78 R-母娘水入らず
「うーん、あれだな。アイス食べてぇ」
夜も程よく更けてきた頃合い、明日華が唐突にそんなことを口にした。
夕食の後、リビングでゆったりとした時間を過ごしていた他三人は、急なその発言に何事かと首を傾げる。
「夕飯食べて、お土産まで食べて、まだ足りないの?太るよ」
ジト目で嗜める華花だったが、彼女の母がその程度で自分の意思を曲げる女などでは、あるはずもなく。
「や、もちろんあれも美味しかったって、ご馳走さまでした――けどそれはそれとして、夏の夜はやっぱアイスだろ」
言葉と共に蜜実へと小さく頭を下げながらも、氷菓への飽くなき欲求を隠すことなく、明日華は立ち上がった。
「というわけで華花、ちょっとコンビニ行くぞ」
「え、私も?」
面倒くさい、という意思を隠しもせずに顔をしかめる華花に対して、明日華はこれ見よがしに天を仰ぐ。
「おいおい、たまにはか弱いお母様を慮ってくれたっていいだろ?」
「花恵お母さん、大丈夫?明日華お母さんが毎日変なことしてない?」
「そっちじゃねえよ、こっちの母だこっちの」
自身を指差すその堂々とした立ち姿からは、か弱さなど微塵も感じ取ることが出来ないのだが。
「いいから来てくれよ。酒もつまみも買い足すんだ、一人じゃ重くて歩けねぇよ」
「……はいはい」
どの口が言うんだか、という言葉は飲み込んで、しぶしぶ腰を上げる華花。
その様子に蜜実も、当然の如く立ち上がろうとするのだが。
「あの、わたしもご一緒しましょうかー?」
「ああいや、流石にお客さんを働かせるわけにはいかないし。蜜実ちゃんはくつろいでな」
先の一幕の反省も込めてか、明日華が笑いながらそれを手で制した。
「そうですかぁ?わたしは全然……」
「いいから、いいから」
正直なところ、蜜実は気遣い以上に華花と夜道散歩を楽しみたいという考えでもってついていこうとしていた。
「……じゃあ、蜜実ちゃんには二人が出てる間、私の話相手になって貰おうかしら」
そんな義娘の逡巡するさまを目の当たりにして、今度は花恵の方が蜜実を談笑に誘う。
「分かりました。二人とも、いってらっしゃぁい」
義両親共に引き留めるのならと大人しくそれに従い、小さく手を振って華花と明日華を見送る蜜実。
その後ろでは、ソファに腰かけた花恵が、くすりと小さく笑っていた。
◆ ◆ ◆
「いやぁ、思ったより多くなっちまったな」
「明日華お母さんが、何でもかんでもポイポイかごに放り込むからでしょ」
月明かりに照らされながら、母と娘は夜道を歩いていく。
家を出た時点から既にほろ酔いで、上機嫌なのを隠すつもりもない明日華が、酒、菓子、つまみと見た先から買い物かごに入れていったせいか、二人の手にはビニール袋がそれぞれひとつずつ握られていた。
「いいじゃんか。娘が嫁連れてきたんだから、これくらいは」
「まあ、いいけど」
少しばかり頬を赤らめながらも、嫁という言葉を否定するそぶりは見せない華花。
(やっぱ、その気なんだなぁ……)
分かってはいたが、確信を得るとその分、やはり感慨深い気持ちも沸いてくるもので。
(向こうで、カッコいい顔しながら「私、結婚するから」なんて言われた時には、ぶったまげたもんだが……)
最初は何かの冗談か、或いはそういう遊びなのかと思った。ゲームの中だったのだから、なおのこと。
けれども、挨拶に来た二人の顔付きや言葉から、それが一部の隙もない本気なのだと分からされて。
(娘が欲しくば~なんて、我ながら、いつの時代の人間だよって感じだったな……)
だからこそ、そうやすやすとは頷けなかった。
いくら、相手が互いに見知った娘の大親友だとはいえ、手塩にかけて育ててきた愛娘を、そう簡単によそ様にやれるかと。
まぁ、結局その娘と一緒に容赦なくこちらをぼこぼこにしてきたものだから、最終的には認めざるを得なかったのだが。
(それが気付いたら、今度はこっちで同棲まで始めちまいやがって……)
二人はまだ学生で、その時はまだ、もう少しばかり先になるのだろうけれど。きっとその時になったら、バカみたいに号泣しちまうんだろうなぁなんて、情けなくってとても口には出来そうにない。
だから、代わりにしょうもない軽口が、口をついて出る。
「……んでぇ?お二人さんは愛の巣で、どんな熱烈な毎日を過ごしてらっしゃるんで?」
「……別に、普通だよ。普通」
プイと顔をそむける娘の、なんとまぁ分かりやすいことか。
よくクールだなんだと称される華花だが、親たる明日華からしたら彼女はこんなにも情緒豊かで、可愛らしい。
「ほんとかぁ?こっぱずかしいバカップルみたいなことしてんじゃねぇのか?」
「お母さんたちほどじゃないと思うよ」
「ぐぅっ」
負けじとすぐさま反撃を見舞ってくるその顔は、既にすまし顔を取り繕っていて。ほの暗い夜道に浮かぶその横顔からは、どこか花恵の面影を感じずにはいられない。
「……お前はほんと、あたしらの面倒なところはばっちり引き継いでるよ」
「それはどうも」
見た目はなんだか強そうで、物怖じせずにずばずば言ってくる。けれどもそれでいて、どこかヘタレっぽい一面もあって。
(でもきっと、大事なところではばっちり決められる。そうだろ?)
「ったく、可愛くねぇっ」
空いているほうの手で、くしゃくしゃと頭を撫でる。
「ちょっともう、やめてよっ、ふふっ」
口調と同じく乱暴なそれを、けれども華花は嬉しそうに受け入れていた。
◆ ◆ ◆
「どう、蜜実ちゃん。華花が何か迷惑かけてない?」
「迷惑だなんてそんな」
それはやはり、娘が嫁を連れてきた時の常套句なのだろうなぁ。
そんなことを考えながら蜜実は、自身の父と全く同じことを言う花恵へと、微笑みながら首を横に振った。
「むしろわたしの方が、いつもリードして貰ってばっかりで」
華花が聞けば、それはお互い様だとでも言いそうな言葉だけれど、蜜実からしたらそれくらい、何気ない華花の一挙手一投足が毎日をより楽しく彩ってくれる。
「そう?あの子あれで、明日華に似てヘタレなところもあるから、色々じれったい思いとかさせてないかなぁって」
まあ確かに、夜の営み的なアレコレはもっぱら自分がリードする側なんだけど……などとは思いながらも、流石にそんなことまで喋ってしまうわけにもいくまいと、蜜実はその笑みを曖昧な誤魔化し笑いに変えた。
「大丈夫ですよー。それこそ、七年来の付き合いですからぁ」
「なら、いいんだけど」
当たり障りの無いその台詞から、なんとなく蜜実の思うところを推し量りつつも、笑んで黙する花恵はまさしく、明日華と違って配慮の出来る母であった。
自身のパートナー、勝気な態度とは裏腹な一面も備えた妻との青春時代を思い返しながら、花恵は静かに言葉を紡ぐ。
「明日華は昔っから不器用でね……今だって多分、華花と何か話したいことでもあったから、ああして外に連れ出したんだと思うわ」
まあその話したいことも、上手く言葉に出来ずじまいだったんだろうけれど。
「母娘水入らず、っていうやつですかねぇ」
「そうそう。ま、きっと今頃、余計なことでも言って華花を怒らせてるんでしょうけど」
子が幼い頃から幾度となく繰り返してきたその風景は、たとえ見ずとも容易に頭に思い浮かんでくる。
「そういう花恵さんは、いいんですか?何か、華花ちゃんとお話とか」
親子というならそれこそ違わず、眼前の女性と華花だって母娘なのだから、と問いかける蜜実に、しかし花恵は、ゆるりと首を横に振った。
「私は大丈夫。あの子たちに話してないことなんて、何もないもの」
迷いなく断言するその瞳は、穏やかでありながらどこまでも真っ直ぐに伸びていて。
ああ、強い人だなぁ。華花ちゃんとおんなじで。
直感的にそう思い、なればこそ蜜実は改めて、言わずにはいられなかった。
この人の義娘として、今一度、宣誓しておかなければと。
「……わたし、時々ちょっとへたれちゃう華花ちゃんも、可愛くて大好きですし。それに……」
この人が妻を、娘を想うように。
いや、それにも負けないくらいに……だなんて、流石に軽々しく口には出せないけれども。
「尻込みしてる余裕もあげないくらい、華花ちゃんのこと、愛していますから」
得意気にウィンクを飛ばしながら、蜜実はついと胸を張る。
「……ふふ、やっぱり蜜実ちゃん、昔の私にちょっと似てるわ」
「えへへ、わたしもそう思ってました」
母娘の夜は更けていく。
母と娘が、母と娘の元へと帰るまで、もう少し。
「「ただいまー」」
「「おかえり」」
娘たちが、母たちと語らう時間は、今しばらく。
次回更新は7月11日(土)18時を予定しています。
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