90 V-探索も楽じゃない
流石に学園祭が近くもなれば、忙しさや準備の疲労からか、『ティーパーティー』の面々はそう毎日[HELLO WORLD]にログインするというわけにはいかなくなっていた。
「ほいっ」
「よいしょー」
無論、婦婦たる二人はいつもと変わらず、であったのだが。
フレアから(半ば無理やりに)託された渓谷の探索を、今日は二人きりで行っているハナとミツ。
似非単独戦闘の練習も兼ねて、遭遇した狼型モンスターの群れを挟みこむように位置取り、それぞれ別々のモンスターへと切りかかっていく。
十頭近くからなる獣たちの群れは、至近距離で見れば視界を覆い尽くさんばかりで、けれども二人の目に映っているのはやはりどこまでも、剣を振るうお互いの姿ばかりだった。
対人戦よりはまだ楽、ではある。
さして強くも珍しくもない狼型、群れであることに留意こそすれ、行動パターン自体は概ね把握しているために、本来であれば苦戦などしようはずもないモンスターたち。
「よっ、と……!」
「っ、『弾刃』ーっ」
……などと言ったそばから、ミツはスキルを使用して何とか三頭目を処理する。
妻からのカバーが望めない以上、スキルの使用は常以上に慎重を期さなければならないのだが……鈍重な自身の動きを庇おうとして技名を叫んでしまうのもまた、致し方のないことなのだろう。
やや苦しい体勢から放たれた刺突は三頭目の狼を絶命させはしたものの、続いて飛びかかって来た四、五頭目の爪と牙が、ミツに体勢を立て直す暇も与えない追撃となる。
隙を見せれば即座に畳みかけてくる、そんな群狼の習性を、分かってはいても対応しきれないほどに、やはり今のミツの動きは精彩を欠いていた。
「あぅっ……!」
四頭目の牙が、咄嗟に受けようとしたミツの左腕に食らいつく。
個々のSTR値はそれほど高くないために大ダメージとはならないものの、体重をかけて片腕を塞がれ、さらにもう寸暇もなく五頭目の鋭利な爪が迫ってきていることを鑑みれば、今のミツの状況はピンチと言っても差し支えないだろう。
「――『閃光』っ!」
自身もまた、なんとか四頭の狼を片付けた直後のハナが、右手の指先から閃光を放つ。
お互いの戦いに手出しはしない。
そんな取り決めなど、二頭に襲われるミツの姿を見ていてはどこかに吹き飛んで行ってしまっていた。
焦りと共に伸びる細い光線。ミツを切り裂かんと身を躍らせていた五頭目の後頭部を狙っていたはずのそれは、しかし僅かに射線が逸れたことでピンと尖る狼の片耳を貫き、更にはそのままミツの右胸の辺りにまで突き刺さる。
きゃうんっ!?などという、まるで子犬のような悲鳴。
けれども、そんな甲高い音よりも遥かにハナの耳を貫いたのは、ミツの喉から漏れた小さな喘ぎだった。
「ぅくっ……!」
息が詰まったかのような、短い呼吸音めいた声。
銀色の軽鎧に守られたその胸にダメージはさほどもなく、ただミツは衝撃に身を任せて体を仰け反らせる。駒のようにして回るその遠心力を利用して、左腕に噛み付いたままの四頭目を振り回し、耳に大き過ぎるピアス穴を開け悶える五頭目へと叩きつけた。
きゃいんっ、きゃうんっ、と、やはり子犬のような情けない声を上げながら、二頭はもつれ合うようにして地面を転がる。
足を踏ん張り、右胸を苛む疼きに眉根を寄せながらも、ミツは今度こそ、何とか態勢を整えて。走り寄ってきたハナとそっくり鏡に映したような踏み込みで、団子になっていた二頭の首をまとめて切り飛ばした。
「……ふぅ」
「ミツ、ごめんっ!」
計九頭、全ての狼が倒れ伏したことを確認し、息をつくミツ。そんな彼女の右胸の辺り、薄く焦げた跡を見ながら、ハナは心底申し訳なさそうに謝罪の言葉を口にした。
「ううん、むしろありがとうだよぉ」
銀鎧の表面に僅かにできた黒い点。
放たれた光線は低位のクイックスキルで、受けた防具は一等級鋼材の最高級品。状況を打破出来たことも鑑みれば、受けたダメージなどごく僅かなものであり、またこの程度の焦げ跡であれば、少し経てば自動修復されるだろう。
故にこそ、ミツの口から自然とこぼれ出たのは、糾弾ではなく感謝の言葉だったのだが。
「でも、その、そもそも手は出さないって約束だったのに……」
やってしまった方の気が、それで収まるかどうかは別問題。
そも、二頭に迫られたあの状況からでもまだ、ミツ一人で何とか出来はするはずだったのである。
他の狼たちは全て打ち倒されていたのだから、あれ以上の追撃はなく、五頭目に切り裂かれ、四頭目に組み伏せられようとも、それでもまだ、打倒のしようはいくらでもあった。
最終的にボロボロになろうとも、HPを大きく削られようとも、ミツ一人の実力で対処出来はしたであろう、そんな程度のピンチ。
けれども視界のど真ん中、独り戦うミツが苦悶の声を上げていることに、我慢がならなかった。
以前のノーラとの模擬戦とは違う。
たとえ相手が格下であろうとも、これはモンスターとの実戦なのだから。
そう思えばこそ、伸びる指先を、放つ呪文を、抑えることなんて出来ようはずもなかった。
「なのに、ミツにも当たっちゃうし……」
そのくせ照準はがばがばで、敵を仕留めるどころか、守ろうとしたミツにさえ当たってしまう始末。
当人が機転を利かせて衝撃を利用し、結果としては二匹纏めて葬ることが出来たものの……二重の意味で余計なことをしてしまったのではないかという罪悪感がむくむくと湧き上がってしまうほどに、ハナにとってあの一手は悪手であった。
そんな、目尻の下がったハナへと、けれどもミツは微笑みを向ける。
「それは、まぁ、一人で戦うってルールは破っちゃったけどー。逆だったらわたしも、おんなじことしてたと思うし。……それに」
剣をしまい、手持ち無沙汰に揺れる右手を取って、焦げ跡の残る胸元へと。
「ここ。ハーちゃんに貫かれたとき、ハーちゃんの気持ちが痛いくらい伝わってきてね?」
堅い銀の鎧越しに肌を触れ合わせながら。
それだけでは飽き足らず、ハナを抱き寄せ、耳元までその唇を寄せて。
「……その、ちょっと気持ちよかった、かも」
囁かれたのは、『倫理コード』を掻い潜る愛情と情欲。
「……っ」
攻撃を受けた際に『痛覚反映』が伝えるのは、紛れもなく衝撃と痛みだけ。
にも拘らず、むしろその胸を刺す痛みからこそ、ハナの愛情を確かに感じ取って。ミツにとってそれは、痛みという名の淡く走る快感。衝撃というには甘やかな痺れ。
ハナの耳元から唇を離し、至近距離で顔を突き合わせるミツ。
視界に映った彼女の表情は隠しようもないほどに蠱惑的で、思わずハナは、こくりと喉を鳴らした。
ああ、そうと言われてみれば、最後の二振りの直前。
踏ん張る彼女が見せていた表情は苦悶というよりも、ベッドの上で蜜実が見せる悩まし気な艶姿の先触れのようにも思い出されて。
今しがたまでの罪悪感はどこへやら、この仮想のセカイにおいてすら、自分の指先が彼女を貫き悶えさせていたのだという事実にハナは、自身の思考がぶるりと震えるのを感じた。
「……ねぇ、ハーちゃん」
吐息がかかるほどの距離で、ミツが名前を呼ぶ。
小さく空いたハナの唇の奥にある赤い舌を見やり、自身のそれを口内で蠢かせながら。
次いで視線を合わせ、蒼いその瞳へと誘いかけるようにして。
「探索はこれくらいにしてさー……今日はもう、ベッドでゆっくり、お休みしよぉ……?」
――この日もまた、失われし秘宝の探索は、まったく進展のないまま終わることとなった。
次回更新は8月22日(土)18時を予定しています。
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