隣の席の僕の彼女、その正体は魔王様!? 〜「好きだ」と突然告白されたのだが、どうやら彼女は人間ではないらしい。魔王の彼女と人間の僕のおかしなラブコメ〜
唐突だが、僕の彼女は魔王様だ。
いや、僕の性癖が特殊だとか僕が変態だとかではなくて、彼女はあの……例えば邪悪な羽が生えていたり、例えばRPGで勇者の前に立ち塞がったりする……あの本物の魔王様だ。
**『1,魔王様と花見デート』**
「すいませんっ、魔集さん。……僕、その……」
「そうだね、説明して欲しいかな。どうして、私との記念すべき初デートに君が20分も遅刻したのか。その理由をね」
深深と頭を下げる僕を、魔集さんはジトーッと軽蔑したような目で、腕を組みながら見下ろす。その声にはヒシヒシと怒りの気配を感じる。
(……やら、かしたな)
まあ、理由はどうあれ遅刻してしまったのは100パーセント僕が悪い。
「……怒ってます、よね?」
「まぁ、何も感じない……ことは無い、かな」
「……こ、殺しますか?」
「いやいや、そこまではしないよ。染木くんは私のことを邪智暴虐の魔王とでも思ってるの?」
「それは……」
そう、僕と魔集さんの関係が普通の彼氏と彼女なら、こうも背筋を凍らせなくても済むのに。
魔集さんを怒らせたら怖そう……なのは、まあ……うん。
僕の視線がチラリと吸い寄せられるように、魔集さんの額からニョキっと伸びる二本のツノに向く。あと、ピーンと伸びた、先が三角に尖った尻尾とか。
(この人を本気で怒らせたら僕、間違いなく死ぬな)
そんな僕の視線に気がついたのか、魔集さんは腰に手を当てて「はぁー」と呆れた顔で肩を落とした。
「確かに私は魔王だよ。けれど、今は染木くんの彼女だ。私があの日、君に『好きだ』って告白したの、もう忘れちゃった?」
「いえ、決して忘れません」
忘れたら殺されるからとかじゃなくて、本心からあの日のことは絶対に忘れない。
僕の食い気味の答えを聞いて、魔集さんが少し微笑んだ気がした。
「なら良かった」
ふふっと柔らかなその顔に、僕の心臓がドクンと高鳴る。そんな顔をされると、彼女は魔王であって、僕とは違う種族なのだということをふと忘れそうになる。それほどまでに、彼女は暖かかった。
「……さて、じゃあそろそろ話題を戻そうか。染木くんが私との初デートに遅刻した訳を聞かなくちゃね」
「ギクッ……」
「ふふふ、話は逸らさせないんだから」
さっきと同じ笑顔のはずなのに、今度は怖い。こういう女の子の笑顔を“小悪魔じみた”と、小説やアニメでは表現するのだろうが……
悪魔どころではない。魔集さんは魔王である。
小悪魔を装う必要なんてなく、ヒエラルキー的に普通に通り越しちゃってるのだ。
「……分かりました。言い訳になっちゃいますけど、着いてきてください」
誤魔化すことはもう出来ないだろう。諦めて歩き出した僕の後ろから、魔集さんの小さな足音が着いてくる。
少し歩いた所で、僕は足を止めた。僕らが待ち合わせをしていた公園の入り口付近から逸れた、人の気配の少ない場所。
「ここです」
「これは……もしかして、、」
「……はい。やっぱり、魔集さんには綺麗な桜が似合うかなって」
見上げたそこには大きな桜の木がドカッと腰を据えていた。それは小高い丘の上の、秘密のスポット。隠れ家……みたいなそこを、僕は朝早くから来て確保していた。つまりは場所取りだ。
「……なんですけど、この春の暖かさじゃないですか。つい、ウトウトしちゃって、、」
「それで、20分遅刻したの?」
「はい……寝まいと努力はしたのですが、負けました」
「いや、負けちゃ台無しじゃない?」
早起きして絶好の花見スポットを取ったのに、寝てしまうなんて最低だ。理由があっても、やっぱりそれは言い訳でしかなくて。
「待たせてしまってすみませんでした、魔集さん」
僕はもう一度頭を下げる。女の子を待たせてしまうなんて、彼氏として、男としてやってはいけないことをしてしまった。
「ふーん……そんな朝早くから、ねぇ……」
頭を下げる僕を、魔集さんはネジネジと髪を弄りながらジッと見ている。不意に、その前髪が揺れた。
「……君も居たならもっと長く一緒にいれたのに。残念なことしちゃった」
タイミング良くか悪くか、強く吹いた春の風と一緒に何か聞こえた気がして、ふと顔を上げる。
「今、なんて……」
「なんでもないわ。さっ、行こうか。これ以上君とのデートの時間を減らしたくないからね」
魔集さんの小さな言葉は、桜吹雪と一緒にどこかへ飛んでいってしまったようで、残念ながら僕は彼女の真意も、その軽く染まった頬の訳も分からなかった。
けれど、
「好きです、魔集さん」
「お、おぅ。……私もだよ、染木くん」
彼女が何者であっても、僕の気持ちは変わらない。なんて、恥ずかしいことをふと思う。桜の木の下で恥ずかしそうにはにかむ彼女は、本当に美しかった。多分桜よりも綺麗だった。
魔集さんは魔王様で、そして僕の彼女だ。
「ふふっ、綺麗だね。初めて見るのだけれど、桜というものはいいものだな」
つい数分ほど前まで僕が呑気に寝てしまってしたレジャーシートの上にストンと腰を下ろし、魔集さんは目を細める。ヨダレとか垂れていないだろうか。心配になるな。
(あっ、肩に花びらが……)
その時不意に強い風が吹き、ピンクのカーペットのように広がっていた桜の花たちが一斉に僕らを包み込んだ。その名残り、魔集さんの露出した白桃色の肩口に触れた1枚の花弁に僕は手を伸ばす……。取ってあげ―――
ジュッ―――
「っ!?」
き、消えた……。
「……ん? どうしたの染木くん。私の肩に何か用事でもあるの?」
「い、いえ……」
魔集さんの肌に触れた直後、呆気なく燃え尽きて塵となった儚い桃色。僕は伸ばしていた手を恐る恐る、ゆっくりと引っ込めた。
普段は頼りがいがあってカッコよくて、それでいて可愛い(ツノや尻尾が生えていることを除けば)“普通”の女の子な魔集さん。そんな彼女が時折見せる、こういう魔王様要素に慣れつつある自分が少し恐ろしかった。
**『2,魔王様と花見デートその2』**
「君のためにお弁当を、作ってみました」
「は、はい……ありがとうございます?」
ドンッと僕の目の前に置かれた小さな弁当箱が2つ。見た目は全く同じで、色も黄色で統一されている。大きさといい色合いといい、女の子のチョイスだな……って、違う違う。今はそんな感傷に浸っている時ではなくて。
「僕、女の子の手作りなんて食べるのは初めてですよ」
「そう? 確かに染木くん、こういう経験なさそうだもんね」
「生まれてこの方皆無で……あっ、“手作り弁当”に祖母をカウントしてもいいですか?」
「良いけど……ねぇ、それって悲しくならないかな」
遠足や行事でのお弁当を除けば、これが初めてのこと。だから好きな女の子からの手作りなんて、どう反応していいのか正解が分からない。
「あの、その……あのっ」
しどろもどろになってしまった僕を見て、魔集さんがクスクスと笑う。彼女は……魔集さんはどうなのだろうか。
「私も好きな男の子に料理を振る舞うなんて初めての経験だからね。楽しみ反面、ちょっと緊張してる……かな」
僕の心を読んだかのように魔集さんは小さく首を傾けた。そして、その手をススッと背中の後ろに隠す。
(あっ……)
でも、僕は見逃さなかった。
彼女の細い指に巻かれた絆創膏を。
僕のために早起きしてくれたのかなとか、慣れない料理を頑張ってくれたのかなとか……そんな想像、もとい妄想が膨らむ。そしてそのたびに、また魔集さんを好きになる。
「好きです、魔集さん」
「ありがと。でもそれ、ノルマかな?」
「いえ、ただ僕はその時の感情を言葉にして伝えているだけです」
「……うわぁ、ちょっと怖いかも」
「えぇ……」
眉をひそめ、嫌な顔をする魔集さん。
でも、どこか嬉しそうで。
「と、とりあえず、そういうことだから。不格好かもしれないけど……どうぞ?」
「あっ、はい。……いただきます」
魔集さんに促され、僕は手をパチンと合わせた。箸を割り、右手に持つ。そんな僕の細かな仕草まで、魔集さんはジーッと熱い視線を注いでいた。ドキドキ……と、心做しか彼女の心音が聞こえてくるようで、僕もゴクリと緊張してしまう。
(……僕も初めてだけど、魔集さんも初めてなんだよな、、)
お花見もデートも、手作りも全部が初めて。僕らは2人揃って初心者だ。魔界から人間界にやって来て日の浅い魔集さんにとっては、僕以上に不安もあるだろう。
なら、正解なんて無いのだ。
どんな反応をしたら良いのかとか、どう行動するのが彼氏として、高嶺の魔集さんに相応しいのかとか。
僕らは互いに初めてなのだから、手探りに自分たちの付き合いを進めて行けばいいんだ。
「っ……!」
僕は覚悟を決め、箸を伸ばした。素直に僕の感じた気持ちを伝えよう。カッコつけなくても、上手い感想が言えなくてもいいじゃないか。
だけど、その手は空中でピタリと止まる。
「……魔集さん」
「何かな染木くん」
ススッと顔を上げると、僕の前で正座する魔集さんと目が合った。
「どっちですか、コレ」
僕の前、正確には僕と魔集さんの間には、弁当箱が“2つ”あった。
それも、形も色も同じものが2つ。
「……」
「……」
しばし、僕と魔集さんの間を謎の沈黙が吹き抜けていく。目を合わせたまま、桜の木の下で弁当箱を挟んで見つめ合う男女。どういう状況だ、これ。
「……という訳で……チキチキッ! 私の手作りはどっちかなゲーーーム!」
「いきなりなんですかそれぇぇぇぇ!?」
状況の呑み込めない僕を置いて行くように「いぇーい」、と手を鳴らす魔集さん。さっきまでの沈黙はどこへやら、急転して花見の場所がテレビ番組のスタジオかのような雰囲気に変わる。
「ルールは単純。この2つのお弁当のうち、片方は昨日スーパーで材料を買って今朝作った、私の手作りです」
「……も、もう片方は……?」
こういう時の“もう片方”にロクな予感はしないのだが、聞かない訳にはいかない。僕の恐る恐るの問いかけに、魔集さんはニヤリと悪戯な笑みを浮かべた。それを見た途端、本能的に察する。ああ、これはダメなやつだ。
「もう1つはねぇ……」
「ゴクリ」
「もう1つは、あっちの食材を使って作ったものです」
あっち、と魔集さんは彼女の額に光る2本のツノをクイクイッと示した。あっち……つまり、僕の知らない世界の知らない食材ということ。ん? でも、待てよ。
「……それって、どっちも手作りですよね?」
片方は安心安全の近所のスーパーの食材を使用。
もう片方は未知の食材を使用。
けれど、使っているものこそ違えど、結局はどちらも魔集さんの手作りなんじゃないか? なら……僕にとってはどっちを選んでも当たりな気がする。
「うん、そうだね。……まぁ、人間があっちの物を口にすると死ぬらしいけどね」
「なんだ、どちらも魔集さんの……さんのっ!?」
待ってくれ。今、さらりと言っていたがスルーできない事を耳にしてしまった気がする。気のせい……であって欲しい。
「……何て言いました」
「魔界の食べ物は人間の口には合わない、という話です」
「……いや大問題じゃないですか、それ」
何をすました顔で平然と言っているんだ、魔集さんは。つまり……つまり、想像が追いつかないけど、こういうことか。
どちらも手作りだが、片方は食べると死ぬ。
「……チキチキ要素、ここですか」
桜の木の下には死体が埋まっている、と聞いたことがある。なるほど、ここで僕がハズレを引いてしまったら、この大木の下に僕の骨は埋まることになるのか。桜を見て死を連想するなど物騒なと思っていたが、今なら古人の気持ちが十分に理解できる。
いやいや、待て待て。冷静に考えればどうして僕は初デートで生死を賭けなければならないんだ? というか、どうして彼女は僕の命をゲームにしてるんだ??
「ロシアンルーレットって知ってる? この世界には面白いゲームがあるみたいね」
「アレより酷いですよ、これ。なんせ2分の1で僕死にますからね?」
僕の目の前にある2つの包みのうち、1つは僕を殺す凶器な訳だ。この状況を見ればきっとロシア人も同情してくれるだろう。
「さあ、選んで染木くん。君が選んだのと逆を私は食べるから」
「ちょっと待ってください! それってまさか……」
2つのうち1つは死、と彼女は言った。僕みたいな人間が魔界の食べ物を食べると死ぬのなら、魔王である彼女はもしかして……
「ああ、一応言うと私はこっちの食べ物を食べれます。ふふふ、死ぬのは君だけだよ?」
「なんだ、良かったぁ……ってなる訳ないでしょ!?」
ついホッと胸を撫で下ろしてしまった自分に思い切り首を横に振る。
「第一、もし私がこっちの世界の食べ物に耐性が無いのなら、こっちの学び舎で過ごそうなんて考えないよ」
うん、それはそうだ。魔集さんがこっちで問題なく暮らせている以上、彼女はどちらを選んでも大丈夫だろう。……てことは、命の問題があるのは僕だけか。なんともアンフェアな。
「こういうの魔王様らしい、ですね」
「むふふ。ちょっとばかし君の反応が見たくなってね」
そんな軽い理由で死の恐怖と戦わされるのか、僕は。
けれど、両手で頬杖をついてワクワクと僕を眺める彼女の視線に……選択肢は無かった。やらない、という選択は。
「……やりましょう。やりますよ」
「おっ、いいね。じゃあ開けてみてよ!」
ゴクンと唾を飲み込み、覚悟を決めた僕に魔集さんの表情がパァーっと明るくなった。
「えっと、開けてもいいんですか?」
「うん。いいよ?」
僕は魔界のことなんてロクに知らない。けれど、日本と違う場所……魔集さんの故郷は俗に言う異世界なのだから、そこの食材なんて見た目で分かってしまうんじゃないか?
「失礼します……」
なんて、思っていた時期が僕にもありました。
「……っと、うわっ。まさかこれも同じですか、、」
「いやぁ、大変だったよ。あっちの食材をこっちのに似せるのは」
蓋を開けたら、あら不思議。そこには思わず「双子かよ」とツッコミたくなる、それはもう瓜二つのお弁当が僕を出迎えていました。容器の形も、色も、そして中身も全く同じ……とは。
「でも、美味しそうです」
「ふふっ、嬉しいな。君にそう言って貰えて」
「……死ぬかもしれない、というチキチキ要素が無ければ素直に美味しくいただけたと思うんですけどね 」
「えーっ。でも、それじゃつまらなくないかな?」
「つまらないって、魔集さんにとって僕の命は日常のスパイスか何か程度の価値ですか!?」
彼女はニコリと微笑んだまま、何も言わない。否定……してくれないのか。それは酷い、魔集さん。
……とまぁ、さておいて問題は左と右のどっちがその、僕を殺すマンなのかだ。見た目は……本当に同じ。彩り重視で詰められた食材は小さくて可愛らしい、これぞ女の子の手作りみたいな光景が2つ。……本当に、死が余計すぎる。
「……私ね、染木くん。結構料理出来るんだよね」
「でしょうね。じゃなきゃこんなの……」
「でも、大変だったよ。こっちの食材は扱いやすかったんだけど、癖のあるあっちの奴らを似せるのには苦労したなぁ。おかげで、指を何度か切っちゃったよ」
魔集さんは絆創膏が数枚貼られた両手を僕に見せ、照れくさそうに笑った。
「ほんと、さっきの僕の感動を返してくれないですかね……」
てっきり僕のために頑張ってくれたその勲章かと思っていた絆創膏は、ただこの死のゲームの仕込みによるものでした……。僕の想像していた、慣れない日本の食べ物に悪戦苦闘しながらも何とかお弁当を作るウブな魔集さんの図は、それはもう綺麗に崩れ去っていく。そして、僕のため……いや、僕を殺すためにせっせと悪戯を仕込む魔集さんの図に描き変わっていく。
「……食べるのやめとく?」
「つまり、お預けってことですか」
「なんか……嫌そうだったからね。もし、君が嫌なら食べなくても―――」
「嫌というか、まぁ怖いという気持ちは当然ありますよ」
未知のものに対する恐怖と、死への恐怖の重ねがけ。怖くないはずがない。
「なら、いいや。ごめんね、染木くん。ちょっと悪戯が過ぎた―――」
残念そうに、少し悲しそうに微笑んだ彼女の手が弁当箱に伸びる。やり過ぎ感は否めないとはいえ、これはきっと、魔集さんなりに初デートを盛り上げようとしてくれたのだろう。
なら、僕がやらなきゃいけない事は1つだ。
「いただきます」
「えっ―――」
彼女の手が弁当箱に触れるより前に、僕は卵焼きを1つ箸でつまみ、口に運んだ。直感で手早く左右を決め、迷いなくそれを口に入れた僕に、魔集さんの瞳がキュルッと丸くなる。
「染木くん……馬鹿、だよ君」
「いやだって、魔集さんがせっかく作ってくれたものですから」
食べない……という選択肢は、ハナから僕には無かった。
「……どう?」
不安そうに、魔集さんが身を乗り出して僕を覗き込む。モグモグ……噛み締めると、それは……
「お、美味しい、です……!」
塩の味加減も卵の柔らかさも、抜群だった。市販のものや母の味とは一線を画する、言葉にするのが難しい味。強いて言うなら……それは何よりも暖かかった。すごく僕好みだ。
「良かった、そう言ってくれて」
彼女はニコリとハジけた笑顔と、ホッと安堵の吐息とを同時にこぼして、僕の選んだものとは別の箱から卵焼きを口に運ぶ。
「私の早起きの甲斐はあったってことだね」
「てことは、僕が選んだのは……」
ハッと気がついた。夢中で忘れていたが、さっきの卵焼きは美味しかったし、何より僕は死んでいない。心臓も動いているし、足もある。ぺたぺたと自分の全身を触る僕を見て、魔集さんがクスッと笑った。
「……まぁ、嘘だからね。ふふっ、君の反応が見たくてちょっと意地悪しちゃったよ」
「えぇっ……まさかの嘘、ですか……?」
「うん、嘘。やだな、私が君を本気で殺そうとなんて、する訳ないでしょ?」
それは……魔集さんならやりかねない、なんて。ふと思いはしたが口にはしないでおこう、うん。
「君が食べたのも私が食べたのも、2つとも私の手作りだよ。君を殺す毒物なんて入ってない」
「そうだったんですか……。安心しました」
「ふふっ、緊張感あったでしょ?」
「そりゃ僕、生まれてこの方初めて本気で死と向き合いましたからね」
1口サイズのおむすび、ミートボールなどなどを次々に口に運びながら僕は答える。緊張と安堵と、死への恐怖が良いメリハリとなったのか、桜の下で食べる魔集さんの手作りお弁当は死ぬほど美味しかった。“〜の帰りに雪の中食べた牛丼が人生で最も美味しかった”、という話はあながち嘘じゃないのかもしれない。
「でも魔集さん。どうしてこんなことをしたんですか?」
「それは……私がどうして君に嘘をついたのか、の理由? それとも、私がどうして2人分のお弁当をそっくりに作ってきたかの理由?」
「じゃあ、どっちもで」
「それは反則だよ。君は強欲だ。今度もどっちか選んで?」
魔集さんが僕に向けたふたつの問。そして右手と左手、2本の指。僕は少し考えて、左を。後者を選んだ。
「なら、こっちで」
「あらら……こっち、選んじゃうか」
アハハ、と魔集さんの頬が少し赤く染まる。いつもスラスラと言葉を並べる彼女の口は珍しく言い淀んで、パクパクと形が定まらない様子。
「……恥ずかしいから、一度しか言わないよ?」
「はい、、」
ゴクリと唾を飲み込み、僕は彼女の言葉をほんの僅かさえも聞き逃すまいと集中する。
「君と……全く同じものを食べたかったから……」
「……同じ?」
ボソッと呟いた彼女に、僕は聞き返す。
「だってほら、こうして君と同じ世界で同じ場所で、同じ時間で同じ景色を見ているなら……同じ気持ちも、共有したかったんだよ……」
そのためのお弁当2つ。僕が彼女の手作りを貰って感想を言うのでもなく、2人で1つのお弁当をシェアするのでもなく、2人で全く同じものを食べて同じ感想を持つ―――それを、魔集さんは望んだということか。
「変だよね、私」
「いえ……本当に好きです、魔集さん」
「うん、ごめんね。変なのは君もだったね。というか、やっぱり私以上に変だね君」
ふふっと口元を隠す袖口からこぼれる笑顔、笑い声。僕も釣られて口角が緩む。
「まぁ、そうなんでしょうね。変じゃなかったら、あんな風に突然『好きだ』なんて言ってこないと思いますよ」
「……ふふっ、そうだね。そして変な男の子じゃなかったら、突然見ず知らずの女から『好き』なんて言われて即答で『はい』、なんて肯定はしないよ」
それはたかだか半月くらい前のことなのに、思い出すと不思議と懐かしくて。
僕と魔集さんは目を合わせ、クスリとお互いに笑いあった。きっとこういう関係が僕らの青春、とかいう色季節なのだろう。……これまでに無い形で、そういう意味でも初めましての恋。
(何を酔っているんだ、僕は)
そんなことを思うと少し恥ずかしくて慣れなくて、僕はニヤケてしまいそうな、もっと緩んでしまいそうな頬を誤魔化すように弁当箱から大きめの春巻きを掴んで、一口に押し込んだ。
「あっ、そういえばどっちがハズレなんだろうね」
「……?」
不意に思い出した風に魔集さんははにかんだ。
ん? ハズレ……って、嘘なんじゃ……
「あぁ、“死ぬ”ってのが嘘ね。チキチキは本当だよ?」
「ちょっと待ってください。ということは……」
嫌な予感が全身を撫で、一気に体が冷たくなる。
「どっちかに、その……」
「……うん。どっちかの春巻きにワサビって言うの? あの緑のやつ、ふんだんに使ってみたんだけど……って、どこ行くの染木くん?」
僕は振り返らなかった。というか、振り返れなかった。
バッと口を押さえ、ゾクゾクと鳥肌の立つ気持ち悪さと口の中に広がる熱くて辛くて痛くて……ツーンとする奴に抗いながら僕は一心不乱で丘を駆け下りて、一目散にトイレを目指すのだった。
(なんでチキチキ要素は捨てないんだあの人っ!!)
魔王様が悪魔みたいな悪戯をしてくるのは解釈不一致だ。
むしろ、やるなら本気で殺そうとしてくれた方が魔王様らしいと思う。
……なんて、被害者である僕が言うのもおかしな話か。
**『3,魔王様と花見デート3』**
(……とりあえず、間に合ってよかった、、)
公園のトイレから出て、僕は「ふぅ」と一つ息を吐く。魔集さんの前で彼女の手作りのお弁当を吐き出すなんて、絶対に出来なかった。彼女が魔王だからとか殺されそうだからとかじゃなくて、それ以上に人としてダメだと思った。いくらワサビトラップにトラウマがあるとしても……それでも、ダメだ。
だから口を押さえ、必死で体内をグルグル回る気持ち悪さと戦いながら公園の中程まで走ってきたのだ。僕らがいた場所、僕が早起きして取った場所は穴場だからこそ、トイレとか公共の施設と距離が離れている。それだけが欠点だ。まさかこんなことになるとは思ってなかったから気づかなかったんだけど。
(やっぱりここまで来ると人が多いな……)
件の穴場はこの公園のメインストリートから軽く離れた所だ。だから僕と魔集さん以外の花見客はそんなにいなかった。丘の下に数組いた程度で、気にならないほどだ。
だけど、元々この公園は僕らの暮らす街で最も大きな場所だ。だから当然、桜の綺麗に咲き誇る今の季節は花見客でごった返す。メインストリートともなればそれはそれはもう、ワイワイガヤガヤと。
(早く魔集さんの所に戻ろう)
右を見ても左を見ても、人……人。僕はこういう盛り上がりが得意ではない。全て吐き出したハズの緑の悪魔がもう一度せり上がってこないうちに早く戻ろう……
「―――俺、いっきまぁぁすっ!!」
「うぇぇぇい!!」
その時、桜という和の雰囲気をぶち壊す陽気な声がどこかから聞こえてきた。パチパチと盛り上げる拍手に、ピーピーと煽る甲高い口笛。その春の麗らかさとは似つかない異質な音に、つい視線がチラリと向いてしまう。
「……うわっ」
思わず声が出た。それは……僕の苦手なノリだった。僕が見たのは、多分大学生だと思われる男女10名ほどが花見をしている光景。輪の中に1人、酒瓶を持って立つ男と、それを取り囲む男女。
「一気、一気っ!」
「グビグビグビ……っぷはぁっ!」
その男は周りに煽られるがままに酒瓶を一気に傾け、一息に飲み干した。また、ヒューッと歓声が上がる。あーいう無謀や人のやらないことをカッコイイと思う、いわゆる大学生のノリってやつだ。
(僕には理解が出来ない世界だな)
皆が楽しいはずの花見の世界。そんな中で彼らだけがどこか違っていた。騒いで、散らかして……周りのことなんて全く考えずに。自分たちは楽しいのだろうが……
「……ママ、、」
「場所、変えましょうか」
運悪くそのグループの近くで花見をしていた家族連れが彼らの馬鹿騒ぎに耐えかね、黙って片付けを始めた。……何も、悪くないのに。
それは周りも同じだった。鬱陶しそうに、不快そうに睨みはする。が、それ以上何かしたりは決してしない。ブツブツと文句を言うだけで、直接言おうとはしない。
だから、彼らだって何も変わらない。
相変わらず自分たちが正義かのように振舞っていた。
……それを、誰もが見て見ぬふりをする。
別に悪いことじゃないと思う。だって面倒だから。わざわざ他人に関わるなんて、面倒だしリスクが高い。それでいて得られる利益は無いに等しいのだから、きっと“何もしない”というのが最も賢い選択なんだ。
「……迷惑なんですよ」
それなのに、僕は馬鹿だ。
「……はっ?」
10人近い人の冷めた目が僕に集まる。本当に……馬鹿だ。後悔は既にしすぎるほどしている。
「周りの迷惑くらい考えられませんか? あなた方の大騒ぎがどれだけの人を不快にさせているか。自分たちが楽しければそれでいい―――その考えがいかに迷惑か、分かっていますか?」
でも、もう止まれないし止まらなかった。つらつらと僕の口から言葉が飛び出す。たった1人、見て見ぬふりという空気と暗黙を破って彼らの前に立つ僕の口から。
「ねぇ、何コイツ。ちょーウザいんですけど」
「あれじゃね? 正義のヒーロー気取り、みたいな?」
だけど……やっぱり、何も変わらない。彼らは1人の僕を指さし、笑う。これが数の差と言うやつだ。正義は必ずしも正しい者の上にある訳じゃない。正義とは強い者、それ以上に多数派の上に輝くものだ。だからこうやって数を集め、仲間内で肯定しあって相手を悪人にしてしまえば正しい者が馬鹿を見る……。
「……マジでうぜぇンだけど。オレら楽しく飲んでたのに、君のせいで台無しなんですけどぉ?」
さっきの一気男が立ち上がり、僕の方へ詰め寄る。……自ら行動することでアピールするつもりか……なんて冷静に分析している場合じゃない。
(これは、ダメなやつだ)
僕は喧嘩なんてしたことが無いし、そもそも運動自体可もなく不可もなくだ。年上の、しかもこういうノリの出来る強者に敵うはずがない。
(……何してるんだろう、僕は)
つい行動してしまって、その結果がこれだ。やっぱり空気を読まないのは賢い選択じゃない。
けれど、僕は正しい選択をした―――それだけは、胸を張って言える。
「マジ弁償な、お前。俺らの雰囲気ぶち壊しの―――」
男がグイッと腕を引き、その握った拳が僕目掛けて飛んで……
「―――私の大切な人に触れるな」
来なかった。その手はガシッと、空中で止められる。訪れるハズだった痛みに思わずギュッと閉じてしまった目を開けると、そこには……魔集さんがいた。
「……魔集、さん?」
「君があまりにも遅いから迎えに来たんだよ。……良かった、間に合って」
魔集さんは頭一つ以上背丈の離れた大学生の男の手首を押さえたまま、僕の肩をクイッと後ろへ押した。彼女が僕を守るよう、僕に背中を見せる形になるように。
「……もしあと少し遅れてたら、私は何をしていたか分からないよ?」
ゾクッ……と、その言葉に背筋が凍る。彼女は本気だ。重たくて、冷たくて、彼女が本気で怒っている事がヒシヒシと伝わってくる。
「……なっ、なっ、、」
それは男にも伝わったのだろう。彼女の正体が魔王様であると知っていなくても。
もしくは、格下だと見下していた、たかが女子高生の腕力でピクリとも動かせなくなった彼の手に、ひっくり返った力関係を悟ったのか。
「失せろ、人間。私の彼氏をこれ以上、君達みたいな下等の匂いの中に居させたくない」
僕からは魔集さんの背中しか見えない。だから、彼女の表情は見えない。怒りか、それとも冷たい笑顔か。それは分からない。ただその言葉の鋭さと、フツフツと彼女から放たれるその威圧は、それが決して幸福なモノでは無いことを示していた。
「ご、ごめんねっ! コイツ、酔っててさっ!!」
そんな魔集さんの迫力に大学生たちは皆、「これはダメだ」と本能的に上下関係を理解したのだろう。リーダー格っぽいイケメンが僕を殴ろうとした男の両肩を叩き、魔集さんから引き剥がした。アハハ、と引きつった笑いを浮かべ、そそくさと荷物をまとめて逃げるようにその場を去っていく。
「……愚かね。酔ってるという言葉は決して、免罪符にはならないのに。それを理解出来ていない時点でたかが知れてるよ」
その背中を見送り、魔集さんはため息をついた。その息の音で僕はハッと我に返る。
「魔集さん……その、、」
「……そうね、戻ろうか。目立ちすぎたみたいだ、私たち」
その言葉で気がついた。僕に、僕らに注がれていた視線は10ではなくもっとだと。帰り支度をせざるを得なかった家族も、見て見ぬふりの観衆も、そこにいる騒ぎを知る全員が僕らを見ていた。
「ここに居てもくだらない賞賛を受けるだけだよ。人を褒めている“自分”に酔っている、そんな価値のない、ね」
魔集さんは僕の手を引き、ズイズイと人の輪の中をかき分けて歩いていく。その力強さと、頼りある背中を僕はただ見ることしか、ついて行くことしか出来ない。……惨めさも目立つな。
「ダメですね、僕。魔集さんの彼氏なのに守るどころか、守られてしまうなんて」
「……そんなことはない」
「ありますよ。僕は、魔集さんを守るとか言える強い男じゃ無いんですから……」
こんなので良いのだろうか。魔王様……その強さに守られるだけで、良いのだろうか。
「……君は強くなくていい。このままでいい。君は、君の正しいと思うことを怯まず出来る強さを貫いたらいいんだよ」
魔集さんはその足を止め、桜並木の真ん中でクルリと僕を振り返った。思わず上げた僕の目に飛び込んできたその顔は……
「そんな君を笑う奴、誹る奴は私が許さない。君のことは私が守るよ」
ニコリと、晴れやかな笑みがそこにあった。
息を忘れて僕は見入ってしまう。
「君は絶対に、私が守るから」
僕の彼女は可愛くて、それでいてカッコイイ魔王様だ。
これ程までに頼りのある“守る”を僕は知らない。
「僕は魔集さんに何も返せないですけど、いいんですか?」
「いいよ。私がそうしたいんだ。君を守りたいんだよ。……でも、そうだなぁ、、」
僕の問いに小さく首を振った彼女は少し考え込んで、そしてフフッと笑って左手の小指をスっと僕の前に見せた。
「なら、君は絶対に私のことを見失わないでね」
「見失う……?」
「うん。ずっと……私を見ていて欲しい」
そう言って少し頬を染める彼女に、僕はゆっくりと小指を近づける。そして、その小さな指と僕の指とが絡まりあって、ギュッと結ばれた。
「はい、これで約束っ! ……破っちゃ嫌だよ?」
「ええ、約束です。もしも離れてしまうことがあっても、僕は絶対に魔集さんを見つけてみせますから」
そして、僕らは指を切った。それは花見の中の、小さな約束。彼女の真意とか思っていることとか、まだ僕は全然知らない。
でも、そんな約束でも魔集さんは楽しそうだ。そんな彼女を見ていると僕も楽しくなる。ああ……本当に、良かった。
あの時、僕が感じた気持ちに迷いを持たなくて、本当に良かった。
**『4,魔王様と出会い』**
―――その日は、今日みたいな雲ひとつない青空だった。
1人というのは慣れるものだ。1人〇〇というのも一度やってみれば思ったより楽だったりする。それに、1人だとこうして自由気ままに空想しながら時間を過ごせるのがいい。
例えば新作のアニメとかラノベの感想とか、とりあえず何かについて考察してみたりだとか。
例えばコンビニに貼られたポスターが新しくなったのに気がつけたりだとか。
例えば、前を歩く同じ高校の制服を着た女の子の鞄に付けられたキーホルダーが何なのか考えてみたりだとか。
そんないつもみたいに空想を描きながら、僕は相変わらず1人でいつもの道を歩いていた。春休みが明け、今日は新学年初日。高校2年生という、世間ではアオハルだの人生の絶頂だの言われる華の年頃。……が、そんなものは僕には無縁な話だ。
別に友達が居ないわけじゃない。当たり前だ、ちゃんといる。2次元にではなく、れっきとした3次元に。
なんと、片手で数えられるほどもいる。
それに学校生活における付き合いとは友達関係だけではない。例えば“仲良くはないけど話せる奴”とかだって価値はあるだろう。
それも合わせると、なんともう片方の手も付いてくる。
とまぁ、そんな僕の代わり映えない学校生活が今日からまた始まる訳だ。けれど、特に退屈だとかはない。よく観察すれば日常と言うものは日々新しくなっていくものだと気がつけるからだ。無料で誰でも出来て、無課金でもやり方次第では十分に楽しめる。人生とは神ゲーだと思う。
昨日はあったモノが無くなっていたり、新しいモノが増えていたり。選挙ポスターの顔ぶれとか、いつも公園で見かけるランニングマンとか。
道に転がる小さなテディベアとか。
……ん? テディベア?
「……これって、、」
ふと顔を上げ、前方に目を凝らす。普段俯き気味で歩いているせいで視界に違和感を覚えるが、今はそんな事に戸惑っている場合じゃない。
(やっぱり、これはあの子のキーホルダーだ)
僕の前、二十数メートルほど前を歩く少女の鞄からキーホルダーが消えていた。ついさっきは付いていたのに、それが今僕の足元に転がっている。
少女とは同じ学校だ。なぜ分かるかと言うと単純で、制服が同じだからだ。けれど、僕の知り合いではない。……残念ながら僕の両手に女の子は含まれていない。
だから、こんなもの僕には関係ない。
「……って訳にも、いかないよね」
それでも、咄嗟に僕はそのキーホルダーを拾い上げていた。触れてしまった途端、もう他人には戻れないというのに。ちらりと見て無視するか、気づかなかったということにしてスルーを決めていれば無関係で居られた。けれど、僕はそれを拾って足早に前を歩く少女を追いかけた。
「あ、あのっ!」
数メートル程の距離に近づいたところで、僕は少女の背中に声をかけた。少女は僕の声が自分に向けられたものだと気が付いたのか、ゆっくりと振り返る。
(おっと、同じ学年か)
リボンの色で同級生だと知った。だけど、こんな子いたっけ? 肌は透き通る白桃色で、肩まで伸びた黒色の艶やかな髪。小柄で、パッと見は儚げな女の子。正直、可愛かった。そのせいで急に心臓の音が速くなり、ゴクリと予定していた言葉が途中で戻される。
「……何、かな」
警戒した声色が少女の小さな口からこぼれた。その見た目とギャップあるサバサバした口調で、僕は一気に現実に引き戻される。怪訝そうな少女に、僕は慌てて右手を出す。
「これ、落としましたよ」
パッと開いた手の中には拾ったテディベアが座っている。少女はそれを見てハッと目を見開き、すぐさま自分の鞄に目をやる。そして、そこでようやく、紐が切れて自分がそのキーホルダーを落としてしまっていたということに気がついたようだ。
「あ、ありがとう……」
少女の手がゆっくりと僕の手の上のテディベアに伸びる。そして、その小さな指がクマを包み、そこで僕らの関係は終わる。また他人に戻り、せいぜい1週間も経てば互いに忘れてしまう程度の付き合い。
そのつもりだったし、そうであると信じて疑っていなかった。けれど、少女はその冷たい手でテディベアごと僕の手をガシッと握った。その唐突の行動に僕は「!?」と驚愕する。
「……えっ」
思いがけない出来事のせいで、少女を見ることが出来ずに逸らしていた目が前を向き、そして目が合った。
「……私、君が好きだ」
そして、彼女は僕に告白をした。
唐突に、流れもなく。理由だって何も分からないままに。
一瞬、訳が分からなかった。“好きだ”……なんで? だって僕とこの少女は、たかだかつい数秒前に互いを認識したばかりだ。好きになるきっかけも、そもそも互いのことなんて塵ほどにも知らない。
分からない、分からない。
からかっているのだろうか。これは何かの罰ゲームなのだろうか。
そんなことを一瞬で考えた。
一瞬で考えて後、返事は僕の口から勝手に飛び出していた。
「はい」
理屈とか理解とかを全て通り越し、僕はそれを選んだ。僕は自分の手を握る少女の手を、グッと握り返す。
理由は……きっと、無いわけじゃない。彼女はどうなのか知らないが、僕がこの一瞬で彼女を好きになったのだとしたら、多分それはアレのせいだ。僕が求めているものを、心のどこかで渇望していたのだろうものを彼女に感じたからだ。
けれど、それは言葉にするものでも無くて、出来るものでも無い。
あぁ、そうか。そういう意味で恋は理屈じゃないとか言うのか。
「いい、の?」
突然の告白なのにあっさりと返事を、しかも肯定をした僕に、逆に少女が戸惑っていた。自分が口にしたことに我に返って「?!」と赤面したところ、そこへ僕の即答が追い打ちをかけたのだ。
「……私が告白しといてなんだけど、普通の人なら『なんで?』とか、そんな反応にならないかな、、」
「そうですか? でも正直、どタイプなんで」
「お、おぅ……君は正直、なんだな」
「彼女に嘘はつきたくないので。……それに、多分僕もあの一瞬で好きになってしまいましたから」
少女は……彼女は、どうなのだろう。あまりにも迷いなく放たれた僕の返事とその答えは。グッと、彼女の目を真っ直ぐに見据える。彼女はポカンと開けていた口をニコリと結ぶと、「ぷふっ」と吹き出した。
「君、変な人だ」
「いやいや、出会って直ぐに告白をするような人に言われたくないですよ」
「……それもそうだな。ふふっ、やっぱり私は君が好きだ。……やっと、見つけた―――」
そこまで可笑しかったのか、彼女は笑い涙を拭った。
そんな彼女の可愛らしい仕草に、僕は信じられないと思った。まさかこんなことが起きるなんて。女の子に告白されたこともそうだし、そのシチュがラブコメみたいな展開だなんて。
もしかしたらこれは夢なんじゃないか……そう思って頬をつねってみたが、しっかりと痛い。ありがたい。どうやらこれは現実みたいだ。そう、こんな世界がクルリと変貌してしまう出来事が夢だったなんて、絶対に嫌だ。
ポンッ……
「ん? 何の音です―――」
「あれ? ひょっとして―――」
そんな夢見心地の中、不意に変な音が聞こえてきて、僕は思わずその音の出処を探して目線を下げた。そして……見てしまった。
「……えっ、その、、それ、、」
「あっ……」
一気に低下する互いの語彙力。それは当然だ。だって僕の前にいる僕の彼女は……人間じゃ無かった、から。
「はわっ、! これはそのっ……あのっ……」
僕が見てしまったのは彼女の額から生えた2本のツノに、背中から生えた漆黒の翼。なんか薄く彼女を取り囲む黒々としたオーラに、ブンブンと犬みたいに揺れる、先が三角にとんがった尻尾。
そんな特徴を持つ人間がいるだろうか。いや、いない。
自分の状況と僕の視線に気がついた彼女は顔を真っ赤にし、わちゃわちゃと慌ててその“人から外れたモノ”を隠そうとする。が、時すでに遅かった。
「もしかして……バレ、てる?」
「……はい、見えてますね。わりとバッチリ」
きまり悪そうに笑う彼女に対して、僕は嘘はつけなかった。恐る恐る頷く。そして同時に、さっきとは真逆のことを思った。
(……夢であってくれないかな)
人生初めての彼女とか恋とか付き合いとかを失うのは酷く痛い。だが、それ以上にありえない現実を受け入れられなかった。
けれど、そんな僕の願いは虚しく届かない。悲しいかな、ついさっき“これは現実だ”と確かめてしまったばかりだ。まだ頬の痛みだって残っている。
「見られたなら、しょうがないね。信じてもらえるか分からないのだけど私、実は……魔王様、なんだ。……ほら、あのRPGで勇者の前に立ち塞がったり、世界を支配しようと目論んでいる……あの」
明らかになってしまったことでもう逃げられない、誤魔化しは効かないと覚悟したのか、彼女は諦めてポツリと語り始めた。僕から目を逸らし、ネジネジと肩くらいの長さの髪をイジりながら。
「……本当はね、こんなはずじゃなかったんだ。ツノも尻尾も、私が魔王だと分かるモノは全て魔法で消していた。人間からは見えないように細工していたんだ。なのに……なんでこうなっちゃうかな」
「魔法があるんですか?」
「そりゃ……魔王がいる世界だからね。当然あるよ」
彼女の声は重たかった。“なんで”……。その言葉どおり、それは後悔と諦めと呪いの込められた声色。その、彼女が魔王であると気づける要素を消していたはずの魔法が何故か僕の前で解除されてしまった……彼女の言葉からはその事への絶望めいたモノが感じられた。
「羽なら仕舞えるんだ。こうやってね」
パチンと彼女が指を鳴らすと、背中から生えている漆黒の翼がバサッと彼女の中へ吸い込まれて消えた。これも魔法なんですか?、と尋ねると、彼女は首を横に振った。
「これは身体の機能、って言った方が近いかな。羽は飛ぶ時にしか使わないから、必要時以外は仕舞っておけるんだ。けれど、ツノと尻尾はそうもいかない」
「確かに、まだ見えてますもんね」
彼女の背丈に近い大きさだった羽が消えたことでその威圧感はだいぶ下がった。が、相変わらずそのツノと尻尾が彼女を人間という括りからどうやっても外してしまう。
「うん。君たちの世界で言うと……鼻が高い人とかになるのかな。鼻が高くてコンプレックスを感じていたとして、その長さを自由自在に調整なんて出来ないでしょ? 私のツノも尻尾も同じようなものだよ。これは私の身体の特徴のひとつだから、大きさを変えたり消したり取ったりは出来ない。出来るのはせいぜい魔法で隠してしまうことくらいだね」
それが彼女の言った、そして僕の前で弾け消えた“魔法”なのだろう。聞いたところで剣も魔法もない世界で生まれて育ってきた僕にとっては未だ「?」という話ではある。けれど、少しくらいは飲み込めてきた。
「分かった?」
「とりあえず僕の彼女が魔王様だということは理解しました……。現実感は、まぁ、まだ薄いですけど」
むしろこの状況で「なるほど分かった」と全て理解出来る人がいるなら会ってみたい。初めて出来た彼女は魔王様でした、なんて夢みたいで残念ながら現実をあっさり飲み込んでしまえる人がいるなら、それは余程の夢見人か現実逃避の上手い人か何かだろう。
「そういえば、ひとつ聞いてもいいですか」
少し冷静になれてきたところで、僕はふとある事に気がついた。さっきから僕と彼女は幅の広い道の壁際に寄っているのだが、当然そこは通学路のひとつな訳で、人通りだって学生以外にもある程度盛んだ。なので、新学年初日から立ち止まって何か話している男女は通り過ぎ様にチラチラと見られていた。
そりゃ目立つよね……と、思う。僕が逆の立場なら絶対に見てしまうからだ。けれど、よく考えてみればその反応はおかしい。
あまりにも、反応が薄すぎる。
「その、”隠す“魔法が解けたのって、僕以外に何か影響はあるんですか?」
もし彼女の魔法が解けてしまったことの影響が僕以外にも及ぶなら、チラチラ見てくる通りすがりの野次馬は彼女の人ではない特徴を見ていることになる。……それに無反応なのはどう考えてもおかしい。
「僕だけ、ですか? そのツノと尻尾が見えているのも、その、正体を知っているのって」
彼女はこくりと頷いた。そういう事か、思った通りだ。彼女が、彼女の正体が実は魔王様だと知っているのは世界でただ1人、僕だけなんだ。
「理由はさっぱり分からない。なぜあのタイミングで、君にだけ私の魔法が効かなくなったのか。けれど君の言う通り、君以外にはまだ私の魔法は通用しているよ。だから今の私たちは、彼ら彼女らにとってはただ道の橋で語らう男女にしか見えていないはずだ」
「……それは不幸中の幸い、ですね」
もし他の人にも見えていたのなら、彼女は初日からこの世界に居られなくなってしまうところだった。もしくは僕らがこの世界で過ごせなくなっていたかもしれない。
どちらにせよ、彼女が魔王である……という奇想天外で、それでいて現実な事実が周知のモノになってしまった時点で僕らの関係は終わりだ。なんせ“魔王”、なんて存在をこの世界が受け入れるはずがないのだから。
「不幸中の幸い、か……」
それは彼女も理解しているのか、僕の言った言葉をゆっくりと噛み締めるように繰り返す。目を伏せ、何か思い悩んでいる様子の彼女。しばらくして上げたその顔は……今にも泣きそうな、弱いものだった。
「……幸い、なんて無いよ」
彼女は無理やりにしか思えない、辛そうな笑顔を作った。絞り出すように、その言葉が僕の胸をギュッと握り締める。
「ごめんね、君。嫌だよね。魔王の彼女なんて……気味悪いし恐ろしい、よね」
きっとそう言う……、僕の予想通りの言葉を、彼女は口にした。自分が人間でないから、普通でないから、魔王だから……と。
確かに驚いたし、今もまだ理解は追いついていない。
そもそもあんな唐突の告白自体、まだ夢なんじゃないかとさえ思ってしまうくらいなのだから。
けれど、僕は彼女にも言われた通り多分変なやつなんだろう。
「……僕を利用するつもり、だったんですか?」
「それは違うっ! 断じて違う。……確かに私がこの世界に来て、この世界の学び舎で時を過ごす目的は、将来的にこの世界を支配するための足掛かりだ。だけど、君への気持ちは―――あの時感じた胸の高鳴りは嘘じゃないっ!!」
即答、彼女は否定した。
ならいいじゃないか。君が好きだ……未だハッキリと耳に残っている彼女の言葉が僕を利用するための嘘なら話は別。けれどそうじゃないなら、僕に彼女を拒む理由はない。
「……信じますよ」
「うん、信じて欲しい。私は君が好きだ。好きだと、あの時ハッキリと感じたんだ。理屈なんて通り越して、君なら私を見てくれるって」
すがるように、彼女の綺麗な瞳が僕を真っ直ぐに見据える。食い気味のせいか、軽く火照った頬と少し荒い呼吸。グッと縮まった距離。
彼女が魔王様だとしても、人間じゃなかったとしても、何でも許せてしまえそうだ。可愛いは正義、とはこれの事か。
「なら、改めて。僕も、好きです。魔王様だとしても、好きです」
「……そ、そうか。嬉しい……な、、」
言われ慣れていないのか、彼女の口元は緩みまくっていた。張り詰めていた緊張が解け、彼女の体から余計な力が抜けていくのが分かる。
「ふふっ、やはり君は変だよ」
「そうですね。今しがた自覚しました」
変、か。きっと彼女に出会わなければ一生気がつくことのなかった僕の一面だな。こんなこと、無縁だと思っていたのに。こんな可愛い彼女とか、俗に言うアオハルってやつとか。……まぁ、相手は魔王様なのだけど。
そんな訳で、今日から高校2年生になるその初日。雲ひとつない快晴の下で僕は運命の女性に出会った。可愛さとカッコよさを兼ね備えた僕には勿体ない美少女。ただ一点、その正体が魔王様だというスルー出来ない重大な点を持つ僕の彼女。
えっと……あっ、そういえば今の今まで忘れていた。
「「君の名前、知らないっ……!」」
その言葉はほぼ同時に僕と彼女の口から飛び出て、空中でぶつかり合った。その偶然に僕らは互いに目を合わせ、可笑しいねと笑い合う。なんか、こういうのが起きるのは恋人っぽい。
「魔集結、それが私の名前。“魔を集わせて結ぶ”と書いて、魔集結。君は?」
彼女、魔集さんはニコリと笑って僕に右手を差し出した。魔を集わせ結ぶ、か。魔王様らしい名前だ。
「染木葉鳥です。よろしくお願いします、魔集さん」
僕も自分の名を名乗り、差し出された彼女の手を握り返した。冷たい。でも、僕の心はドキドキと熱く高鳴っていた。これから先の僕らへの期待に胸膨らませ、ってやつだ。
「よろしくね、染木くん」
パッと手を離した彼女はクルリと僕に背中を向け、そして一度だけ振り返って笑った。そして僕らは揃って学校への道のりを再開する。先を歩く魔集さんの小さた背中を見つめながら、僕は歩く。
こんな風に1人じゃない登下校なんて、いつぶりだろうか。
「あぁ、そうそう。知ってると思うけど……」
感傷に浸る僕の方をチラリと、不意に魔集さんが見る。
「私、転校生なの。君と同い年、同じ学年だよ」
学年ごとに色分けされた、水色のリボンをヒラヒラと揺らし、魔集さんはニカッと笑った。
「クラス、同じになれたらいいですね」
「うん、同じだといいね」
誰かと同じクラスになりたい、という願いを持ったのは初めてだ。そうか、毎年毎年クラス替えのたびに皆がソワソワしていたのはこういうことか。
確かに、こんな気持ちは落ち着かないな。
魔集さんが居るこれからの日常は、僕にとっても色々な“初めて”を知る日々になりそうだ。
**『4,魔王様と油断』**
新しいクラス、学年も始まって半月ほど経つと慣れがやってくる。これまでは慌ただしくて立ち止まることも出来なかったのがようやく落ち着き始め、改めて考えてみたり出来るようになる頃合が今だ。そこで、僕は時折不安になることがあった。魔集結、僕の彼女は油断をしすぎなんじゃないか、と。
油断と言ってもスカートの丈が短すぎるだとか露出度が高いとか、男友達を許し過ぎているとか、そういう事じゃない。
転校初日、魔集さんと僕は同じクラスになることが出来た。しかも隣の席というオマケ付き。新学年初日から席替えを行うアクティブな担任だった事に感謝しなきゃいけないな。
転校生といえば高校になっても看過は出来ない大きなイベントである。それは魔集さんだって例外ではなかった。女の子で、しかも可愛いとなれば当然スルーなんてされる訳がなかった。
その最初の休み時間、魔集さんとコミュニケーションを取ろうとした男子勢の前であっさりと『私、染木くんと付き合っているから』と明かされた時になんとなーく嫌な予感はしたのだ。そのせいで新学年、新クラス早々大きく目立つことになってしまった僕ら。
その時に、もしやとは思った。
(……魔集さんって、ひょっとして天然な人?)
僕と魔集さんは互いをミリも知る前に恋人という関係になった訳で、後になってポロポロと色んな側面が見えてくる。それもそのひとつだった。
―――魔集結はどこか抜けている。
例えば、これは先日のこと。
『なぁなぁ、魔集さんって好きな曲とかあるん?』
魔集さんは僕の彼女だ、というスクープはクラスどころか学年中の知るところとなっている。それでもなお、未だに魔集さんを諦めない同じクラスの関西人が休み時間を利用してふと魔集さんにそんなことを尋ねた。「それ気になる〜」と乗っかる周り。僕は隣の席でノートを見返しながら、耳はバッチリ魔集さんとその周りの会話に向けていた。……確かに気になる。
『……好きな曲、か。ひとつに決めるのは難しいな。そうだ、その答えをアーティストで括ってもいいかな?』
『ええで! それでそれで、どのアーティストの曲聴くん?』
魔集さんは少し考え、クスッと笑って答えた。
『シューベルトの曲とか―――』
『ブフーッ!?』
その答えに思わず吹き出してしまった。魔集さんが「だ、大丈夫?」と僕の方を心配そうに見る。関西人は僕の反応のせいで邪魔された、と口をすぼめていた。
が、そんなのはさしてどうでもいい。
問題は魔集さんのチョイスと、あと多分彼女が何も狙わずに適当なアーティスト(?)の名前を出したであろうこと。
(シューベルト……なんでピンポイントで『魔王』を射抜く!?)
魔集さんはこの世界に来てまだ日が浅い。後々知ったのだが、彼女のこの世界に関する基礎知識は魔法で適当に補っているらしい。“バレなければ”、この世界でも魔法は使っていいらしく、例えば日本語とか漢字とか基礎常識は魔法を使って何とかしたらしい。
それってどんな感覚なんですか、と魔集さんに尋ねたことがある。彼女の返事は、「脳内に全能書……この世界的に言うと“何でも分かる本”がある感じ」だそうだ。そのため高校2年生までに習う内容だとか、信号は“赤は止まれ”みたいな常識はあるらしい。
恐らく、彼女は好きなアーティストと言われて古今東西の音楽に関わる人物をパラパラと探したのだろう。現代で有名な名前を出さなかったのはナイス判断だ。なんせ、もしその人のガチファンみたいなのが居たら、間違いなく魔集さんの嘘が露呈してしまうから。
だから古い時代の音楽家の名前を出したのは良いけど……にしても、ああも都合良く危ういのを引くだろうか。
そんなこんなで、言っていることの意味を自分でも理解していない―――というチグハグが良く起こる。
「……という訳なんで、気をつけてくださいね。魔集さん、正体がバレたと知られたらこっちに居られなくなるんですよね?」
「うん。もしバレたらあっちに帰らなくちゃならない。君とも離れなきゃいけない」
「それなのに……あんなガサツでいいんですか?」
「ガーン……! そ、そんなに私、抜けていたかな……?」
ああ、やっぱり無自覚だったか。
「なんというか、“よくよく見れば浮いている”って感じでしたね。大丈夫でしょうけど、なんだか日本に来たての外国人みたいです」
「ううぅ、バレないように気をつけていたつもりなのに……」
「えっ、アレで気をつけていたんですか?」
と、最後の言葉が魔集さんにトドメを刺してしまったようだ。うっ、と胸を押さえ、魔集さんはドサッと机に突っ伏す。容赦が無かったか。
「……酷い、染木くん」
「いや、このままだと割とすぐにバレそうだったんで……」
シューベルト事件はクラシック好きで押し切れたとしても、『食券を売る機械に“あっち”の紙幣を入れようとして、「あれっ? おかしいな……」と苦戦していた事件』とか、真顔でサイコパス発言を繰り返したりは流石にマズイ。
そこまで行くと油断と言うか、救いようがない気がしてくる。ここ半月、どれだけ僕が彼女の出したボロを誤魔化してきたか。名レシーバーとして日本代表に呼ばれてもいいくらいの活躍はしたと思う。
「とりあえず、魔法に頼らずに何とか出来るレベルの知識は身につけましょう。それで、この前僕が言ったモノは買ってきましたか?」
「ふふっ、抜かりないよ。昨日の放課後に書店という所に行って選んできたからね」
魔集さんは自信たっぷりに胸を張り、鞄の中からガサゴソと、そして「じゃっじゃーん!」と近所の書店の袋を取りだした。
その中身は漫画だ。そう、僕の作戦は魔集さんに漫画でこの世界を知ってもらおうというもの。漫画なら文字メインの小説よりも見やすく、絵なので視覚的にも分かりやすいはずだ。青春モノとか学園モノとかならちょうどピッタリ。外国人もアニメや漫画で日本を知ると言うし。
「本当は漫画よりもアニメやドラマ、動きがあるモノの方が理解はしやすいと思うんですけど……」
「うん、ごめんね。私の家には“すまほ”と言うやつも“ぱそこん”と言うやつも、“てれび”と言うやつも無いんだ」
「聞いた時はびっくりしましたよ。今の日本でその3つの普及率って9割越えてるでしょうからね……」
「そうなの? まあでも、私には必要ないからね」
魔集さんは遠い目をしていた。どうやら彼女の家はネット環境もテレビも無い、対NHK無敵の空間らしいのだ。というか、家電もろくに無いらしい。ちなみにその理由を聞いてみると、
『……え? だって、大抵の事は魔法で事足りるからね』
だそうだ。こういう時本当に便利なんだなと羨ましくなる。人にバレてはいけないという縛り付きの魔集さんの魔法も、一人暮らしの家の中でなら好きに使える。なるほど、それはわざわざ重くて高くてスペースもとる家電なんて要らない訳だ。
(まぁ、出来ればスマホは持ってて欲しかったけど。連絡とか、取れないし)
僕だってそういう“家に帰っても電話したりLINEしたりする”、みたいなあるあるに全くの憧れがない訳では無い。
……と、いけない。今はそんな幸せな事を妄想している場合じゃなかった。
「出来れば僕も一緒に行って、魔集さんに合うものを探したかったんですけど、すみません。放課後は補習で行けなくて」
「ううん、私一人でも大丈夫だったよ。君は勉強を頑張って!」
「ありがとうございます。それで、どんなものにしたんですか? まさかとは思いますが、僕の言った条件はちゃんと守れてますよね?」
「もちろん。“日本を舞台にした、現実設定”でしょ?」
そう、そこが重要だ。異世界転生だとかを選んでしまうと間違った知識が身についてしまう。スキルもギルドも日本にはないのだから。
「見せてもらっても?」
「はい、これよ」
スっと出した僕の手に、魔集さんは袋から取り出した1冊の漫画をトンっと載せた。
「日本が舞台で、現代のお話。主人公は学生じゃないけど、なんだか私に似てる気がしてね」
「へぇ、それは良さそうですね。それで、タイトルは……」
聞く分にはちゃんと趣旨を理解しているようだ。ペラりとブックカバーを外し、表紙とタイトルを確認する。
「ふふっ、良いでしょ? “はたらく魔―――」
「いっ、今すぐに返品してきてください!!」
似てるというか、まんまじゃないか。
……やっぱり、僕の彼女はどこか抜けていると思う。
**『5,魔王様とコンビニ』**
「今日、一緒に帰らない?」
トントン、と魔集さんの爪が僕の机を叩く。その音に反応して見上げると、鞄を後ろ手に持った魔集さんが僕の机の隣でニコリと笑っていた。だけど、心苦しいがその提案は飲めない。
「でも、僕はこの後補習があるんですよ。そんな、待ってもらうなんて悪いですよ」
「私は気にしない。ふふっ、君と一緒に帰れるならいつまでだって待つよ」
「いや、でも……」
「“でも”、じゃない。私が待ちたいから待つの。それで、補習って何時くらいに終わりそう?」
「そうですね……」
チラリと目をやった時計の針は、今がちょうど15時30分と告げていた。
僕は世間的に見れば頭が悪い訳では無い。勉学は可もなく不可もなく、だ。賢でもないが馬鹿でもない、いわゆる平均的な生徒。だからここで言う“補習”とは勉強についていけていない者を対象にしたやつではなく、この先、大学とか進路を目指した、まぁ特訓みたいなものだ。追加授業のようなもの。
(魔集さんは……受けないよね、うん)
それは就職せずに進学を志す者が受ける補習なので、魔集さんは当然その対象外だろう。なんせ、魔王様なのだから。進路……どうするのだろうか。
「……17時頃だと思います」
「じゅうなな……12を引いて、5時か。分かった。それまで待っておくよ」
「すみません……」
「はいダメ。私、言ったよね? 私が君と帰りたいから待つの。だから、君が気に病む必要は全く無い。じゃあそういうことで、勉強頑張ってね?」
「は、はいっ! ありがとうございます」
返事代わりに彼女はニコッと笑みを浮かべ、「じゃあまたね」とスタスタと軽やかに教室から出ていった。図書室か自習室か、それとも外で僕が終わるのを待ってくれるのだろうか。
(……頑張らなきゃな)
俄然、やる気が起こる。魔集さんに待ってもらっているのだから、そして終わったら彼女と一緒に下校出来るのだから。これで燃えないわけが無い。ガラではないけど。
そのおかげか、この日僕は過去最高点を取った。
* *
「おっ、来たね」
補習を終えた僕を、宣言通り魔集さんは待ってくれていた。僕の下駄箱が見える位置のガラス戸にもたれかかった魔集さんは僕に気が付き「やぁ」と手を振る。
「ずっとここに居たんですか?」
想像はついていたが、やっぱり申し訳ない。補習が終わるまでの数十分間、彼女は1人で立っていたのだから。
「ここに居たら君に絶対会えるからね」
「そりゃ……まぁそうですね。携帯、持ってないですもんね」
図書館や自習室に居れば時間は有意義に使えて楽だが、反面入れ違いになってしまって中々会えなかったりするかもしれない。そういう意味では帰る際に絶対に通る下駄箱、というのはいい位置取りだ。
(次からは時間と場所をきちんと決めておかないと)
そこは少し反省しないといけないな。
「じゃっ、帰ろっか」
「そうですね。帰りましょう」
ギギッ、と軋む音を立ててガラス戸が開く。いつかの登校時と同じように魔集さんが前を歩き、僕はその後ろを着いて行く。隣に立てないのは、多分まだどこか恥ずかしいから。
「そういえば君、どうやって帰ってるの?」
「僕は電車です。魔集さんは?」
「私は歩きで通える距離。てことは、そんなに長いこと居られないね」
魔集さんは残念そうに肩を落とす。学校から最寄り駅までは徒歩で15分ほど。帰る方向が同じなのが精一杯の救いだった。
それにしても、思えばこうして一緒に帰るのは初めてだ。いつも僕は補習で、魔集さんとはタイミングが合っていなかったから。付き合っているのに、やはりまだお互いにそこまで深くは知らない。
「……ねぇ、染木くん。この後ちょっと時間ある?」
「あ、ありますよ。特に用事も無い、ので」
唐突に、前を歩く魔集さんがそう尋ねてきた。その質問に僕の心臓がドクンと大きく跳ねたのが分かる。今日、この後……何故か、落ち着かない。もしかしてこの後、、ダメだ。ドキドキと想像が膨らんでしまう。
「何、するんですか」
「うーん、ちょっと行きたい場所があってね。付き合ってくれる?」
ということは、魔集さんの家では無いか。うん、それは期待しすぎていた。僕は自分が気持ち悪いことを期待してしまっていたことに変な恥ずかしさを覚えた。
「いいですよ。そういえば魔集さん、この街に来てまだ半月ですもんね」
「ふふっ。だから君を誘ったんだ。君がいると心強いからね」
つまり僕は案内役、か。まぁ任せて欲しい。僕は生まれも育ちもこの街だ。全てを知っている、と豪語は出来ないけど、それでも多くの魅力は理解しているつもりだ。魔集さんにこの街を案内するくらい容易い。
「……あと、君ともっと長く居たいからね」
「あ、すみません。ボーっとしてて、、。何て言いました?」
しまった、まただ。さてどこを案内しようかとワクワクしていたせいで魔集さんの言葉を聴き逃してしまった。なんかいつもより声が小さくてボソッとしていた気はするけど。
「教えなーい。聞いてなかった君が悪いんだよ」
「うわっ、大事なことなのに1回しか言わないタイプの先生ですね」
「ふふっ。大事なことだから、1度しか言わないんだよ。だからこそプレミアで、大切に出来るんだから」
クスッと小悪魔のように僕をからかう、悪魔より恐ろしい魔王様。やはり僕にこの人はもったいない。
「ところで、魔集さん。行きたいところってどこですか? アバウトな行き先でも僕は案内出来―――」
「ううん、案内は大丈夫。ここよ」
ここ? 簡素な通学路に何か魔集さんの気になりそうなスポットなんてあっただろうか。脳内地図と脳内ガイド帳を照らし合わせながら僕は魔集さんの立ち止まった場所で足を止め、辺りを見渡す。
「もしかして魔集さんの“行きたかった場所”って……」
「そう、ここよ。こっちの世界では“こんびに”と呼ばれているらしいね」
そこにあったのは……どこにでもあるコンビニ。
どこにでも、この街以外にも普通にある。
「ここでいいんですか? 買い物なら駅前のモールとか、、」
「ここが気になっていたんだよ、私っ! だって、凄いんだよ? 私がいつも使っているスーパーより格段に狭いのに、“何でもある”という利便性を謳っている!! しかも値段が高い高級品揃い!! これは一度その実態をこの目で見てみないとね……!」
じゅるりとテンション高い魔集さん。コンビニの商品がスーパーより高いのは別に高級だからって訳じゃ無いんだけど……
(まぁ、言わなくていいか)
コンビニを前に目をキラキラ輝かせる彼女にその事実を伝える勇気は僕にはなかった。勘違いだけど、まぁいいや。本人が楽しそうならそれで。
「魔界にはコンビニって無いんですね」
「うん、無いよ。あっても私は魔王だから行かないし」
そりゃそうか。天皇陛下がコンビニで買い物をしている光景、なんて想像できないし……。それと同じことか。
「なんか、気合い入れてた僕が馬鹿みたいですね」
「気合い?」
「いえ、魔集さんにこの街を案内出来るんじゃないかってちょっと勝手にワクワクしてたもので」
早とちりだったんだけど。思い返すとなんか独り相撲で恥ずかしい。
「じゃあ、それは今度お願いしようかな」
「今度、ですか?」
「うん。ふふっ、それが私たちの初デートになりそうね」
初デート……新鮮な響きだ。そして、ドキドキする響きだ。僕はコクコクと頷くことしか出来なかった。そんな壊れた人形みたいな僕を見て、クスリと魔集さんの表情が綻ぶ。ああ、やっぱり僕はこの人のことが―――
「好きで―――」
「はいはい。じゃあ、行くぞっ! 出陣じゃあ〜〜」
ムグッ、と僕の口を塞いで魔集さんは早足でコンビニへと攻めて行った。そんな彼女の背中を呆然と見送り、確かに思う。
(こう見るとコンビニって、この狭さで割と本当に“何でもある”の凄いよな……)
なんか、魔集さんが惹かれた理由が分かった気がした。いつでもあるから当たり前みたいに思ってたけど、結構考えられているんだな。
そんな気がしたところで、慌てて僕は彼女を追いかけてコンビニへ急ぐ。帰り道にコンビニに寄る、なんてたかが日常なはずなのに、なんだか初めて来たような感覚がした。
ビロリロリロ〜♪
いつもの入店音も、この時だけは何故か緊張する。
* *
「とりあえず魔集さん。魔界のお金は捨てませんか?」
「ううっ、ごめんね」
「店員の人すごい顔してましたよ」
警戒しておいて良かった。いつもの癖なのか、まだ日本に慣れていないのか。“また”、彼女の抜けた一面を見た。パッと見、魔界の紙幣と日本の紙幣の共通点は“紙であること”くらいな気がするけど。慣れ、とはそんな恐ろしいものなのだろうか。
なんてことを考えながら、僕はコンビニで買い物した商品を袋から取り出す。
「はい、これ。魔集さんの分です」
「あ、ありがとう。えっと、お金お金……」
「いいですよ、別に。僕が出しますから」
「そんな訳にはいかないよ。君と私、きちんと対等にしないと」
僕は魔集さんが買った商品だけ渡して手を引っ込めたのに、彼女は首を横に振った。だが僕だって受け取る訳にはいかない。たまには良い所も見せたい。
「魔集さんは今日、僕を待ちたくて待っていてくれたんですよね?」
「うん、そうだけど……」
「なら僕も、魔集さんに買ってあげたいからお金を出すんです。これなら良いでしょう?」
「……君は強情なんだね」
「魔集さんに言われたくないですよ」
「ふふっ、それもそうだ」
分かった、じゃあ君の言葉に甘えるよ。と、魔集さんは取り出した財布を鞄にしまった。そして僕らは横並びでコンビニの前、買った商品を手に持つ。パキッ、とプルタブを弾いた。その音と香りに魔集さんはチラッと反応し、怪訝そうに眉をひそめた。
「君、そんな苦いのがよく飲めるね」
「コーヒーのことですか? 美味しいですよ」
僕が買ったのは缶コーヒーだ。それも無糖のブラック。無理している訳ではなく、普通に飲める。が、魔集さんにはそれが理解できなかった模様。「うぇぇ」、と苦そうな顔をしている。
「そういう魔集さんは随分と“らしい”ものを買いましたね」
「ふふふ、実はこっちに来てからハマっちゃった」
ビリッ、と袋を破く軽快な音。魔集さんはその袋の中身を、それを自慢するように輝く目で僕の前に見せてきた。
「じゃっじゃーん! シュークリーム〜♪」
コンビニスイーツの中でも僕は結構上位と思っている、定番中の定番。それを前にテンションが上がっている様もそのチョイスも、やはり魔集さんは魔王である以前に女の子なんだな。
「私はシュークリームオタクになってしまったかもしれない。なんと言ってもこの甘さ! そして口の中で溶ける柔らかさっ! 全く、人類はとてつもない甘味を生み出したものだよ〜〜」
ルンルンと小さく体が揺れている。ふふっ、本当に好きなんだな。
「そういえば僕、シュークリームなんて長いこと食べてないですね」
「そうなの? 君……人生の8割り損してるよ」
「そんなにですか!? まぁでもコンビニのお菓子って高いですし、そんな軽々と手は出せないんですよね」
小学生の時とかはご褒美だとよく買っていたっけ。それ以来だから……数年も食べてない。そんな事をふと、シュークリームに心を奪われている魔集さんを見て思い出した。
「ハムハム……」
僕の隣で魔集さんは自分のシュークリームをパクリと、その小さな口をいっぱいに開けて幸せそうに頬張っていた。そのせいで口元にクリームが付いてしまっている。
「魔集さん、ココ」
僕は自分の口元を指で示して、魔集さんに「付いてますよ」と伝える。が、彼女は「?、?」と首を傾げ、その指先は空振りを繰り返していた。
「……むぅ。染木くん、取って」
「ぼ、僕がですか?」
「うん、君以外に誰がいるの? 君からは私の顔が見えてるんだし、容易いよね?」
たしかに容易い。
けれど、それをやるのは容易くない。
「どうしたの?」
「い、いえ。じゃ、じゃあ失礼して……」
僕は人差し指をゆっくりと魔集さんの顔に近づけた。
「んっ、」
「っ!?」
僕の指が近づくのを見てか、おもむろに目を閉じ、顎をクイッと上げて僕の元へ近づける魔集さん。その距離が近づいたことに、その顔をじっくりと見ることになったことに、僕の胸のバクバクがグンと高まる。
「早くぅ」
「す、すみませんっ……」
ブンブンと首を横に振って余計な雑念を取り払い、つーっ、と僕は指で魔集さんの口元を撫でた。指先にぷるんと白いクリームが付く。
「取れた?」
「はい。もう大丈夫ですよ」
パチッと魔集さんは目を開き、僕の指先に乗ったクリームを見て「ありがとね」と笑った。いえいえ、と返事をしつつ、そのクリームの処理はどうするべきかと考える。
「……染木くん」
「なんですか?」
考えながら返したせいで、少し素っ気ない言葉。
次の瞬間、僕の帰り場所の定まっていない人差し指がフワッと温かくなった。
「はむっ」
僕の指をクリームごと、前髪をかきあげながら食べる……そんな彼女に、理解とか思考とか僕の諸々が爆破されたかのように彼方へ吹き飛んだ。
「ま、魔集さんっ!? 一体何を―――!?!?」
「くふっ、美味しいね」
チュパッと甘噛みしていた僕の指を離し、彼女は二ヒッと笑う。夕日のせいか、その頬は軽く赤らんでいるように見えた。
「ほんと、いきなり過ぎますよ……」
「ふふふ、ごめんね。クリームを無駄にはしたくなかったの」
「そ、それだけで男の指を食べます? 普通」
「だって、私シュークリームはクリームが全部だと思ってるから。ほんの少しだとしても無駄にしたくない」
「その理論、ガチ勢が聞いていたら殺されますよ」
確かにシューの味ってしないけど。
はぁ、と思わずため息がとび出た僕を隣の魔集さんが見上げる。
「ひょっとして嫌だった?」
「……それ、分かってて聞いてます?」
しおらしい言葉と真逆、見上げる魔集さんの表情は悪戯っ子のようにニヤニヤとしていた。僕の反応を見て楽しんでいるのは明らかだ。ならば、こっちにも考えがある。
「……パクリ」
僕は何も言わず、魔集さんの手……の、中のシュークリームをひと口食べた。さすがに彼女を食べる勇気は、今の僕には無い。
「あーっ! 君っ、それはやっちゃダメだよっ!!」
うん、久しぶりに食べると美味しいな。
魔集さんは僕のせいで自分の食べる分が少なくなってしまったことに憤慨していた。ひと口分減ってしまったシュークリームを口惜しそうに眺めている。が、それだけじゃない。
「まぁ、僕は気にしないですけどね」
「な、なんの事……あっ」
ハッとした魔集さんの目がシュークリームと、僕の口とを交互に見比べる。
「お返しです。魔王様は寛大ですから、僕との関節キスくらい余裕ですよね?」
「ぐぬっ……ふふふっ。もちろん余裕よ。君と口が触れるくらい、どうってこと無いね」
「そうですか。それは良かったです」
パクリ、と残ったシュークリームを齧る魔集さんの顔は、言葉とは裏腹に真っ赤になっていた。でもどこか嬉しそうに見えたのは、気のせいだろうか。
「んもうっ、君は悪魔だ。君のせいで私の食べる分が減っちゃったのは私、許せないんだけどね」
「ならもうひとつ買いましょうか?」
僕が勝手に食べたのだから、ひと口とはいえお金は出す。僕はポケットから財布を取りだした。が、魔集さんはゆっくりと首を横に振る。
「今はいい。また明日、買ってもらうよ」
「明日、ですか?」
「うん、明日。明後日、明明後日……いつでもいいよ。ふふっ、毎日でもいいかも」
「毎日はさすがに破産しますね。コンビニスイーツって馬鹿にならないんですから」
「そっか、それは残念だ。……なら、ただ一緒に帰るだけでもいいよ?」
一緒に帰って、たまにコンビニに寄るような関係。
それは……きっとすごく楽しいだろう。
「でも、ずっと僕を待ってもらう訳には―――」
「なら私も君と一緒に補習を受けるよ。それなら君も気にしなくて済むでしょ?」
「えっ? でも、魔集さんは進学とかしないんじゃ……」
それなのにどうして勉強をするのか。受験勉強なんて、彼女には要らないのに。そんな僕の疑問に、チッチと指を振って魔集さんは笑顔を見せた。
「そんなの、もっと君と一緒に居られるからに決まってるじゃないか」
最後の一口を飲み込み、トンっと跳ねた魔集さんは僕の手を引く。
グイッと力強く引っ張り、楽しそうに。
「もうコンビニはいいんですか?」
「うん、満足したっ。それに、これから君と何度だって来れるしね」
僕の手を引き、彼女は振り返って明るく弾けて笑う。
(……何度だって、か)
そんな僕の彼女であり、その正体は魔王様な魔集さん。
こんな楽しい日々がこれから先も待っているのかと思うとワクワクして、僕はシュークリームより懐かしい気持ちを思い出した。明日が楽しみだ―――なんて、遠足前の子供のような気持ちを。
まだまだ僕の知らない魔集さんを知っていきたい。
これから先もずっと隣で、魔王様の彼氏として。
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