11話.生ける伝説
露原湊の存在を俺が知ったのは、それ程遠く昔のことではない。去年の、ちょうど今の時期。中学が一緒でなかったのにもかかわらず、思いがけず、その存在を認知してしまった。いや、認めるとかそういう問題ではなく、五感で知覚するだけで恐ろしい女なのだけど。
何はともあれ、彼女の中学時代の噂、いや、伝説を知っている者は少なくないはずである。知らない者はいない。それ程の評判と名声をお持ちなのだ。
もっとも、それは校内に留まった話ではない。
むしろ校外の方が色めき立っている。
ウチの学校――私立彩桜学園は、部活動においてさほどいい成績を収める高校ではない。いって二回戦突破。調子が悪いと初戦敗退を果たす程の落胆ぶりである。
一つを除いては。
女子バスケットボール部である。
露原湊の――所属場所だ。
露原の伝説は、一つではない。
中学時代の伝説と、高校時代の伝説がある。もちろん、高校時代とは言っても俺たちと同じ学年、言ってしまえばまだ二年生進級直後の現段階での話である。もっと言ってしまえば、彼女は去年の夏の大会――入学からたった半年足らずの間で、その伝説を、露原神話を確立してしまったのだ。
部活動にも入らず地味路線を歩んできた俺からしたら、まさに雲泥の差、月とすっぽんだ。
しかも、よそ様の噂を聞いている分にはなんの感情も興味も湧いてはこないが、それが身内となると話が違ってくる。
寄せ集めて作り上げた物語ではない。
ただ一人で築き上げた神話なのである。
アンソロジーならぬマイソロジー。
正真正銘の生きる伝説だ。
もっとも、噂を聞くにしても人伝でなければ聞けないのも事実。この伝説は、実は智里から(あと数人の友達から異説をちょろちょろ)聞いたものだ。
「露原湊?」
去年の夏過ぎ。
聞き慣れない名前に、俺は耳を傾けては首を傾げた。
「知らないの? 陽」
甲高い声が耳に届く。
屋上。
諸事情で席を外している賢を抜きにして、落下防止のフェンスに沿うように配置された青いベンチに、俺は智里と座り、昼のパンをかじっていた。
「今注目の、というか、注視されている一年生なのよ。いい意味でも、悪い意味でもね」
智里はそう話している。
昼休みに幼馴染で同級生の女の子と、屋上で昼飯とくれば、男としては嬉しいシチュエーションなのかもしれない。
しかし、話題は別の女の子のこと。その上、女側から振ってきたのだから始末に困る話ではある。それにだな、そもそも俺と智里はそんな色っぽい間柄ではない。逆に、だ――俺は智里とくっつきたくない。このツン女(デレの要素は今のところなし)と一緒になったら、それはそれで尻に敷かれそうな勢いだからだ。それこそ色っぽくない。
「それにしても珍しいな、智里。お前が他人の噂話を持ってくるなんて」
「そう? 別に、これぐらいは普通だと思うけど」
「変に生真面目なところがあるからなー、お前って。そんなにまずい事やらかしてるわけでもないのに身構えちゃってさ。この場面で俺がお前に飛びかかるとでも思うか?」
「それは何? 私に対して「お前は女としての魅力がない」とか言ってるわけ?」
「ほら出た、その過剰被害妄想!」
「な、何よ……」
「別に他意なんてなく純粋に言ってんのに、言葉通りに受け取らないんだからな。もうちょっと素直になったらどうなんだよ?」
「あ、あんたがいつも私の事からかってくるからでしょう!」
智里は顔を真っ赤にして怒鳴っている。ちょっとしたからかいでムキになるから楽しい。彩と違って、これはこれでいじりがいがあるな。
「で、露原湊だっけ? そいつがどうかしたのか?」
俺が急に話を戻すと、智里はバツが悪そうにおとなしくなった。
そして、一発殴られた。
しかもグーで殴られた。
「顔面粉々になるわぁ!」
右頬の痛さを堪えきれずに叫んでしまった。
屋上で。
恥ずかしい。
「それで、その露原さんなんだけど――女子バスケットなんだけどね、この間の夏の大会、凄かったのよ」
「へえ、一年生でレギュラーとってんのか。そいつは凄いな――って、え? 女子バスケット?……って、お前の言うこないだの夏の大会、全国区まで勝ち上がったやつか?」
そう。
一年生のこの時期、夏の大会で、女子バスケットはウチの学校で唯一、全国レベルまで到達した部活動なのである。
歴代でそこまで行ったところはあるのかもしれないが、少なくとも平成になってからでは初めてという快挙だ。
「そう。その夏の大会で、どうやら露原さんの活躍が、全国行きに一枚噛んでるらしいのよね」
なんでこいつは某国の黒服諜報部員みたいな喋り方をするんだ? 別に不正も薬物もやってないんだから、もっと祝福してやれよ、その露原とやらを。
「でも、確かにそうだよな。去年まで、彩桜の部活動が抜きん出た成績を収めてるって話は聞いた事がないからな。ほかの学校から強い奴が卒業したか、今年この学校に強い奴が入ってきたのか、しかあり得ないわけだ」
「ちなみにその露原さん、陽よりも身長低いわよ」
「そんな事言ったって、俺だって、差し当たって男子の中で小さい方ではないしな。ってことは、お前と同じくらいか? まさか彩と同じくらいなんて事はないよな」
ちなみに言うと、彩はまだ入学してきてすらいない。俺が一年生なのだから、そりゃ当然なのではあるけれど。
「女子としては、普通……なのかな? 百六十センチあるかないか、ってところよ」
「じゃあ、バスケットボールプレイヤーとしては低い方なんだな」
ふーん。
それで期待の新星、か。逆に見かけ倒し、みたいな感じ。その体型でダンクシュートでもされたあかつきには、相手方もそりゃあびっくりするだろうな。
「できるわよ、ダンクシュート」
――は?
「何言っちゃってんだよ、お前。たかだか百六十の身長だろ? 高校のバスケットボールリングの高さ見くびるなって。百八十の奴ですら届くことの少ないあれに、小柄な女子が届くわけ――」
「――届くんだな、それが」
智里は自分のことでもないのに、自慢気に胸を張っている。
…………。
異常だ。
おかし過ぎる。そんなバカな話があってたまるか。
「どんだけ筋肉隆々なんだよ、その露原は……」
「筋肉? そんなの全然ないよ。そうね、無駄な贅肉もなければ、無駄な筋肉もない。こんな言い方するのも気が引けるけど、ミロのヴィーナスとかダビデ像とか、それとはまた違った意味で美術的価値のある肉体ってところね」
「ふうん。お前、着替えまで覗いてたのか?」
「そういう意味で言ってんじゃないわよ! ただの想像! 雰囲気! オーラ!」
「そうですか……」
「それと、また凄いのはあれかな。スリーポイントシュート」
「それは両手打ち、だよな」
「え? ううん。片手だけど」
…………。
ありえねえ。
三点リーダ四つを無駄に使うほどありえねえ。
女子のバスケットといえば、だ。高校生の選手でも大抵は両手打ち。片手で打つ人間は、よっぽどの筋肉(ウー)マンか、高身長ののっぽちゃんかしかいないはずだ。
ドリブルで相手をかわす事が出来る低身長はよくいるものの、ダンクやスリーといったシュートを決める奴は見た事がない。
それに、スリーはともかく、高校生でダンクを、しかも女子のダンクを拝めるなんてそうそうできはしないだろう。宝くじで一等を取るよりも低いだろうな。
「それにね、あの露原さん。中学時代にも凄い伝説を築いてるのよね」
「伝説?」
「あの人がいた中学もね、去年までのここみたいに、弱小の部活だったんだって。でも、露原さんがその能力を現してからは、それが一気に全国区――挙句の果てには三年生の夏の大会で全国制覇を成し遂げたんだから」
「それは……超人だな……」
鳥人みたいなやつだしな。面白くねえけど。
それにしても、この智里がそこまで言うからには気になる。
前述のとおり、普段、誰かの悪口だろうと褒める噂話だろうと、智里は積極的に参加してくる事はない。どちらかと言えばそういった類を嫌うのだ。
本人のいないところでの噂話は気が悪い、とか言い出すからな。
こうして話している今も、あまりご機嫌のいいようではないし(まあ、半分は俺のせいかもしれないけど)。
よーし、こうなったら――
「放課後、見に行く」
「はぁ?」
「その露原湊とやらの練習風景を見にさ」
「な、何言っちゃってんのよあんた。見学でも偵察でもないのに、そうそう見られるものでもないでしょう?」
偵察だって堂々と言って見るやつがあるかよ……。
「けどさ、お前がそこまで言う、露原湊って女の姿が見てみたいって、そんな男心をわかってくれよ。ちょっとでいいんだから」
「はあ。あんた本当にバカね。ちょっとした話ですぐ妄想膨らませちゃって……。それになんで私がそんなのに付き合わなくちゃいけないのよ」
「は? 俺そんな事言ったか?」
「へ?」
智里は、何がなんだかわけのわからないような顔をしている。俺もよくわからんけど。
「俺は行ってみるってしか言ってないじゃん。別に智里がついてくる必要なんかねーぞ?」
「え、あ、ぅあ?」
なんだこいつ。
なんでこんなに動揺しているのかさっぱりわからん。
「じゃあ、放課後は俺、体育館に行くと思うから。賢に訊かれたらそう言っといてくれ」
言い残して、あたふたとしている智里を置いて屋上を後にしようとすると――
「ちょっと待って!」
智里が俺の制服の裾をつまんだ。いや、力いっぱい握りしめた、と言ったほうが、この場合は正しいのかもしれない。かなりのしわが寄ってるし。
手首じゃなくて良かった……。
折れるわ。
「あ、あんた一人で行って女バスに変態扱いでもされたらどうするのよ。お、同じ女子の私も行った方が、あんたには都合がいいんじゃないの。どうせ私、放課後も暇だし。体育館までだったら、ついていってあげてもいいんだから」
俺を掴む智里は、顔を下げて表情を隠している。しかし、何か焦っているような感が否めないのは声でわかる。
なんだ? 今日は一段とテンションがおかしいな、智里の奴。
ま、いいか。
「わかった。じゃあ、放課後に行こうぜ」
「け、賢も誘うんだからね。あんたと一緒に――ふ、二人っきりでうろついてた、なんて噂が流れたら承知しないから」
噂を流すのは俺じゃねえじゃん。承知しろよ。
そんなもんどうしろっつーんだっつーの……。
まぁ、そんなこんなで、あいつの見学に行く事になった放課後であった。
あの、火の玉女の元へ――。
どうも。一日に二話も投稿している、珍しく真面目なNOTEです。
今回、久しぶりに展開しそうな話ですので、皆さまも楽しんでいただけるのではないかと思いますけれども。
以前から、名前だけはちょいちょい出している露原湊です。『パンダ』と言ってわかるあなた、結構読み込んでくれてありがとうございます。
彼女は、超人の中の超人、もう本当にキン肉マンみたいな奴ですから。
皆様、心の準備をしながら次話をご期待下さいませ。
感想、評価、意見、訂正の文句んなどなど、たくさんくだされば幸いでございますです。よろしくお願いします。
NOTEでしたー。