彼の仕事
二人で風呂を上がり、脱衣所で着替えていた。
「お風呂ありがとう、ご飯も頂いちゃうなんて…。」
彼はさっきまで来ていた制服に着替えていた。夕食を食べたら家に帰るのだろう。
「いや、全然だよ。僕も春馬くん振り回しちゃったし。」
僕はそう言って紙袋の中からパジャマを取り出した。あぁ、これ昨日優鶴に貸したんだっけ。その柔らかい生地に袖を通す。そして、夕食を食べにリビングに向かったときだった。
「二人とも!早く来て!」楓さんの焦った声。彼が焦るのは珍しく、初めて見た。温厚で冷静な叔父が焦るということはかなりまずいことなのか?二人で廊下を駆けていくと、テレビのアナウンサーの声が絶えず流れていた。吹き荒れる風、飛んでいく建物。そして、真ん中には浮かんでいる町。そこは紛れもなく浮遊町だった。僕は急いで店に、向かった。星間堂の窓からなら浮遊町が見える、そう確信していたからだった。カーテンを勢いよく開けて、外を見ると街のちょっと先で、浮遊町が浮かび上がっている。その風景はいつもと変わらないものだった。
しかし、問題はここから。なんと、浮遊町の抉れた地面から風が絶え間なく吹き荒れている。少し離れたこの場でわかるということは、現場はきっと惨状だろう。外を確認した僕は自分の部屋からあの石を取り出した。バラバラになった欠片ひとつひとつが、炎のように紅く光っている。それをパジャマのポケットに突っ込んだ。
リビングからは、まだアナウンサーの悲鳴。再び戻ると、画面の中に見覚えのある影が映っていた。
『そこの子!危ないから戻れ!』
アナウンサーの荒い口調がその影に放たれる。
後ろを一瞬振り向いたその影は、確かに優鶴だ。僕は、楓さんに向かって叫んだ。
「優鶴を助けてくる!!」
そして、僕は玄関へ走り出す。靴を履いて、上着を着て扉を開ける。
外は吹き荒れる風でいっぱいだった。
「青葉くん!!!」
春馬くんが僕の名前を叫ぶ。僕は振り返って言った。
「ごめん、春馬くん。僕行かなきゃ。」
そう言うと、彼は僕の手を握った。強く、それでいて優しく。
「僕も行くよ……。」
暴風の中、僕らは足を進めた。ここから浮遊町までは700mある。玄関の扉を閉める瞬間、楓さんの焦った顔が見えたが、今は関係ない。優鶴を助けなきゃ。その気持ちだけで僕らは前に進んだ。
やっとの思いで、浮遊町に辿り着くと、そこには地獄絵図が広がっていた。ビルや建物が倒壊している。
「青葉くん、どうするの……?」
「まずは優鶴を探すよ。」
瓦礫の上を飛びながら、優鶴を呼ぶ。まだあいつは生きている。屈強な足で立っている。そう願いながら。抉れた地面の向こう側、そこに彼は居た。
「優鶴!聞こえるか!」
僕が左側を回って優鶴に近づこうとしたときだった。僕のパジャマのポケットが灼熱のように熱い。春馬くんはそのポケットに手を突っ込んで石を握りしめている。
「僕が持って、おくから…優鶴くんを連れてきて!早く!」
「わかったよ。」
僕は優鶴の方へと走った。彼の背中は遠くに見える。その距離は近くて遠い。それでも、僕は走るしかなかった。
「優鶴!お前…!」
「青葉か…なんで…なんでだ?」
彼の表情は曇っていた。それでも、目だけはしっかりとこちらを向いている。僕は優鶴の肩に手をかけた。
「なんでじゃないだろ!なんではこっちの台詞だ馬鹿!何があったんだよ?」
彼は下を向いて黙ってしまった。僕はそんな彼に苛立ちを覚えた。
「なぁ、隠してんだろ。大事なこと。」
僕は彼を睨むように見つめた。すると、優鶴は顔をゆっくりと上げた。その目は真っ赤に充血していて、頬には涙の跡が見えた。
「ああ…そうだよ…俺が、俺が……やった。全部……!俺のせいだ…!ごめん…二人とも巻き込んじゃって…」
「なんでだよ?どうしてだよ!?」僕は感情に任せて声を上げた。事を明確にしてくれない優鶴に腹が立っていて。
「ごめん……。」
優鶴はまた俯いてしまった。僕は彼の腕を引っ張って立たせた。優鶴は素直についてきた。
「春馬!石を穴に放り込め!全部だ!」
彼のそう叫ぶ声が向こう側まで届いてくれたようで、春馬くんは熱くなった石を地面の大きすぎる穴に打ち付けた。すると、轟音をたてて浮遊町は地面に戻っていく。春馬くんは地面に崩れた。
「まだだ…。まだ終わってない…。」
彼の頬には涙と汗が伝っていた。
風の止んだ街と浮遊町。一見して事態は安泰かと思われたが、優鶴は終わってないと言う。僕には理解できなかったが、彼の後を追うことにした。優鶴は春馬くんを担ぎ上げる。そして星間堂へ3人で向かった。店の前では、叔父が待っていた。叔父に事情を説明すると、すぐに二階へ案内してくれた。優鶴は春馬くんを担いで入っていく。
「青葉、大丈夫か?ほら、水飲め。」
叔父がコップに水を注いでくれた。それを一気に飲み干す。
「青葉!寝室借りる!」
優鶴の声が下まで届く。僕は返事をする間もなく、叔父に促されて部屋に入った。
「お前も座れよ。」
ベッドの上に座ると、隣に優鶴も腰掛けた。彼は少し疲れている様子だった。
「ごめん…俺のせいで…お前を巻き込んだ。本当にごめん。」
「もういいから。それより、教えてくれないか?これまでのこと。」
優鶴は少し躊躇ったが、ゆっくりと口を開いた。
「俺の家、代々やってる家業があるんだ。それが、浮島…つまり浮遊町の観察、対処だ。」
優鶴は話し始めた。
浮島は、浮かぶ島のことで、文字通り浮いている。それが僕たちの言う、「浮遊町」のことらしい。浮島には必ず何かしらの問題が付きまとう。例えば、災害。地震、噴火、津波など。
今回は竜巻だったわけだ。
「それを、どうやって?」
「青葉の持ってた石あるだろ?あれは、浮島が暴走する予兆みたいなもんなんだ。でも、大抵それは当日に浮島近辺にばら撒かれる。それが起こる前にうちが対処しなきゃ行けなかったんだ…。」
優鶴は拳を強く握っていた。彼は続けて言った。浮島が暴走する要因は様々で、今回の場合は強風による竜巻の発生と、それによって生じた大嵐によって起こる風の流れの乱れだと彼は言った。
僕はそこで質問した。
あの風は優鶴の仕業なのか?と。優鶴は静かに俯向く。
「俺の仕業といえばそういうことになるな…。俺のミスで暴走してしまったから。ごめん…。」
「ミス?」
「ああ、昨日だ。浮島には2回予兆がある。1つ目はさっきの石、当日予兆。2つ目は2週間ほど前から現れる。一緒に見ただろ、林檎の木。」
青く光る葉の林檎の木、それを見に行ったのは今日の午前1時ごろだった。
「それまで…気が付かなかったのか?」
「いや……気付いていたけど、放置していた。」
「なんで?」
優鶴は口をつぐんでしまった。ほろほろと涙が溢れて、僕と優鶴の間に落ちていった。
「俺…怖かったんだよ。自分でやるのが…。兄ちゃんも父さんも同じ仕事をしてるけど、俺なんかにできるわけないって。だから…予兆が出ている浮島を放置して…いや、見て見ぬふりをしてきたんだ。その結果がこれだよ…。ごめんな…。」
僕は優鶴の背中をさすった。彼は泣いている。
「ねえ…お前の抱えてるものって、なんだよ。」