178 V-考え事をご相談
〈――文面でもお伝えしましたが、改めて、殿堂入りおめでとうございます〉
「ん、ありがと」
四月もそろそろ終わる頃。
例によって『フリアステム』はプライベートルームにて、ハナとミツが言葉を交わす相手は、白金の髪をたなびかせた白衣の女性、アイザと。
〈エキシビジョンマッチもカッコ良かったですっ、すごくっ!〉
「えへへぇ、まぁね~」
こぶしを握り、目を輝かせて言うシンの二人。
開口一番に過ぎたバディカップの祝辞を述べる母娘の姿は、シルエットはいつも通りなれど、半透明に透かされ実体を伴わないものであり。
去年の秋ごろを境に幾分かハードルの下がった顔合わせよりも、更に簡易的な申請で済むホログラムチャットでの会話に、婦婦と親子はリラックスした様子で臨んでいた。
〈それで?エキシビジョンでの戦闘に関して聞きたいことがある、との話でしたが〉
前置きもそこそこに、事前にメッセージで伝えられていた相談事があるという旨へと、アイザは早速切り込んでいく。とはいえ、その態度は事務的というよりも、彼女自身もそこに関して言葉を交えたいと思っているように見えた。
「うん。あの戦いのとき、わたしたち、何て言うかこうー、今までにない感覚で」
〈ええ。こちらも分かるほどに、以前までとは趣を異にする雰囲気を漂わせていたように感じました〉
流石は、このセカイの運営側に採用されるだけの才女。専門外とはいえ、ことの主要を既にその目に捉えている。
「そう、あの時の私たち、ほんとに思考が混ざっちゃってたみたいで」
〈……精神が同調していた、と?〉
幾分か真剣な表情を見せながら、アイザは問う。
その横ではシンが黙して観測し、思考を巡らせていた。
「そこが良く分かんないんだよねぇ……えっと、これは本当に個人的っていうか、アイザさん自身が答えられる範囲でいいんだけどー」
あの思考同調がゲームの仕様であるして、プレイヤーサイドには明かせないマスクデータのような情報まで求める訳ではない。そう前置きしたうえで、まずは最初の、大きな疑問をぶつけていく。
「VRシステム一般の話として、ああいうことって起こりうるの?」
〈……ご存じかとは思いますが、アバターを介している時点で、プレイヤー間の精神の同調及び混濁は、通常起こり得ない現象です〉
〈もし、万が一そんなことがあっても、すぐさま運営側にアラートが来ますしっ〉
学院での講義でも聞いた話。
やはり、アバターという安全機構が機能している状態で、個々人の意識が混ざり合うなどという現象は起こらないし、起こってはならないもの。
その前提を再確認したうえで、ミツがもう一歩踏み込む。
「……そのぉ。意識は混ざらないままで、思考を共有する……みたいなのって、できるものなのかなぁ?」
〈意識と思考……〉
その二つを分け隔てる差異は何か。
なんてことが簡単に、寸分の狂いもなく説明できれば、苦労はないのだが。
だがあの瞬間の、考えていることは共有しつつも個としては互いを正しく認識し合えていた、あの感覚を言い表すには、現状、思考と意識を分けて考えるしかないわけで。
だからこそハナとミツは、静かに考えを巡らせ始めたアイザへと――自立思考プログラムであった天人種を、シンという自意識へと目覚めさせた彼女へと、問いを投げかける。
〈少なくともシンは、『考えること』と『思うこと』は確かに、間違いなく違うことだと思います、けど……〉
アイザが思考を繰るあいだに、シンもまた、その二つの隔たりを知るものとして言葉をこぼす。
しかし、元は正確無比な観測個体であった彼女ですら、その差異を言語として、明瞭に言い表すことはできないようであった。それは思考と意思の両方を獲得してもなお、あるいはむしろ、その両者を得、人間に限りなく近づいたが故にか。
「あの時は、思考は混ざってたけど、私は私、ミツはミツってちゃんと分かってはいたっていうか……」
「分かってはいたけどー、それはそれとして、お互いの身体をどう動かすかーとか、その辺の考えは混ざっちゃってたっていうかー……」
〈…………〉
振り返る婦婦の言葉からも、アバターの自他隔絶機能は問題なく作動していたことは分かる。
(少なくとも、彼女たちの言う『思考共有』が不具合の類ではないことは確か……いえ、この件に関して運営側からの接触が全く無いということは、いずれこういった現象が起こる事を想定していた可能性が高い……)
それが非常事態であるならば、たとえ、最終的には許容範囲内に収まろうとも、運営は何かしらのアプローチをしてくるだろう。
自身らの前例から、そして今はその身を運営側に置いていることから、それを良く知っているアイザ。
そのくらいは婦婦も勘付いてはいるだろうが……とはいえアイザもシンもアバター云々に関しては管轄外であり、それでも運営サイドという立場上もあって、例え推測であろうとも、口にできることはそう多くない。
〈……少なくとも。現時点で実用化されているVR技術関連で、そのような話を聞いたことはありませんね〉
「そっかー……」
結局、今の彼女にできるのは、最初の問いに無難な答えを返すのみ。
……だというのにハナとミツは、ここから更に追加情報まで放り込んでくるものだから。
「……しかもこの現象……リアルでも起こってるっぽいんだよね……」
〈……まさか、現実世界でも思考が同調しているのですか?〉
〈ええっ!?〉
先以上の驚きを、親子揃って表情に見せてしまうのも、致し方ないことであろうか。
「同調とか共有ってほどじゃないんだけどー……うーん……」
「なんて言うか、自分の中にミツの影が居るような感じっていうか……」
抽象的、むしろ詩的ですらある表現だが、当人たちも殊更に首を傾げながら言っている辺り、何とも言葉にしがたいものであることが伺える。
〈……それは……〉
言葉で言い表せない、摩訶不思議な現象。それはまるで。
(まさか本当に、精神感応の類でも引き起こしているのでしょうか)
オカルティックな意味でのそれ――すなわちテレパシーという言葉すら、一瞬アイザの脳裏をよぎってしまう……が。
(……いいえ、それは有り得ない……)
小さくかぶりを振って、彼女はすぐにそれを否定した。
無論それは、非科学的現象の否認ではなく。
[HALLO WORLD]という科学技術の粋たるセカイでも発現しているという点を加味した、故にこそ科学で解明可能な領分のはずだという判断。
〈……お二人は非常に長い期間、[HALLO WORLD]に触れ続けてきました〉
だからアイザが、熟考の末に口にする言葉も、可能な限り理論建てたものになる。
「プレイ時間が長すぎて、リアルにまで影響が出ちゃってるってこと?」
〈VR技術やゲームに限らず、長期的な習慣は須らく、人間の心身に影響を与えるものです〉
毎日の食生活が、健康状態を左右するように。
日々の運動習慣が、健全な肉体を作るように。
「……確かに、それはそっかー……」
ハナとミツは継続的かつ長期的に、VR技術の粋とすら呼べるセカイにどっぷりと浸ってきた。
しかも、アイザらに明言こそしていないが、恐らく心身の成長著しいティーンエイジャーの期間中に、だ。
最も柔軟な時期に与えられた刺激に脳が適応し、何かしらの変化を起こす可能性は、決してゼロではないだろう。
(しかしそれは……)
(はい。まるで、進化です……)
極限の観測を経たシンの変遷を進化と呼ぶなら。
この二人の、約八年を経て築かれた世界を跨ぐ思考同調もまた、それと類を同じくするモノではないのか。
直感的に浮かんだその考えを、しかし親子は口にすることなく、あくまで可能性として、今はまだ心の内に留めると決めた。
現時点では論拠に乏しいただの予測、いや、妄想でしかないだろうから。
なんにせよまずは、確度をあげるところから。
〈……今後も何か変化がありましたら、ぜひ連絡を下さい。些細なことでも構いませんから〉
〈情報を集めて、精査して、解明していきましょうっ!〉
[HALLO WORLD]運営ではなく、アイザとシン個人としての、新たな研究対象が定まった瞬間であった。
「ありがとう。頼りにしてる」
婦婦もまた、変わらず不明な点は多かれど、理屈としてあり得ない話ではないと言われ、一つ結び目が解けた感触を得られた。
〈まあそれはそれとして。用が無くとも遊びに来てくれても、勿論構いませんよ〉
〈お待ちしてますね、お姉さま方っ〉
「うん、また申請出しとくね~」
無論、研究云々は抜きにして恩人婦婦の顔を見たいという思いも、いつだって母娘の胸中にあるのだが。
次回更新は7月31日(土)18時を予定しています。
よろしければ是非また読みに来てください。
あと、感想、ブクマ、評価、誤字脱字報告などなど頂けるととても嬉しいです。




