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星空(うちゅう)から来た〝先生〟  作者: 鞠宮 果泉(まりみや かせん)
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第六話 或る雨の日と日常

 哀しい話だが、二週間と割と長帳場の滞在に比してエクトル自身が接触する時間は僅かというしかなかった。

 実質、大半を占める平日が出勤日のため、少ない休日の間しか紳士と密に過ごす時間を確保できないのだ。

 平日の普段、紳士と自分がどのように交流しているかと言えば、割と味気ない。

 しっかりと顔を合わせるのは、朝食時と夕食時か、風呂上りの短い夜の寛ぎの時。

 エクトルが緊張気味で口数が少なくなってしまう、というのも理由の一つだが、なんと勿体ないことだろう。本来ならば、貴重な日数を有意義に消費すべきなのに。これでは徒に擦り減らしているのと一緒だ。

 会話をするにしても、内容も他愛もないものだった。

 仕事場で何をしてくるのか。工房というがどのようなものを製作しているのか。

 紳士が関心強く問い掛けてくるのに対し、エクトルは淡々と返している。

 大家の婦人は、エクトルの入居初日以降、さほど居候する子どもの日常に関心がないのか、職場での過ごし方について今まで尋ねて来たことはない。

 対照的に、紳士は毎日毎日様子を確認して来る。まるで父兄のようだ。エクトルにとっては日々大差ない職場の状況に、僅かでも違いが見出せると思っているのだろうか。

 正直、エクトルとしては相手が紳士と言えど、なるべく仕事の話など口にしたくない。唯一現場で癒しの糧となっていたハクビシン先輩も、体調が悪化の一途を辿っているのか次第に早退時刻が早まるようになってきた。今日なんて、昼食時間が訪れる前に切り上げてしまったという。

 ちなみに、エクトルが紳士に伝えているのは、あくまで業務内容だけだ。人間関係に触れることは出来るだけ避けている。一度、「周りにいるのはどんな人達か」と利かれたことがあったが、「個性の強い賑やかな取り巻きだ」と苦し紛れに抽象的な濁し方をした。恥ずかしくて実態など告げられない。

 最も、エクトルの仕事について紳士が話題に上げて来るのは、恐らく彼のせめてもの配慮なのだ。少年がほとんど無口な態度を取るので、日常の事柄なら話をし易いだろうと気を遣ってくれているに違いない。

 嫌なら少年の方から気を利かせて、別の話題を切り出せば良いのだ。今度、図書館の貸出資料項目に、コミュニケーション関連を組みこまねばならない。紳士と楽しく過ごすためにも、苦手を疎かにしてはいけないという学びだ。

 紳士は、いちいち丁寧に、少年の言葉に相槌を打っている。エクトルからは、ほぼ毎度同じ答えしか紡いでいない気がするのだが、社交辞令なのだろうか。

 有り難く、申し訳ないことだと思う。

 三人目として偶に婦人が同席しているが、人懐っこい彼女はやはり凄いもので、エクトルがまごついているのを余所に積極的に攻めていた。

 恋人の人物像や両親の人物像まで、根掘り葉掘り食いついている。紳士は彼女に自身の身の上について明かしていないようだが、多分仮に明かしたとて彼女の遠慮の無さが変わることはないだろう。下手をすれば、少年さえまだ知らぬような際どい面まで触れているかもしれない。

 律儀な紳士は、どことなく一線を引くような言葉選びをしているようでありつつ、一切の当惑を顔に出すことなく滑らかに応じていた。

 婦人の方も、一言耳にした辺りで自身の想像を膨らまし舞い上がっている様子であったから、彼女としては真実か否かにはさほど頓着していないようだ。

 和やかさが保たれていれば何よりだとエクトルも思う。

 ふと考えた。こっそり婦人に頼めば、ひょっとしたら自分の知り得ぬ部分まで紳士の情報を聞き出せるかもしれない。だが、それは姑息な手段だと即座に邪欲めいた思いつきを振り払う。公明正大な紳士に対して裏切りにも等しい。滞在期間中、何とか直接語ってもらえば良いことだ。

 無理に引き出すよりも、自然と彼自身の口から語ってくれる方が良い。大人しく待っていればいいだろう。

 そう、気楽に構えることを決めた故なのか、週の半ば――水曜日に思いがけぬ機会が訪れた。

 その日の午後から臨時休業となったのだ。統括人と現場監督担当が本社に行く用事が出来たため、工房員だけでは回せぬと帰宅を命ぜられたのだ。

 会話の糸口を探すのが下手な自分だ、時間が増えたとて、大した有益は生めぬかもしれぬ。だが、少しでも得られれば充分だった。

 紳士と時間を共に出来ることこそが素晴らしいのだから。

 天気は雨だった。激しい降り方ではなく、しっとりと静かだったが、早朝から長く続いている。早番で切り上げたエクトルは、婦人が夕飯の支度をするのを待つ間、自習がてらにこの地域の古代文明・遺跡に関する本を読んでいた。まさに晴耕雨読だと呟くように思う。

 場所はダイニングの隣にあるリビングだ。中庭のある東側に面した開口の広い出窓の下に設えられた薄桃色の横長いソファにエクトルが座り、斜向かいに置かれた赤いパーソナルソファにベヌンが腰掛けていた。

 本日紳士が身に纏うのは、青と紫を織り交ぜたスカーフに、襟の広いフリルの入ったブラウスだ。そして、黒いスラックスに通した長い脚をゆったりと組んでいる。

 紳士も手に本を取っていた。読んでいるのは、先日イローニがエクトルに見せたのと全く同じものだ。天体神話の解説書である。

 奇遇に目を瞠る。先日、返却する際にまた新たに借りている様子だったが、この本だったらしい。

 百科事典のようにかなり厚手のそれを、片手ながら優雅な指つきでしっかりと支え持っている。軽々として見えるが、強健な握力を有しているのだろう。


「ベヌンさん、その本は……」

 

 驚いて、思わず尋ねかける。 

 ベヌンは、落していた視線をゆっくりと上げて微笑した。


「この土地には、〝永遠を司る実りの星雨〟という伝承があるそうだね。五百万年周期で発生する流星群に纏わるものらしいが、私の訪問初日における報道記事(ニュースデータ)を確認したら、ちょうどその日が、前回から数えて五百万年目に当たっていたようだ。つまり私は、その流星群に乗じて飛来したわけだ。さぞかし不自然な輝きが混ざっていたことだろう」


「いえ、そんな……とても美しいアクロバットでした」


 世辞でも何でもない、心からの賛嘆だった。流星群より遥かに、大いなる実りがもたらされる結果となったのだから当然だ。


「はは、ありがとう。聖人降臨譚と絡めているのも面白いし、興味深い言い伝えだとは思うが、私が気になるのは元となった史実の方だ。神話時代に成立した物語だから止むを得ないが、観測所跡のように、裏付けなり物証と成り得る史跡があれば良いのだがね……」


 ベヌンのことだから、一週間目の平日二日間で史料を念入りに探したに違いない。彼の口振りは、紙媒体からも電子媒体からもろくなものが得られなかったと伝えていた。


「星間用空港がいつ設置されたかわかれば、それが重要な手掛かりになりそうな気はするんだ。外惑星との交流拠点だったわけだからね。君の曽祖父殿が見聞きしていたということは、存在したことに間違いはないのだ。しかし記念碑さえも置かれていない……。観測所には掘り出す余地が残されていたのに、ただの広場にして完全に埋め立ててしまったのは奇妙だと思わないかね。紛争地との繋がりを危険視するにしても、後世の子ども達にはっきりと伝えようとしないのは不自然だ」


 エクトルも強く意識したことはなかったが、言われてみれば祖父からの伝言でしか事実を知り得ていないというのも変な話である。学校の歴史の授業でも、図書館にある児童向けの歴史読本でも、どういうわけか星間用空港の項目については明確に見た覚えがない。規模のある社会的施設だったはずだ。まるで、歴史から封印されているかのような扱いではないか。


「そうなると、現在確証と呼べるものは、私の手元にあったマップデータしかないことになる。跡すら留めぬとは……まことに名残惜しいことだ……」

 

 哀惜を含むような寂しげな呟きであった。エクトルは同調する。


「残念ですよね。 本当に……」

 

 長い歴史の間において、争いの火種という不運が起こらなければ 自身の足によって紳士に近いところまでおもむける機会も増えていただろう。

 その環境が現存していれば、より多く得られていたかもしれない恩恵について、少年は考え込んでいた。

 会話が一段落した頃、再び二人は無言に戻って書を読み耽る格好となった。

 ダイニングに繋がる扉越しに夕飯の香りを感じるようになった時、集中力が鈍り掛けてふとパーソナルソファの方を見遣ると、うたた寝していたベヌン氏の姿があった。真面目に何時間でも読み込んでいそうな人物だと思っていただけに、意外な光景だった。いつの間に眠ったのだろう。か弱い雨音に溶け入るほど、安静な寝息だった。空気一体が静けさに包まれて気づかせにくくしていたのだろう。

 日頃からモデルのように調律の取れた背中をくず折るようにして、片方の肘かけに身を持たせかけている。多少綻んだ髪も、ぴったりと重ね閉じられた豊穣な睫毛を鮮明にする美貌の白皙の上にあれば、余りある芸術性を醸して美しい。真珠を豪奢なレースで包み込んだようだ。

 その時、自身の胸の裡で危うい欲動が燻るのを感じた。あろうことか、昼寝をしているベヌン氏の顔を計測したいという好奇心に駆られたのだ。

 こんなチャンスは二度とないだろう。何せ、自分と間近な距離で無防備に眠りに沈んだ貴公子がいるのだ。

 不思議な意識だった。入浴の時は葛藤が制御していたのに、今回は積極的に押し進めようとしている自分がいる。

 改めて、精巧な形状の顔貌をまじまじと観察した。正確に対照な左右の輪郭、曲がりなき一直線の筋を描く抜群に秀麗な鼻梁、これぞまさしく噂に聞く、黄金比とやらではないのか。黄金比の詳細な知識など持ち合わせていない、流し見で読んだ青少年向けのデザインに関する参考書に綴られていたアンモナイトのような図柄と簡単な説明文を朧げに認知していた程度だ。

 生唾を呑み込む。

 ソファに奥に据えていた腰をゆっくりと前へずらす。僅かな衣擦れの音でも、眠りを覚ますきっかけに繋がる可能性がある。

 短足であるがために、床には着けられず浮いていたそれら二つを、慎重に降り降ろして敷かれていた絨毯と合わせる。柔らかいウール地が見事に当たる音を吸収してくれた。

 数人掛け用のソファの左隣には、上の三段が本棚、四段目から最下段の六段目までが細い引き出しの取り付けられた箪笥という二種構成の家具が立っている。エクトルは五段目の引き出しに入っていた巻尺を取り出すと、砲丸投げでもする勢いの手ぶりで掲げ持ち、スリッパの足を不格好に忍ばせてパーソナルソファの手前まで接近した。

 思い切りで、ぐいっと己の顔面を座席の主の方へ寄せる。鼻先までに至る勇気はなく、二十センチ程の間隔を残すのに留めた。

 相手は、腰を下ろしている今は持ち前の長身を七割ほど低くしているはずなのに、十代前半の男子の平均値より矮躯であるエクトルには、爪先立ちで首を伸ばす動作に及んで目を合わせる位置に持ちこむのにやっとだった。

 一層、至近距離が縮まって緊張感が頂点に達する。まるで、一点物の大宝を惜しむ心地だった。目を凝らして眺めれば眺めるほどに、端整とした有様が作り物めくまでに出来過ぎでいることに、感動を通り越して慄然となる。透けるような新雪を思わせる肌艶、優美な弧を描く閉じられた睫毛の、一本一本が紡ぎ上げる均質な並列。自然生み出された生命的な美というより、設計されて成立した人工的な美という方が似つかわしげである。

 神が選んだ存在と表すのに、何ら違和感のない印象だった。先週の大きな出来事で、ふと脳裏を掠めた予感を差し引いても。

 巻尺の突端を握る指が震えた。心臓がドクンドクンと脈打つ音を奏でる。寝ている隙に泊まり客の、ましてや、やんごとなき身の上の紳士の顔を弄ぶなど礼を失する稚拙な行為だ。背徳心に似た後ろめたさが募る。

 一日目の夜に、偶然とはいえ筋肉美の眩しい半裸を視界に入れてしまった時の気不味さが蘇って来た。実行せんとしているこの後に及んで、何を殊勝に省みているのかと自嘲したくもなる。

 後方では、尚も降り続く雨が忙しげに水音を放散していた。疾しい心根を洗い清めてくれるかのような感覚が、一旦逸る気を落ち着ける。同時に、その精密な小刻みはメトロームか、タイマーに設定されたカウントダウンのようにも思われた。

 寝息を洩らす美貌の、左端の真上より数ミリの宙から、測定位置を定めようとする。後は少しずつ、石橋を牛歩で叩いて渡るように巻尺の先をじりじりと反対側の端まで広げていけばいいだけだ。深呼吸して手を構えようとする。

 事の展開は、その刹那と秒の差だった。引き始めた巻尺が僅かに増長した寸前、鹿子色の優美な弧線を描いていた瞼が、滑らかな素早さで押し上げられたのである。アンティークな小箱から開いて出した宝石のように、青金色の虹彩が光輝を含んで露になった。

 ベヌン氏は覚醒する瞬間、雑音の類を一切出していない。目を開けただけで、あまりにも沈着とした目覚めだった。

 対し、思惑に反して騒がしい音を出してしまったのはエクトルだった。予想できることではあったはずなのに、肉体の方は不意打ちと認識したのか、漫画のように飛び上がるや壁の隅まで後ずさる。

 一瞬でも視界に巻尺が映らなかっただろうか。巻尺と判断できぬまでも、物体の存在が過ったことを認識していたら間違いなく不審がられる。


「おや? どうしんたんだい、エクトル君。私の顔に、虫でも止まっていたのかな?」

 

 しかし、言いながら身体を起こしたベヌン氏は、計測器の類が迫り来ていたことには気づかなかったらしい。当然と言えば当然だろう。咄嗟に、壁際に退くのと同時の早さで巻尺を腰の前へ隠したのだから正確には捕捉できまい。第一、自身の顔を測定されようとしていたなんて夢にも思わないだろう。

今回の企てについては、無理な偽りは逆にボロが出易いだろうと観念し、正直に経緯と理由を話すことにした。たどたどしく、拙い言い回しで伝える。


「ご、ごめんなさい、そのベヌンさんの……お顔が……あまりにも線対称な比率で……き、綺麗だなと思って……。へ、変な欲望とかじゃないです」


 弁明をしたところで、変態的行為に出たことには変わりないのだ。聞いた瞬間、眉を顰めるかと思いきや、どこか愉しげに噴き出したのである。呆れ果てた笑いでもなさそうだ。ベヌン氏は口を開いた。


「はは、これは参ったね。君はあれかな、職人業を志す者として、シンメトリーな状態に関心を持っているということかね?」


 機敏に、実利的な方向へ流れが移る。妙に懐の広い彼のメンタリティは、愚かな稚戯まで理性的に受容するのかと、エクトルの方が却って驚愕に目を剥いた。


「ま、まあそういうことです……」


  知的な色合いに印象付けておくのが賢明だろう。未熟な愚者と思われるのはまだ良いが、醜悪な欲動の持ち主として認識されるのは勘弁だ。


「ふむ。デザインというのは、作り手により、様々な思想や嗜好が反映されるものだね。中には、非対称だったり、疎らに凹凸を刻んだりと不規則な形を選ぶ場合もあるだろうが、君は完璧な形状を好む方かな?」

「好きとか、嫌いって言うより……。僕の中で端整な形というのは、憧れであると同時に、己の課題なんです。修業中の子どもなので、当たり前に今は未熟ですが、いつか熟成した形を自身の手で体現させたい。僕にとって、ベヌンさんの有り方は、理想というか一つの手本のように思えたんです。何も、容貌に限らず、日々お召しになっている服装も……眩しく輝いていました」

 

 強烈な照れ臭さで声が震えるのを、喉奥で噛み抑えながら最後まで言い切った。

 ベヌン氏は穏和な微苦笑で冷静に応じる。


「いやはや、恐縮だね。君にとって、有意義な効果を与えているなら、光栄なことだと誇らしく思うよ。過分な評価だと、謙遜するつもりもない。感謝して受け止めるべきだ。しかし、熟成とは完璧か。なるほど。うーん……」

 

 急に紳士は考え込み始めた。先ほどエクトルが口にした言葉に、拘りを誘う要素でもあったのだろうか。吟味するがごとく、長細い指を形の良い顎下に這い沿わせつつ、暫し目する。

 数秒の間を置いてから、やおら視線を少年に戻した。


「君の目指す形が君にとっての満足なら、私も良いと思うよ。あと、私が去る前に一度、君が作った品の一部でも見せてもらえないだろうか? おこがましい頼みだが、折角未来の職人に会えたんだ。気になって仕方なくてね」


 再び、飛び上がらんばかりの高揚感に襲われる。無論、いかなる比喩でも表現し尽くせぬほどの圧倒的歓喜だ。紳士の言葉なら世辞でも構わない、仮に露ほどであろうとも、自分に期待を掛けてくれたに違いないのだ。

 真に素晴らしい紳士、ベヌン・エーテルヌスという人物と過ごすことのできる充実極まる日々。その内の今のこの瞬間にも、幸福感は倍に更新されていく。

 ただ、満悦に耽溺する一方で、名状し難き漠然としたシコリが胸の奥に閊えていた。

 きっかけはやはり、一週間前の休日一日目における夕景の中の出来事だった。身を持って目の当たりにした、驚異的現象がどうしても心に引っかかって、記憶から葬り去ることができなかった。何度も不審感に似た感情が胸の奥で渦巻いている。 

 仕事の辛さやチャットを通じた友との応酬、紳士との楽しい会話を経て多少霞められつつも、ふとした瞬間に振り返り考えて来たのだ。

 翼を生やして飛翔するという、突発的な奇跡の行動を、偶然幻覚を見た、気のせいだったなどとは切り捨てられるはずもない。

 あれは一体何だったのだろうと幾度も反芻している。紳士本人は出来事に関して、以来全く触れなかった。他者に見せるべき代物ではなく、事故だったということだろうか。堂々と晒して良いものであれば、大規模で華やかな行動なのだ。飛翔の能力も持たない人型種族であるエクトルに、細々とした説明をしてもおかしくない。現に、エクトルにとって未知であった紳士所有の星間用個人飛行機の仕組みや収納鞄の機能については、特殊に認識されていると気付いて、詳しく解説してくれた。

 紳士が口にするのを避けているのなら、他人の自分の方からも口にしてはいけない。そのように戒めて来たが、どこかで尋ねたいという衝動が湧き出ることがある。だが、相手への深い敬意によって、内心を宥めすかし自重している。

 さりとて、己の中で巡らせただけのところで明確な答えが得られるわけではないのだ。

 以上のような鬱屈感で、今日まで悶々とする嗜好にあったが、はたと思い閃いた。例え人型種で自分達と共通しているとは言え、異星の者であれば環境の違い等から多少の身体的差異が生じてくるのは、そもそも当然の理ではないか。

 ならば、相手の身体的特徴について勝手に思い煩いつつ、敢えて尋ねるという行為自体が失礼の極みであろう。

 社交儀礼の尺度に基づく考慮が働き、ようやく少年の中ですっきりとした結論を導き出すことができた。何より、紳士の人間性に落ち度はない、充分にも程のある結果が自分を取り巻いているではないか、不足を問題視する必要があろうか。

 疑念が完全に抹消されるわけではない。しかし、義務感に似た追及の欲動は潔く立ち消えていった。


「そうだベヌンさん、月曜日と火曜日の二日間で、お出かけになられた所はありませんか?」


 解決し得ぬ事柄への執着は早々に取り払い、現実的な話題でも持ち掛けるのが一番だ。

 エクトルは昨日までの平日二日間について何かなかったか尋ねるべきだと思っていた。


「例の開拓期の観測所跡に行って来たよ。まだ調査の真っ只中らしく、柵に囲われた状態で入ることはできなかったがね。形はしっかりと窺うことができた」


 最初の朝、紳士が大いに興味を示していた場所だ。かなり重要視している様子からして、なんとなく自分との同伴で訪ねるつもりだと考えていたから、やや肩透かしな感じがした。観測所跡自体にはさほど関心はないはずなのに、何やら疎外されていたような侘しさが湧き起こる。

 紳士自身が納得の行くように行動できれば、エクトルにとっても有益であるはずなのだから可笑しな反応だ。内緒にしていたわけでもないのだし、特段ショックを覚えるほどでもない。


「目に入る情報だけで言えば、シンプルに柱の跡やコンクリートの土台、展望装置の設置個所と思しき巨大な穴があるのみだったが、充分満足な結果だったよ」

「満足、できたんですか?」


 ただ、遺跡が置かれた状態だけで多く読み取れることでもあったのだろうか。エクトルの姿勢がやや前のめりになる。


「予めこの地の図書館やデータベースで、観測所で何が行われていたのかは把握している。跡だけでも、事前知識と照らし合わせて、当時の施設の稼働模様をおおよそながら思い描くことができた。資料の図面と実際に一致していることが確認できただけでも収穫だからね」


 そんなものなのだろうかとエクトルは思う。自分の場合で例えて考えてみると、もし、関心が強く寄せられるほど胸躍るような遺跡があって、事前に目を通していた考察資料の予想図面と偶然にも奇跡的な照合を果たしたとしよう。一致を成し得たことに多少喜びはするだろう、しかし如何様にして運営されていたかという有様など想像することができるだろうか。いや、人生経験や蓄積してきた見聞・知識量の問題かもしれない。十代前半分までの勉強量では、少ない情報だけで予想を組み立てる力が足りないのだ。


「あと、私にとって実りとなったのは、この観測所跡に関する事柄は現地の訪問だけではない、つい最近、新しいニュースがあったんだ。君も覚えているかな?

 月曜に出た地方新聞の日刊に、引き続きの発掘調査で観測所跡に関する電子データのメモリが発見されたと記載されていた。メモリの現物は、都市部の大学の研究チームによって、解析のため持ち帰られたらしい」


 おぼろげにテレビのニュースで見た記憶はある。だが、元より関心のないエクトルの脳内には強く残らなかったのだ。曖昧に相槌を打つより他ない。


「あー、そう言えばそんな話ありましたっけねえ……」


 いい加減極まりないエクトルの態度には反応を示さず、紳士は最新情報に対する感慨を口にした。


「電子データのメモリと言えば、重要な証拠の詳細情報となるものだ。本音からすると、こちらも見せてもらいに行きたいところだが、専門家による発表を待つ方が、正しい内容を知るのに賢明だろうしね。私欲に走って、不確かなまま実物を手元に引き寄せるより、熟した状態を求めることが利に適っている……」

「残念ですけど、仕方ないですよね」


 やがて話し合いは、次の週末の観光はどうするかに至った。

 野外で遊ぶことの少ないエクトルの発想でふと思いついたのは、博物館の存在だった。図書館に並び、静閑な田舎町で有数のまともな規模を持つ文化施設だ。

 無二の友も勤めている場所なのに、何故初期の段階で候補に上げようとしなかったのか自分でも不思議である。

 提案すると、ベヌンは瞳を輝かせて賛同した。文字や絵図のみではなく立体物で史料に当たるというのは、この地の歴史探究をする上で大きな利益と言えるだろう。

 また、紳士としては、居候先の少年の友人がいるという点でも心惹かれるものがあったらしい。ぜひ、会えるなら御挨拶したいと喜ばしげに期待を示した。

 案内のメインは博物館で決まった。

 歓談の最中エクトルは、日中紳士が大家さんといる時はどのようにして過ごしているのかも聞かせてもらった。

 更に、ある昼下がり、いつも馳走になっていてばかりでは申し訳ないからと手料理を披露したこともあったそうなのだ。

 大家さんが洗濯物の取り込みが終わって庭から居間に戻ったところ、色鮮やかなメニューの数々がテーブルに所狭しと並べられていてとても驚いたという。

 婦人は今日までそんな話は一つもしていなかった。恐らく、自分と紳士の秘密というつもりで、胸の裡にしまっていたのだろう。

 彼女らしいと思い、苦笑が込み上げて来た。

 それにしても驚きだ。貴公子の身分でありながら、料理の腕を身に付けているなど。

 翌日、エクトルもその機会にあやかることができた。木曜日の夕方、帰宅してダイニングを覗けば、なんと厨房に立っていたのはベヌン氏だった。隣には、はにかみつつ幸せに満たされた顔つきでピンクのエプロンを着けた婦人が佇んでいる。紳士を中央に譲るようにして割と隅の方の位置にいる。

 ベヌン氏は紺色の大きなエプロンを纏い、シャツも腕まくりして髪もバンダナにまとめている。普段の貴人らしい装いと打って変わった職人風の出で立ちに、ドキリと心臓が高鳴る。庶民に近い格好をしてもエレガントな印象を醸し続けるのは、大本である紳士自身の典雅な美貌と立ち振る舞いの功だろう。故に、どこか見惚れずにはいられない。エプロンは婦人の夫が使用しているものだそうだが、着る人間が違うだけでこうも大きく雰囲気が変わるものらしい。

 今夜は、普段の御礼も兼ねて、紳士が夕飯の調理を担当すると申し出たのだそうだ。しかし婦人は、彼に全てお任せする等とんでもない、せめて手伝いという形で御一緒させてほしいと現在並んでいるという。公と私の理由が同居しているようだとエクトルは踏んだ。

 エクトルが普段、料理の手伝いをすることはない。婦人が子どもに台所を触らせようとしないこともあったが、今回は特別な人物が加わっているという事情から何となく身の置き場がない気がして自らも申し出たが、紳士の意見で穏やかに取り下げられてしまった。仕事後の課題もあるだろうから、ゆっくり帰宅の疲れを解しつつ、学童として未来のために専念してほしいとのことだった。

 もてなすはずの側が、手料理から気遣いまでいただいてしまうなんて――少年は思わず、涙を零しそうになった。

 その間にも、紳士は着々と準備に取り掛かっていた。野菜を手に取って吟味したり、相応しそうなフライパンはどれか婦人に尋ねたりしている。単純な仕種にも大家さんはいちいち見惚れていた。

 後、リビングにて、落ち着かぬ心地で課題のためのノートをろくに書き進められず指先を震わせていると、隣室から朗々とまろやかな低音が己を呼んだ。

 ダイニングに駆け込むとテーブルには、見事に食欲を引き出す芳香を漂わせた鮮麗な花畑が咲き乱れていた。

 決して凝り過ぎておらず、シンプルでありながら、素材の色と特性を魅力的に引き出した華やかな盛り付け。具材の色味と自然に調和を描いた鮮やかな出来栄えとなっている。巧みなバランスで、メニューは素朴なのに豊かな彩りを演出していた。気取らず落ち着いて優美な、上質の芸術品が集結したかのようだった。

何となく、紳士の服装を連想させた。装飾過多の豪奢さを選ばず、簡潔なデザインと色みにアクセントを加えて壮麗さを醸す。細やかな工夫を得意とするのだろう。ファッションコーディネートだけでなく、料理の設計でも遺憾なく発揮されているようだ。

早速、席に着き、紳士と隣り合って御相伴となった。大家の婦人は紳士の正面に陣取ってニコニコと口の端を緩ませている。彼女のちゃっかりさも微笑ましい。

婦人は料理を口に運んだ途端、何度目か分からないが、絶頂の喜悦に達して陶然としていた。

心の底から頬を紅潮させて嬉しげに声を弾ませている彼女をしげしげと眺めながら、エクトルは確信する。


(ベヌンさんてば、乙女心ばかりか胃袋まで掴んだな。そういう表現になるよね、この場合って。)


どこまで心憎い紳士なんだろう。呆れのようなものもあるが、純粋な感嘆が最優先された。男だろうと女だろうと関係ない、高貴の者としても、並びなき人格者としても生まれついた彼は、先天の人を惹く才能に恵まれているに違いない。


「ぜひ君にも食してもらいたいと思っていたんだ。御馳走する機会がやってきて嬉しいよ。お味はどうかな? 口に合えば良いのだが……」

「お、美味しい! 美味しいです!!」


敢無く胃袋を掴まれ、少年も虜の二号となった。



「それにしても、変わった人だなあ、ベヌンさんは」


エクトルは一旦フォークを置いて、ぽつりと疑問を投げ掛けた。無遠慮と思える言葉遣いも、一週間以上つき合いを経ると省みて自戒する意思すら薄れている。

相手も、身分差を理由にした謙遜など別に望む方ではないと重々承知だ。ハクビシン先輩やイローニとも、年齢差に関係なく親しんでいった。二人と絆を育むのと似た過程を、この紳士とも辿れそうだ。


「変わっているかな? まあ、自信を持って〝まとも〟とも言い切れないがね」


案の定、紳士も平静な快い微笑で応じる。

エクトルは苦笑を添えつつ続けた。


「あなたはあくまで皇族なんだ。貴公子様なのに、お料理が得意だなんて。王族の認識からしたら、料理なんて下働きでしょ? どうやって身につけるんです。幾らオールマイティーに生きるための英才教育をお受けになっていたとしても、御飯を作って用意する、という行為は流石に範疇に入らないはずだ。実家に何人も調理師さんがいるでしょうに。あまり、意味がないのでは?」

 

もし今の段階まで婦人が同席していたら、エクトルを血の繋がった子どもと同等に叱りつけていただろう。エクトルが預り知らぬ間にも密接な親しみを築き、大分と惚れ込んでしまった彼女であれば、幾ら深く懇意になっていると紳士の口から聞かされていたとしても、有り難い行為に対して無礼極まりないと納得しなかったに違いない。

幸い、先に食べ終わった婦人はこの頃退室していた。明日は早朝から友人と大都市部まで観劇に出掛ける予定があるからと、自分の使った食器の洗い物を済ませて現在は浴室にいる。

浴室へ向かう際、紳士の方にはエクトルに洗い物を任せて構わないとちゃっかり伝言するのを忘れなかった。エクトルもそれが道理だと賛成したが、婦人が部屋を出た後に紳士本人は、婦人の気遣いだろうが問題ない、今日の料理責任者は自分なのだから後始末まで務めさせていただくよと、親切な謙虚さを示した。少年は心打たれるよりない。

ベヌン氏は、今し方の突っ込んだ質問にも落ち着き払って答えを紡いだ。どちらかと言えば、当然だと受け入れるかのような口調で。


「君の疑問は最もと言えるだろうね。もちろん、身の回りの世話をする専門の担当者は家政婦や執事達だ。皇族には皇族の任務があるからね。スケジュールを回すには、宮殿の中を管理し、我々では時間的にままならぬ部分を整えてくれる人材が必要だ。ただ、我が王家の教育方針に万の職分を理解しておくべしというのがあるんだ」

「万の職分を、理解しておくべし……?」

「そうだ。頭で知るだけではなく、己の肉体(カラダ)を駆使することで、覚え、解する。宮殿においての幼年期から青年期に渡る教育機関の課程に組み込まれていたんだ。好みで挙げるなら、料理と修理の二つかな。修理の技術は身に付けておけば、星間飛行の時にも活かせるからね。そもそも前提として、働くことの種類に、上も下もないとは思うがね。できること、やることに違いがあるだけさ。領分というものが生まれ得た者、皆に備わっている」

「領分……」


 反射的に、声に出して反芻する。またしても、紳士の言葉は刺さるものをもたらした。確かに、誰しもに得意な分野、不得意な分野があり、次第に他者から頼まれたり任されたりするものも決まっていく。簡単な表現をすれば、そのようなことだ。

 自分自身に照らすとどうなるか。今、本来なら将来の職種としたかった分野は、不当な身分規定でしか人材を雇用しない。別に携わりたくもない事務方には、負担は重大だが安定した身分規定が約束されている。〝自由の枠〟まで到達すれば、身分規定という縛りすらなく我が道を歩むことができる。

 自分の領分は本当ならどうなのか。どのような領分が相応しいのか。やりたくない形でも、守りがあれば〝正式者〟を選ぶのか。それとも、例え不安があっても、続ければ手に入れたい力が付くからと〝非正式者〟でしか回されない今の職人業を選ぶのか。

 ベヌン氏の言っている意味は、自分の中にある意味合いとは異なるだろう。生まれながらの領分があるのだから、余所の有り方と比較して惑ったりせず、その枠の中で磨き上げることを目指せば良いのだということなのだ。

 話に耳を傾ける姿勢を取りつつ、黙考し始めた少年を前に、尚も紳士の言葉は続く。


「共に過ごす者達の顔は、みな覚えるようにしているよ。住み込みで長くつきあってくれている者は、家族だと思っている」

「家族……」

 

自分の住む家に、奉仕職従事者を抱えるとはこのような感覚なのだろうか。大所帯で一つ屋根を共にしていると、血の繋がりを超えた連帯感が湧くものらしい。

エクトルにとっての身近な例では、幼年学校でスポーツ部に所属する者達が、夏合宿の思い出等を挙げて似たような感慨が身についたと口にしていたことが当て嵌まるか。


「立派ですねえ、ベヌンさんは……」


 深く何を思うでもなく評価を呟く。紳士は素直に礼を言った。


「滅相もないことだよ。出来ることが増えたらより嬉しい、生き甲斐の内に入るだけさ」


 微苦笑の中に、誇らしさが覗いたようだった。恐らく、国を、宮殿という住居だけではなく一大施設の役割を持つ場所を束ねる一味として、傘下にいる者達の理解に近づきたいという思いがあるのだ。そして、彼らと同様の修業に携わってみることで、確かに距離が近づいているのだと実感しているのだろう。

 自分にはきっと永遠に持ち得ない発想だ。領分の意味には一つに、このような場合も含まれるだろう。

 ふいに紳士は呟いた。


「もし、料理と修理、特にどちらが主に好きかと聞かれたら、料理かもしれないな。料理には、修練に励んで良かったと思えた出来事がある。皇立大学校に通っていた時代、今の婚約者と二人でキャンプをするために、皇都から少し外れた丘にテントを張った夜、手作りのシチューを振る舞った。彼女はとても喜んでいた……」

(ちょっと待ってよ、ベヌンさん。そ、それって、お子様には言えない大人のデートを意味しているのでは……)


 ふと少しばかりの思い出を口にした程度と思いきや、中々個人的な深みある関係を語って来るとは。図らずも、霰も無いことを妄想してしまうではないかと少年は困惑する。明言されてもいないのに、勝手な発想だとは思う。しかし、未熟な経験からでは、変な方向に予測する拙い思考力しか及ばない。

 耳まで熱くなるほど恥ずかしい心地がしたが、礼を失することへの意識もあって無論口にはできなかった。

 初な戸惑いを募らせる幼き者を余所に、語り手の主は切れ長い目を瞬かせて、感慨深げに懐かしい日々の中へ浸っている様子だった。

 聞かされているエクトルも、決して不快ではない。嫉妬心など持っての他だった。ただ一層、隔たりと溝の深まりを痛感し、「どうしたら彼のような大人にまでなれるのか」と理想に憧れる地点すら遠ざかる心地が増し続けるばかりだったが。






本話から、説明文と台詞文の間隔を開ける措置を行いました。以前までの投稿分も随時同様の処理を行います。前回まで注意を払わず、申し訳ございませんでした。

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