44 V-第十二次『セカイ日時計』簒奪戦 阻むものなし
「『――漸く時は来たれり。斯くも長く希うた紡言の終わりは近い』」
それは小さく、幼く、けれども何よりも強い言の葉として、その場で戦っていた全ての者たちの耳に届いた。
「『漸く時は来たれり。以て日は沈み、永きに渡る闇が訪れる』」
「――!」
何よりも愛おしい主の声。
それを背中に感じながらハンは、今も最前線で戦っているであろう二人の盟友にボイスチャットをかける。
通知はワンコール、会話は不要。それが、事前に示し合わせた合図なのだから。
「『漸く時は来たれり。案ずるな。日の落ちるその間際こそが、最も強き光の導き』」
それと同時、クロノを守っていた親衛隊の面々も、先程まで以上に力強く、まるで命を燃やすかのように、眼前の敵を食い止める。
もう少しだ。もう少しで、我らの悲願は成されるのだから。
「『漸く時は来たれり。受け入れよ。洛陽のその瞬間こそが、総てを無に帰す最後の審判』」
ハンも彼らに呼応するようにして、一気呵成に責め立てる。残り少ないコンバットナイフを全て使い切る勢いで。
相対するケイネシスはここまでのハンの攻勢に摩耗しており、既にその身を守る『時間』の範囲は、一部のクリティカル部位のみにまで狭まっていた。
「何かな何かな?あぃたっ、我らが帝王はいったい何をしようと、っ、しているのかな?」
「貴方は知らずとも無理はないでしょうね。最も、このスキルを知ってはいても、詠唱の文言まで暗記しているプレイヤーなど、そうはいないでしょうが」
脇腹を浅く切り、額でナイフを受け止め、二の腕を一筋切り裂かれながら、ケイネシスは悟る。
おそらく自分たちは、間に合わなかったのだと。
ただ黙して佇み時折僅かに唇を震わせていたクロノが、遂に戦を決する時が来たのだと。
「『漸く時は来たれり。地平に沈む閃光の後、地に立つものは只一人としておらず』」
負けを悟り、しかしてその顔を喜色満面に彩るケイネシスは、残ったSPを全て振り絞り、今一度自身の身体全域の『時間』を手中に収める。
「……っ!最早形振り構わず、という事ですかっ……!」
再び一切の刃が立たなくなった褐色の白衣に、思わずそう吐き捨てるハンだったが、ケイネシスの答えはそんな後ろ向きなものではなく。
「いやいや、ワタシは見届けたいんだ。我が主の覇道。その最初の一歩を、この目でね!」
クロノの足元を中心として出現した巨大な魔方陣を見やり。
それから視線は、ブーツに包まれた両脚、フリルで彩られたスカート、ほっそりとした腰、薄く慎ましやかな胸、白く蠢く喉元、麗しいかんばせへと。
「『漸く時は来たれり。故に常闇は恐るるに非ず。既に、そこには誰もいないのだから』」
遂に開かれた眼の片側、今まで夜空の如き髪に隠されていたクロノの左目が露わになっていることに気付き、ケイネシスは言いようのない高揚感が全身を駆け巡っていくのを感じた。
「『さあ。来たりし時よ、洛陽の導きよ。今こそ我が手より解き放たれん――』」
見開かれ、眩いほどの輝きを放つクロノの左目。
その乳白色の瞳は、ただ勝利だけを見据えていた。
◆ ◆ ◆
「「っ!」」
ワンコールだけ鳴ったチャットの通知音。
それこそが、二人が待ちに待っていた合図。
「「――いくよ!」」
「「――うん!!」」
符合すら声を揃わせて、ハナとミツは遂に必殺の一撃を放つ。
「「『比翼連理』!!」」
右からの『比翼』による振り下ろしと、左からの『連理』による切り上げ。
まるで鏡合わせのように、その軌道は中心点を基準に完全な点対称になっていた。
(ここだッ……!!)
「『銅装戦陣:専守専衛!!!」
迫る凶刃を目前に、グレンも自身が持つ最高峰の防御スキルを、遂に使用する。
一切の無駄が省かれた動きで赤銅の盾が掲げられ、同時に彼の姿勢は、防御に際して最適なものへと自動的にフィッティングされた。
されども二人は、そんなこと露ほどにも気に掛けず、ただ自らの刃を振るう。
それは双剣『比翼』と『連理』が、同時に振りかざされることによって発動する。
それは双剣『比翼』と『連理』が、等速で振り抜かれることによって発動する。
それは双剣『比翼』と『連理』が、同じ一点へと太刀筋を向けることによって発動する。
それは双剣『比翼』と『連理』が、点対称の軌道を描くことによって発動する。
それらの全てを0.5%以内の誤差で収めたとき、始めてそのスキルの発動条件が満たされる。
使用者のSPの大半を消費し、以後長時間に渡ってあらゆるスキルの使用が不可能になる。
そんな、厳しい条件と多大な代償を支払って発動するスキルの特性は、切断――などではなく。
ただ、阻まれないということ。
何物にも、何者にも、その太刀筋は阻まれず。
何人たりとも、その二振りを遮ることは出来ない。
いかな手段、どんな概念でもってしても、その二刀の邂逅を邪魔立てすることは出来ない。
完全に対称の軌道が描く太刀筋は、何よりも優先される当然の帰結として、その中心点で合わさる。
伸ばした手が結ばれるように。
その手が決して離れないように。
その一撃は、阻まれない。
「「っ」」
「グッ……!」
斬撃の終点、軌道の中心点で『比翼』と『連理』は刃を合わせ。
ちん、となった小さな音色は、まるで刀剣が鞘に納まった時のような、そう在るのが当然なのだと主張する声。
そうして、その一太刀の後。
『比翼連理』の持つ絶対的な性質によって、その二刀の軌道線上にあったあらゆる存在が両断された。
(――よし、防いだ……!!)
すなわち、グレンの掲げた赤銅の盾、ただそれだけが。
(これで、こいつらにこれ以上はねぇ!)
あらゆる障害を許さない、強力無比な一撃である『比翼連理』。
しかしその射程範囲は、振るわれる『比翼』と『連理』の刀身分そのままであり。
最適な防御姿勢を取り、迫る一撃を確実に盾で受けるという性質を持つ『銅装戦陣:専守専衛』によりグレンは、その一太刀を受けるに際して一歩身を引き、被害をただ盾のみに集中させることに成功していたのである。
盾の強化及び防御力向上の効果は無意味ではあったものの、結果としてグレン自身は無傷で事なきを得た。一方のハナとミツは、必殺の一撃を耐えられ、さらにはその反動で戦闘能力が大幅に低下。
最早、勝負の趨勢はグレンの側に傾いた……はずだった。
これが、この戦いそのものが、完全なる個の決闘であったのなら。
百合乃婦妻とグレンの双方が、攻防の反動で一瞬の硬直を見せたその瞬間。
「『ヒヨク』!!」
少し離れたところから、しかして鋭く突き刺さるエイトの声。
「なっ!?」
主の呼び声に答えるようにして、上空で戦っていた鳥獣『ヒヨク』が突如、ハナ、ミツとグレンの間に割り込むように高速で地面へと激突した。
自らの身すら顧みないその突進は、その場にいた三人全員に衝撃とダメージを与え、ハナとミツを後方のエイトの元へ、グレンをその反対側へと弾き飛ばす。
(ちぃっ、今になって……!)
これまでエイトは、三人の戦いに介入することは決してなく、ただ離れたところで静観するに留まっていた。
そも、彼女自身も大勢のプレイヤーにターゲットとして補足されており、自身及び配下のモンスターたちでその相手をするのに手一杯で、百合乃婦妻に加勢する余裕などなかったのだから。
(身を挺して守りに来やがったか!?)
応戦を中断し自ら地に落ちていった『ヒヨク』へと向かって、案の定『知勇の両天秤』側のテイムモンスターたちが殺到していき。
受け身などまるで考えずに突っ込み、その反動によって硬直していた『ヒヨク』に彼らを迎え撃つ余裕などなく、その身はあっという間に食い散らかされていった。
「『レンリ』!!」
最早逃れ得ないであろう『ヒヨク』の姿に顔を顰めつつも、エイトは続けざまにもう一体の配下に命を下す。
主の声に従い『レンリ』は、その根を、枝を、幹を使ってハナとミツ、エイトの三人を守るかのように包み込んでいく。
それと同時に、森林と見まごうほどの支配領域を急速に狭め、ただ一柱の連理木として、その身を小さく小さく縮小させていった。
僅か数十秒程度で、森林から荒野へとまるで巻き戻しのように元の姿へと戻ってゆく戦場。その中心にあって『レンリ』は、主人たちを包み込み、身を賭して三人を守る守護樹と化していた。
(頑丈そうではあるが、それじゃその場から動けねぇ。判断を誤ったな、教祖サマ――)
グレンが、或いはその場にいた者たちが思考出来たのはここまで。
次の瞬間には、その有効射程全域――すなわち、此度の戦場に立つプレイヤー全てに、その幼くも凛とした声が届き。
「――『黄昏』」
地平の果てより、光が全てを呑み込んだ。
次回更新は3月14日(土)を予定しています。
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