を合わせたくなる神々しさだ。
だがすぐに気温が上がり、汗だくになりながらの登山になった。
アニは山をよく知っていて、飲み水が得られる清流や、朝食代わりになる果実が実る木に寄り道しながら進んでいく。
「この梨、美味いだろ。コスモの好物だから、帰りもこの木に寄るぜ」
この旅……といっても昨日からだが、俺の中のアニの印象がだいぶ変わった。
粗暴なのは、心の優しさの裏返しなのだと、そう思うようになっていた。
はじめ俺にキツく当たったのは、村の事を心配しての事だったし、山賊として行ってきた罪を、彼女は後悔している。
良い事を積み重ねて生き返ったら、きっと……。
……と考えていると、引き締まった腰つきなんかも、セクシーに見えてくるから不思議だ。
すぐ前を身軽に進む褐色の肌をつい見ていると、肘鉄が飛んできた。
「痛えっ! 何すんだよ!」
涙目で鼻を押さえて抗議すると、アニに睨まれた。
「何ジロジロ見てんだよ、タコが!」
……背中にまで目が付いてるのかよ、チクショウ!
その日は細かく休憩を挟みながら、一気に進んだ。
梨だけでなく、ヤマモモ、サクランボ、ヤマブドウなどの果実の木が点在していて、それらを摘みながらの行程だ。
この世界には季節がないから、どこかの枝では花が咲き、どこかの枝では実がなり、という、不思議な状態になるようだ。
登山は疲れるが、酸味の強い果実を口にすると元気が出る。
同じく果実に集まる、リスや小鳥たちに励まされながらの道のりは辛くはなかった。
一方、連れてきたファルコンだが、大きな翼で飛び立ってから姿を見ない。
「ついて来てるさ」
と、だがアニは気にもしていない。
そしてアニの言う通り、何度目かの休憩で、ファルコンはアニの肩当てにやって来た……野ネズミの死骸を土産に。
それから、日が傾くまで森を歩くと、突然目の前の景色が開けた。
――湖。
凪いだ水面が夕日を映す。
オレンジ色にキラキラと光を反射するのを、俺はアニと並んで眺めた。
「綺麗だろ」
アニの口から、そんな言葉が出てくるとは思わなかった――一昨日までの俺なら。
「綺麗だな」
俺は素直にそう返した。
この湖の畔で一晩泊まるそうだ。
「グースは夕方、湖に戻ってくる。水鳥にとって、水の上ほど安全なねぐらはねえからな。で、翌朝、エサを探しに飛び立つ――その瞬間が、狩りの狙い目だ」
平らな草むらに、スニフの家から持ってきたヤクの毛皮を敷く。
ファルコンは少し離れた枝をねぐらに選んだようだ。
柔らかな毛皮に身を横たえて見上げる星空は、まるで宇宙とひとつになったかのように幻想的だった。
……と、転生最初の夜に、ニーナたちと野宿した夜を思い出した。
あの時は焚き火をしていたから寒くはなかった。
けれど今は、「獲物が逃げる」という理由で焚き火がない。
夜の澄んだ空気は、ゾワッと肌を冷やす。
俺はチラッと褐色の肌に目を向ける。
「寒くない?」
「慣れてるから平気だ」
「…………」
「寒いのか」
アニは仕方なさそうに自分の敷物を俺の方に寄せ、背中をくっ付けた。
……背中に感じる体温以上に、体の奥がポカポカする。
「あ、あの、さ……」
「何だよ」
「焚き火してなくて、モンスターとかに、襲われたりしない?」
「するかもな」
「……え?」
「大丈夫だ。何かあれば、ファルコンが知らせてくれる……コスモと約束したからな。オレが、おめえを守る」
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……騒々しい鳥の悲鳴と激しい羽ばたきで、俺は目を覚ました。
ハッと湖に目を遣れば、狩りはもう始まっていた。
朝日の中をバタバタと逃げるグースの群れ。
そこに上から、黒い影が高速でつっ込む――ファルコンだ。
眠っているところを矢で射られ、慌てて飛び立とうとするもファルコンに邪魔され、行き場をなくしたグースたちは、水面で大混乱になっていた。
――こうなれば、あとはやりたい放題。
アニの弓から、次々と矢が放たれる。
散々狩られた挙句、ようやくファルコンに解放されたグースたちは、フラフラと空へ消えていった。
残されたのは、水面に浮かぶ死骸。十羽は下らない。
アニは弓を下ろし、
「少しやり過ぎた。あの群れはもう二度と、この湖には来ないだろう」
と呟いた。
それからアニは、弓と矢筒を置き、肩当てを外し……服を脱ぎだした。
「……えっ……!」
あっという間に一糸まとわぬ全裸になると、アニは湖に飛び込んだ。
「…………」
唖然とそれを見送る。
だがすぐに、アニの目的を理解した。
水面のグースの骸を集めて、湖畔に運んできたのだ。
「おい! ボサッと見てねえで、岸に上げるのを手伝え!」
と怒鳴られて、俺は弾かれたように湖畔へ向かった。
グースに刺さった矢を抜き、鏃を布で拭いて矢筒に収める。
グースは長い首を揃えて並べて、持ち運びやすいように紐で束ねる。
……作業に集中しないと、体を拭いて服を着ているアニに意識がいってしまう。
グースをまとめ、アニの身支度が整うと、すぐに出発。夕方までに、再びスニフの家に到着しないとならない。
だが行きと違い、帰りは下りだから早かった。
グースを背負っているとはいえ、アニがうまく荷物をまとめてくれたから、不思議と重さを感じない。
梨の木に寄り、持てるだけ袋に詰めていると、そこにファルコンがやって来た。
……だが、様子がおかしい。キーキーと、何かを訴えるように鳴いているのだ。
アニは眉をひそめる。
「気になるな。急ごう」
スニフの家に着いたのは、まだ日が高い頃だった。
……だが、小屋の様子に、アニは足を止めた。
「どうしたんだ?」
「…………」
アニは険しい目で、入口の扉を睨んでいた。
その時、ようやく俺は気付いた。
開け放たれた扉の外で、キッチンにあったはずの、麦を入れた瓶が割れていた。