19話.低頭
俺は知っている。
彼女が――露原湊が中学時代に用いた、ある奇計を。
彼女は自分の勝利という野心に突き動かされ、その当時に組み込まれていたバスケットボール部員では己の最終目標に辿り着かないのだと判断し、遂にはそれを切り捨てた。
部員を断ったのだ。
仲間を絶ったのだ。
当時の部員を何人まで残し、他から何人の引き抜きを行ったのかは知らないが――人間が本来直面する限界という壁が、少なくともバスケにおいてさして障害にならない程度の者たちを使った。
とびきりのスケジュールで。
ずば抜けた練習メニューで。
ワルキューレと――半ば尊敬で、もう半分は揶揄として呼ばれていた。
その取り組みによって、彼女は、念願である全国制覇を果たしたのであった。
露原は、当時全国区でもなかった中学校の一部活を、三年越しとはいえ最終的な勝利へと導いたのだった。
しかしそれを喜ばしく思っていたのは、部員全員ではなかった。
引き抜かれたのなら、その引き抜かれた分だけの人数、元々いた部員が出し抜かれたのだ。
才能があるとはいえ、つい先頃まで素人同然、初心者そのものだった人間たちに追い抜かれたのだから。
「そりゃあ、怒っても当然だよね!」
中学時代に露原と同じ部員だったという女子たち三人。横に並んだその中央にいた彼女がそう叫んだ。
恨めしく。
実際恨んでいたのだろう。
露原は「君たちか……」と弱々しく言って、先程まで獣のようだった瞳をかすかに潤ませていた。
体育倉庫を目の前に、扉に縛られた智里とそこに隣する三人の男子生徒たち(おそらくは中学生のように思う)。
同じく三人並んだ女子の内の一人と、男子の内の一人が、おそらくは姉弟のようなのだ思う。目が似ている。
ちなみに、俺はどの辺りからモノローグを語っているのかというと、体育倉庫の真上である。
実は露原と連携して、俺が先にここへきて様子を見つつ、露原に連絡を取るという算段を立てた。我ながらいいアイディアだと思ったぞ。これで露原の連絡先もゲットだしな!
言っておくと、前話でのラストも俺が語っていたことになっている。急に三人称視点なんかになったら、読者様が混乱しちゃうだろ。
置いといて。
そんなわけで、俺はこうして突入の機会を待っているというわけだ。人質を取られてちゃ不用意に仕掛けることもできないからな。
別に、暴力に訴える必要がないのならそのまま帰るつもりだったし。
だがまあ、人質を取った段階で、向こうはすでにその気だとも思うのだけれど。
「それで、ボクにどうしろと言うんだ」
露原は直接、簡潔に切り込んだ。
それに対し女子の一人は薄ら笑いを浮かべ、
「そうだね、まずは手っ取り早く、謝ってもらうわよ。地に手をつき膝をつき、頭を擦って謝罪の弁を述べてよね」
「……わかった」
お、おいおい……。
全国制覇へと導いた文字通り勝利の女神に対して、そんな酷い仕打ちはあんまりだろ。
露原は片膝、そしてもう一方の膝をつき、地面の上に膝立ちの構えを取った。
俺が体育倉庫の上から身を乗り出そうとすると、ちょうど一直線上に向かい合っている露原は、俺にまっすぐに視線を向けてくる。
『待ってくれ。これはボクの責任だ。ボクが原因だ。ボクが悪い。彼女達は悪くない。彼女達がこのような気持ちになっていることに気づいていながらも、ボクは飄々《ひょうひょう》と、のうのうと、のらりくらりと生きてきたのだ。これは、当然の結果だ』
そんなことを言われた――気がした。
まあ、俺と露原の仲は運命共同体という程でもなければ、一蓮托生というわけでもない。
俺にあいつの心が読めるわけでもないし、俺たちの間に眠った戦士の血がそのように呼応しているわけでもないから、本当のところはわからんが。
でも。
それでも。
言いたいことはわかった。
彼女はこの場での軍事介入は望んでいない。
彼女の眼光は、相も変わらず少年のような綺麗さや獣のような鋭さはあっても、いや、ある上で、優しかった。
穏やかな瞳だった。
彼女が素直に跪いたことに、相対する彼女達も怯んだようだったが、露原は関係なく深々と、まるで大罪を自覚し悔やんでも悔やみきれぬとでも言いたげに頭を下げた。
「すいませんでした…………」
静かに、涙声で……あのいつも元気な笑顔を見せてくれた露原がそう告げた。
それだけだった。もう言葉はいらないとまでに、それだけを丁寧に言って懺悔した。
なんでだよ……。
お前はチームの為を思ってやっただけだろ。
ちゃんと奮闘したじゃないか。
ちゃんと貢献したじゃないか。
それのなにがいけないというのだろう。
俺には理解できない。
『仕方がないんだよ。陽』
賢の言葉。
『露原さんは露原さんの為に走って、チームの為に点を取って、学校と己の野望の為に悲願を達成したんだ』
それでいいじゃないか。
『いいんだよ。それはそれで十二分に結構だ』
なら……なんで。
『彼女は、チームの為じゃなく、チームメートの為に走らなければならなかったんだ。彼女の悲願は、それは確かにチームメートの悲願だけれど。チームメート一人一人の悲願は、彼女の悲願と完全一致するものじゃなかったんだ』
自分の願いは、自分の手で。
誰だってそうだろう。
他人が持って来た優勝旗なんて、それは他人のものだ。たとえチームとして戦っていても、結果に自分の実力が加味されていなければ同じこと。
チームメートの勝利ではなく、チームの勝利ではなく。
それは結局のところ――彼女一人の意志行動に帰結する強さだったのだから。
まあ、今まで恨んでいた相手が急に謝ったくらいで揺らぐ気持ちなんてご都合主義的なこと――。
「ごめんなさい……」
頭を低くする露原に対峙した三人の女子たちは、泣いていた。
「ごめんなさい……。ずっと、恨んでた……私達のことなんか、眼に見えてなくて……。一人で、必死に、突っ走ってくんだもん……」
露原のかつてのチームメートの内の一人が、涙をこらえながら、涙を呑みながらも言葉を紡ぎ出していた。
堪えていた気持ちが溢れるように。
「恨んでたのに……。言いつくせないくらい、語りつくせないくらい。でも、謝られて、なんだか、そんな自分がバカらしく、ガキくさく思えてきて……。ごめ、ん……なさい」
ああ。
なんてご都合主義的な風景か。
深淵なんてまるでない、平坦な気持ちだったんだ。
深くなんて恨めない。それは恩人だから。
「一言、謝ってもらうだけで、こんなにも……」
楽になれた。
――らしい。
今のところ、俺にはこの展開がよく読めない。
恨んでいたのに急になに?って感じ。
そうだろう?
ついさっきまで活き活きと露原に土下座をさせていた人間が、人格がどっか消え去った。
こんなことありえるんだろうか?
『女の怒りは恐い』
前にそんなことを言った気もするが……はて、どうなのやら。
でもまあ、いいか。今回は俺の出番もなさそうだし。
さっさと智里を自由の身にして、僕もかえーろお家へ帰ろ――
「ちょっと待てよ姉貴!!」
咆哮したのは、男三人衆の一人。どうやら泣き崩れている内の一人と姉弟仲だったらしいな。弟らしきやつは眼をつりあげたままで声を大にする。
「そんなんで終わりかよ! ふざけんな! じゃあ俺たちの無念はどうなる!」
無念? 何のことだ?
「おい露原湊! 俺の顔は忘れたのかよ! お前と戦って、コテンパンにやられた男子バスケ部だ!」
あー。
そんなやつもいるって言ってたな。
なんだっけ? 女子の全国区が毎回日曜に中学校を借りて練習するから? どんな実力か、男子の俺たちが試してやろうだなんだってか?
そんなことは言ってなかった気がするが、まあ、そんなニュアンスだろうな。今の中学生なんて。
盛りがついてる時期だし。
おいおいしかしそれで怒るのは、いくらなんでもお門違いだろ。
お前たちが負けたのはお前たちが弱くて、露原たちのチームに及ばなかったからだろ。
こういう言い方も失礼だろうけど、生意気にも上から目線で露原に挑んで泣きを見たんなら、それは全面的に盛った気を、はやる思いを抑えられなかったお前らが悪い。
俺が中学生共を心の中で全否定していると、弟らしき男が泣き崩れる姉たちと対面している露原に近づいていく。
露原は、体制を整えてない。
彼女は膝をついたままで中学生男子を見上げた。
「俺はなあ、中学生と高校生の違いはあっても、女子チームに負けた男子チームとして名が挙がっちまったんだ! そんな仕打ち……あんまりだろうがよぉッ!」
やば……。
俺は体育倉庫の上から、天を翔けた。
それはそれはカールルイスのように綺麗な空中歩行で、中学生の少年と対立できる絶好の位置へと収まった。
なに、簡単なこと。
体育倉庫とは言ってもそれなりの高さはあるもので。
そこからなら地上までの滞空時間を十分持て余すことができるってもんだ。
つまりは少年がビックリ仰天色に表情を染めるだろうことは、予測済みだったということなのだ。
いやーそれにしてもよく跳んだな。
女の子がピンチの緊急事態に、今回初めての出番に跳ね上がる俺のテンションもあいまって勢いをつけ過ぎた。
ズザザッと涙目の露原ちゃんの眼の前に着地した俺は、案の定、驚天動地顔の中学生君に向かって、今日一番のニヤリ顔で言ってやった。
「大人の階段を上る時に注意しなきゃならんことが三つあるんだぜ?
一つ、急がないこと。
二つ、踏み外さないこと。
三つ、振り返らないこと――だ。
よぉく覚えとけ、少年」
十日ぶりです。NOTEです。
今回、本当に活躍の場がなかった陽には、このまま引っこんでおいてもらおうかとも考えたのですが……やっぱ出てきちゃったんですよねあの子。
基本は出たがりなのかもしれません。正直なところはわかりませんが。
さて、今回はだいぶよくわからない展開になってしまいました。誤算だとかではなく、こんなゆるゆるな収束終結がこのお話です。
締めるところは締めず、ゆるめるところはとことんまでゆるめる。
それがこのお話の最下層ですから。
寒い北国で文豪の足元にも及ばぬ駄文を書き殴っている、NOTEなのでしたー。
皆様のご意見、ご感想、レビュー、評価、指摘、訂正個所の報告、「ここはこうしてこうした方がこうなって……」なんてことまでバンバンください。
お待ちしております。




