193 V-のち、発現
白い獣がその腕を、いや、前脚を振り下ろす。
一刀から三爪へと変化したその前脚の先は、しかしどうしたことか空を切り。
「――、――」
やや縦長に伸びた、牙獣種のような顔を傾けて、疑念を示す『審判』。
高確率で決め手となるはずだったその一撃は、互いを蹴飛ばし合い左右に転がっていった人間二人を、仕留めることができなかった。
光輪は割れ、一対の大角に。
機械翼は変形し、腰に癒着したジェットパックに。
臀部からは、細長くも刺々しい尻尾のようなものまで生えている。
およそ天使とは言い難い、角を除けば人狼にも見える姿となった『審判』を、ハナとミツは左右から睨み付けていた。
「――、――」
選定は一瞬。
より受けに脆い細剣を持つミツの方へと、その獣は一足たらずで飛び掛かる。
人型の頃よりも更に早く、薄っすらと残像すら見えるその強襲を、ミツは左半身を僅かに反らせることで回避した。
(あっ、ぶなぁ……!)
最低限の動きによる応戦……などというカッコいいものではない。
これだけしか動けないのだ。
『比翼連理』の反動によって大幅に減衰した自身のステータス、逆に、形態変化によってより俊敏になった『審判』。両者の能力差を鑑みれば、間近に迫るまでの一瞬では、半歩程度しか動くことができない。
続く二撃目、左前脚による横薙ぎの鋭爪は、情けなくも尻餅を付くことで何とか避ける。
臀部に振動を感じたときには既に、Yの字に爪を生やした後ろ足が頭上に振り上げられており。躱すあてのないスタンピングに、けれどもミツが怯えることはない。
「それは――だめっ」
背後に迫っていたハナが、尻尾を掴み、『審判』を思いっきり引っ張った。
手のひらが裂けるのも気にしない、強引でがむしゃらな妨害。片足立ちの状態でそんなことをされれば、さしもの天人種と言えどもバランスを崩し仰向けに倒れ込んでしまう。
まあ当然ながら、そのままハナへの攻勢へと移ってしまうのだが。
「――、――」
逆さのまま、角を活かして頭突きを仕掛ける『審判』。
尻尾を離して構えた『霊樹の防人』へと、上から叩き伏せる形で、淡く輝く双角が迫る。
「くぅっ……!」
がこん、という鈍く重い音。
けれども、全力で引っ張っていて仰け反り気味だった姿勢のおかげか、斜めに構えられた小盾の上を滑るようにして、角付きの獣頭は地面へと受け流されていった。
「――――」
ブリッジのような姿勢で、白黄の獣はほんの一瞬だけ硬直する。
紛れもない隙ではあったが、その状態から即座に身体全体を捻り、ミツに回し蹴りを見舞いながら胴体の表裏を戻す『審判』に対して、今の婦婦が反撃などできるはずもなく。
(次は――)
(――そっちっ)
身を丸めてダメージを軽減したミツを尻目に、『審判』はそのまま、正面にいるハナへとターゲッティングを移す。
婦婦共に、片腕の損失を始めとした種々のダメージによって、HPは4割を切っており、彼我のステータスの変動具合を鑑みても、次に一撃を受ければそれまでであろう、ギリギリの状態。
そうでなくとも、無傷で攻撃を凌ぐことなどもはや不可能な現状、辛うじていなし、防御するその度に、少しずつ残存HPが削られていく。
だというのに。
(左に――)
(――倒れ込むっ)
食らい付いている。
無様に地を這い、転げるような回避運動で。
或いは、相手の四肢にしがみつく様なみっともない妨害で。
それでも、もはや負けが決まったような様相でありながらもなお、どちらも死せず、耐え続けている。
「――――」
否、それだけではなく。
(やっぱり――)
(――硬度が落ちてる!)
あまつさえ二人は、僅かな手応えを糧に、攻略の糸口すら見つけ出す。
盾で受けた感触は、先ほどまでより僅かに柔く。
滑らせいなした細剣の刃はもう、身を削るような悲鳴を上げることもない。
更なる鋭利さと速度と引き換えに、白黄の皮膚は無慈悲な天蓋から、刃を通す生物のそれへと堕ちている。
((『比翼』なら、斬れるっ……!!))
故に斬れる。自身らの全霊を以ってすれば。
……仮に婦婦剣を再び握ったところで、弱り切った今の彼女たちでは、反撃もままならないだろう。
そんなことは分かっていて、でも、そんなことはお構いなしとばかりに、二人は地に転がる愛剣へと意識を向けていた。
思考を媒介に相互に感応し合った強烈な闘争心が、億が一の勝機へと、その意識を先鋭化させる。
「――――」
しかしどれだけ心が先立っていても、アバターが付いてこなければ意味がない。
完全な死角から迫る鋭利な尾の先を、ハナは知覚することすらできていなかった。
(っ!!)
にもかかわらず、躱した。
回避などと、考えてすらいなかったのに。
「っ!?」
当人の驚愕が意味するところは、即ち。
(身体が……)
勝手に動いた。
いや、違う。
確かに動かそうと考えていた。
(違う、今、わたしが……!)
他ならぬミツが。
視界の端の捉えた、嫁を貫かんとする不意打ちを見て、咄嗟に回避運動を考えて。そしてそれが、実行された。
驚愕に染まる感情のまま、考えるよりも先に、ハナが思わず視線を向ければ。
ミツの右目が、ほんの一瞬、蒼く輝いていた。
「「――っ!!」」
同じくこちらへ視線を向けるその眼は、驚きに見開かれており。
流れ込むミツの思考から、自身の左目もまた、碧の光を放っていたことを知る。
(演出がある――)
(――ってことは……)
あまりにも明確な、ゲームシステムとしての同調の発現。
その意味するところに、二人の思考は一瞬だけ、揃って向かって行ってしまい。
「――、――」
「「あっ――」」
戦闘の最中にそんなことをしてしまえば、当然、寸暇もなくとどめを刺される。
((……やっちゃったぁ……))
苦笑すら浮かべながら倒れ行くハナとミツの身体が、光となって消えていき。
「――――」
両前脚で同時に二人を貫いた姿勢のまま、獣がその様子を眺めていた。
「――、――」
こんなことならと、『審判』は考える。
こんなことなら、『03』からプレイヤー言語とやらを学んでおくべきだったと。
そうしていれば目の前の二人に、初めて身の危険を感じさせられた強者たちに、何か一言投げかけることができただろうに。
そう後悔する白黄の獣へと、後方から魔弾が迫る。
「――『――――』――」
興ざめだと。
無粋で無頼な魔法使いたちに視線を向けることすらないまま、彼女はその攻撃を難なくかわし、再び形態変化する。
かしゃかしゃかしゃかしゃと、連続して鳴る駆動音ののち、数秒と経たず元の天使の姿へと戻った『審判』は、機械の翼を羽ばたかせ、戦場から急速に離脱していった。
尾を引くものも無くなったこの場所に、最早いる意味はないとばかりに。
「――くそ、逃げられた……いや、見逃された、か……」
誰かが呟いたその言葉の通り。
審判の刃が振り下ろされたその戦場は、相争っていた両陣営共に大打撃を受け、けれどもたった二人の少女の善戦によって、壊滅を免れた。
『審判』を中心に巻き起こった狂乱は、もう一息もすれば収まるだろう。しかし嵐は過ぎれども、ここは未だ戦場の只中。代わりに再び燃え上がるのは、この場本来の趣旨である、二陣営の諍いの炎。
幸か不幸か、継続可能な程度には戦力が残っていた『アイアンブルーム』と『エンデュミア』の戦いは再び激化し、結局いつも通り、両者共倒れになるまで続いた。
◆ ◆ ◆
「――ふふっ」
戦闘ログを確認しながら、一人の少女が意味深に笑う。
「『ANGEL-02』に『堕天獣躙形態』を使わせるだなんて。流石はお姉さま方、と言ったところでしょうか……」
自身が付けた、信じられないくらい痛々しい名称を、白い少女が得意げに囁く。
「思考同調に関しても、少しずつ明らかになってきましたし……さあ、9周年が楽しみですね。ふふ、ふふふふ……」
ここ最近急激に中学二年生じみてきた天使のような少女を、ただ一人の女性が、声もなく静かに見守っていた。
(……どこで影響を受けたのかは分かりませんが、全くけしからん……けしからんくらい可愛いですね我が娘は……)
次回更新は9月29日(水)18時を予定しています。
よろしければ是非また読みに来てください。
あと、感想、ブクマ、評価、誤字脱字報告などなど頂けるととても嬉しいです。




