83 R-休み明け
気が付けば夏休みも終わり。
まだまだ残暑を感じる時節ではあるものの、学生にとっての夏の終焉を如実に思わせる新学期というものが、遂に始まった。
「「おはよー」」
久方ぶりの登校に人並程度の気怠さは感じつつも、当人たちからしたら至ってこれまで通りの様子で教室の戸をくぐる華花と蜜実。
「「「「――!!!!!」」」」
しかしてそれを見た二年二組の生徒たちの間に広がるのは、何か言いようもなく、けれどもどこか胸を焦がすような衝撃だった。
一見して、二人の立ち振る舞いは夏季休暇以前のそれと変わりない。
腕を絡め身を寄せ合い、笑みを向け合いながら自身らの席へと向かうその姿は、クラスメイトたちにとっても見慣れたバカップルめいたそれのはず。
「っ、っ、っ……!」
「ぁ、あぁ、なんか……!」
「うん、なんていうか、うん……」
久しぶりに目の当たりにしたその姿に、前学期中に得た百合ハザード耐性が、夏にかまけたこの身体から失われてしまったのだろうかと、彼女たちは考える。
いいや。
けれどもしかし、思考を超越した本能が、確かに訴えかけてくる。
これは、そんなちゃちなものなどでは断じてないのだと。
そも、華花と蜜実はただいつも通りに教室へと姿を現しただけ。
腕を組みくっついてはいるものの、鍛え上げられた二年二組の生徒たちに対して、ただそれだけのことが災害めいた猛威を振るうはずがない。
ああ。
けれどもしかし、確かに違うのだ。
真夏のひと時の前と後。
しばしの見納めを挟んだ前後では、明らかに異なっている。
思考を超えた何がしかでそのことを感じ取った生徒たちは、その衝動に突き動かされるようにして、声を揃えて叫びをあげた。
「「「「――なんか、ちょっといかがわしい!!!!」」」」
思春期真っ只中な女生徒たちの、魂よりいずる咆哮。
なんか、などと曖昧な物言いをしていることからも分かるように、具体的にどこが、と指差せるような感覚ではない。
ただ、華花と蜜実が寄り合うその身のこなし、向け合う笑みの一端、窓から照る日に蠢く影の指先からすら、或いはそこに、『夏休み』『同棲』というワードから呼び起こされる、自身の妄想を重ね合わせてしまったが故か。
当人たちも言語化出来るほど明瞭ではない、けれども百合の香りを嗅ぎつける本能めいたものによって確かに感じ取った『なんか』から、ついかような発言を声高にしてしまうのも、致し方ないことだと言えよう。
「え、なんだろこれ、ほんとなにこれ……!」
「ねぇ、腕組むのってこんなやらしく見える事だっけ……?」
中には、未知なる感覚に恐れ慄き、自身の感性を疑いだす者たちまでいた。
そう、ただ腕を組んでいるだけ。そうしてそのまま、教室の戸から自身らの席まで、さして長くもない距離を共に歩いているだけ。
だというのにどうして、その歩みが、揺れる髪の先が、こんなにも煽情的に映ってしまうのだろうか。
たおやかな指先同士の睦み合いが、まるで、日も照る朝の空気に似つかわしくない、昏く絡みつく秘め事のようにすら感じられる。
「――ふぐぅ、っ、っ、またはなぢがっ……」
「ちょっと、だいじょう゛っ!……やば、なんか動悸がっ……はぁっ、はぁっ、息苦しくなってきた……!」
……或いは、体調に異常をきたす者たち。
かつて華花と蜜実にスパーリングをねだり、その時の後遺症から今や興奮すると鼻血が出る体質となってしまったとある少女。二年二組随一のピュアガールが、またしてもその鼻孔から深紅のエクトプラズムを滴らせている。
更にはその隣の席、ティッシュを差し出すのが役目となりつつあった彼女の友人もまた、胸を抑え机に突っ伏していた。まあ、腰を抜かしたり動悸不順に陥ったり、その女生徒も大概、興奮が体に表れやすい体質ではあるのだが。
……そんな体は正直コンビが倒れ伏す一方では、また、新たな扉を開きかけている者たちの姿も。
「やだぁっ、私にとって百合っていうのは、もっとこう、ピュアでプラトニックなものであって……!」
「とか言いつつめっちゃにやけてるじゃん……ごめん私の顔面もだったわ……」
華花と蜜実から百合というものの尊さを知った百合淑女初心者の女生徒たちは、突如として顕現した自身のあずかり知らぬ新たな世界に慄き、けれども彼女らの本能は、早くもそれを是と受け入れ始めていた。
いつの世も、どの領域においても生存競争とは苛烈にして神速であり、変革に対してどれだけ早く柔軟に適応していけるかが、生きるか死ぬかの分水嶺となる。
その点において彼女たちは、非常に優秀な適応能力を持った百合淑女見習いだと言えよう。
「あぁ^~」
……そして、そんな稀代のニュージェネレーションズの傍ら、ひっそりと限界を迎える者もいた。
「ヤバい、美山先生がトリップしちゃってる!」
「だからホームルームまで待てとあれほどっ……!」
例によって始業前に教室に姿を現し、ひっそりと華花と蜜実の様子を観察しようとしていた担任、美山 和歌が、とても生徒に見せて良いものではない表情をしながら、静かに息絶える。
大人であるが故に、そして二人の最古参ファンであるが故に彼女は、二人の振る舞いから、間違いなく超えたのであろうその不可視の一線を見出してしまい。
結果、恐ろしくリアリティに富んだ妄想が瞬時に彼女の脳内を埋め尽くし、常軌を逸したシナプス的な何かの暴走が彼女の脳内回路を悉く焼き切ることとなる。
新学期初日に起きた、痛ましい悲劇であった。
――慄くその様はまさしく千差万別、しかして等しく、何人にも分け隔てなく。
二年二組の面々は、華花と蜜実の関係進展の余波に曝され次々と歓喜の声を上げていった。
「……いやぁ、みんな相変わらずなコトで。なんだろ、むしろ安心感すら覚えるわ……」
「また学院生活が始まる、という感じがしますね」
級友たちの、相も変わらず少しばかりネジの飛んだ発言に、何故だか帰ってきた感すら覚えてしまう未代と麗であった。
それが良いことか悪いことかは、悩ましいところではあるのだが。
「やっぱり、二組は賑やかだねぇ」
「そうねぇ」
また、狂乱の中心であるはず蜜実と華花は、しかし、さながら台風の目のように穏やかで凪いだ心持ちでもって、新学期初日から元気なクラスメイトたちを眺めていた。
要するにいつも通りの二人であった。
――まあとにかく、のっけからこんな事態が起きてしまったものだから、その後の始業式開始時点で既に、二年二組の面々は大半が満身創痍となっており。
一様にご満悦な笑みを浮かべた亡者たちの行進に、他のクラス、学年の生徒たちは揃って訝しげな眼を向け、また担任・和歌は学年主任・大和 彩香女史に、鋭利な刃物が如く研ぎ澄まされた目で睨まれることとなった。
◆ ◆ ◆
「――えー、これはもう少し先の話ではありますが」
ある種、異様な空気の中執り行われた始業式の後。
ほとんど雑談のようなホームルームの最後に、和歌の口からあることが語られる。
「今年も、学院祭の時期が近づいてきていますっ」
「「「「いぇーい!!!」」」」
歓声に沸くクラスの雰囲気からも分かるように、それは百合園女学院でも指折りの一大イベント。生徒も教師も入り乱れ、各々がパフォーマンスを発揮する年に一度のお祭りごと。
「今日すぐに、というわけではないですが……なるべく早くクラスでの出し物を決めておきたいので、皆さん各自考えておいてくださいね」
自身も期待の色を隠しきれていない和歌の言葉を受けて、二年二組の生徒たちは休み明け最初の催し物に思いを馳せていた。
次回更新は7月29日(水)18時を予定しています。
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