(11)ストランドおじさん
まさか、八人しか住んでないこの小さな村に、こんなに立派な麦畑があるとは思わなかった。
清々しい風に吹かれ、穂が波のような模様を描く。まるで絵画のような美しい光景だ。
「ヘヴンも手伝ってくれるの?」
横から声を掛けてきたのはファイだった……牛と山羊の中間みたいな、見慣れない動物を連れている。
ファイは、頭の横に伸びる、大きく湾曲した角を撫でた。
「この子はヤク。畑の手伝いをしてくれるよ。お乳が出るし、毛も利用できるし、すごく助けてくれる大切な仲間なんだ。大人しいから、仲良くしてね」
この世界には、決まった文明がない。
それぞれの村が、地域ごとに見合ったやり方で生活をしている。
電気も機械もない。この世界の住人には、それだけの大きなシステムを作り上げるだけの時間がないし、作ったところで、後々まで引き継げるだけの人がいないからだ。
だから、自然の力を借りて細々と農業をやっている。
領主もいないし、政治もない。これといった文化もない。
中世どころか、かなり原始的な暮らしだ。
「ここの村はね、僕と一緒にこの世界を旅していた、ストランドおじさんって人が造ったんだ。大工さんでね、その辺の森から木を伐って、それを器用に組み立ててね」
ファイは、畑の奥にある小川の畔の水車小屋に、脱穀した麦を、ヤクに背負わせて運んでいるようだ。
俺も彼と並んで、畦道を一緒に歩く。
「一人で村を造ったの?」
「僕も少しは手伝ったよ。大変な作業は超能力を使ってね……でも、そうしない方が良かったのかなと、今は思ってる」
「なんで?」
すると、ファイは悲しい目をした。
「早く村ができたから、満足しちゃったんだ、ストランドおじさん」
「それは、つまり……」
「死んじゃった」
ファイはうつむく。
「もっと時間をかけて村を造っていれば、もっと長生きできだだろうに。もしかしたら、女神の神殿に行けたかもしれないのに」
俺は動揺しつつも、慰める言葉を考えた。
「あー、そこはあんま深く考えない方がいいんじゃね? 別に、長生きしたから女神に会えたとは限らないし、他の何かで死んでたかもしれないし。例えば、丸太が頭の上に落ちてくるとか。少なくとも、ファイには関係ないと思う、うん」
ファイは笑った。
「優しいのか酷いのかよく分からないけど、僕を慰めてくれたのは分かったよ。ありがとう」
ファイの大人な反応に自分が恥ずかしくなり、俺は麦畑に視線を逃した。すると、不思議な事に気が付いた。
金色の穂が重く垂れているところもあれば、まだ穂が小さいところや、青々と葉を伸ばしているところもある。成長段階がバラバラなのだ。
「この世界には、季節がないんだ。だから、種を植えればそれなりに成長して、それなりに実る。全部いっぺんに実ると大変だから、少しずつずらして種撒きをしてるんだ」
「なるほど」
よく見れば、麦畑の向こうには、青々とした野菜が育つ畑もあった。豆やら芋の畑もある。
季節問わず食材が手に入るから、自給自足が十分にできているみたいだ。
「だけど、米は作れない。土地の水はけが良くて、田んぼには向かないんだ」
畑と裏山の間には小川が流れている。澄んだ水の中で、メダカみたいな小さな魚が泳いでいた。
その流れで水車を動かし、麦を石臼で挽いて粉にする。
水車小屋で回る石臼からこぼれた麦を、ニワトリみたいな鳥がつつく。ここは鳥小屋も兼ねていて、小屋の隅に卵が幾つか転がっていた。
麦が入った袋をヤクの背中から下ろすのを手伝い、俺は野菜畑に向かった。
そこでは、バルサが鍬で畑を耕していた。
ニーナは、ご機嫌を直した様子の星野コスモと一緒に、キュウリのような野菜を収穫している。
……そう。
先程から見る動物や作物は、現世にいた頃に知っていたものとよく似ている。
けれど、スーパーとかで見るものとは少し違っていて、もしかしたら、交配される前の原種かもしれないと、俺は思った。
ニーナの手にあるカゴいっぱいにキュウリを採って、ニコニコとしていたコスモは、俺を見ると固まった。
「あ……」
俺も何となく気まずくて足を止める。
するとコスモは、カゴからキュウリを一本取ると、俺の方にスタスタとやってきて、
「ん」
と差し出した。
「……くれるの?」
「おまえは嫌いだけど、キュウリは好き」
ちょっと意味が分からない。
キュウリを受け取りパリッとかじる。苦味が強いけど、新鮮で瑞々しい味わいは、これまで感じた事がない美味さだった。
「これで仲直りしてあげる。おまえは嫌いだけど」
と言いながら、コスモはモジモジと俺を見上げた。
「――仲直りしたって事は、友達に、なってやってもいいんだからね」
「…………」
「別に、ならなくてもいいけど」
コスモはそう言うと、小走りにニーナのところへ戻って行った。
……収穫の後は水撒きらしい。
小川から水路で畑に水を引いてはいるが、届かない部分は、桶に水を汲んで、台車で運びつつ撒いていく。
これが、なかなかの重労働なのだ。
バルサがもっと重労働をしてるから、ここは俺がいいところを見せなければと張り切って水汲みを買って出たが、すぐに腰が悲鳴を上げた。
そして思った。
「ファイの能力で川の水を持ち上げて、ブワーッと撒けば、一瞬で終わるんじゃね?」
すると途端に尻キック。
「痛ッ!」
振り返ると、水撒きの手伝いをしに来たアニが、蔑んだ目を俺に向けていた。
「てめえ、全然分かってねえな」
「何が?」
いい案だと思うけど……と言いかけるが、アニが睨んできたからやめた。
アニは腰に手を当てこう言った。
「武器は、使えば使うほど消耗するんだよ」
……確かに。消耗して壊れてしまえば、この世界では「死」を意味する。
ファイの武器は、彼自身。
無駄に能力を使えば、死を早める事になる。
ベッドのコピーなんかで能力を使わせてしまった事を、俺は後悔した。
ならば……と俺は考えた。
俺のボールペンはまだほとんど使っていない。原稿用紙は使えば文字が消えるから、消耗はないと思っていい。
俺の能力の範囲を確認する意味でも、試すくらいはいいだろう。
俺は畑の脇に座り、膝に原稿用紙を広げ、ボールペンを持った。
……とはいえ、インクの消費は抑えたい。文字数を少なく、シンプルに……。
そう考えながら、紙面に文字を書く。
〖裏山に雨雲が沸き上がり、村の畑を潤す雨を降らせた。〗
……ドキドキしながら待つ。
すると数瞬後。文字が光り、光の粒子が山に向かって飛んでいった。
――それから間もなく、ゴロゴロと雷が聞こえた。
灰色の雲が山の上に現れ、こちらに向かって広がってくる。
「雨だ!」
俺が叫ぶと同時に、激しい雨粒が落ちだす。
畑にいたみんなが慌てて建物に走る。
そんな彼らに、俺は叫んだ。
「ハハハ! 俺が降らせたんだ! 水撒きが楽なように……」
それを聞いたアニが、俺に向かって全力で駆けてきた。そして、全力の飛び蹴りが飛ぶ。
「バカ野郎! 干してた羽毛が台無しじゃねえか!」