「もっきり」の日本酒と緑茶、そののちコーヒー。
日本酒とコーヒーを特に好みます。
テレビで居酒屋の映像が流れています。
美味しそうな日本酒。
お酒の提供のイメージ映像として、日本酒の方が映えるのかなぁと思ったり。
「もっきり」
この言葉を知っている人は、たぶん酒好き。
知らなくてもなんの支障もない言葉ですが、どうでもいい内容のエッセイなので、だらだらと読んでください。
さて、「もっきり」。
居酒屋などで、日本酒を注文すると、ガラスのコップが入った枡を出されます。
頼んだものは、純米酒一合としましょう。
一合。180ccです。
牛乳瓶一本と同じ量ですね。
でも、目の前にあるコップはどう見ても180ccは入らなさそう。
そこで、木の枡の出番です。
コップに一升瓶から日本酒が注がれます。
とくとくとくとく。
半分、8分目、コップのふちギリギリ。
ああ!あふれる!
表面張力の限界値を超えて、日本酒がコップからこぼれます。
つぅっ、と日本酒がガラスの表面を流れ落ちます。
そして、それは木の枡の中へ。
そう。
「もっきり」は、こぼれるほどのお酒を注ぐことで、お客様にお得感を与える提供方法です。
飲み方は、ガラスのコップを枡から取り出して、おしぼりなどで底を拭いて、そのまま飲む。
そして、枡にこぼれた酒はそのまま枡酒として木の香りを楽しみながら飲む。
まぁ、ガラスのコップの方を飲み干してから、枡にこぼれた酒をまたコップに入れて飲むパターンでも、枡だけで飲むのもありです。
なんでもいいのです。
残さず飲めれば。
個人的には枡ではなく、小皿にガラスのコップをのせたパターンも好きです。
なみなみと注がれた日本酒を口をすぼめて、ずずっと音を立てて飲む。
音が出るので下品な印象になりますが、空気と混じることで、日本酒の香りを存分に楽しむことが出来ますしね。
そして、少し量が減ったら、そこで初めてガラスのコップを持ち上げて、おしぼりの上に置きます。小皿を傾けて、こぼれた日本酒をコップに足す。
このちょっと足す感じが楽しいです。
小皿からそのまま酒を飲んでもいいですね。
普段しないような無作法な感じをおおっぴらにする背徳感が楽しいです。
さて。
「もっきり」は基本的に居酒屋です。
しかし、私のファースト「もっきり」は夕飯のこたつです。
物心つく前から、祖父が日本酒か焼酎か覚えてませんが、とにかく酒をコップぎりぎりまで注いでいました。
もちろん、自分で。
そして、口をすぼめて、亀のように首を伸ばして、コップのふちに顔を近づけます。
慎重に。
表面張力限界ぎりぎりのなみなみとした酒が入ったコップ。
そこに、ライドオン。
「ずずずっ」
音を立てて飲む祖父。
それがとても嬉しそうな顔で飲むんですよ。
毎回毎回。
おじいちゃんっこだった私は、それが何なのか分からないけれど、とにかく祖父が楽しそうに飲むので、当然真似したくて仕方がありませんでした。
やりました。
緑茶で。
湯呑み茶碗にお茶を注ぐときは、たぷたぷになるまで入れます。
あっつあつの熱燗を飲む祖父を真似して、熱さの予感を持ちながら、「ずぞぞっ」と飲みます。
案外、緑茶の香りが普通に飲むよりも楽しめたので、毎回お茶を飲む時は「もっきり」にしていたように思います。
居酒屋でも表面張力ぎりぎりで注ぐものだと思っていたので、「そんな…店員さんの個々の能力が試されるんじゃないか!指名とかするのか?」と思っていましたが、小皿とか枡が出てきたので、なるほどなぁと思ったわけです。
このお茶の「もっきり」を楽しんでいたせいか、社会人になってから来客用のお茶を用意した時、どうも9分目まで注いでしまうことが多く、運ぶのに苦労したりしました。
そんな「もっきり」。
大人になったので、日本酒も緑茶もぎりぎりを攻めて自分で注ぐこともなくなりました。
「もっきり」と出会うのは、居酒屋だけ。
そんな大人な関係になった私と「もっきり」ですが、思いがけない場所で出会いました。
その日、本を買った私は、何度か行ったことのあるカフェに向かいました。
買った本を読みながら、コーヒーを飲みたかったのです。
けれど、週末にも関わらずその日はカフェはお休みでした。
雨が降っていたので、とにかくあたたかいコーヒーを飲みたくて仕方がない。
しばらく考えて、近くにある別のコーヒー店に向かうことにしました。
初めて行く店だったので、どんなものか分かりませんが、とりあえず近いし、コーヒー飲みたいし、ということで向かいました。
店内はカウンター席とテーブル席が数席あるこじんまりとした店。
ちょうど他の客もおらず、1人だけ。貸し切りのようになりました。
私は、本をゆっくり読むため、テーブル席に座りました。
メニュー表を見ると、最近主流のフルーツ系の華やかな香りの豆ではなく、昔からのブラジル、モカ、マンデリンといった馴染みのあるシンプルな豆たちでした。
「すみません。マンデリンを」
「はい。お待ちください」
60過ぎのヒゲのマスターがおだやかに対応します。
最近、マンデリンのコーヒーがメニューにないことも多くなっていたので、これは好みの店を見つけたぞとほくほくとしながら、本を開いて読み始めました。
ゆっくりとコーヒーを淹れる香りが私の座る席まで漂ってきます。
久々のブレンドではないマンデリン。
内心わくわくしながら待っていました。
本を読み進めていると、人の気配。
どうやら、マスターがコーヒーを運んできたようです。
テーブルの上にのせて読んでいた本を閉じて、場所をあけます。
ふと、視線をあげると、ソーサーを手にしたマスター。
その手にあるソーサーの上には、
「もっきり」のコーヒー。
「…………(えー!?)」
「お待たせしました。マンデリンです」
表面張力を保ったままのカップがのったソーサーをマスターがそっと私の前に置きます。
「ありがとうございます………(こぼれてない!まじで?!すごいな!でも、なんで「もっきり」?!)」
内心大盛り上がりの私。
まさかノンアルコールの、しかもホットコーヒーで「もっきり」が来るとは。
「あの、すごい量ですね」
コーヒーカップも140ccに合わせた小さなカップではなく、紅茶向けでは?と思う広い口のカップです。
カフェ・オ・レのカフェボウルほどは大きくはない。
いや、むしろ、これ、カフェボウルの方がいいのでは?
「ええ、少しの量だとちょっと物足りないので。
たくさん飲んでもらいたいので、こういう風にしています」
にっこりと穏やかに微笑むマスター。
それなら、コーヒーサーバーと空のカップ出した方がいいんじゃないですかね?!
これ、2杯分ある感じしますよ!
「わぁ、それはありがたいですねー」
もはや、なんのコメントが正しいのか分からない。
ただ、カウンターの奥からこぼさずに持ってきたマスターすごい。
これなら、本を読まずに待って見ていればよかった!
「ごゆっくり」
微笑むマスターが立ち去る。
残されたのは、「もっきり」のコーヒー。
どうやって飲めばいいのか。
探りたくとも他に客はいない。
試されている。
マスターに。
お前のコーヒー愛は、こぼすことなく飲めるか。
言ってないけど。
むしろ、こぼれんばかりのマスターからのおもてなしの心。
これをこぼしてはマスターに失礼だ。
普通の値段でこの量。
ある意味良心的な店だ。
クッキーもちょっとつけてくれている。
なおさらこぼせない。
一応、クッキーはソーサーではなく、別の小皿だ。
これなら、ソーサーにこぼしても大丈夫だ。
大丈夫?
ならば、これはこぼすことも見越しての対応?
つまり、この「もっきり」コーヒーは、こぼすこと前提で淹れられている?
マスターからのおもてなしなのか、試練なのか、罠なのか。
寒さで震えていたら、絶対こぼすと思うんだけど。
かつて猫舌の貴族たちは、ソーサーにコーヒーを注いで、冷まして飲んでいたと聞く。
ならば、ここはソーサーで飲むのが妥当。
な訳がない!
やったら大事故だ。
テーブルに口をよせて、音を立ててすするか?
いや、あれは幼稚園とかそれくらいの年齢だったから許された行為。
ここでいい歳をした大人がやってはいけない。
適温になるのを待つポーズをしながら、思案する私。
全集中。
呼吸。
そんなことを考える。
右手をにぎにぎと準備運動をさせる。
心臓の振動が手を震わせるらしい。
心臓、止ま……ったら、大変だ。
いや、マスターができたなら、私にもできる。
さあ、今だ!
ゆっくりと持ち手を右手の親指と人差し指、中指でつまむ。
無駄に小指に力が入りそうだが、そこは我慢。
堪えろ。
無心でカップを持ち上げる。
そのまま口の高さまで持ち上げてから、ソーサー上空から口元まで平行移動させる。
口元にあてる。
「ずっ」
すすってしまった!
マンデリンの香りを存分に楽しんでいますよ!の顔!!
で、飲みます。
うむ。美味しい。
こうして無事、こぼすことなく「もっきり」コーヒーを飲むことができました。
ひと口でも飲めればこっちのもんです。
あとは、ゆっくりとコーヒーと本を楽しみました。
体があたたまる。
量が多いからだ。
華奢な持ち手をつまむのではなく、カフェボウルのように両手で持てばよかったなと思うのは、飲み終わった後。
コロナ禍がひどくなり、なんとなくそのコーヒー店へはその後、行けていません。
車が停まっているので、お客様がいるのだなぁと思って眺めています。
みんな、あの「もっきり」コーヒーと戦いを繰り広げているのでしょうか…。
常連の技とかあるのでしょうか…。
多分、また行くと思います。
そして、数年後には…。
マスターの年齢的な手の震えと「もっきり」コーヒーとの戦いが、始まるのではないかと期待しています。