余章
紛争も集結し、新天地の惑星における統率の長として即位を果たした。
復興期の混乱により、決して安泰な状態での式典とはならず、異例の形式での執行となった。本来であれば、前皇から戴冠を受けることで正式な継承が完了するのだが、宝冠を渡す役目となる前皇の準備が間に合わず、大臣から戴くこととなった。
およそ数百年に及んだ星間遊学の期間を終えて帰郷した直後に、以前から不調を抱えていた父は昏睡で倒れた。
自分達の種族は、年齢が五万臆に達した段階で一度目の老衰期を迎える。行く先々で父の体調が思わしくないことを病と伝えていたが、正確には種族特有の年齢期症状のことだ。相手によっては、多忙からの心労が影響したと解釈されたかもしれない。
昏睡に入りしばらく経過すると、自ら発火し、肉体を灰へと変える。やがて、ある一定の期間を挟むと、灰を割って新たな細胞を備えた瑞瑞しい成人形の肉体が出現し、息を吹き返すのだ。〝再生期〟と呼ばれる現象で、〝統皇星帝〟の地位を有する者に起きた場合には、子息或は息女への継承が決定する。
同時に、銀河全域の調停を担うための〝聖権〟が自然に発動。継承と共に、肩書きとして所有を明確にするだけではなく、生まれながらに種族として備え持っていた一素質が、一能力として本格的に覚醒するのだ。式典は伝統的に約束された儀礼的なもので、能力の覚醒に直結するわけではない。
前統皇星帝の灰は、肉体の完成まで儀式を取り仕切る神官達の手で宮廷の地下にある〝胎宮の間〟に安置される。しかし今回は間が悪く、〝再生期〟に突入した頃には紛争の影響による汚染で本土はほぼ壊滅しており、新天地に適切な惑星の所在を調査する〝星天考解士〟からの発表と遷都が重なった関係で、統率者の就任を急ぐこととなった。灰は新惑星に降り立つまで、避難民達と乗船する居住機能付き大型星間船の特別室で保管された。
父から冠を受け取ることは叶わなかったが、〝再生〟を果たした後、依然従来の動きもままならぬ状態ながら、祝辞のために訪れてくれた。
一度〝再生期〟を経て復活すると、同じ空間で生活をすることはほぼなくなる。在位中に備えていた〝聖能〟は弱まり、裏から助言を授ける知恵者として〝隠棲の間〟という無限の空間を拠点に生き続けるのだ。先に隠居した前后と、父はまた深く寄り添えることになる。
隠棲者となれば、〝聖能〟の減退と引き換えに、何ら動かずとも果てなき銀河の隅々を詳らかに見通し知る力が新たに得られる。調停の先人としてはこの上ない名誉だろうが、自分にとっては、一種の〝死〟に等しい喪失だと感じられた。己の足で直接赴いて味わえぬのなら、手に取るように把握することが可能であろうと、触れ合いの無い無味乾燥な一方通行でしかない。自身が〝再生期〟に到るまでの在位中は、無駄を許されぬ貴重な時間の積み重ねとなるだろうと思われた。
いずれ来る虚無を覚悟せざるを得なかったが、継承後の日々に充実がなかったわけではない。妻との間には男児も生れ、落ち着いた。動乱の最中に結婚したこともあって、子宝を授かるには時間がかかったが、銀河の神々は健やかな自然の摂理のもとに二人を導いてくれたのだ。
茫洋とした空間を、塗り固められたような深い暗黒が覆い尽くしていた。
完全なる闇ではない。光の粒子が散乱し、点々と灯火のように僅かに周囲を照らしている。
粒子は微小ながら、互いに衝突し、粉砕し、融合しながら、あちこちでトグロを巻くように集束していった。やがて、巨大な渦を生み、一つの世界と化して暗黒の中を堂々と漂い流れていく。
――広大な宇宙空間内に、様々な銀河系が存在しているのだ。巨大なパノラマ状の窓が広がるリビングホールにて、男は静かにそれらの動きを観賞していた。
世事が落着して以降、日課のように設けている寛ぎの一時だ。
ふと、ある一つの星系に目が止まる。約十万億光年先の距離に位置する地点だが、種族の視力を持ってして、遠望機具を通すことなく隅々まで明瞭な形として捕捉した。
中心となる恒星が、普段より特段に小さく見えた。恒星として必要な半径におよそ足りているとは思えない。身体中から、煌々としているがどこか弱々しいガス星雲を放出しながら、矮小に縮んだ岩石の球体が蹲っているようだった。
事態の変容は刹那の展開であった。突如、眩い白光に、一瞬で岩球が呑み込まれる。続いて、縦横に鋭利な閃光が貫通する。巨大な光の十字架が、空中に生じたような光景だった。
約数秒、僅かな静寂が訪れた次の瞬間。鼓膜を劈く程の爆破音が鳴り響き、烈風と赤紅の大津波が光球から放散された。
ちりちりと、橙色と朱を混ぜた火炎が空中に粉を飛ばしながら乱舞し、白熱に燃え盛る表面上では、ドーム状に膨張しては爆ぜる灼熱の空気の群れが怒涛の勢いで疾走する。
崩壊を起こしたのは、恒星だけではない。連動するように、周囲の軌道に居並ぶ星々が爆風の反動に当てられ分解していく。削り取られて歪な断面を晒しながら、切片や塵となって暗い空間の中に拡散した。
種族の定時法による計測で約一時間ほどに渡り、猛狂の嵐は収束した。辺りには、かつて立派な惑星だった物達の残骸が、強固な繋がりを喪失して彷徨うばかりとなる。
一部始終の間、周辺の片隅に星間船のような大群が目視できた。星間飛行技術を有する知能生物が存在する惑星なら、終焉を予期して航海準備をしていたかもしれない。
男の唇から、吐息が洩れた。――生滅転移の循環を新たに迎えたということだろう。
「また、一つの生命世界が終わりましたね……」
耳元で、清楚な声が囁く。隣に腰を下ろしていた妻だ。二人、揃って睦まじく、月明かりの如く真白のロングソファに座り、歓談していた最中だった。
彼女はどこか陶然としつつ、達観したような不思議な眼差しを銀河のスクリーンに注いでいたが、ふと思い立ったように夫の方を見遣る。
「鷺青さん、あれもひょっとしてあなたの星間旅行で寄った先ではなくて?」
煌びやかな冠を艶美な緑髪の上に頂いた彼女は、峨眉をなだらかにして白皙の麗貌を仄かな微笑に染める。
夫のことを、数少ない身内の間だけで共有された真名で呼びかけながら、風雅な調子で何気なく尋ねた。
「残念ながら記憶が曖昧だ。出来るだけ旅先のことは書き留めるようにしているし、映像の記録も残しているが時間が経てば経つほど見返す習慣が薄れる。心に焼きつくほど強烈な体験であったとしても、窓から見える景色の中にあるどれが該当の惑星のことか定めることはできないな」
かつて、〝ベヌン〟と名乗りながら銀河中を飛行していた男は、往年の日々を朧げに辿りながら、落ち着き払った声音で答える。
内心では、もし星間空港を新設したばかりの惑星があれば気の毒だな、と市井に立つような観点で呟いている。幾度となく目の当たりにしてきた自然現象であっても、一片もの情が誘発されぬわけではないのだ。
現在の自分は、旅に赴く時とは異なり、ほぼ白一色の衣装に身を包んでいる。
統皇星帝への就任を示す正装だ。彼の特性を物語る、威厳漂う格式的な形状ながら、雅美を放つ着こなしとなっている。
身体のラインに沿うようにデザインされた、踝までを覆う純白のローブ。肩上から背面に、ブラックホールのような底無き闇に似た黒色の厚いマントがかかり、厳粛な風情を醸出する。星屑を材料として作られた宝石のベルトが括れた腰に巻きつき、青、白、紫の三色で構成されていた。
首周りは、多様な衛星から採取された銀の粒を凝縮したハイネックのチョーカーが固める。その中央には銀に縁取られた青い宝石製のブローチが左目の形に象られて納まっていた。旅先で出会った人物の一人に贈呈し、一時手元にない状態であったが、継承に当たり祝いの品の一部として再び製造されたのだ。元来成人の際に、彼自身を象徴する品として授与された装身具で、以後気安く手放すべからずと廷臣や親に厳命された。
今は更に、天体風景を投影した特殊な円盤に囲われている。円盤の外円と左眼の合間では、立体的な円環が複雑に絡み合い、さながら、ある惑星の中東文化圏に存在したという天体観測器を思わせる。
ローブは完全な白一色ではなく、所々が別の色や装飾具で彩られている。胸部より上部分とチョーカーの間は、あらゆる星座の線を集めたような模様のレース地となっていて、色は燻し銀のような灰色だった。緻密な網目を透かし、滑らかな肌色と鎖骨、立派な体格線が浮かぶ。
袖の部分は腕から手にまで及ぶ長さで、五本の指は露出している。やや長い爪先は、黒と紺と紫のマニキュアで交互に染め抜かれていた。
豪華さに機能的な美が同居する装飾と衣服は特別性を際立たせるが、銀色の首より上に据えられた顔の端麗さこそが首位相応の玲瓏典雅な風情を強調せしめていた。
切れ長く鋭さを孕みながら優美なアーモンド型の瞳に、装身の宝石に負けず劣らず清麗な深濃の青が揺れ輝く。無駄の無い線を描く滑らかな骨格を包む白磁の肌が澄んだコントラストを呈していた。鮮やかな二重瞼より上には青藍の縁取りが引かれ、眦からややこめかみに近い肌部分には漆黒の線で描かれた羽の文様が伸び広がっている。三日月のような唇には微細な琥珀色が塗られていた。只でさえ美貌として鮮烈な形に、妖艶な彩りが加わる。
頭上も特徴的な装飾で満ちていた。後頭部に向かって撫で上げられた艶やかな鹿子色の長髪には、間隔を挟んで微細な暗紫青が筋状に混入し、細密な彫り込みが施された銀の輪が押し包む。シンプルな造りの宝冠だが、両があるはずの位置に備わる長い羽飾りのようなものが、頭頂部より高く突き出て神々しい風合いを醸していた。羽飾りは青鷺のものを思わせ、突端を中心に青みがかり、下方に向かって白んでいく色調であった。
額上には、銀の輪に更なるアクセントを添えるように十七日目の衛星を模した刺青が刻まれている。恒星の光を受け、不完全な円を見せる月面は、弓張りのように湾曲した影に珍重に戴かれているようでもあった。まるで、杯に掲げられた有り難い玉石を彷彿とさせる。
伴侶である統星后の方も、夫に匹敵する、否、違う種の個性を壮麗華美に主張した服飾を身に纏っていた。
夫が青系色を主体とするなら、妻は赤系色と言えるだろうか。希少な大輪の花々を数束並べたような、鮮明多彩な存在感に満ちている。
金糸を織り交ぜた珊瑚色の長袍で、優雅なラインの締まった細身を押し包んでいる。両脇にはスリットが入り、足を組み替えたりする都度に南北天の七星を模様にした黒いレース地が艶然とした曲線を伴い覗く。背面には赤い蓮と白鶴一羽が刺繍されていた。
ハイネックの堅い襟には、右目形のブローチが黎明の空の色を映し込んだような円盤に嵌めこまれて留められている。夫と対称になるかのようだ。
また、夫と同様、神性な威厳を際立たせるかのような羽織物を背中に添えている。羽毛で縁取られた襞の多い紅薔薇色のマントだ。青い刺繍で刻まれた尾の長い鳥と龍が仲良く飛び交う。両腕には更に、薄紅色の薄紗を緩やかに通していた。彼女の動きに合わせ、時折自ら浮遊するように空間の中で軽微に靡く。
両脚の先には、赤い絹地に覆われた底の厚いピンヒール型の長靴が光り、衣服に描かれた大鳥の鋭く力強い爪を思わせるようだ。さりげなく、飛び舞う二羽の白鶴の図柄が穿たれている。
そのように豪奢な装束さえも圧倒する程の美貌を彼女もまた備え持つ。彫り深い夫に比べると扁平で小ぶりな面立ちは、冬の月世界を思わせる透き通った凍れる白皙に固められていたが、明朗な色い合いの化粧が生気漲る色香を放出している。
切れ上がった吊り気味の眦の下にルビー色の双眸が煌めく。周囲の滑らかな縁をなぞるように、淡い紅色が塗り伸ばされ、下睫毛の辺りには桃色のラインが滲む。
繊細な花弁の如き唇をパールピンクのルージュが引き立たせていた。
華麗な小顔を縁取るのは、インド翡翠の如く黒みを帯びた翠色の長い髪だ。天鵞絨のように光沢に満ちた滑らかなその直毛を、蓮の蕾を象った簪で高々と髷状に結い上げ、絢爛豪華な天冠を嵌めこんでいた。
彼女の被り物は、夫と比較すると一際に装飾豊かで輝かしい。頂点では、花弁を盛大に開いた白蓮の中で白金細工の大鳥は大きく翼を広げている。冠全体も白金細工で加工され、両脇にはそれぞれ黄玉色の房が、真珠の粒の集合で模された六茫星型を結わえて垂れ下がっていた。
加えて額の上には、ルビーを囲った紅水晶が連なり、輪状として嵌められ、その下に描かれた赤い蓮を模したワンポイントの化粧が麗貌の賑わいを強めていた。ある惑星の東洋文明圏の一角において、花鈿かでんと呼ばれた身体装飾に近似していると言えるだろう。
以上における両者の状態から考えれば、格段に上等な衣装で飾り立てたある一組の高貴な夫妻という表現に留まるかもしれぬ。
だが二人には、一般的な人型類とするには、異質と断じ得る特徴がほんの一箇所に存在した。
夫妻共に、眼球の色、及び瞳孔の配色が大いに掛け離れているのだ。
夫は眼球が銀色に、瞳孔が青で染め抜かれている。青色の瞳と称したが、正確には銀色の眼球に囲われた瞳孔の青なのだ。
妻は眼球が金色に、瞳孔が朱で染め抜かれている。朱色の瞳と称したが、正確には金色の眼球に囲われた瞳孔の朱なのだ。
彼らが、通常の人型類とは異なる種族、鳳凰種たる所以を表す一要素であった。
ガラス張りの壁に面したソファより後方には、リビングホールの床が円形を成して広がっている。星雲で採取される結晶質の岩石で作られたもので、磨き上げられた乳白色の表面を美しく見せていた。その中央には一台、天球儀を彷彿とさせる形態のモニュメントが佇立している。
真珠の如く清澄な白に包まれた球体に、星間物質から生じた繊細な金の細工によって、経緯線が寸分狂わず引かれている。規則正しい網目で覆われた空の中では、まるで星座表のように文様のような形状を呈した人物や獣が、生き生きと動き回っていた。現在進行形で、天体の様相を映し取ったようであった。
実際この機器は、彼らの学問による分類によって大きく分けられた各銀河世界の世相模様を抽象的な図像と化して描き出す仕組みを有する。
「貴方の星間旅行での思い出話と言いますと……翼を広げてしまったことが印象深いですわねえ。鷺青さんにも、ヤンチャなところがおありなのかと知って、甚く可笑しかったわ。妾だけといる時には、ちいっともそのような素振りをお見せになりませんでしたのに……」
冠の房を可憐に揺らしながら妻は、浅葱と蘇芳と漆黒の色を交互に爪に宿した指で、手持ちの扇をしなやかに広げてみせた。星雲を素材とする錦の生地を背景に、並立する七本松の合間を金伯の雲がたなびく中、巨大な一羽の鶴と青鷺が異種ながら番の如く視線を交差し飛翔している。
聞いている夫は、相手のからかいにさほど動揺の色を見せず、苦笑を溢してささやかに応じた。
「はは、これは反論の余地もないね。朱鶴、君の言う通り、冒険に出過ぎたという誹りを免れないな。 若気の至り……と、今なら笑い飛ばせるところではあるね」
朱鶴と呼ばれた妻の指摘は正しい。古来より、鳳凰種にとって、己の翼とは典儀の際にしか披露せぬ神聖なものなのだ。移動手段のために気安く用いることも躊躇され、ましてや同族外に対して広げることは忌避すべき行為なのだ。能力の域では大気圏外まで羽ばたくことも容易だが、神聖視する理由から普段の飛行は機器技術に依っている。
しかし、一連の失態を単なる軽はずみとして片付けず、妻の言うように印象深い出来事としてやや重大的に捉えるのには事情があった。
鷺青は旅の行く先々で、自分の故郷が天然資源争奪の紛争に見舞われていると話した時、詳細を具体的に明かすことはなかった。それは、実は天然資源というのが自然環境のものではなく、自身をはじめとする一族の肉体の一部――鳳凰種が生来に保有する不老不死を司るエネルギーであり、発生源が各人に備わる六枚の翼そのものだからだ。故に、例え公平感に優れた信頼に足る相手であっても、異種族であれば完全に警戒を解けない節があるため、具体的な事情は伏せたままにしたのだ。最も、鳳凰種の住まう世界は他の星系より次元を一つ異にする銀河空間に位置付けられているのだが。しかし、それも各所の科学の発展により超越される事態となった。
ある惑星では古来より、天人が持つ幻の妙薬として宗教的に神聖視され伝説の扱いを受けて来た。科学の発展に熱心な国家がスパイとして捜査員を派遣し、密かに落ちた羽からエネルギーを採取して科学的に事実が証明されたことを切っ掛けに、貪欲な超大国達が動き始めたのである。
鳳凰種は、生命力の強靭さこそ数多の種族と比して至高と評価して差し支えないものの、実は闘争力においては万全ではない。その名が示す通りの不死鳥の如く最大限に体質が恵まれているため、元より他者と競り合う感覚に鈍く思考も平和的に落ち着いていた。他国に攻撃するための軍事訓練も行っておらず、唯一、万が一の有事を想定し最低限の防御力を装備した国防部隊があるのみである。計略の発想にも乏しく、どちらかと言えば不得手であった。
敵意に無頓着であるところを他の強大な軍事惑星国家群に狙われる羽目になり、最も頭の切れる代表の外交官さえ足元を掬われるほどの危機にいつしか瀕していた。人権意識の希薄な国などでは、医療への貢献を名目に虐殺によって鳳凰種の翼を強制的にむしり取ろうと画策していた。
本来、鳳凰種の立場は銀河全体の調停であり、治める国家も永世中立だった。各星の争い、摩擦など多方面において霊神力により制御・融和を行っていた。
しかし、以上のような自分達を標的とする恐れ知らずの軍事科学国家の出現、それをきっかけとし、長年、彼らの内に無意識に横たわっていた唯一無二の特殊高位種族という奢りが醜く露呈するようになり、永世中立の孤高を維持していたところが、紛争の被害者として巻き込まれる一員という脆弱なポジションまで転落せしめたのである。 恒久平和に繁栄する神聖種族の帝国、という栄誉は無惨に失墜した。
祖父が若かりし頃には誕生したばかりで未熟だった国家も、今や力をつけた巨大な成長国家と化している。気づいた時には虎視耽耽と包囲を固められている有様だった。
自身らの特別性に胡坐を掻いて外部に疎くなっていたことを省みた父は、少しでも起死回生のチャンスに繋げられればとの意図で、息子に広く見聞を身につけさせんと遊学を勧めたのだった。見識と経験の蓄積で埋めることで、意識を覚醒させられるかもしれない。何より彼自身が、今までの天恵に甘んじて他国の狡猾さから目を背けてきた高祖達の日和見主義に我慢ならなくなり行動を決意したのである。
父も息子に行動を課したように、優越感からの保身的思想を継承したことを後悔してはいるものの、〝隠棲〟側の圧力で革新的な断言はできぬもどかしい立場にも置かれていた。若きベヌンは、父の苦悩を理解しつつも、曖昧模糊とした態度を呈し続けることに苛立ちを拭えず、度々逆らうように反駁していた。
だから、旅先で出会う人々に触れ回ったような、大義名分的な輝かしい意思は決して本来の原動力ではなかったのだ。様々な相手と、時に和やかに話し合い、時に激しく論じ合うことで、心が癒され、いつしか志に似た熱量が芽生えていった。惑星間の時差と寿命差の関係で、最初に会った人物に再会しての感謝の挨拶回りを遂げられなかったことが悔やまれる。
新たな無人惑星へ移民・入植後、鳳凰種の権威は鷺青の手により復興し、銀河全体の調停者の地位も取り戻した。しかし、以前までとやや改新した形で。
多様な邂逅を経ての学びが、大きな実りを結んだのだと信じたい。
膨大な回顧を終えて、意識を現在の空間え戻した時、ふと、隣の部屋から赤子の泣き声が聞こえて来た。
夫婦二人は、口元を綻ばせて無言で頷き合う。愛息が眠りから醒めたらしい。
と、ガラス張りではない壁の一角が、不意に楕円形に刳り抜かれた。無音かつ一瞬の内である。そして、直後には何事も無かったかのように、綺麗な表面を呈する壁に戻っていた。
刹那に出現した穴から現れた一人の影がある。赤子を抱いた養育士の若い男性だった。
沈着とした柔和な面持ちで、あやす様に軽く揺らしている。
養育士とは、鳳凰種における王侯関係者の子弟の世話・教導を任される専門家だ。彼はつい最近雇用されたが、優秀な腕を発揮している。
鷺青は、妻と歩調を揃えて傍へと静かに身を寄せた。彼のローブの裾が払われる際、漆黒の長靴に描かれた螺鈿細工のような星座模様が瞬くような光輝に煌めく。
養育士から差し出された幼き息子を、鷺青は妻と肩を寄せ合うように並んで抱き上げた。新しい生命の温もりを深く実感ていた時、ふと何故か一人の特定の人物が脳裏を過った。かつての旅先の一つである辺境の小惑星にて出会った、収まり悪い赤毛を輝かせていた小さな少年の面影だった。
(そうだ。君はエクトルといったね。君はあの瞬間からどうしていただろう)
どこか屈折した自問自答でもって、着実な解を導き出さんと悪戦苦闘していた初々しい姿を懐かしく思い返す。鷺青は知っている。若者よりさらに幼い青少年が歩み出す前の思考は、やる気と好奇心ばかりで彩られた潔癖で純粋なものでは決してない。
鳳凰の種である彼にとっては、取るに足りない短い時間と言えるだろう。どのような一幕が人生という道のりにあろうと、壮大な宇宙という叙事詩の一篇に過ぎない。
しかし、人格の完成されていた彼にとって、長短は卑しみの物差しではなかった。
生きとし生けるものことが、ありのままに尊いのだ。
過ぎ去りし彼の日、咄嗟に少年を抱いて秘匿の翼を広げる愚を犯してまでも飛翔せずにいられなかったのは、一気に押し寄せた激しい感情を発散するための手段を他に思いつかなかったからだ。
展望の広場から下界の町に目を落とした刹那、種族特有の高感度で、流浪の受難に晒された民が平凡に映る街並みの片隅にも存在していることを察知したのだ。それ以前の旅で見えた深刻な場面の記憶も重なったのだろう、怒涛の勢いで多大な悲壮感を催した時には、自分達にとっての大切な神秘性も失念する程、無我夢中となって衝動に委ねていた。
また、赤毛の少年のいた惑星で、感情を揺さぶられた出来事はそれだけではない。
開拓に着手した頃の旧文明惑星住民――太陽系における地球の出身者と、自分達種族が通信していたという確かな形跡を、<残留する思念を読み取る種類のテレパス能力>によって観測所だった地点から確認したのだ。
神経全体が脈動するような震えが体内を駆け巡ったのを覚えている。今度は悲しみではなく歓喜と呼ぶべき感動に、魂が熱を帯びた。
銀河系情報網のマップデータでは数万年も更新されることがなく、危険紛争区域に組み込まれて認定され星間観光情報からは抹消された小惑星。直接の見聞によって、切り捨てるべき場所ではないと彼は思い知ったのだ。
遺跡以外からも発見の収穫があった。文献資料に触れるために寄った文化図書館で大いなる出会いを得る。驚くべきことに、かの少年の惑星では、我々の来訪が伝承として根付いていたのである。
一冊の口碑伝承を集めた事典に、明らかに自分達と思しき記述が見られた。当時を伝える絵の中の聖人とされる男の人相が、父のものと瓜二つだったのだ。
時期からすると、鷺青の父の初任務だった可能性が高い。実子である彼も、詳しく教えられていない過去だ。
語り継がれていることに対して誇らしさが込み上げつつ、同時にどこか羞恥的後ろめたさをも感じずにはいられなかった。
一度、失墜した種族にさえ、栄光の時分での有り方で記録に留めんとしてくれる民がいようとは――有り難みと申し訳なさが募る。
指先で、乳飲み子の短い髪――自身と同じ色に染まったそれを優しく梳いて撫でながら、目の前にはいない彼の少年の表情を静かに思い描いた。
懊悩の淵で苦悶している姿には、まだ幼く若い顔立ちに似つかわしくない痛ましさが漂っていた。
やや不器用な気質のようで、放っておいた途端、独りでに自ら袋小路へと行き詰まる場面もしばしばあった。
案外、ヒントというものは物言わず眼の前に佇んでいるものである。
気づける機会を自然な形で授けたくて、幾度か促すように語り掛けた。
他者のことは言えぬ程度に未熟だった当時の己に、最善の助言が成し得たとは到底判定できない。
彼は、彼のテンポとペースで掴み取るべきなのだ。
寄り道に関心が向いてしまうことや、何度も回り道から抜け出せなることは必然の流れだ。
理想の順路から逸れること自体は誤りではない。
以降、更に、囚われる時間に費やすか、活路を見出すのが早いかの違いがあるだけだ。
半生の中で 鍵が落ちていることに気づく速度が、生物によって差異があるのは当たり前の理なのだ。
餞別の品として手作りの筆記具を手渡された時、少年が進歩の階段を踏み昇り始めたことは確かだと自分は悟った。
ペンに触れた瞬間、多少の荒削りさが見て取れた。完成形であるという状態も拙いものではあったが、紛れも無く少年の包み隠さぬ努力の証であると察知し、感動と共に掌の内で握り締めた。精魂を込めたであろう彼の心を沈ませまいと、中途半端なコメントを添えたのは却って相手の為を慮らぬ浅はかな甘やかしだったかもしれぬ。無責任な評価を下すべきではないと悩んだ挙句が忍びない。
とはいえ万年筆は実際の現場で大分と活躍してくれた。グリップは少し心許なかったが、インクのコシはしっかりとしていて、約五十年間に渡る旅の記録作成に尽力を果たすこととなる。故郷に到るまでの時間の半数にも満たなかったが。
鷺青は、頑強にも片腕で我が子を胸元にしっかりと寄せつつ、尚も過日の邂逅者へ囁き掛けた。
(君は、我らにとっては短く、しかしかけがえのない人生の航路を進んだに違いない。切り開く手段は、いつ見つけ得ただろう。いや、いつだって構わないはずだ。例え、燃え尽きる瞬前であれ。自身の力で手に入れた解であることに、変わりはないのだからね)
fin
この物語にて最終的な締めくくりとなります。
長かった(笑)。お疲れ様でした!
後に活動報告にて執筆に関する振り返り等上げる予定です。
追記:5/16に関連の活動報告をアップしました!