『鬼』たちの「桃太郎」
私はヒトに『鬼』と呼ばれる存在です。
ヒトが私たちを『鬼』と呼ぶのは、私たちが食べるために動物を飼っているのが野蛮に見えるからだと祖父から聞きました。
祖父はヒトと『鬼』とは昔はとても仲が良く、それどころか共に暮らす同じ種族だったと言っていました。
ヒトはいつしか動物を殺すことを『穢れ』とし、『鬼』とは距離を置くようになったそうです。
ヒトも『鬼』から食肉を買い、食べるのにおかしな話だねと祖父はよく言っていました。
『鬼』はヒトより数が少なく、ある島に集まって暮らしています。ヒトはこの島を『鬼ケ島』と呼んでいます。
この『鬼ケ島』に祖父が青年だった頃、ヒトに英雄ともてはやされることになった、ある少年がやってきたのです。
少年は名を桃太郎といいました。
桃太郎は『鬼』を悪者だと信じきっていました。
その当時、ヒトの間では『鬼』はヒトを襲い、宝を奪い溜め込んでいると言う噂が流れていたそうです。
確かに『鬼』は宝を持っていました。
でも、それは『鬼ケ島』で採れた金を細工したものや、ヒトとの交易で手に入れた生糸から作った絹など、正当な方法で手に入れたものでした。
その宝は冬の間の食糧や病気の子供の薬を買うために、『鬼』たちがためていたものだったのです。
でも、ヒトはその宝は自分たちから奪っていったものだと言い張ったのです。
桃太郎はそういったヒトの話を信じたのでしょう。
桃太郎はその宝を『取り返し』に来たのです。
悪行三昧の『鬼』どもよ覚悟、少年特有の甲高い声で桃太郎は告げました。
桃太郎の言うことは冗談にしか聞こえませんでした。
いくらヒトと『鬼』とが仲が悪くなっていたとしても、物の売り買いという交流はあり、その時には笑い合ったりすらしていたのですから。
桃太郎が刀をかまえ、お供としてつれて来ていた、犬、猿、雉に臨戦体勢をとらせた時でも、祖父たちは笑って見ていたそうです。
少年と動物たちだけで何ができるものかという思いもありました。
本当に暴れだしたら、すぐに取り押さえて、親のところに帰してやろう、などと桃太郎のすがたをほほえましくすら思っていたのです。
しかし、桃太郎は笑っている『鬼』たちの姿を見て、自分にどのようなむごい仕打ちをしようかと、考えているように見えたようなのです。
桃太郎たちは問答無用で襲いかかってきました。
そして、地獄絵図が繰り広げられたのです。
『鬼』たちは武器なんて用意もしていませんでした。
それに桃太郎は少年とは思えない、太刀捌きと力の強さで、大人たちが数人がかりでも、取り押さえることさえままなりません。
動物たちも噛み付いたり、引っかいたり、眼をくりぬいたり、容赦はありませんでした。
『鬼』たちは恐怖におののきました。
仲間たちが血の海に沈んでいっていることに。
そして、何より桃太郎の表情に背筋が凍る思いをしたと祖父は言っていました。
桃太郎は笑っていたのです。
さも、愉快そうに。
血に酔いしれた桃太郎のすがたは、それこそ『鬼』のようだったそうです。
私の記憶にある祖父の姿には左腕がありません。
桃太郎に切り落とされたのだと話していました。
私の周りの老人たちの多くは、片目がなかったり、頬に食いちぎられた跡があったりと、桃太郎たちにやられた傷を持っています。
腕を切り落とされた時、祖父は叫んだのです。
もうやめてくれ、と。
宝などすべてくれてやるから、もうこれ以上、仲間を傷つけないでくれ、と。
その叫びは桃太郎の手を止めました。
桃太郎は何を言われたのかわからないという顔で祖父を見ました。
その目は自分の力に酔いしれていたのかとろんとしていました。
辺りを見回すと少しずつ顔がひきつり、そして吐いたのでした。
無惨な様子に、口に入った血の味に、そして辺りに漂う生臭いにおいに、今気づいたかのような様子でした。
辺りは一面、血の海でした。
肉塊と化した『鬼』、断末魔の叫びをあげている『鬼』、夫や兄弟の骸を抱いて哭いている『鬼』。
『鬼』たちの怒りや悲しみ、すべての怨念は桃太郎へ向けられていました。
しかし、これだけのことをした桃太郎を恐れてもいました。
だから、ただ怯える無力な少年と化した桃太郎になんの仕返しをすることもなく、宝を持たせて帰したのでした。
もう二度と来ないでくれ、と。
その年の冬は厳しいものでした。
とても寒い冬でした。
宝を桃太郎にやってしまったので、食糧や暖房用の薪を皆に行き渡るほどは買えませんでした。
出稼ぎに行こうにも桃太郎との戦いで、多くの若者が亡くなり、生き残ったものたちもほとんどが酷い傷を負っていました。
たくさんの『鬼』が亡くなりました。
重傷を負った若者、病を患った老人、生まれたばかりの赤ん坊、みんな命を落としていきました。
さらに、大切な者を亡くして悲しみにくれるものや生きていても仕方ないと自暴自棄になった者のなかには、自ら命を絶つ者さえあったそうです。
この酷い冬に育まれたのは桃太郎への、そしてヒトへの怨念だけでした。
これらの話は語り継がれ、今でもその怨念は『鬼』たちの心に深く根付いています。
私は『鬼』の伝承の語り手です。
酷い出来事を忘れてはいけません。
でも、私はこの怨念を後世に伝えたいとは思いません。
怨念を持ち続ければ、いつかきっと私たちのなかから第二の桃太郎が生まれることでしょう。
そうなったら、また怨念を産むだけです。
怨念が怨念を呼び、がんじがらめにならないうちに『鬼』とヒトとが和解しあえるように、私はヒトの語り手と、『鬼』の子とヒトの子を集めて伝承を語るつもりです。
これによって、少しずつでも『鬼』とヒトの垣根が無くなっていけばいいなと思っています。