97 R-ご注文は主従百合を二セットでよろしいでしょうか?
じゃんけんに負けた蜜実、麗と市子の熱意に押し切られた未代が更衣室へと消えてから数分後。
「お待たせいたしました~、お嬢様ぁ♪」
先に姿を現したのは、改めて見てもフリル過多なメイド服に身を包んだ蜜実だった。
「かわいい」
ゆるりとした口調を目いっぱい弾ませ、柔らかな愛想を振りまくその姿に、華花は早くもご満悦な様子。
正規のメイドから渡されたドリンクをトレーに乗せ、自身の元へと歩いてくる蜜実を、華花は静かに凝視しながら待つ。
コツコツという軽快なヒールの音、踏み出すたびに小さく揺れる白いフリルたち。
それらで視聴覚を楽しませながら、蜜実はすぐに華花の元へと辿り着いた。
「こちら、ご注文の『愛情濃縮還元フルーツジュース』になりまぁす☆」
言葉尻を明滅させ、トレーからグラスを下ろしながらも、メイドたる自身の仕事はこれだけではないはずだと蜜実は考える。
品名の頭に冠する、愛情濃縮還元という言葉。
愛情とは何か。濃縮還元とは何か。
――否。華花にとっての、蜜実からの愛情とは何か。
一瞬の思考、のち、結論に至り。
「あーむっ」
導き出された行動は、自身が一度、ストローを口に含むというもの。
少しだけジュースを吸い上げ、それ以上のことはせず、蜜実はすぐさま唇を離す。
「どうぞ、華花お嬢様ぁ。『愛情濃縮還元フルーツジュース』でございまぁす♡」
そうして、飛び切りの笑顔と共に、グラスを華花の口元へと近づけた。
「ん、ありがとう」
表面上はツンと澄まして、喜びに咽ぶ内心など(蜜実以外の者たちには)露ほども感じさせぬまま、華花は目の前に伸びるストローの先へと唇を寄せる。
グラスをその手に持つことはない。
たおやかに添えられた蜜実の両の手指こそが、今この場において最も相応しいオブジェクトなのだから。
「いただきます」
ジュースを。唇を。愛情を。蜜実を。
数多ある枕詞を小さな吐息に閉じ込めて、華花は遂に、その赤いストローへと口付けた。
ちゅう、ちゅうと、ごく微かな音が鳴る。
華花と蜜実、彼女たちにしか聞こえないその音を挟みながら、二人は視線を交わす。
涼やかな茶の瞳はいつも通りに、まぁるい黒の瞳は悦びに細く窄められていて。
こくり、こくりと、吸い上げた薄黄の液体が嚥下されるたびに、蜜実の顔には笑みが広がっていった。
白く細いのどが蠢き、自身が注いだ愛情を貪欲に取り込んでいくさまの、なんと淫靡で堪らないことか。
高ぶる心に連動して身震いするその振動が、指先を伝ってグラスを小さく揺らす。
そうすれば、グラスの中ではより一層、不可視のハートがかき混ぜられて。
それを飲み下す華花の心身も、酩酊し夢見心地に。
さして大きくもない入れ物に入った液体は、さほどの労も要せずにその半分ほどが華花の中へと入りこんでいく。
一瞬というには長く、永遠というには短い一息ののち、華花はグラスから顔を離した。
はぁ……と漏れ出た吐息が赤いストローをくすぐって、小さく短い音色を鳴らす。
それと同時に蜜実の耳に届いたのは、囁くような主人の声だった。
「おいしい。蜜実も飲んでみて」
提案のような命令に、従者たるメイドが従わない道理はない。
「かしこまりました、お嬢様ぁ」
より一層笑みを深め、囁きを返しながら、今一度蜜実がストローへと唇を近づける。
グラスの位置も、それを緩く包み込む両の手も、その位置は動かさない。ただ顔を近づけ、唇を寄せ、どんどんと視界を覆い尽くしていく華花の顔だけを見つめながら、うすぼやけた背景の中から赤い線を探す。
ピントのずれたその一筋を吸い寄せるようにして咥えこみ、ちゅう、と口付けて。
こくり、こくりと、まるで主人の真似事のように、残った半分のフルーツジュースを飲み下していった。
のどの動き、唇の蠢き、全てを余すことなく見せつけ、主を目を楽しませるように。
やがて、やはりさしたる時間もなく飲み干したそれから顔を離し、トレーへと戻すと、蜜実は最後にとびきりの、愛らしい笑顔を咲かせて見せた。
「いかがでしたか、お嬢様ぁ?」
「最高」
言葉だけを聞けば、華やかな服装に見合わない淡白なやり取り。
けれどもその数分足らずの睦み合いに、当人たちはジュースの値段以上の充足感を覚えており。
密かに注視していた周囲のメイドや客たちすらも、良いものを見せてもらったと心の中でチップを投げまくっていた。
「……やはり私の目に狂いはなかった……」
殊更に華花か蜜実のどちらかにメイド服を着せようとしていた女生徒が、満足げな笑みと共に呟く。
そう、これだ。
これを見るために、この体験型メイド喫茶という企画を推し進めてきたのだから。
しかし、今にも成仏しそうなその女生徒の隣に立つ市子は、それだけでは物足りない。
「確かに、ビックリするくらい絵になってましたけど……でも、自分の本命はここからっす……!」
両の目を向けるは更衣室。
そろそろ出てくるはずだ、機を見計らっていた彼女が。
はたして、期待の色を乗せた視線の先にいたのは。
「――お待たせ致しました、お嬢様」
驚くほど貞淑で上品な美少女――否、美女。
「「――」」
彼女をよく見ている麗と市子ですらも、一瞬呆けてしまうほどの変貌ぶり。
トレードマークのはつらつとしたサイドテールが解けているだけで、その明るい茶髪はなぜこうも淑やかに見えるのだろうか。
蜜実と華花がいちゃいちゃと戯れている僅かな間になされた即席メイクが、その顔付きを普段の何倍も大人びて見せている。
こつこつと床を鳴らすヒールの音こそ先の蜜実と同じなれど、その足取りは落ち着きと余裕という色香すら纏っていて。
「どうぞ、お嬢様」
語尾はしっかりと地に足をつけ、湛えるそれは優雅な微笑み。
纏う雰囲気に圧倒され、装飾過多なフリルやスカートの丈など、その存在感をかけらも主張してこない。
心なしか翻ることすら自重しているような白いフリルたちをわずかに揺らし、未代は静かに、ドリンクをテーブルの上へと置いた。
「――、ええ、ありがとう」
とっさに麗が返せたのはきっと、直感的に未代の意図を読み取れたからだろう。
彼女の求める主と従を体現するために、麗はあからさまなほど鷹揚に頷いて見せる。
その光景は、メイド喫茶の従業員という華やかに過ぎるメイドしか知らない現代っ子たちにとって、あまりにも衝撃的だった。
なんと上品で、慎ましやかで、それでいて耽美な一幕だろうか。
先の華花と蜜実とはまた違う、なにか異質な、けれどもそれこそが従者の本来の姿であるかのようが、そんなごく自然な立ち振る舞い。
誰も、言葉一つ漏らさない。
あまりにも静謐な麗と未代の雰囲気に、音を発することすらもが憚られていた。
麗の手が、緩やかにグラスを包み込む。
まるで上質なワインでも入っているかのようにゆっくりとふちを傾け、小さく唇をつけて。
「――、――」
嚥下というには、あまりに美しい。
何か神秘的な儀式の一端でもあるかのように、麗は少量のドリンクを舌で転がした。
ほんの一口、けれども確かに味わって。
やがて完璧な逆再生のようにして、再びグラスはテーブルの上へと。
「美味しいわ。いつも通り、見事な手際ね」
いつも通りというその言葉が真であると、誰もが信じて疑わなかった。
「勿体無いお言葉に御座います」
気品は保ったまま、ただ笑みだけを深めて腰を折る。
模範例として申し分ないお辞儀から一拍、顔を上げたメイドの一言。
「――みたいな感じでどう?」
「お見事です、未代さん」
いつも通り、白い歯を見せて屈託なく笑う未代に、麗も微笑んで返した。
「「「「おぉぉぉぉっ!!」」」」
何やら凄いものを見た気がすると沸き立つメイドと客たち。
その中心で、すっかりいつも通りの関係に戻った未代と麗が言葉を交わす。
「ほら、やっぱメイドってこういう、お上品な感じが合うと思うんだよねぇ」
「確かにこのような姿を見せられては、先日の未代さんの発言もあながちでたらめでは無いような気もしてきますね」
「でしょー?……って、ちょっとまって。え、なに、今までデタラメだと思ってたの?」
「……」
「露骨に目を逸らすなっ」
方や怒り気味、片や気まずげにあらぬ方を向く。
つい一分前の優雅なやり取り雰囲気など、最早完全に霧散してしまっていた。
「――ねぇ、予備のメイド服、まだあったよね!?急いで改造するわよ!そう、フリルは控えめに、丈も長くして。黒地多めでシックな感じに仕上げて頂戴っ!」
「合点承知っ!!」
一方興奮冷めやらぬ下級生たちは、新たなるメイドの可能性――或いは原点回帰とも言えるそれをすぐさま取り入れようと声を張り上げる。
「先輩っ!次は自分にもやって下さいっす!」
「いやあんた今仕事中でしょうが」
「メイドなんて今すぐ辞めてやるっす!」
「アホなこと言ってないでほら、あたしと蜜実の注文も持って来て」
市子は予想以上の適役っぷりに自身の役目を放棄しようとし。
「えー、今のメイドさんとご主人様を演じた二人が主演の劇、『シンデレラ(ガチ百合)』はこの後第三VR実習講堂で上演予定でーす」
「午前と午後で二回ありますので、皆さんぜひ見に来てくださいねぇ」
一部界隈での有名人であるが故か、華花と蜜実はここぞとばかりの宣伝も手慣れたもの。
こうして、店にも客にも本人たち自身にも、単なる冷やかし以上の収穫を与えたうえで、四人のメイド喫茶訪問は無事に達成された。
次回更新は9月16日(水)18時を予定しています。
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