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星空(うちゅう)から来た〝先生〟  作者: 鞠宮 果泉(まりみや かせん)
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最終話 出立

 時間は瞬く間に過ぎ去り、夜となった。

 予定時刻に間に合うよう荷支度を済ませた紳士に連れ添い、街頭だけが等間隔に照らし染める石畳の路面を歩き行く。

 カメラの露出時間を長くして北方向の星空を撮影すると、北極星を中心として周囲の星が時計回りに渦を描くような姿が映るが、そんな星々のように同心円を形成しながら組み敷かれた煉瓦の模様が足元に広がり出す。初めて出会った広場だった。次は宇宙(そら)への出発点としてここから旅立つつもりなのである。

 大家の女性は紳士が玄関から出る時の別れ間際、気丈な中年婦人はどこに行ったのかと思わせるほど顔をクシャクシャに歪めてオイオイと泣き喚いていた。

 紳士が優しく彼女の両手を包み込みながら慰めていたのを直前の出来事のように思い出す。


 広場の中心位置に、綺麗に踵を揃えて立ち止まった紳士は、藍と黒と紫を微細に織り交ぜて広がる夜空を感無量といった表情で振り仰ぐ。煌々たる星粒が散りばめられて輝き、見事な満天だった。紳士の磨き上げられた青金石(ラピスラズリ)の如き双眸が、頭上の星景を集めて潤い煌めく。 今夜は快晴となって幸いだった。紳士によると、天気予報から滞在期間の最終日を設定していたそうだが。


 紳士は外套の懐に手を差し入れ、宝石人形の小鳥を取り出す。可憐に転がり出たそれを宙に放り投げると、全身を光に覆いながら乗り物のフォルムへと変形する。やがて光輝が消え、銀色の卵に似たシャープな単機が鎮座していた。

 エクトルは一つ不自然な点が生じていることに気づいた。初日に見たスモークガラスのようなカバーが相乗席の空間上にない。収納する際には付いたままだったのに、いつの間にか仕舞い込んだ形で出せるように操作したのだろうか。深く追求する程の疑問には感じなかった。


「この惑星を立ったら……次もまた、どこかの惑星に行くんですか?」


 寂しくなります、と言い切りそうになったのを寸でのところで呑み込んだ。当たり前に別れは惜しく、みっともなく縋って泣き喚きたくないかと言ったら嘘になる。

 だが、それはこの荘厳な舞台に似つかわしくない。清澄な星空のように、潔く挨拶を交わすべきであろう。眩い相手に恥じぬよう、輝かしい宇宙(せかい)に向かって送り出したい。

 大家の女性とは、抱いた感情も異なるのだから。


「そうだね。別のテーマで探究に相応しい場所の目星がついている。残念だが、すぐには故郷へ帰れない」


 新たな旅先への好奇心と、責任の念による望郷――相反する感情が、揺らめく夜海のような暗青の瞳の中で交錯して沈んでいった。

 エクトルの中に、胸が窄まるような哀切感が込み上げる。紳士の深慮などに到底自分は及ばないが、立派に映え続ける彼でさえ済度し得ない逡巡の最中にいるのだということが痛いまでに伝わって来るのだ。

 それでも声では明るく応じる。


「なるほど。じゃあ、是非お便りを下さい。手紙でもメールでも……あと三年、僕はここにいます」

「もちろん。そうさせてもらうさ。大家殿のお許しで住所を控えさせていただいた。君とも彼女とも、近況を伝え合うのが楽しみだ」

「それを聞いたら大家さんがどんなに喜ぶか……。貴方のことがすっかりお気に入りなんですから。欠かさずチェックしてくれると思いますよ」

「有り難いことだ……必ず世話に(あやか)る人々……彼らに飾らない好意を寄せて頂けることこそが、恥ずかしくない旅人として認められた証だ」

「認められる証……」


 相手の文句を反芻して、エクトルはふと考える。自分が自分として認められ得る証とは何だろう? 先日に紳士が説いたように、手の届く最高の領域で開花することが適切であり大切である生き方なのだ。だが、成就させるだけでは自己の満足に終わるのではないだろうか? 接する存在達との間で、相互に承認し合うことが肝心となるのではないだろうか。


「ベヌンさん、僕は……」

「エクトル」


 何か真っ当な返しをしなくてはと言い募ろうとするより先に、紳士の方が言葉を紡いだ。まるで、少年が無意識に求めているもの、必要とされるものを悟ったように厳かに。


「君の良さは確実にある。何に、どこに利点を見出すかは自分と、そして自分と交わる相手とに委ねられている。境地への到達を模索しつつ、その中で頂く人情(じょう)を励みに生きなさい」

「……ありがとうございます。ありがとうございます」


 感極まって、口調を強く繰り返し礼を述べる。二度目を口にした時には、涙ぐんだ震え声となってしまっていた。実際に瞼の下がじんわりと熱くなり、眦が濡れ滲む感覚があった。


 今こそ確信した。この人は、僕にとって先生だ。

 大袈裟な表現かもしれないけれど、ほんの短い間、教えを授けてくれた家庭教師ともいうべき存在だったかもしれない。

 邂逅の時に漠然と感じていた、陶酔からの授与によるものではない。生身で交流を経たからこそ、明らかに断言できる称号だ。

 正真正銘、彼は自分にとっての人生の師の一人となったのだ。

無償で贅沢な授業を受けられた僕は幸せ者だ。


 よく振りかえれば、実のところ紳士が困窮した国の王家出身であること以外、詳しいことは依然知れていない。

 だがどうでもいいことなのだ。何が彼との出会いで生まれた出来事で肝心だったのか。


――あなたは、たまたま立ち寄ったに過ぎない辺鄙な場所で、名も無い小僧の僕に至高の生きるヒントをくれたんだ。それ以上にないのだ。


(感謝しか、ないに決まっているじゃないですか!!)


 そう心の中で叫んだのと同時、ふと、脳裏で思い浮かべるよりも早く、口から自然と溢れ出ていた言葉があった。


「僕にしか辿り着けない僕なりの最高の領域があるのなら……ベヌンさん。貴方も、貴方にしか辿り着けない最高の領域から責務を果たしてください。それはきっと必ず“僕ら”を幸せにする」


 最後の最後で、なんと生意気な真似をしでかしたのだろう。だが自嘲しつつも、清々しく誇らしい温かさが胸中に込み上げる。

 紳士に対し、挑戦的なメッセージを放つことができたのだ。彼は対等な関係を認めている。土俵の縁に、ようやく指を掠めたような手応えがあった。


 泰然と微笑していた紳士が、ハッと息を呑んだような顔になる。しかし直後には、再び落ち着いた笑みに口を緩め、左目を軽く瞑ってみせた。言わずとも了解していると頼もしく告げたように見えた。


「さて、ではそろそろ急がなくては。こちらこそありがとう、エクトル。今回でまた一つ、決して忘れ去ってはいけない思い出を授かってしまったのだから」


 柔らかに礼を返しつつも、紳士の体躯は搭乗席へと納められていった。

 機体側面の中央が一瞬()り抜かれたような形を描き、紳士が入ると跡形もなく滑らかな銀の艶を戻す。

 マントの裾を優雅に払いながら腰を下ろし、その手前で何かスイッチを押しやるような指つきを見せた。途端、紳士の周囲に虹色の煌めきがカーテン状に立ち昇る。まるでホログラムが現れるように、網目状の半透明の幕が上へ上へと駆け上がり、数秒後には屋根型のハッチを形成して搭乗者を覆っていた。

 溝に収納されるガラスではなかったのだ。これはエクトルの惑星文化圏の観点に照らせば、全く未見のオーバーテクノロジーの領域だ。

 七色の光彩が現れた時、一瞬紳士の美貌を神秘的な輝きを帯びて、一段と華やいだ流麗さを漂わす。

 見惚れかけた刹那、眼前で強い風が巻き起こった。反射的に息を詰めて腕を顔に翳す。

 数秒後、風圧が消失したと感じて腕を下ろした時には、周囲に微風を残した空間の中に飛行機は見当たらなかった。

 

 だが、直ちに上空から微弱な機械音を感じ取り、勢い良く視線をもたげる。

 機影らしき白銀(しろがね)が、仄かに漂う雲のカーテンを突き抜けて加速していた。慌ててエクトルは、今度こそ遠景で飛翔する輪郭を捉えんとこっそり用意していた双眼鏡を、コートのポケットより取り出す。

 覗き込むや、驚愕に唖然と心身が硬直した。

 ズームしたレンズの中、高度をもろともせずに突進を続ける星間飛行機。両側面に備え付けられていた透明の羽飾りのような襞が、まるでステルス戦闘機を思わせるシャープな水平形に伸び拡がり、空気を掻き破って行く。

 いや、その動きなら予想の範囲内だ。圧倒されたのは、羽飾りが飛行と共に鮮烈な美芸を展開したからだ。

 一級のダイヤモンドの表面を思わせる曇り無きスケルトンに、五彩の色が、現れては吸い込まれて入れ換わり浮上する。

 青、黄、赤、白、黒――ガイア時代の東洋文明圏のある地域では、古来の宗教思想において吉兆と見做された縁起の良い色の組み合わせに考えられていたと聞く。

 オーロラのはためきとは異なるが、まるで希少な天体現象の如く天然優美な光の波を生み出していた。

 少年は、オーバーテクノロジーの真髄に触れた感動というよりは、有り難い奇跡を伏し拝むような感慨に押し包まれる。


 何か突然、理屈もなく体内の底を突いて湧き出ずる衝動があった。

 鼻孔の奥が、僅かな水気につんと突かれる感覚が走る。

 得も言われぬ大きな感情に任せ、エクトルは双眼鏡を外すと星空に向かって叫び放っていた。


「ベヌンさん…いえ、ベヌン先生と呼ばせてくださいっ! ありがとうございました!!」


 かしこまって掌をピタリと腰に貼り付けながら、大きく体を曲げ頭を下げた。


 機体は既に、結晶ほどの微小な点にまで縮小し遠ざかっている。

 宇宙の星々と混合したかのような段階で、せいぜい地上から投げた声が無論届くはずもない。

 だが、エクトルはまるで船の中から、軽く片手を掲げて会釈する紳士の姿が目に浮かぶような気がした。

 飛行体は一瞬、天空で一際強く光り輝いたかと思うと、瞬く間に姿を消した。静寂の夜闇に、星明かりが灯るのみとなる。



 数週間後、この小さな地方都市を震わせるニュースが流れた。エクトルが訪れた養育院に匿名の人物から五十冊以上にも昇る図書が寄贈されたというのだ。

 五十冊の内の十冊はエッセイの体裁を取った様々な惑星に関する紀行書らしい。鮮明な写真とイラストの入った目に楽しい作りのものばかりで、子ども達を大いに喜ばせたという。その話をエクトルは、朝食の席で新聞に目を通していた大家の旦那の口から知った。彼は、つい最近まで自室に美丈夫が宿泊していたことを聞かされていない。

また、養育院への寄付のニュースの後日、エクトルは何の気なしに、かつて紳士と寄ったカフェの一件にふらりと足を運んだ。彼と写真を撮った方の店だ。

受付のカウンター前に立った途端、背後の壁にある来店客との記念写真を掲示したボードにて直ぐ様思い出の形を発見することとなった。

自分の当時の表情を目の当たりにし、素直に苦笑する。

次に再会できる時があれば、それまでに器用な笑顔を作る練習をしておこうと誓った。


Fin.


エクトルを目線の中心に据えた物語本編はこの話にて完結ですが、連載中としているのは、余談に当たるパートを用意しているためです。

次回、それにて真の結びといたします。


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