64 P-恥ずかしい
「ぅ、わっ……!」
『ヒヨク』による幾度目かの突進を回避――したつもりが、目前で急激に軌道を変化させたその翼を、辛うじて盾で受けるハナ。
「ハナちゃんっ!」
「大丈夫……!だけど、このモンスター、やっぱりなんか変っ!」
防御による一瞬の硬直の後に剣を掲げるも、その時には既に、『ヒヨク』は刃の届かぬ空へと逃げ去っていた。
「動きが読みにくいよぉっ……!」
攻防の合間にやり取りするハナとミツの言葉通り、戦闘が始まって以降『ヒヨク』は、その予測しがたい挙動で二人を翻弄していた。
初撃や先の一幕の通り、その軌道は飛行の最中にあっておもむろに動きを変え、接触の直前になって予期せぬ一撃が見舞われる。
ハナもミツも、持ち前の反射神経によって直撃こそ免れてはいるものの、無理な姿勢や体捌きでの防御・回避を強いられ、ろくな反撃もままならなず。
結果、戦局は早くも、一撃離脱を繰り返す『ヒヨク』の有利へと傾きつつあった。
「お二方、ウォーミングアップはこのくらいにして、そろそろ本気でかかってきてもいいんですよ!」
少し離れた位置から聞こえてくるエイトの言葉に、二人はますます焦燥を募らせる。
準備運動どころか、二人は最初から今出せる全力を出していた。
そうでなくては、今の自分たちでは勝てはしないだろうと。しかし実際のところ、そうまでしても互角に戦うことすら難しく。
今はまだ、相手方も様子見がてらの攻撃が多く、さしたるダメージは受けてはいない。
けれども、あの予測困難な鳥獣が本気で攻勢に傾いたとき、自分たちはそれを凌ぎ切れるだろうか。この刃を届かせることが出来るだろうか。
前哨戦の段階で二人はすでに、そんな後ろ向きな思考に陥ってしまっていた。
モンスターに勝てないのであれば、その使役者はどうか。
テイマーを相手取るPVPでは、時にモンスターを無視してプレイヤー自身に狙いを定めることも、当然ながら戦略の一つといえる。
強力なモンスターに背を向けるというリスクはあれど、テイマー本人を倒してしまえばその使役獣も諸共に戦闘不能に陥るという、テイマーが抱える根本的な弱点を突いた攻略法ではあるのだが……
「わたしの『ヒヨク』がお二人にどこまで通用するのか、試させてください!」
笑顔でそんなことをいうエイトを直接狙うことなど、今のハナとミツには出来るはずもなかった。
二人のファンであるエイトは、使役獣と自分たちとの戦いを望んでいる。だというのに、いくらセオリーとはいえそれを無視して本人を狙いに行っては、彼女をがっかりさせてしまうのではないか。モンスターの一頭にも挑まず姑息に勝ちを拾いに行くような、そんな大したことのない奴らだと思われてしまうのではないか。
他者からの視線にどこまでも敏感になってしまっている今の二人は、常では考えもしないようなそんな思考に陥ってしまっていた。
怖い。
周りにどう思われているのか。
それが怖くてたまらない。
だって、恋人同士だなんて、自分たちでは思ってもみなかったのだから。
自分の知らない自分が、他人の目には映っている。
先のバディ限定大会で、大衆の面前において、二人はそのことを知ってしまった。
そんなこと、今までは考えたこともなかった。
ただ二人で楽しく遊んでいられれば、それでよかった。
仲のいい友達同士。ただそれだけのはずだったのに。
けれども周りからは、そうは見えていないみたいで。
恥ずかしい。怖い。
私たちって、そんなに変なことしてたかな?
そんな目で見られちゃうくらい、べたべたしてたのかな?
私たちって、周りから見たら、恋人同士……なのかな?
衆目に対して敏感になってしまう。
それ自体は思春期ごろにありがちな、多くの人が一度は通る道なのだが。
セカイ大会優勝者インタビューという状況が。
不特定多数というにもあまりに多い視線の数が。
そんな最中にあっての、司会者の言葉が。
二人の自意識を、急激にレッドゾーンへと引き上げてしまった。
恥ずかしい。
何をしていても、見られているような。
何かを期待されているような。
その期待が恥ずかしい。
でも、それに応えられないのも恥ずかしい。
私たちは、あのバディ限定大会の優勝者なんだから。
『最優のカップル』なんだから。
いや、カップルじゃないけど。そんなの、恥ずかしいけど。
でも、そう思われちゃってるんだから。
恥ずかしくてたまらないけど、でも。
期待に応えなきゃ。
がっかりされるのも、恥ずかしいから。
カップルとして見られるのは恥ずかしいけれど、最優の称号に泥を塗るのも恥ずかしい。
暴走する自意識がそんな矛盾めいた思考を生み、空回るその思考回路が、身体の動きを強張らせる。
……そして、そんな状態で振るわれるぎこちない太刀筋では、山岳の空を駆ける鳥獣など、捉えられるはずもなく。
「くっ、全然当たんないっ!」
「うぅ……!」
悔しげな呻き声だけは息ぴったりに、二人とももう、幾度もの斬撃を躱されていた。
空に逃げたその身を素早く翻し、今度は『ヒヨク』の側からの攻撃。
最初の一撃以降、分散されることを警戒し、ハナとミツは寄り固まって動いていた為、この突貫もハナの盾『樹魔の小盾』に二人で身を隠す形で受ける――算段だったのだが。
木製の盾に触れる直前、またしても『ヒヨク』の身は、まるで物理法則を無視するかのような挙動で翻る。
「「っ!」」
あまりにも鋭角な左方向への転身。
横から盾を通り過ぎたその一瞬、今度は右へと体をねじり。
「きゃぁっ!」
その強靭な体躯をそのままぶつける様にして『ヒヨク』は、ハナの後ろにいたミツだけを弾き飛ばした。
「ミツちゃんっ!!」
未だ盾を構えた姿勢のままのハナには、後方へと投げ出される友達の姿を傍目に捉えることしか出来ず。
背中から岩場に叩き付けられたミツは、決して少なくないダメージを負ってしまうこととなった。
(あァ、盾持ちなのにカノジョも守れねぇって、どんな気持ちなんだろうなァ……!)
無論『ヒヨク』のその一撃は、ミツだけを狙えというエイトの指示によるものであり。
相互接続されながらも独立した思考プログラムそれぞれが、半身ずつを操ることによって実現する予測困難な飛行軌道。それこそが、盾を構えたハナの横を抜けてミツへと迫り至った要因でもある。
「もしかして、お二人とも今日は調子が悪いのでしょうか……」
心配している風を装って煽るのも忘れない。
「……それとも、大会の時がたまたまで、これが普段の姿なのか……」
その後に続く独り言のような言葉が、ギリギリ聞こえる程度の小声なのも、もちろんわざとである。
「っ」
びくりと、ハナの肩が跳ねる。
違う。
普段はもっと。
いつもなら、いつもの私たちなら。
もっと仲が良くて、息もぴったりで、周りの目なんか気にしないくらい――
高ぶる感情が彼女の思考に一瞬の停止をもたらし。
「――ダメっ!」
故に、ただ何も考えず、起き上がったミツへと再び迫る『ヒヨク』を、確かに捉えた。
全力で駆け、体当たりのようにして、ギリギリでミツと『ヒヨク』の間に割って入る。
小盾に伝わる衝撃が、止まることもままならないハナ自身の勢いを抑え。逆に、それほどまでに全力の突撃が、鳥獣の一撃を凌ぐ反発力ともなった。
ただ感情のままに飛び出したが為に、次の一手は、反撃は――などと考える暇もなく。
余計な思考は全て止まっているが故に、体に染みついた、もはや本能めいた動きとして、右手の長剣が刃を煌めかせる。
飛び込んだ勢いを、盾で受けた衝撃を、そのまま纏うようにして身を翻す。
軽やかな半回転に乗せて、斜め上から長剣を振り下ろし――
(チッ……!)
――縦から半分に分かたれた『ヒヨク』の姿に、エイトは内心舌打ちをこぼした。
(やっぱ腐っても、優勝者ってわけか……!)
彼女の使役する鳥獣は、ハナの強烈なカウンターによって一撃のもとに両断された……というわけでは勿論なく。
縦方向に振るわれた攻撃への緊急回避として、自らその身を分離させただけであった。
寄り添う二頭の片翼、それこそが『ヒヨク』の本質なのだから。
切り裂き損ねたハナの両脇を通り抜ける様にして、左右片翼の二頭は勢いのまま飛び去る。後方で再び一つに寄り添い、高空へと一時離脱。
攻撃を防がれはしたものの、実質的に『ヒヨク』へのダメージは皆無であった。
(だが、ネタは割れちまった……さあ、こっからどうする……!)
「ハ、ハナちゃん……」
「……今の……」
今度こそ立ち上がったミツの隣に立ち、空からこちらを睨む『ヒヨク』を見やりながらも、ハナはどこか気の抜けたような顔をしていた。
強力なモンスターにどうにか一撃を与えたつもりが、類を見ない特異な性質によって、それすらも回避されてしまった。
――なんていうことは、どうでもよくて。
(……今の感覚、いつも通りの……)
咄嗟に飛び込んだあの瞬間。
ミツを守れなかった不甲斐なさと、その程度なのかと揶揄された悔しさで、思考は完全に停止していて。
だからこそ、余計なことなんて何も考えずに、ただ思うがままに動いてしまった。
考えるよりもずっと早く、確実に、この身を振るうことが出来た。
ただ、大事だったから。
ミツを、守りたかったから。
ハナにとってそれはもう、考えるよりも先に来る、半ば本能のようなもので。
(そういうこと、なの……?)
「ハナちゃん……?」
静かな、けれども何故だろうか、その背中を見ていると、どこまでも安心できるような。だというのに、なんだかドキドキしてくるような。
つまるところ、今まで一緒にいて抱いていた何かを。
ここのところ、余計なことばっかり気にしすぎて、忘れてしまっていた何かを。
ミツは確かに、ハナの背中から感じていた。
「……ミツちゃん。私――」
次回更新は5月23日(土)18時を予定しています。
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