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不思議不可思議短編集

G街上のアリア

 向日葵に向かって走る無垢な子供のような足音。

 炎天下、夏の風を受けた人々は表情には出さないが、その暑さに汗を伝わせながら悶えている。


直射日光に晒されるゆえに、30m程の横断歩道を渡るのだって煩わしく思ってる人は居るはずだ。


しかし、1人だけ確実にそうではなさそうな人物がいた。


 まるでロマンス小説の中から出てきたような純白のワンピースに小さな旅行バックを携えた少女はのほほんとその酷暑を楽しんでいる様だった。

 正確に言えば、少女という年頃でもないのだが、その彼女は童心を忘れていないように天に登る入道雲に微笑みかけながら、ウキウキ気分でこのG町を徘徊ーー或いは散歩をしていた。


 彼女は気まぐれでマイペースな女性だった。

 エーゲ海の女神のように美しく、一介の下町をヴェネチアのように魅せるほどカリスマが溢れていた。

周囲の通行人でさえ彼女の魅力には抗えず、思わずチラリと目で追ってしまう。


 ただ当人にはそんな自覚は毛ほどもなく、無意識のカリスマから己すらも自分だけの世界に引き込んでしまっていた。


 行きかう人達は点滅しだす青色を見ても焦らず、少女もまたペースを崩さずに闊歩していた。だが赤になったとたんに人々は思い出したように、駆け足になって対岸に突進していく。

 気づいたころには訳も分からぬまま少女はその群れの中から置いてきぼりにされた。


 中央分離帯に取り残されてしまったのだ。

 しかし、彼女にとってそんな出来事は雨上がりの水溜りやガラスに着いた結露程の些細なこと。


 たかだか足を止めさせたくらいでは、彼女の好奇心を止めることはできない。


 中央分離帯の脇には煉瓦で作られた花壇があり、都会には珍しい向日葵が太陽の方に向いて咲き誇っていた。


 都会にも向日葵は咲くものなのね。と、彼女は人知れず向日葵の生命を心の内で讃えた。

 彼女が黄色の花弁を一枚一枚見ようと、その彫刻のような艶かしい腕を伸ばそうとしたとき背後から男が声を掛けた。


「アリア、アリア! 勝手に行動しないでくれよ!」


 夏バテなのか、熱中症なのかーーそれとも体力不足なのか。彼女の背後で絞るように叱咤する彼はゼーハーゼーハーと犬のように呼吸している。


 心配でなくともその様子は向日葵以上に不審で目を引くことだろう。

 彼女は向日葵を愛でるのを中断して、顔を優しく彼の方に向ける。


 男は彼女ーーアリアと同じくらいの年齢に見える青年で、顔つきはヨーロッパ人を想起させる。

 彼女の方もアジア人ではないのだが、彼の方が赤茶髪ということもあって、どちらかというと彼の方が異国からの来訪者という言葉が似合う。


 こんなに見っともない姿を晒していなければ、きっと海外モデルのカップルに見えたのかも知れないが、取り残された2人の外国人を側からみると、若女主人と使用人の関係に見えるだろう。


 彼女は疲弊した彼に向かってこう言った。


「マルクェスが歩く速度に合わせていては日が暮れてしまうわ」


「……まったく。君のような白い少女の心を惹く何かがこの街にあるとは思えなかったよ」


 彼が言うようにこの町は彼女に似つかわしいとは思えなかった。

 この町は駅を中心に栄えてはいるのだが、古びた中華やラーメン店が並び、タワービルのテッペンにはカラオケの広告が大大的に掲げられ、高架下の駐輪場には潜むように放浪者が傘を広げて住んでいる。


 ギンギラのネオンと人々の往来と退廃を、一つのるつぼで煮込んだようなこの町に無垢な少女は似合うはずがなかった。


 けれど、少女はこの街をありのまま楽しんだ。


「あら、マクルェスは私のことを白い少女なんてポエムみたいに言うのね。どこを見てそう思ったのかしら? 腕? 脚? それとも?」


 自分のパーツをじっくりと見ながら、彼がどこを見て白いと思ったのか、いじらしく問い詰めるアリア。

 自分の発言が中々変態的だということに気づいたマルクェスは夏の暑さに負けないくらい顔を赤くしてまくしたてるように言った。


「ふ、服装に決まってるだろっ! からかわないでくれ!」


「紳士をからかうなんてとんでもないわ。普通の淑女ならしません」


 アリアは口元に手を当てて自分のことをあからさまに棚に上げてそう言った。


「あぁ、本当に。普通の淑女ならしないでくれるだろね。でも今の君は淑女の気分じゃないんだろ?」


 淑女気分。

 気分だけではなく、アリアは本来ヨーロッパ的に言えば貴族の家の人間だ。

それでも彼女のふるまいにはフォーマルな高貴さはない。


 あるのは持ち合わせている自然に身に着けた白い女神レウコテアーのような神性的なカリスマだけ。

 彼女の一挙手一投足は人を惑わしながらも、波の行く先を見に行くためにある。


「うふふ」


 彼女は悪戯娘のように小さく笑う。

 マルクェスに対する謝罪が含まれているわけでは無く、単純にマルクェスが自分の言葉の裏を読んでくれたことがうれしかったのだ。


「よく分かったわね。ちょうど昨日キラー・クイーンを聴いたところよ。だからたしかに気分は王女マリーアントワネット。お姫様だわ」


そう言って優雅に1回転して見せる。

彼は呆れた表情で皮肉った。


「お転婆なところはとても似てると思うぜ」


「そう? それならあなたをもっと楽しく振り回してあげるわ!」


 またも悪戯に彼の瞳を覗き込むように笑うアリア。

 彼女に皮肉など通じるわけもないとマルクェスは思っていても、たまに行ってしまうといつもこんな調子で返されてしまう。それがどうしても気恥ずかしくて、すっぱくてたまらない。


「……っ。さっさと行きたいところに行こう」


「そうね。はじめての日本ですもの。アニメ! ニンジャ! カワイイ! いろいろあるはずだわ、マルクェスは何が見たいかしら?」


 アリアはふん! とかわいらしく鼻を鳴らして意気込む。

 アジアの島国の文化の珍しさは彼女の心の深くに錨を降ろしている様だ。


 アリアとマルクェスは御忍びで日本に来ている。

 親や学校にも教えないで、彼女の気まぐれのままに日本まで旅行しに来てしまった。


 マルクェスは言ってしまえばおてんばな彼女のお目付け役だ。

 アリアの気まぐれは急に吹く突風のように予測できないし、誰にも止められない。だから、彼はその突風少女の行く末を見守る。


 見守るばかりでとうとうヨーロッパから数千キロも離れたアジアの浮島まで流れてしまった。


「君の見たいものに付き合うさ。それにしても、日本はこう、独特だな。アジアは中国なら行ったことあるけど、ムードっていうのか? それが違う。ここは冷えたセロリみたいだ」


 冷えたセロリというワードチョイスにピンといてないアリア。

 誰だって冷えたセロリが具体的に何を指しての比喩かとは分かりそうにもないが、言った本人はそうは思っておらず、伝わらなかったのを感じて苦虫を噛みつぶしたような表情をしていた。


「あなたこそいつからポエマーになったのかしら? 冷えたセロリねぇ、私はセロリは嫌いよ? でも、日本のことは嫌いじゃないわ。別の野菜にしてくださる?」


「そうだなぁ、うーん」


 マルクェスは柄にもなく、馬鹿馬鹿しいことを真剣に悩み始める。

 それが自分の感性に関わる問題だからだろうか、それともアリアの口車に乗せられてしまったからだろうか。

 兎に角小難しく考える顔をアリアは誰にも止められないのをいいことにじっくりと見つめるのだった。


「……スライスオニオンと、か?」


 やがて行き着いたマルクェスの答えは長々と考えただけのことがある答えだった。少なくともマルクェス本人とアリアにとっては。


「あなたって自分では常識的なジェントルマンのつもりなんでしょうけど、小説家みたいだわ」


「悪かったな、考え方が独特で」


 不貞腐れるようにそっぽを向いて次の青信号になる瞬間を待とうとするマルクェス。

 でも彼女はーーアリアはそうさせてくれなかった。


「でも、好きよ」


 唐突に。突然に。

 その言葉の意味を、真意を、裏を、答えの出ない謎を受け入れるだけで数秒が立った。これまでいろんなことに振り回されてきたマルクェスでさえ、耐えきれなかった青天の霹靂。


「……へ?」


 思考回路はたった三文字に完全にショートさせられてしまった。

 脳内の三差路はパニックライトを流して、脳髄も大脳も前頭葉も、ドクロの中の柔らかな部分をとげとげに満たした。


 マルクェスは呆然と故障したマシーンのように硬直してしまった。


「? 伝わりにくかったかしら。あなたの考え方私好きなの」


「あ……あぁ、そういう……」


「他にどんなことがあると思ったのかしら? マルクェス?」


 ピーチソーダのように顔色を変えて、最早何も言えないというように口籠るマルクェス。

 天然なのか、弄ばれたのか、微妙なラインだが、それでもこの思いをあけすけにしたのは自分なものだから弁明することも恥ずかしかった。


「悪かったな……勘違いして」


「勘違い?」


 ただ王妃は意地悪そうには微笑まない。


 夏の輝き。

 エーゲ海の煌めき。


 本当に、眩しくてしょうがない。


「なんでもない……僕が勝手に君を好きなだけだ」


 言いたくてしょうがなくなってしまったわけじゃない。

 彼女に抱いていた想いは愛情よりももっと臆病な気持ちだったはずだった。

 ずっとそんな気持ちを秘めたまま、彼女の幸せを願う人でありたかった。

 

 けれど、夏が青く狂わせた。


 汗が伝う。

 蝉の音が煩い。

 もう一度青色に信号が点灯した。


「えぇ、私もよ」


 マルクェスは少し目を見開いて、ぎこちなく、けれど繕わない笑顔をアリアに手向けた。


 アリアもまた彼に応えるように手を引いた。



 入道雲は陽炎を乗せて、炎天を突き抜けていく。



 届け。


 届け。


 いつか最後の夏までも。

 この想いよ、貫いて。


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