66 R-黄金家へご挨拶
「ただいまぁ」
「お、お邪魔致します」
「おかえりなさぁい。華花ちゃんも、いらっしゃい」
「おかえり、二人とも、よく来てくれたね」
快速に乗り、遂にやってきた黄金家。
「お義父様、お義母様、こちら、つまらないものですが……」
「あらまぁ」
「これはこれは、ご丁寧にどうも」
一軒家の玄関先で差し出された菓子折りは、華花の体に連動して、小刻みに震えていたとかいないとか。
(つ、遂に来ちゃった、うぅ……)
そろって出迎えてくれた黄金家の父と母は、ハロワでの各人のアバターとある程度似通った顔付きをしており、けれどもどちらもその髪色は、蜜実と遺伝子を同じくする黒であった。特に母親の髪は艶やかで、それでいて緩やかにウェーブがかっている。まさしくそれと見て、母娘だと分かる出で立ち。
そして、ゲーム内での面影がある義両親の出迎えは、それが故に、いよいよもって華花に、ここまで来てしまったのだと最後通牒を突き付ける。
少しでも第一印象を良くしようと、出来る限りめかし込んできた。
けれども決して派手過ぎないように、清廉、誠実さを第一に。
入念に施したナチュラルメイクは、良く見えているだろうか。
白いワイシャツに濃紺のタイトジーンズは、少々ラフ過ぎやしないだろうか。
蜜実とあれこれ相談し、一度は納得したはずのコーディネートさえ、今になって改めて不安が湧き出てきてしまう。
実際のところ、夏らしい薄黄色のワンピースに身を包んだ蜜実と並んで立つその姿は、両者合わさって爽やかな雰囲気を上手く演出出来ていたのだが。
玄関からリビングまで、きちんと両足を動かすことに全力を注いでいた今の華花には、自己を客観視する余裕など、あろうはずもなかった。
「もぅ、華花ちゃん緊張し過ぎだよぉ」
そうして、華花が人生で最も長い廊下を無事に渡り終えた後、リビングにて。
黄金夫妻と華花、蜜実が対面する形で腰かける。
緊張で喉はからっから。
しかし、お茶請けと共に用意された冷たい麦茶でそれを潤すなどという発想は、端からない。むしろ視界にすら入っていない。
四人が席に着いてからのほんの数秒程度の沈黙さえも、今の華花には自身が口火を切ることを強いているように思われた。
(……うぅっ、女は度胸、女は度胸っ!)
母親の一人が言っていた言葉で自分を鼓舞し、少女は早々に耐え難い沈黙を打ち破る。
硬直しあまりにも真っ直ぐ過ぎる視線を向けながら、ついに第一声。
「――改めまして、白銀 華花と申します。蜜実、さんとは、春先から交際させて頂いております」
眼前に座す義両親を見据え、すっと背を伸ばし、畏まり過ぎるほどに畏まった様子で告げる華花の姿は、一見すると堂々とした佇まいに見えなくもないのだが……
「本日は、遅ればせながら交際およびどうしぇ、同棲のご報告をしたく、お邪魔させて頂きました」
若干怪しい舌の回り具合から、単に緊張して心身が固まってしまっているだけということは、その場にいる全員に伝わっていた。
一応は仮想のセカイのほうでも報告済みであるとはいえ、こと現実世界で、直接顔を合わせて話をするとなると、そのプレッシャーたるや。
これまでに戦ってきたどんな強敵たちでも及びもつかないほどに、華花の心は今、重圧に軋んでいる。
「あはは、知らない仲でもないんだから、そんなに緊張しなくても」
そんな少女が浮かべる決死の表情に、蜜実の父――黄金 実彦は、思わず苦笑しながらそう返した。
娘の隣に座り、緊張の面持ちでこちらを見やる少女は、あちらのセカイでは銀のロングポニテだったのが、こちらでは茶色のロングヘア。髪型こそ違うものの、なるほど確かにその顔付きは、あちらのセカイでの娘の嫁と重なるものがあり。
だからこそ、その顔が過度な緊張に強張っているのが、少しばかり面白い。
なんて、口に出して言える雰囲気でもなかったが。
「そうそう、わざわざ遠くから来てくれたんだし、もっとくつろいでもいいのよぉー?」
夫の言葉に続く母――蜜月もまた、概ね同じようなことを考えながら、柔らかな笑みを浮かべている。
これが大人の余裕なのか、或いは華花という人物を信用しているのか。黄金夫妻の態度は華花とは正反対に、ハロワでのそれと変わらずリラックスしたものであった。
「は、はい。すみませんっ」
華花や蜜実と同じく、髪型、髪色以外はゲーム内のアバターとそこまで違いのない二人の顔や、それこそゲーム内と同じような穏やかな態度は、確かに華花の心境を少しばかり軽くはしてくれたものの。
だからといってそれだけで、抱え込んだ大きな緊張が綺麗さっぱり消えてなくなってくれるわけではない。
「っ、それで……ええと……『ハナ』の中身は、こういう感じなんですけど、その……」
口調だけはいつも通りに戻ったけれども、やはりその言葉からは、隠しきれない不安が顔を覗かせている。
失望されやしないだろうか。
現実での自分は、二人のお眼鏡に適っているだろうか。
基本的に華花も蜜実も、他人の目などはあまり気にしない性分ではあるものの、それでもやはり義両親ともなれば、さすがに軽々と無視出来るものでもない。
もしも。
期待外れだ、とか。
娘はやれん、だとか。
そんなことを言われてしまったらどうしよう。
極度の緊張から、加速度的にネガティブスパイラルへと陥っていく華花の思考回路は、義両親に拒絶された際の駆け落ち計画を超高速で練り始めていく。
土下座、駆け落ち、国外逃亡――。
壮絶なる逃亡劇の末、国際便のエコノミー座席で手を握り合う華花と蜜実。
どことも知れぬ異国の小高い丘の上、人気のない小さな教会で見つめ合う自分たちの姿を幻視したあたりで、実彦の声を受け華花の意識は現実世界へと帰ってきた。
「当たり前の話だけど、顔を合わせて三十分程度じゃ、華花さんの人となりは判断できないよ」
静かながらも確固とした言葉に、華花は膝の上の拳をぎゅっと握りしめる。
それはそうだ。現実世界で考えれば、自分たちはまだ、ほとんど他人のようなものなのだから。
しかし、思わず俯いてしまいそうな華花が顔を伏せずに済んだのは、でもね、と実彦の言葉が続いたからだった。
「ハナさんの事なら、僕たちはそれなりに知っているつもりだよ。だから少なくとも、あまり心配はしていないかな」
なんと口にしたらいいのか、どう表現したらいいのか。
「――っ!は、はいっ!あの、……っ、ありがとうございますっ!」
湧き上がる喜びをうまく言語化できず、結局、詰まったような息遣いと共に華花の口を突いて出たのは、シンプルな感謝の言葉。
何への感謝なのかも判然としないまま、それでも言わずにはいられなかった。
「わ、私っ、蜜実のこと、大切にしますからっ!」
余所行きの『さん』も付け忘れて、けれども言ったほうも言われたほうも、幸せそうに頬を赤らめているものだから。
当然ながら……というか何なら最初から両親にとっては、敬称の有無など些細なことであった。
「うんうん。今後とも、娘をよろしくねぇ」
微笑みながら頷く蜜月の瞳には、先ほどまでよりもずっと自然な表情を見せる、義娘の顔が映っていて。
「はいっ!」
大きく頷く彼女の、その言葉が聞けただけで、わざわざ来てもらった甲斐があったというものだろう。
「……もぅ。だから大丈夫だって、最初から言ってたのにー」
隣に座り、静かに成り行きを見守っていた蜜実が、そうは言いながらも小さく息を吐く。
「ふぅ……すっっっっっっごい緊張したぁ……」
「玄関からこっちまで、歩き方すら変だったもんねぇ」
「ちょっと、それは言わないでよっ」
今度こそ肩の荷が下りた華花と顔を見合わせて笑う娘の姿に、黄金夫妻はどこまでも優しい微笑を浮かべていた。
……なお、感情のベクトルがプラス方向へと盛大に反転した華花の脳内では既に、両家の両親や友人らに見守られながらの、幸せいっぱいな結婚式が執り行われており。
妄想に引っ張られ、無意識のうちに左手の薬指を撫でるその仕草を、黄金家の目敏い三人は決して見逃さなかった。
次回更新は5月30日(土)18時を予定しています。
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