無能なレプリカモンスター
「フルス、悪いが今日限りで俺たちの部隊を辞めてもらう。お前はクビだ」
突然の宣告が僕に言い放たれる。
僕はそれを聞いて動揺しているかのように身を乗り出し、大声を上げた。
「なっ!急に何言ってんだよ、レイン。冗談だろ?」
「俺は本気だぞ。これ以上お前をこの部隊に置いておくつもりはない」
僕の前にいる長身の男、レイン・エスクードの瞳が鋭く僕を射抜く。その目は冗談を言っているようには到底見えない。
僕はそんなレインの雰囲気に怯んだかの様に、言葉を詰まらせる。
「...っ!...りっ...理由を教えてくれよ!突然クビだなんて言われて納得なんてできない!」
「理由だって?そんなの、お前がずっと俺たちの足を引っ張っているからに決まっているだろ。もうお前の無能さには付き合いきれないんだよ」
「は...?」
「まさか、足を引っ張っている自覚すらなかったのか?」
僕の反応にレインは呆れてため息をつく。
「わかってないなら、お前のせいでどれだけ俺たちが被害を被ってきたのかを教えてやるよ」
そしてレインはこれまで僕に対して溜めてきた不満を思いっきり吐き出すように話し始めた。
「まず、この前はお前が不注意で音を立てたせいで狙っていた獲物に気づかれて先制攻撃をされたよな。それから、前衛のお前が敵前逃亡したせいで陣形が崩壊して窮地に立たされたこともあった。あと...」
レインは僕の無能なエピソードの数々を苛立ちながら話し続ける。
「俺たちの仕事は命がけなんだ。安心して背中を任せられない奴をこれ以上俺の部隊に入れておくことはできない」
多少の誇張が入っているが、レインが今並べ立てたことは紛れもない事実だ。この点について僕が弁解する余地はほとんどない。
「た、確かにレインの言う通り、僕はみんなに迷惑をかけていたのかもしれない...。だけど、僕だって自分なりに精一杯頑張ってきたつもりなんだ。それがいきなりクビだなんて...あんまりじゃないか...」
何も反論できない僕は、せめてもの抵抗を見せるように、できるだけ弱々しくそう発言した。
そんな情けない僕を、レインを含めた仲間達が冷たく見下ろす。
「そ...そうだ...レイン以外の皆はどう思ってるんだ!?他の皆も僕をクビにすることに賛成なのか!?」
僕は一縷の望みに賭けるように、レイン以外の仲間達にそう問いかけた。部隊のメンバーは僕とレイン以外に3人いる。もしかしたら1人くらいは僕をクビにすることに反対してくれるかもしれない。
「当然でしょ?あんたが何かやらかす度に、こっちはずっと我慢してたんだから」
僕の縋るような言葉を一刀両断にしたのは、チームメイトの一人であるアイリス・ベイルハート。普段からきつい言い方をするタイプだが、今回はいつにも増して鋭利な言葉を放ってきた。
「ていうか、フルス程度の実力で今までこの部隊にいられたことを感謝してほしいくらいだよね」
「まぁじそれなー」
アイリスの一言を皮切りに、他の2人のメンバー、フェイ・ナーシュンとジェシー・ロージアも口を開く。
「...アイリス...フェイ...ジェシー...」
僕は項垂れ、3人の名前を小さく呟く。
「聞いての通り、ここにはお前を残そうって奴は一人もいない。そもそも、お前のクビは俺たち全員で相談して決めたことだ」
「そんな...」
僕の一縷の望みは粉々に打ち砕かれ、残酷な現実を突きつけられてしまった。
だが、このまま黙っていても何かが変わることは無いため、僕は諦めずに必死の抵抗をする。
「頼む皆!もう一度チャンスをくれ!これからはもっと努力して皆の足手まといにはならないようにする!だから考え直してくれ!」
僕はその場に土下座をして、考え直してくれるように乞い願う。
その姿はこの場にいる全員から醜く滑稽に映っているに違いない。
「うわっ...」
仲間の1人、フェイが僕を見てそんな声を上げた。顔は見えないが、たぶん心底軽蔑した視線で僕を見ていることだろう。
「チャンスならこれまでに十分やっただろ。お前はそのチャンスを活かせなかったんだ。諦めてくれ」
「そんなこと言わずに頼む!お前たちに見捨てられたら、僕は生きていけないんだ!」
僕は地面に頭を擦り付け、恥も外聞もかなぐり捨ててそう叫ぶ。
「はぁ...いい加減イライラしてきたわ。こんな奴放っておいてもう行きましょうよ、レイン」
「そうだな。...フルス、本部への脱退申請はこっちでやっておくが、貸与品の返却には早めに行けよ。遅れたら俺たちが責められるからな」
レインがそう言い残し、4人が僕から離れていく。僕の必死の懇願は聞き届けられなかった。
「はーっ、やっとあのグズから解放されたわ。せいせいするわね」
「アイリスってば、フルスのことそーとー嫌ってるよねー」
「そりゃそうでしょ、今まで散々足を引っ張られたんだから。それにあたし、あいつみたいななよなよしたやつ嫌いなのよね」
「アイリス、気持ちは分かるけどもう少し声のボリューム下げたら?そんな大声だと本人に聞こえるよ」
「別にいいじゃない。もう他人なんだから」
離れていく元仲間達のそんな話し声が聞こえてくる中、僕はしばらくそのままの態勢から動かなかった。
今周囲に人影はないが、もしこの光景を誰かが見れば、僕はクビになったことに絶望しているようにでも見えていることだろう。
*
部隊をクビになった僕は、レイン達が見えなくなってから立ち上がり、そのまま街のはずれにある自宅へと帰った。
自室に戻った僕はまず鏡の前に立ち、自分の姿を見つめる。そこにいるのは僕、いや、『フルス』のくたびれた姿。ついさっき仲間達に無能だと罵られ不必要だと切り捨てられた、哀れで惨めな存在が映っている。
そしてそんな自分の姿を見て、僕はさっきまでのレイン達とのやり取りを思い返す。
もし見ず知らずの誰かにさっきの一件を話して意見を求めれば、どんな答えが返ってくるだろう。
いくら役立たずとは言え、仲間達から心無い言葉を投げられたフルスのことを可哀そうだと思い、同情するだろうか。
あるいは、能力不足によってレイン達に迷惑をかけているのだから、切り捨てられるのは当然だとフルスのことをなじるだろうか。
人によって色々な意見があるだろうが、大体はこの2つの意見に近いものが返ってくる気がする。
ちなみに僕の意見は後者寄りだ。
レイン達、特にアイリスの態度には少し行き過ぎたところもあったとは思うが、レイン達が僕を切り捨てたのは人として割と当たり前の行動だと思っている。
人は生きていくうえで、自分に必要なモノと不要なモノを判断し、不要なモノは切り捨てていく生き物だ。
例えば、同じモノを売っている店が近い距離に2つあったとしよう。この時、店のサービスの質に差があれば、劣っている方の店は客から不要と判断されて切り捨てられ、いずれは潰れてしまう。
たぶん、この話を聞いて劣っている方の店に対して同情して手を差し伸べるような人はほとんどいないはずだ。いたとしたもそれは事情のある人か、あるいは単純に人助けが趣味の心優しい物好きだけだろう。
劣っている側の店は、自分の価値を示せなかったから淘汰されただけ。価値の無いものは関係のない他人から見ればゴミも同然なわけで、それが切り捨てられるのは必然だと言える。
価値のないモノが無くなっても誰も悲しまないし、無くなったことすらもすぐに忘れられてしまう。無慈悲だけどそれは仕方のないことだ。
そしてこれをさっきの件に当てはめると、今回はその『モノ』が人だったというだけ。今回の件はフルスという『モノ』が仲間に自分の価値を示すことができなかったという、本当にただそれだけの話。
自分にとって価値のないゴミ同然の『モノ』によって自分に不利益が生じたのであれば、それに対して不満を吐き出すのは当然だ。
だから、僕は今回の件の客観的に評価するならば、レイン達のほうに正当性があると考えている。
というかそもそも、今回の場合はどちらが悪いという話をするのなら完全に僕の方が悪い。
実を言うと、フルスがレイン達の足を引っ張って迷惑をかけたのも、それによってレイン達から切り捨てられたのも、全ては僕が望んだことなのだ。言うなれば、レイン達は僕の愚かな戯れに巻き込まれた被害者と言っても過言ではない。
僕は、僕の『エゴ』を満たすためだけに馬鹿みたいなシナリオを描き、それを今実行している。
そして、僕の描いたシナリオはまだ途中。ここまでの事はその瞬間のための前座に過ぎない。
僕はもう一度鏡に映る自分の姿を確認し、その左頬をそっと撫でる。
そしてフルスの姿に別れを告げてとある『力』を発動すると、その直後僕の右手の甲が光り出して体が漆黒の靄に包まれた。
*
数日後、僕はとある食事処に来ていた。
今はカウンター席に座って注文した料理を待っているところだ。
「お待たせしましたー。野菜たっぷりシチューと果実のジュースです!」
「どうもありがとうございます」
数分して元気な店員が料理を運んできてくれたので、僕はできるだけ爽やかな笑顔を意識してお礼を返す。
「お客さん、最近よくいらっしゃいますよね」
レイン達の部隊をクビになってから、僕は毎日ここに通っている。そのせいで顔を覚えられたのか、いつもはそのまま去っていく店員が急に声をかけてきた。
「ええ、実は最近近くに越してきたんですが、こっちにいる知人にオススメされて来てみたら思いのほか美味しくて気に入ってしまいました。店員さんも元気があって感じがいいですし、とても良い店ですね」
「えへぇ、ありがとうございます!嬉しいこと言ってくれますねー」
店員は人差し指で頬をかきながら照れくさそうにしている。
「ちなみに、今引っ越してきたって言ってましたけど、以前はどちらにいらしたんですか?」
「サリアル区という場所です」
「へぇー。サリアル区って、確か南の『結界地区』でしたよね?結構遠くから来たんですねー。どうしてこっちにきたんですか?」
「色々と事情はあるんですが、一言で言えば仕事の関係ですね」
「お仕事ですかー。...あっ!もしかしてお客さん、『結界維持機関』の人ですか?」
結界維持機関。
それは、国をとある外敵から守るために活動する組織の名称だ。
ずっと昔、この世界を管理している気神と魔神という2人の神の間で、大きな戦争があった。気神と魔神は自らの眷属を大地に生み出し、戦わせたらしい。
そして長い争いの結果、気神は惜しくも魔神に敗れ、管理していた大地のほとんどを奪われてしまったそうだ。
敗れてしまった気神はせめてもの抵抗として、自らの管理する大地のいくつかの重要拠点に防御結界を張り、魔神が干渉できないようにした。
その重要拠点の1つが、僕がいるこの国、『フェリシア王国』。
結界維持機関とは、このフェリシア王国に張られている結界を維持するために活動している組織というわけだ。
ちなみに、店員の言っていた『結界地区』というのは国の外側に位置する地区のことであり、結界維持機関は東西南北4ヵ所に拠点を置き、その場所で結界の制御を行っている。
「そうですよ。良く分かりましたね」
「まあ、このエリアル区って東の『結界地区』ですし。サリアル区からエリアル区に来るってことは結界関係のお仕事なのかなって」
「ああ、なるほどそういうことですか」
「そう言えば、うちの常連にも結界維持機関の人達がいるんですけど、もしかしてお客さんのお知り合いってその人たちだったりしますかね?」
「いえ、僕の言った知人は結界維持機関の人間ではないので、別人ですね」
「あーそうですかー」
「その結界維持機関の常連の方はどんな方なんですか?」
カランカラーン。
その時、まるでタイミングを計ったかのように店の出入り口の扉から鈴の音が鳴り響いた。
開かれた扉から入ってきたのは、男性2人、女性2人の4人組だ。
「いらっしゃいませー」
僕と話をしていた店員が、店に入ってきた4人組の方に小走りで向かう。
「とりあえずいつもの物を頼む」
「はい、かしこましましたー!こちらの席でお待ちくださーい!」
店員は注文を受けると店の奥の方に消えていった。
それから少しして奥から帰ってくると、また僕の近くへとやってくる。
「お客さんすみません、お話の途中でバタバタして」
「いえ」
「あの人達ですよ。さっき言ってた結界維持機関の常連の人達」
そう言って店員が視線で指した先には、僕の元仲間達であるレイン、アイリス、フェイ、ジェシーの4人が座っている。
当然、元仲間である僕は4人がこの店の常連であることは元々知っていた。この数日間この店に通い詰めていたのは4人に会うためだ。
「ちょっと声をかけてきてもいいですかね?」
「え?まあいいと思いますけど。やっぱり同業者同士、気になるんですか?」
「まあそんなところです。では、ちょっと失礼します」
僕は席を立ち、意気揚々と4人の下へと向かう。
「すみません、ちょっといいですか?」
「何だ?」
僕に返事をしたのはリーダーのレイン。他のメンバーもこちらを振り返って僕の方を見ている。
けど、4人とも僕のことを先日クビにしたフルスだとは認識できていない。
それもそのはず、今の僕の姿はフルスとはまるっきり違うのだから。とある『力』によって僕の姿は全くの別人になっている。
「僕はサリアル区の結界維持機関所属の『ラプラ』と言います。先日サリアル区からこっちに越してきたのですが、皆さんがエリアル区の結界維持機関の方々だと聞いて少し話をしたいと思いまして」
僕は初対面を装ってそのまま話を続ける。
「え!?サリアル区のラプラって、あの『ラプラ・アクトクレイ』!?」
アイリスが僕の自己紹介に大きな反応を示し、驚いている。どうやらラプラとしての僕を知っているらしい。
ただ、他の3人はあまり反応を示していないため、知っているのはアイリスだけみたいだ。
「アイリス、こいつを知ってるのか?」
「ええ。ここ3ヵ月くらいはあまり噂を聞かなくなったけど、サリアル区のラプラ・アクトクレイと言えば、半年前くらいに入隊して3ヵ月も経たない間にほとんど単独でB級に上った超絶エリートって聞いたことあるわ。なんでも、相当優秀な『刻印持ち』って話よ」
「そうなのか」
「へぇ、この人そんな凄いんだ。人は見かけによらないね」
「それまぁじで?ほんとーならそーとーなやり手じゃん」
アイリスの説明を聞いて、レイン、フェイ、ジェシーの3人は感心した目で僕を見ている。
そんな3人の視線を受け、僕は自分の心が高まっていくのを感じた。
「それで?そんな奴が俺たちに何の用なんだ?」
「僕はまだこっちに来たばかりでこの辺りの勝手が分からないんです。なので、できれば皆さんに色々教えていただけないかと思いまして」
「ああ、そういう事か。そのくらいなら構わないぞ。何を知りたいんだ?」
レインは僕の相談に快く乗ってくれるようだ。
「こっちの本部の方や、この辺りの魔神兵の特徴を教えていただけると助かります」
「なるほど...そうだな...」
僕の質問に対し、レインは少し考える素振りを見せる。たぶん何から答えようか悩んでいるのだろう。
「ねぇラプラ、あなたって今どこかの部隊に所属してるの?」
レインが話し始める前に、アイリスからこちらに質問が投げられる。
「いえ、向こうでは何度か部隊を組ませてもらったこともありますが、今はフリーです」
「なら、しばらくあたし達の部隊に入らない?そうすれば、こっちの事も色々教えてあげられるだろうし」
「あ、いーじゃんそれー。3ヵ月でB級になる実力、間近で見てみたいしー」
「確かに、興味あるかも...」
「僕としては助かるのでもちろん構いませんが、いいんですか?今会ったばかりなのに」
レイン達に会うためにここに通っていたのは、フルスの抜けた枠にラプラとして部隊に入れてもらうためだ。
向こうから誘ってくれるならこれほど都合のいい話もないため、僕は誘いを受ける姿勢を見せる。
「ええ。あたし達の部隊、この前1人抜けたから新しい隊員を募集しようと思ってたところだし。レインもいいわよね?」
アイリスは部隊のリーダーとして決定権を持つレインに確認を取る。
「ああ、優秀な人間なら大歓迎だ」
「ありがとうございます。では、よろしくお願いします」
こうして僕はレイン達の部隊に再び加入することになった。
とは言え、今度は無能なフルスとしてではなく、優秀なラプラ・アクトクレイとして加入したため、まるっきり立場は違う。当然、レイン達の僕に対する態度も変わってくるだろう。
僕はそれを想像すると、これからが楽しみで仕方がなかった。
*
翌日、僕は結界維持機関の仕事でレイン達と一緒に結界の外に来ていた。
「今日の獲物は何ですか?」
「今日はタイプAとタイプDの魔神兵を狩る予定だ。反応はエリア5、ここから南の方向にある」
魔神兵というのは魔神の眷属の事で、魔神兵は気神の眷属である僕たちとは違い意思を持っておらず、ただただ魔神の言う通りに動く人形だ。
タイプAやタイプDというのは魔神の種類の事。タイプAは人型で陸を走るだけの一番シンプルなタイプで、タイプDは空中を飛んでいる少々手ごわいタイプだ。
僕たち結界維持機関の仕事はこの魔神兵の心臓部である『コア』を回収すること。詳しくは知らないけど、この『コア』は膨大なエネルギーを持っているらしく、それを結界維持機関独自の技術で抽出し、結界を維持するために使っているそうだ。
「なるほど、作戦は決まっているんですか?」
「俺とフェイが前に出て敵を引き付けつつ攻撃、アイリスとジェシーがそれを後衛から援護ってのが俺たちの基本的なフォーメーションだ。現状でバランスは取れているから、ラプラはとりあえず、俺たちの連携の邪魔にならない範囲である程度自由に動いてもらって構わない」
「分かりました」
「そーいえば、ラプラの戦い方ってどんな感じなん?」
「相手によって戦い方は色々変えますが、得意なのは遠距離からの持久戦ですね。僕の『刻印』は単純な攻撃よりも相手の足止めなんかの搦め手のほうが向いているので」
「ラプラの『刻印』って氷を生み出して操るとかそんな感じだっけ?」
「ええ、そうですよ。よく知ってますね」
「まあ、こっちでも一部で結構噂になってたからね」
「『刻印持ち』って憧れるよねー。あー、あーしも『刻印』欲しかったなー」
「欲しかったなって、まだ一応『黒の刻印』なら発現するかもしれないでしょ。まあ、可能性は相当低いだろうけど」
「『黒』はなんか可愛くないから嫌ー。あーしは『白』のほうが欲しかったのー」
「なんだそれ。『刻印』なんて発現するなら『白』でも『黒』でも対して変わんないでしょ」
フェイとジェシーが『刻印』についての話で持ち上がっている。
さっきから話に出ている『刻印』というのは、一部の人間に極稀に発現する特殊な能力の事だ。『刻印持ち』は手の甲にその印が刻まれる。
『刻印』は大体10万人から20万人に1人の割合で発現すると言われていて、人口約5000万人のこの国では250人から500人くらいの『刻印持ち』がいるらしい。
フェイとジェシーが話している『白』とか『黒』というのは刻印の種類の事で、生まれた時から発現している先天的な刻印の事を『白の刻印』、ある日突然発現する後天的な刻印のことを『黒の刻印』と呼んでいる。『白』や『黒』と呼ばれているのは、ただ単に刻印の色がそうなっているからだ。
理由はまだ解明されていないらしいが、先天的な刻印は必ず白色で刻まれ、後天的な刻印は必ず黒色で刻まれる。白と黒で刻まれる場所も決まっており、白は左手、黒は右手だ。実際にラプラの左手には白の刻印が刻まれている。
ちなみに実際に見たことはないけど、刻印が刻まれている手を損傷してしまった場合は刻印と一緒に手が再生するらしい。
「お前ら、話をするのは構わないが、既に警戒区域だってことは忘れるなよ」
「大丈夫だって。ちゃんと周りは警戒してるよ」
レインからの注意によって刻印についての話は終わり、一気に雰囲気が引き締まる。
それからしばらくして目標地点のエリア9にたどり着き、今日の獲物であるタイプAの魔神兵を発見した。タイプAは人型とはいえ全長は4mほどあるので遠くからでも結構威圧感がある。
僕たちは物陰に身を潜めているため、向こうはまだこちらに気付いていない。
「いたな。いつも通りまずは俺が前に出る。それからフェイが続け。アイリスは俺の援護、ジェシーはフェイの援護だ。ラプラは初めてだし、まずは俺たちの連携を見ていてくれ」
「「「了解」」」
「じゃあ行くぞ」
レインが端的に指示を出し、作戦を開始しようとする。
「ちょっと待ってください」
「何か問題があったか?」
「いえ、問題というほどではないんですけど、ちょっと提案があるんです。レインが行く前に、僕の刻印の力で魔神兵の動きを止めるのはどうでしょうか?その後でレインの作戦を実行すれば、かなり安全に殲滅できると思いますよ」
「...動きを止めるというのは、どのくらい相手の動きを鈍らせられる?」
「流石にあのサイズを全身止めるのは無理ですけど、どこかの部位を凍らせて完全に機能停止にするくらいならできますよ。例えば、足を地面にはりつけにして全く動かなくさせるとか」
「そんなことができるのか...!」
「ええ、まあそれほど長くは持ちませんけどね」
「いや、本当にできるならそれでも十分すぎる。とりあえず、奴の足を止めてくれるか?」
「分かりました」
僕はレインの指示通りに刻印の力を発動した。
僕の左手の甲にある白の刻印が光り出し、その直後、魔神兵の足元から巨大な氷の塊が生えてきてその足を覆う。
魔神兵は突然の事態に抵抗して必死に暴れているが、動くのは上半身だけで、その足は全く動く気配はない。
「凄いな...」
レインが思わずといったように感嘆の声を上げる。他の3人もレインと同様に驚いている様子だ。
そんな様子を見て、僕の心はまたしても高まっていく。
「それほど長くは持ちません。今のうちに殲滅してしまってください」
「ああ、そうだな。では行くぞ」
レインが掛け声と共に前に出て、アイリス、フェイ、ジェシーもそれに続いて動き出す。
それから魔神兵を殲滅するのに、そう時間はかからなかった。
*
「かんぱーいっ!」
ご機嫌なアイリスの掛け声と共に、グラスのぶつかり合う音が鳴り響く。
「今日は大収穫だったわねー。毎回この調子で行ければ、あたし達も近いうちにB級、いやなんならA級に上がれちゃうんじゃない?」
「アイリス、調子に乗りすぎ。今日上手くいったのって、ほとんどラプラのおかげじゃん」
「今くらいはしゃいだっていいじゃない。そんな真面目なこと言ってんじゃないわよ、フェイ」
そう言いながら、アイリスはフェイの背中を軽く叩く。
「アイリス。はしゃぐのはいいが、自分の実力はしっかりと認識しておけよ。俺たちはまだC級、ラプラが入ったからってB級やA級の実力があると勘違いしたら後で痛い目を見る」
レインはフェイ寄りの意見だったようで、そう言ってアイリスを窘める。
レインやアイリスが言っているC級だとかB級だとかは、結界維持機関における階級を表している。
階級はE、D、C、B、A、Sの6段階あるが、S級は一部の特殊な隊員しかなれないため、実質的にA級が最高の階級だ。
ちなみに、E級は訓練生、D級は準隊員、C級以上が正隊員と呼ばれており、実際に結界の外に部隊として出られるのはC級からとなっている。
つまり、C級であるレイン達は最近結界の外に出られるようになったばかりのルーキーというわけだ。
「てか、ラプラの力めちゃすごだったよねー。いつもよりちょーらくしょーだったし」
「確かにな。ラプラ、お前さえ良ければ、正式に俺たちの部隊に入ってくれないか?」
「そうね、そうしなさいよラプラ。絶対それがいいわ」
レインが僕を部隊に誘い、アイリスが身を乗り出してそれに賛成している。フェイやジェシーも今は口に出してはいないが、概ね同じような意見を持っているだろう。
ああ、なんて気持ちが悪く、そしてなんと気持ちのいい光景なんだろうか。
この光景があの時の自分を思い出させてくれる。
フルスの姿の時とは言え僕の事を無能で不要だと切り捨てた彼らが、姿が変わった今の僕の力を褒めたたえて必要だと言っているこの光景こそが、僕がずっと望んでいた瞬間だ。
僕はこの瞬間のためにこの数ヵ月間を過ごしてきたと言っても過言ではない。
数ヵ月前フルスとしてこのエリアル区にやってきた僕は結界維持機関の訓練生となり、いつかフルスの事をこっぴどく捨ててくれそうなレイン達に声をかけ、先日レイン達は僕の想定通りフルスの事を不要だと切り捨ててくれた。
そして今、ラプラとしてレイン達の前に現れ、僕は彼らにとって必要な存在となった。
「何をニヤニヤしてるの?ラプラ」
「え、ああ、すみません。皆さんが僕を必要としてくれるのが嬉しくてつい」
あまりに最高の光景に、僕は思わず気が緩んでしまう。
「てことは、正式に私たちの部隊に入ってくれるってことよね?」
「ええ、改めてよろしくお願いします」
レイン達にはまだまだ僕にこの光景を見せてもらわなければ、この数ヵ月の意味がなくなってしまう。
今なんてまだまだ序の口なんだ。
レイン達がもっとラプラを頼るようになり、完全に心酔しきった時こそ本当に面白くなるのだから。
*
ピンポーン。
僕がラプラ・アクトクレイとしてレイン達の部隊に再加入してから数日が経ったある日の夜。唐突に僕の家の呼び鈴が鳴った。
僕は呼ばれるがままに玄関の方へと向かう。そして扉の覗き穴から相手の姿を確認すると、見たことのない女性が立っていた。僕は少し警戒しながら玄関の扉を開ける。
「どもです。こんばんは、アクトクレイさん」
訪問者の女性は軽く頭を下げてこちらに挨拶してきた。僕の事をアクトクレイと呼んだことから、相手のほうはこちらを知っているらしい。
「こんばんは。僕に何か御用ですか?」
そんな相手に対し、僕は警戒心を表に出さないようにして丁寧に対応する。
「いやー突然押しかけてすみませんねー。あなたに折り入ってお話がありまして。少しお時間を頂いてもいいですか?」
「構いませんよ。...ただ、一応確認したいんですけど僕たち初対面ですよね?話を聞く前に名前を伺っても?」
「あーこれは失礼しました。私はエンジェ・アポストルです。あなたと同じく、結界維持機関に所属している者ですよ」
「あ、そうなんですね。僕はラプラ・アクトクレイです。よろしくお願いします、エンジェさん」
「はい、よろしくお願いします」
「それで、話とは何でしょう?」
「その前に、良ければ上がってもいいですか?少し長いお話になると思いますので」
普通は初対面の相手を家に上がらせたくはない。けど今は心優しいラプラ・アクトクレイとして振る舞っている以上、僕はこれを拒否できない。
「そうですね、気が利かずにすみません。どうぞ上がってください」
僕はエンジェを家に上げ、そのままリビングの方へと通す。そして適当に椅子に座らせ、飲み物をコップに注いでエンジェの前に置いた。
「どもです」
「いえ」
僕は自分の分の飲み物をエンジェの向かい側の席に置き、椅子に座る。
「それでは、早速話を聞かせて貰えますか?」
「分かりました。ではまず要件を単刀直入にお話します。...アクトクレイさん、今所属している部隊を辞めて私の部隊に入って頂けませんか?」
「...それは...引き抜きということですか?」
「有り体に言えばそうなりますね。うちの部隊はA級ですし、あなたにとっても悪い話ではないですよね?」
レイン達の部隊はC級、ラプラ個人の階級はB級のため、エンジェの部隊がA級というが本当なら、確かに階級だけで言えば得な話だと言える。
けど、僕は別に階級を上げることに興味はない。それよりも、レイン達の部隊であの光景を見せてもらい続けるほうが魅力的だ。
僕の中でその価値観がひっくり返ることはないため、この誘いを受けることは絶対にない。時間をかけると面倒な展開になるかもしれないし、適当に理由をつけてやんわりと断ってしまおう。
「...すみません、そういう話は受けられません。魅力的な話だとは思いますが、僕は今の部隊が気に入っていますので」
「どうしても、今の部隊を抜けるつもりはないと?」
「はい、折角来て貰ったのにすみません」
「なるほど...では仕方がありませんね...」
もう少し引き下がってくるかと思っていたけど、エンジェは意外とあっさり身を引いてくれるようだ。
「...あなたが今所属している部隊...確か、C級のレイン隊でしたよね?」
そう思ったのも束の間、エンジェの雰囲気がガラっと変わった。さっきまでは割と物腰穏やかだったエンジェが、今はとてつもない威圧感を放っている。
「え、ええ。そうですよ」
「レイン隊の皆さんを玩具にして遊ぶのは楽しいですか?」
エンジェの鋭い視線と芯を突くような雰囲気に、僕の頭は真っ白になりかける。
けど、寸前のところで思考を再開し、絞り出すようにラプラとしての言葉を返した。
「...玩具にして遊ぶ?何の事ですか?もしかしてレイン達を馬鹿にしているんですか?だとしたら撤回してください」
「あー、とぼけても無駄ですよ。私はあなたの本性を知っていますから、『レプラ・アクトクレイ』さん」
「は...?」
唐突に名前を呼ばれ、僕の背筋が凍る。まるで心臓を鷲掴みにされているかのような、そんな錯覚さえ覚えるほどに。
こいつは僕の本性を知っていると言い、僕を『レプラ』と呼んだ。
まさか、バレたのか...?だとしたら何故...?
いや、単に勘違いという可能性もある。ここは動揺してはいけない。
「あの...もしかして何か勘違いをされていませんか?僕の名前は『レプラ・アクトクレイ』ではなく『ラプラ・アクトクレイ』ですよ」
「まだとぼける気ですか?確かにその体の元の名前は『ラプラ・アクトクレイ』でしょうけど、あなた自身の名前は『レプラ・アクトクレイ』、ですよね。いい加減面倒なので、お兄さんのフリをするのは止めてください。レプラさん、私はあなたと話をしに来たんです」
「...」
エンジェの発言に、僕は言葉を失った。
こいつは確実に『僕』のことを知っている。『ラプラ・アクトクレイ』ではなく、『レプラ・アクトクレイ』を。なら、これ以上の抵抗は無駄だろうな。
「...どうして僕がレプラだと分かった?」
「あ、ようやく認める気になったんですね。ったく、こっちは全部知ってるんだから、初めからそうすればいいんですよ」
「質問に答えろよ」
僕は苛立ちを隠すことなくエンジェにぶつける。どうせバレているのならラプラ、いや、兄さんのフリをする必要もない。
「まあ一言で言うなら、私の目は特別でして。人を見る目にはちょっと自信があるんです」
「は?ふざけてるのか?それじゃあ答えになってないじゃないか」
「そうですか?察しのいい人ならこれで大体分かると思うんですけど。...もしかしてあなた、馬鹿なんですか?」
エンジェから僕に嘲笑の視線が向けられる。
「もういい、お前が何も教えるつもりがないのは分かった。大方、僕を馬鹿にして遊びたいだけなんだろ?」
「やだなー、私はそんな悪趣味なことしませんよ。そんなに暇でもありませんし。...そうですね、ではもう少しヒントを上げます。私は、あなたがフルスという人物やお兄さんに化けていた力と『似た力』を持っているんです」
「僕と似た力...?」
僕はエンジェの発言を聞いて、改めて思考を巡らせる。
流石に僕と同じ『誰かに擬態する能力』を持っているというわけではないだろう。
では、似た力とはなんだ。そもそも、似た、とは何が似ているという意味なのか...。
しばらくして僕は一つの結論を導き出し、その答えを呟く。
「お前、もしかして『刻印持ち』か?」
「正解です。随分時間がかかりましたねー」
「うっさいな。いいだろ別に」
こいつはいちいち僕を馬鹿にしないと気が済まないのだろうか。
「それで、お前のその特別な目というのはどんな能力なんだ?」
「そこまではまだ教えられません。ですが、私の頼みを聞いてくれるなら、教えてあげてもいいですよ」
「頼み?」
「はい。先ほども言いましたけど、レプラさんには私の部隊に入って頂きたいんです」
「そういえば元々そんな話だったな。けど、なんで僕を部隊に誘う?」
「それは、あなたのその『黒の刻印』の力、『擬態能力』が私に必要だからです」
「僕のこの力が目当てってわけか。...ちなみに、僕に拒否権はあるのか?」
「まあ無くはないんじゃないですか?その場合はあなたの秘密を色んな人が知ることになるでしょうけど。...例えば、あなたの妹さんとか...」
「...っ!お前、そこまで知ってるのか」
「ええ。ですので、是非私の部隊に入ってください」
ここまで脅されては、実質的に僕に拒否権はない。
「...わーったよ。入ればいいんだろ...」
「ありがとうございます。これからよろしくお願いしますねー、レプラさん」
エンジェはそう言って優し気な笑みを浮かべる。けど、僕にはその裏に潜む邪悪な笑みが見えた気がした。
*
翌日、強制的にエンジェの部隊に入れられた僕は、エンジェに言われて結界の外に来ていた。
「お仲間とのお別れはもう済んだんですか?」
隣にいるエンジェが悪びれもせずにそう聞いてくる。
「ああ。今朝会ってきた」
エンジェの部隊に入ることになったため、僕は今朝レイン達を呼び出し、部隊を抜ける旨を伝えた。
折角築き上げた環境をこんな形で終わらせるのは非常に惜しいが、ラプラが部隊を抜けることをレイン達が残念がっている姿は中々いい光景だったし、今はそれで良しとしておく。特にアイリスの様子なんてかなり傑作だったしな。
「すみませんねー、私の都合で辞めてもらうことになって」
「悪いと思ってないだろ」
「心外ですねー。思ってますよ、少しくらいは」
エンジェが全く申し訳なさそうな顔もせずにそう返してくる。他人の本心なんて分かる由もないけど、これはまず間違いなく罪悪感なんて感じていない顔だ。
「まあいいさ。お前から解放されたらまた新しい奴を見つければいい」
「...あなたは、この先もずっとそうやって生きていくつもりですか?」
エンジェが急に真剣な表情で僕の瞳を見つめてきた。
「...どういう意味だ?」
「...いえ、なんでもありません。行きましょうか」
エンジェはそう言って僕の前を歩き始める。
「おい、待てって。これから何をするのか僕は聞いてないぞ」
「今日はこれからあなたと私の2人で魔神兵の討伐に行きます」
「僕とお前の2人って...。...まさか、お前の部隊ってまだ僕以外に誰もいないのか?」
「いえいえ、ちゃんと後3人いますよ。ただ、まだあなたと会わせたくなかったので、今日は呼んでいません」
「はぁ?なんだよそれ」
つまりはまだ仲間に会わせられるほど僕のことを信用していないということだろうか。
まあ昨日会ったばかりな上に僕はこんなだし、信用しろというほうが無理だと思うけど、なんというか少し傷つく。
「今日他の3人を呼んでいないのは、あなたを他のメンバーに会わせたくないんじゃなくて、他のメンバーをあなたに会わせたくなかったからです。別にあなたを信用していないわけではないので安心してください」
エンジェは僕の心を読んだかのようにそう発言する。その発言に少し安心している自分を殴りたくなった。
「ちなみに、今日のターゲットはタイプF。目的地はエリア20、ここからは南東方向です」
「タイプF?...お前、まさかあの事まで知ってるのか...?」
「ええ、もちろん」
「...お前、一体どこまで知ってるんだよ」
「あなたの隠している事は大体知ってると思いますよー?私の『刻印』は優秀なので」
「...昨日は聞きそびれたけど、こうして部隊に入ったんだから、その『刻印』の力も教えてくれるんだよな?」
「そうですねー...。では、その話は歩きながらにしましょうか。エリア20はかなり遠いですから」
エンジェが歩き始め、僕もその横に並ぶ。
「私の『刻印』は、視界に映った人の『過去を見る』ことができるんです」
エンジェはそう言いながら、自らの右手の甲に刻まれた『黒の刻印』を見せてくる。
「過去を...?それ、本気で言ってるのか?」
「嘘だと思うのならそれでもいいですよ」
「...いや、本当なんだろうな。過去が見えるっていうなら、僕の秘密を知っていたことにも納得がいく」
「あなたにしては聡明ですね。...この能力は、直近の出来事や対象の人物にとって印象深い出来事ほど見えるようになっています。逆に、遠い過去の出来事や、対象の人物の記憶にも残っていない出来事は見ることができません。わかりやすく言うと、私の過去を見る能力は対象の人物の記憶を覗き見ている感覚ですね」
「なるほど...それで...」
エンジェが僕の過去を知っていた理由はこれで納得できた。
「ところで、あなたには1つ、とても鮮明に残っている過去があるようですね。あなたは手足を縛られて自由を奪われ、目の前にはあなたを助けようとするお兄さんの姿。そして、その後辺りは炎に包まれ...」
「やめろっ!」
流れのままに僕の過去を語ろうとしたエンジェの言葉を、僕は大声で遮る。
「何故ですか。どうせ私は知っていますし、今周りには誰もいません。ここであなたの過去を語ったところで問題はないでしょう」
エンジェはそう言って淡々と続きを話そうとする。
「辺りは炎の包まれ、あなたのお兄さんは殺されてしまった。それを見たあなたは無意識に『黒の刻印』の力を発動してお兄さんを取り込むと...」
「やめろっていってるだろっ...!」
「ずっとそうやって過去と向き合わずに逃げ続けるおつもりですか?」
「うるさい...!黙れ...!お前に何が分かるっていうんだ...!」
「私には起きた出来事が分かるだけで、あなたの感情までは分かりません。ですが、私はあなたをこのままにしておきたくないんです。このまま過去と向き合わずにいれば、あなたは前に進めないでしょう」
「そんなことはお前には関係ないだろ...!いいからもう黙ってくれ...。これ以上話そうとするなら、お前がいくら脅してこようと、僕はもうお前には従わないからな」
「...分かりました。今は一旦引き下がります」
こいつは一体何がしたいんだ...。何故僕の過去を掘り起こそうとする...。
エンジェによって過去を掘り起こされた僕の脳内は、しばらくの間過去のあの出来事に占領され続けた。
それからある程度時間が経って僕の荒れた感情も少しおさまった頃、目的地のエリア20へと到着して獲物であるタイプFの魔神兵を発見する。
「あれが今回のターゲットです。撃破の経験はありますか?」
「...無い」
「でしょうね。今回はあれをあなた1人で殲滅してください」
「お前は...僕をどうしたいんだ。何故こんなことをする...」
視界の先にいる魔神兵は全身から炎を噴き出している。見た目の通り、タイプFは炎を扱う魔神兵だ。
タイプFはこの炎に加えて狂暴で危険な習性をもつため、階級がB以上の部隊以外は戦闘が禁止されている。
「私は、あなたに過去と向き合ってほしいだけです」
「だから、僕が過去から逃げようとどうしようと、お前には関係ないだろ...!」
「いえ、あります。あなたは私に必要な存在ですから」
こいつは何故昨日あったばかりの僕にこんなにこだわる...?僕の『刻印』の力が目当てだと言っていたけど、この力はそこまでするほどの力なのか...?
「私はあなたの過去を既に知っています。だから、あなたが過去の事でいくら醜態をさらそうとも、私があなたを切り捨てることも、忘れることもありません」
エンジェは優しい声色で力強くそう発言する。
誰にも話さず隠してきたあの過去と...向き合う。今がその時なのだろうか...。
僕は自分の左頬を撫で、ずっと逃げ続けてきた過去を思い出す.........。
僕は少し裕福な家庭の、1つ年上の兄と2つ年下の妹を持つ3人兄妹の次男だった。
兄はとても優秀な上、とても優しい人物だった。それに加えて『白の刻印』を持っていたこともあり、将来も期待されていた。兄がそこにいるだけで、周りの人達は皆心から笑顔になった。両親も同年代の人も、もちろん僕も、皆がそんな兄の事を大好きだった。
次男の僕は、優秀な兄と比べるとパッとしない人間だった。何をやっても大体失敗するし、人付き合いも苦手でいつも兄の影に隠れているような人間だった。
妹はとても物静かな性格で、兄や僕以外の前にはほとんど出ないような引っ込み思案な人間だった。
そんな僕たちの差は、年を重ねる毎に大きくなっていった。
兄は年々優秀になっていき、色々な成果を上げていった。それによって、元々人気者だった兄は、両親や同年代の人達を飛び越えて、更なる評価を受けるようになった。
僕や妹は、そんな兄の光に隠れるように存在感が小さくなっていき、両親や同年代の人達は僕たちの事を見向きもしないようになった。
けど、そんな風になっても僕ら兄妹はずっと仲が良かった。兄はずっと僕らに優しかったし、僕らもそんな兄を慕っていた。
僕はそんな当時の現状にある程度満足していた。兄ばかりが評価されることが悔しい思う気持ちも多少はあったけど、兄が評価されることは純粋に嬉しかった。それに、僕の傍には妹がいてくれたからそれ以外の事は割とどうでもよく思えた。
そんなある日、僕たちの住んでいた街にテロリストが現れた。
そのテロリストは『刻印』の力によって炎を操れる人間だった。この国では、『刻印持ち』が自らの力に思い上がり、事件を起こしてしまうということが稀にあった。
けど、そんな時に兄が立ち上がり、そのテロリストを意図も容易く倒してしまった。
そして心優しい兄は、あろうことかそのテロリストの更生の可能性を信じ、そいつを逃がした。
だが、そのテロリストが更生することはなかった。むしろ、そいつは兄に逆恨みをするようになった。
そのテロリストは、兄に恨みを晴らすために策を講じた。
そうして、目をつけられたのが僕だった。
ある日、そのテロリストは突然僕の前に現れ、僕の手足を縛って拘束した。そして、その事実を兄に伝えた。
心優しい兄は、当然僕を助けに来てくれた。
テロリストは兄に向かって、動いたら僕を殺すと言って脅しをかけた。そして、それが本気であることを示すように僕の顔の左側を焼いた。
僕を人質にとられて身動きが取れない兄は、あっけなくそのテロリストに殺されてしまった。
僕は苦しむ兄の姿を指をくわえてみていることしかできなかった。
兄が死んだ瞬間、僕の中で何かがはじけた。そして、僕の中から漆黒の靄が飛び出して兄の死体を包み込んだ。
正直、それからのことはよく覚えていない。
気が付くと、僕は手足が解放された状態でその場に立っていた。辺りを見回しても、兄やテロリストの姿は見当たらなかった。
僕は周囲に大量にできていた水溜まりの1つを覗き込んだ。
そして僕は自分の身に何が起きているのかを知った。
『僕』は『兄』になっていた。
僕は現実を受け入れられずに数時間はその場に立ち尽くしていたけど、最終的には失意のまま家へと帰った。
家に帰ると、たくさんの人たちが家の前で待っていた。
たくさんの人たちが僕を温かく迎えてくれた。今までずっと兄の影で生きてきた僕は、この時初めて人から必要とされる喜びを知った。
そんな中で、誰かが僕の事を『ラプラ』と呼んだ。
僕はその時、残酷な真実に気付いた。
皆が温かく迎え入れてくれたのは、僕のことを『ラプラ・アクトクレイ』と勘違いしているからだった。
きっと、今の僕の姿が『レプラ・アクトクレイ』のままだったら、きっとこんな風にはならなかった。
僕はそう思うと、この光景が無性に気持ち悪いものに感じた。
必要なモノが求められ、不要なモノが切り捨てれられることは至って普通の事だ。
それなのに、それをこんなにも肌で直接感じてしまうと、どうにも気持ち悪さを感じる。
そして、同時にこの場所に得も言われない気持ち良さも感じている自分もいる。それが更にこの気持ちの悪さを悪化させた。
そんな矛盾する感情で頭がおかしくなった僕は、1つ嘘をついた。
僕は、『ラプラ・アクトクレイ』が死んだ事実を隠し、『レプラ・アクトクレイ』が死んだと皆に伝えた。
一人を除いて、その話を聞いて悲しんでくれた人はいなかった。
死んだのがラプラじゃなくて良かったなんて言う人すらいた。
そんな事実は僕の心に深く突き刺さった。
僕はそれから数日と経たないうちに、結界維持機関の隊員になると言って故郷から逃げ出した。
こうして、僕は『ラプラ・アクトクレイ』になった。
過去と向き合うための心の準備を終えた僕は、エンジェの方を向き直る。
「エンジェ、...あいつを倒せたら何かが変わるんだろうか...?」
「それは分かりません。けど、1つ壁を越えたことにはなるんじゃないですか?」
「そうか...。じゃあしっかり見ててくれよ...」
「はい」
僕は視界の先にいる、炎を纏ったタイプFの魔神兵に向かっていった。
*
「調子はどうですか?」
僕の正面に座るエンジェが、優しい表情と声色で聞いてくる。
「不思議と悪くない。むしろ清々しい気分だ」
僕はあの後タイプFの魔神兵を1人で倒し、そのままエンジェと一緒に結界の中まで帰ってきた。
そして今は僕の家で、最初に会った時のようにエンジェと2人で向き合って座っている。
「なあエンジェ。どうせお前には全部バレてるわけだし、ちょっと僕の話を聞いてくれないか?」
今まで誰にも話さずに隠してきた過去を知られてしまっているからか、僕はいつの間にかこのエンジェという人間に謎の信頼感を持つようになっていた。
「もちろん構いませんよ。聞かせてください」
そう言ったエンジェは、いつでも話してくれという態度で僕が話し始めるのを待ってくれている。
そんなエンジェの前で、僕は『黒の刻印』の力を発動した。右手の甲にある刻印が光り出し、僕の体が漆黒の靄に包まれる。
そして、その靄が完全に晴れてから僕は口を開いた。
「これが本当の僕。『レプラ・アクトクレイ』の姿だ」
僕が本当の顔を見せても、エンジェからの反応はない。
「この顔の左側の火傷の痕。お前はこれを見てどう思う」
「どうって...そりゃあかなり醜い感じに仕上がってるなぁと。かなり痛々しいですし」
「ははっ。...まあそうだよな」
「でも、私はあなたのその顔、嫌いじゃないですよ。その火傷の痕は、あなたが『レプラ・アクトクレイ』であるという証ですから」
エンジェはこんな僕でも肯定してくれる。
「そっか。ありがとなエンジェ」
「どうしたんですか、急にお礼なんて気持ち悪いですよ」
素直な気持ちを伝えた僕に対し、エンジェは辛辣な言葉を投げてきた。
少し傷つくけど、今はそれは置いといて話を続ける。
「...僕は、この火傷の痕がずっと嫌いだった。今まで、僕にとってこの火傷の痕は弱さの証だった。僕が弱かったからあんな奴に捕まって兄さんは死んでしまった。僕が弱かったから、兄さんがやられている間何もできなかった。僕が弱かったから、僕は嘘をついて兄さんに成り変わった」
僕が語る言葉を、エンジェは真剣に聞いてくれている。
「正直なところ、過去と完全に向きあうことはきっと一生できないと思う。けど、過去から逃げるのはもうやめにする」
「そうですか。良かったです」
「とりあえず、まずは妹に会いに行ってみようと思うんだ。あの日から一番後悔していることが、妹から逃げ出したことだから」
「確か、妹さんはあなたが亡くなったと聞いた時に唯一泣いてくれたんでしたね」
「ああ。けど僕はそんな妹から逃げ出した。...怖かったんだ、もし本当は死んだのが兄さんだとバレた時、妹にまで『レプラの方が死んでれば良かった』なんて言われるんじゃないかって」
故郷を逃げ出した理由は色々あったけど、妹の事が一番大きな理由だったのは間違いない。
「今は怖くないんですか?」
「怖いさ。もし妹にまで必要とされなくなったら、この世の誰も僕の事を必要としてくれなくなってしまう。そうなってしまったら、ほとんど死んでるのと同じだ。けど、もうそうなってしまうとしても、妹とはちゃんと向き合いたい」
「今までのレプラさんからは考えれないくらい、いい判断だと思います。ただ...」
「ただ...?」
「この世の誰もあなたのことを必要としなくなるなんてことはないですよ。少なくとも私はレプラさんのことを必要としていますから」
「そうだったな」
エンジェがそう言ってくれていたからこそ、僕は過去と向き合う決心ができたのかもしれない。
「実は、この後準備をしてすぐに立とうと思ってるんだ。戻ってくるのはひと月くらい先になると思う」
「分かりました」
「どんな結果になってもエンジェには報告にくる。その時はまた話を聞いてくれ」
「はい、もちろんです」
エンジェは僕の瞳をまっすぐに見てそう返してくれた。
「これから準備をするなら、私はもうお暇した方がいいですかね」
「ん、ああそうだな」
「では、今日はこれで失礼しますね」
「あ、待ってくれエンジェ。行く前に1つ聞いてもいいか?」
実は、昨日からエンジェに対してずっと思ってたことがあったのだ。
それを今思い出したため、興味本位で聞いてみる。
「何ですか?改まって」
「お前ってたぶん、兄さんに擬態した僕よりも弱いよな?」
「ええ、まあそうだと思いますけど。何ですか、馬鹿にしてるんですか?」
「違う違う。寧ろその逆だ」
「逆?どういう意味ですか?」
「昨日、よく僕の家に乗り込んできたなって思ってさ。僕より弱いなら身を守る手段もないわけで、もし僕が逆上して襲い掛かってきてたらどうするつもりだったんだ?」
「いやいや、そんなの全然考えてませんでしたよ?...昨日も言ったじゃないですか、私、人を見る目には自信があるんです」
思ってもなかった返しに、僕は目を丸くする。
「聞きたいことはそれだけですか?...では、私は失礼しますね。また会いしましょう」
そして去っていくエンジェの後ろ姿を、僕はぼーっとしたまま見送った。
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「これで、ずっと見えなかった最善の『未来』への道がようやく開けました」
エンジェ・アポストルは、自身の左手の甲に刻まれた『白の刻印』を見ながら自室で1人そう呟く。
エンジェは右手の甲に刻まれた『黒の刻印』とは別に、左手の甲に刻まれた『白の刻印』を持っている。
その白の刻印の能力は、視界におさめたモノの『未来』の可能性を知ることができる力。
エンジェがレプラに接触し、過去と向き合わせたのは、エンジェの描く最善の未来を実現するために必要な工程だったからだ。
「レプラさん。あなたをこの残酷な『未来』に引きずり込んだこと、申し訳ないと思っています。ですが、もう止まることはできません。なにを犠牲にしようとも、私はこの『未来』を確定させるために動くと決めたんですから」
最後までお読み頂きありがとうございます。
このお話はカクヨム様の方で連載版を投稿しております。
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