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浮遊町  作者: みけ
3/4

彼の側面

僕の手に掴まれた冷たい石は、体温を下げていく。夕暮れの朱い陽の光は、誰もいない教室に時間の経過を伝える。橙の空に黒いシルエットが横切っていき、校庭では運動部の歓声やボールの打ち付けられる音が絶えず響いている。そんな中僕は一人、朝机の上に置いてあった宝石を眺めていた。朝は青や黒の深海のような色だったが、今となっては紅く輝く。宝石の面に空が反射しているのかと疑えば、僕の影は違うと否定していて。

優鶴がデッサンに使って帰ってきたこの石の温もりは無くなっていて、今もなお冷たく氷のように僕の手を冷やした。

「青葉くん、行こっか。」

皐月の風のような声は、教室によく通った。僕と彼は階段をゆっくりと降りていく。パタパタと上靴の音が響き、黒い影が僕らを映し出していた。彼の頼もしいような気がするその背中は、少し寂しそう。自転車に乗っているときも、そう感じていた。凍て風が髪をなびかせ、自転車のペダルはカラカラと音をたてる。そして、僕の叔父の店、「星間堂」に着い。木製の艷やかな扉を開けると、ベルがカランと可愛らしく鳴いた。

「楓さーん。いるー?」

返事は帰ってこない。今日は定休日だから買い物にでも行っているか。僕は春馬くんを窓際の一番眺めのいい席まで案内する。

「すごく綺麗だ。羨ましいよ、青葉くん。」

彼は目を輝かせてそう呟いていた。僕は彼にコーヒーを出す。

「サイクリングコース、どうしよっか。」

夕焼けが差し込む緑のボックスソファの上で僕がそう話を切り出すと、彼の目線はノートに向かった。いくつか候補が書かれている。

「少し考えてみたんだ。まず、海岸線コース。」

地図を見ると、市内の海岸道を走り抜け、海浜公園でお昼を食べるコースだ。距離は10km。僕の叔父さんのお下がりじゃしんどいかな。と、コーヒーを飲みながら考える。

「あとはこっち。丘陵コース。」

ここ星間堂も含めたニュータウン一帯をぐるっと一周してカフェで食事をするコース。距離はさっきより短いものの、この辺はギアつきじゃないとかなり時間がかかる。

「最後は、浮遊町コース。」

昼間の浮遊町を走るコース。昼ごはんは持参。

「どれも魅力的だね。」

僕はそう言うしかなかった。自転車のことはきっと彼の方が詳しい。魅力的で楽しそうなプランであることには変わり無かったが。

「うーん。そしたら、まずは手近な浮遊町コースにしてみない?お弁当作ってさ!」

彼はわくわくした様子でそう言う。それなら叔父さんのボロでも行ける。そう確信した。

「いいね!春馬くんは料理できるの?」

僕はそう何気なく聞くと彼はちょっと恥ずかしそうに頭を掻いた。

「実は、僕、料理は大の苦手なんだ…。卵焼きだって焦がしちゃうしさ…。」

彼の人間らしいところを初めて見た気がする。春馬くんにも苦手なことがあるんだ。親近感がやっと湧いてきた。

「大丈夫、僕料理得意だよ。一緒に練習しよ!」

僕は自然と笑顔になった。叔父が喫茶店を開いていたから幼い頃から料理はやってきたつもりだ。

「うん!ありがとう、青葉くん!」

彼は嬉しそうに微笑んでくれた。彼の曇りない笑顔が僕を照らした。

「じゃあさ、オムライス弁当にしようか。簡単だからできると思うよ。」

立ち上がってキッチンへ向かおうとしたその瞬間だ。窓の外の浮遊町が浮き上がった。轟轟と音をたてて。

「そっか、もうそんな時間か。」

空の端っこは青く染まってきていて、そこから徐々に紫のグラデーションができている。それはまるで画用紙に絵の具で描かれた空のようだった。

その奥に浮かぶ浮遊町には、なにか変な感じがした。ショートケーキの苺がないような、モンブランの栗がなくなってしまったかのような決定的な欠如。でも、僕にはそれが何故なのか、足りないなにかを特定することはできなかった。二人でその様子をガラス越しに眺めていた。

「ねえ、春馬くん。浮遊町行かない?」

僕の口は、そう発していた。反射的に、と言うべきだろうか。

「え、今から?」

彼は驚いていたが、いいよと承諾してくれた。コーヒーを飲み干し、僕は彼と一緒に外へ出る。もう昼間の暖かさは消え始め、かなり寒くなっていた。店の外にある自転車を2台引っ張り出して、鍵を外す。サドルは冷えていて、冷たかった。

「下見ってことで。じゃあ、行くよ?」

後ろからは気前のいい返事が聞こえてきた。それを合図に、僕らは浮遊町へ自転車を走らせた。冷たい風が制服をなぞっていくが、僕の胸は暖かかった。多分、気分が高揚していたのもあるが、その正体はあの石だろう。昼間、人肌並みに温もりを含んでいたそれは、優鶴に返されたとき氷のように冷たくなっていた。しかし今、石は昼間より暖かい。坂を下りきると、目の前には抉れた地面。なにか違和感を感じながらも、僕らは自転車を止め、上を見上げた。

「青葉くん、ポケット…光ってるよ?何入れてるの?」そう春馬くんに指摘を受けたので、ジャケットの胸ポケットの手を伸ばす。そこから出てきたあの石はカイロのように熱くなっていた。そして、まばゆく発光し、僕の視界を白く染め上げていく。

暑い、痛い、苦しい…。でも、僕はその石を離すことができなかった。離してはいけない気がした。パリンッと、氷の割れるような音がした途端、白い光は消えていく。割れた石はまだ夕焼けの色に染まっていた。

「なんだったの、今の。」

春馬くんは呼吸を荒くしていた。動揺しているように見える。無理もない、いきなり石が発光して前も見えないほどになったのだから。

僕らが浮遊町を近くで見ようと近づこうとしたとき、後ろから影が差した。

「青葉と…春馬…か。」

聞き覚えのある声だ。

「優鶴?どうしてここに…」

彼の目線は僕の手の上に向けられていた。優鶴もまた、動揺しているように見える。汗がひとつふたつと地面に染みを残していく。

「その石…割れたの…?」

震えた声でそう聞いてくる。僕は首を縦に振った。すると、彼は膝に手を置いて、肩で息をしながら、僕の顔をじっと見つめて言った。

「その石は…いや、なんでもない…。」

そして手をこちらに伸ばしてくる。石の欠片をひとつ掴むと沈みかけの背中側の太陽に透かしている。

「なんで、隠すんだよ…。」

彼の震えたままの背中に話しかけた。肩が跳ねて、こちらを振り返る。

「僕にも言えないことってなんだよ。話してくれよ…。」

彼は手を強く握っているようで、指の先が白くなっていた。

「ごめん、でも今は話せない。」

そう言って、踵を返すが、僕は肩を掴んだ。確かに彼の体が震えていたのがわかる。頭が僕の方に向く。

「教えてよ、なんか不安なことあるんだろ。僕お前がなにを言っても受け入れてやるから…」

「…しつこいよ。」

優鶴は下を向いてそう振り絞った。僕の次の言葉を遮るように。彼はスタスタと歩いて行ってしまった。

「そうかよ…。」

僕は春馬くんに目をやると、気まずそうに見つめていた。彼に近寄り、腕を掴んだ。

「大丈夫…?きっと、優鶴くんも君を傷つけるために言ったんじゃないと思うよ。帰ろっか…?」

彼の優しい声が通る。

「ああ、そうだね……。」

僕らは自転車に乗って帰路についた。ペダルを踏む足は重く、前に進まない。それでも、なんとか漕ぎ続ける。ふと横を見ると、春馬くんの頬には涙が伝っていた。

「どうしたの……!?」

僕は自転車を止める。

「いや、優鶴くんも、青葉くんもすごく悲しそうなのに僕は何もできないなって。」

つらつらと落ちる彼の涙には慈悲深い優しさが溢れているように思えた。もう星間堂の目の前だったので、自転車を止めて、再び店内に入る。

涙を流し続ける彼の肩を担ぎながらドアを引く。

楓さんが帰ってきているようで、家のキッチンで料理を作っていた。

「ただいまー。楓さん、春馬くんも一緒にご飯いい?」

「いいよー、お風呂も入ってきな。」

僕らは脱衣所へ向かう。そこで服を脱ぎ捨て、浴槽に浸かる。湯船の中で、さっきの出来事を思い出した。優鶴の表情が頭から離れなかったのだ。昨日の顔とはまた違う、知らない顔。でもどこか懐かしくて、心が締め付けられるような感覚に陥る。春馬くんが心配して、僕の体を揺すってくれるまでぼぅっとしていたらしい。僕はシャワーを浴びるときも、体を浴びるときも、ぼーっとしてしまっていた。その度に春馬くんが声をかけてくれる。

「ごめん…何回も…。」

「ううん、気にしないで。」

彼の笑顔は僕を安堵させた。しかし、安堵の息はすぐに絶たれることとなる。

ここまで読んで下さりありがとうございます!

春馬くんは料理音痴でした…!卵焼きを真っ黒に焦がしてしまうほどで、火を使うのが苦手なんだそうです。

コメント頂けるとすごく喜びます。

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