176 V-獣ひしめく草原で 百合乃婦妻の場合
フレアが安息の地を一つ奪われている傍ら、ハナとミツは相も変わらず、モンスターたちを切り伏せながらいちゃついている。
背後で起こっている面白おかしい事象に意識が向かなかったのは、二人がこの草原での思い出話に浸っていたからであろうか。
「なんだか、懐かしいねぇー」
「ね。多分、あの時のだよね」
此度起こった四足獣系スタンピードを指して言うセリフは、この獣の行軍が過去にもあったことを示唆しており。最早疑いようもなく『再発』したものであろうこのスタンピードの最初の掃討時にも、二人はこの場に居合わせていたのだから、懐かしさの一つや二つ、込み上げても来るものだろう。
「まぁ、あの時は数匹倒すので精いっぱいだったけどー」
「ほんとにド初心者だったからね」
以前にこのスタンダードが起こったのは、[HALLO WORLD]リリース開始から間もない頃。プレイヤー側の版図はまだあまり広がっておらず、ほとんど唯一と言っていい大規模な街に迫る脅威は、その時代のプレイヤーたちにとって、恐ろしくも絶対に退けなければならない最初の試練だった。
その頃のハナとミツは、それこそ初めて数日足らずの超が付く初心者だったが……今よりもはるかにプレイ人口の少なかった当時、ひよこだろうが稚魚だろうがとにかく頭数を求めていた攻略組の先導に従って、二人が初めてチュートリアル外で足を踏み入れた戦場。
「ぼこぼこだったねぇ」
「うん、ボコボコにされる方だった」
連携はおろかまともに剣すら振るえない状況で、わーきゃー叫んで芝生を転がりながら、低レベルなモンスター数匹と低レベルな戦いを繰り広げ、そして敗北した。
「「でも、楽しかったっ!」」
この広いセカイのほんの一端で、二人で遊ぶのが、信じられないくらい楽しかった。
だから二人は[HALLO WORLD]にどっぶりハマり、そうして気が付けば今に至っている。
思い出の中の強敵たちとは比べるべくもないモンスター群を、片手間に倒していきながら、しかしそこに作業感が全くないのは、今も変わらず、二人でこの世界を歩むことが、信じがたいほど幸せだから。
……なんて、惚気た雰囲気を全開に醸し出すハナとミツの頭上に、大きな影が落ちる。
行軍の末に群れの最深部に辿り着いたのか、あるいはひと際多くの獣を屠る二人の前に、現れるべくして現れたのか。
「おお……」
此度のスタンピードを統べるボスクラスのモンスターが、ハナとミツの眼前に立ち塞がった。
「でっかいねぇ~」
『母なる地母獣』と呼ばれるそのモンスターは、見た目だけで言えば、ただただ大きなイノシシ。
多くのプレイヤーが最初に戦うであろうイノシシ型モンスターをサイズアップさせたその牙獣は、しかしその名の通り、草原に住まう獣たちの母神が如き威容を誇っている。
ただただ大きい、しかし、何せとにかく大きい。
その牙の片割れだけで、自身らの身長にすら迫りかねない巨大なボスモンスターを前に、ハナとミツは揃いの笑みを深めた。
「このスタンピードのボスって、実際に見るとこんな感じだったんだ」
「あの時は、一目見ることすらできなかったからねぇ」
思い出深い獣軍の、かつてはまみえることすら叶わなかった大将が、今、目の前に。
周囲には、『母なる地母獣』に付き従うひと際高レベルのモンスター共と、知る顔知らぬ顔の混じった、同じく高い実力を誇るプレイヤーたち。
敵味方相並ぶ草原の一角で、婦婦と巨獣が睨み合う。
「――『閃光』っ」
開戦の狼煙は、ハナの放った一筋の光線だった。
眉間に直撃するも、その厚い毛皮に阻まれダメージはほとんどない。されどもその一撃によって、『母なる地母獣』は堰を切ったように怒りをあらわにした。
大気を震わす咆哮、のち、殆ど予備動作の無い突進。
「っ、おっとぉ」
見上げるほどの巨体からは想像もつかない速さで、元よりさほど離れていなかったミツたちの元へと、地母獣は瞬く間に辿り着き。
「っ」
振り上げた牙の端に引っ掛けるようにして、婦婦を纏めて空高く打ち上げた。
「「おぉーっ!?」」
無論、盾を構えてガードしたハナと、その後ろで両手を添えて助力したミツの双方に大きなダメージはなく、ただ揃って宙を舞う体験に、二人は楽しげな声を上げるのみ。
余裕綽々に戦場を俯瞰してみれば、二人の欠けた穴を埋めるようにして、エイトが前衛の中心に立っていた。
「フンッッッ!!」
今回は、相手が自然生物でありかつ味方に初心者も多い点から、『レンリ』は召喚せずに戦っているエイト。その分リソースを自身の戦闘に割くことができるのか、いつも以上に軽快に、それでいて破壊的に、『1/1スケール百合乃婦妻像』を振るっている。
『母なる地母獣』の足踏みや頭突き、エイトの強烈な打撃、プレイヤーたちのスキル。最早どれが原因か分からない地響きがひっきりなしに鳴り響く草原は、けれども上から見下ろしてみると、中々どうして賑やかで、なんともまあ景気が良い。
「おっと」
上昇と滞空、合わせてものの十秒足らずの反重力体験が過ぎ去り、ハナとミツが地へと落下し始めるその瞬間に、主人の命を受けていた『ヒヨク』が、二人をその背に拾い上げる。
「ありがとぉー」
背を撫でられた声無きフウフ鳥は、返事代わりに小さく頭を振ったのち、眼下の様子を窺うようにその場で旋回し始めた。
期せずして延長された空の旅、地に足付かない不安定な時間は、だからこそ、地上の喧騒から離れた緩やかな空気感を、婦婦のあいだに醸し出す。
「もうこれ、わたしたち上から見てるだけで良いんじゃないかなぁ」
「確かに。人数多いし、何とかなるでしょ」
あまりにも無責任な物言いだが、そもそも此度のスタンピード、場所柄やプレイヤー層、何なら天気の良さすら相まって、どうも今一つ殺伐とした雰囲気に欠けている。
少なくとも、ピクニック気分で赴いたミツとハナの目には、そういう風に見えてならなかったものだから。
「あ、フレアが『母なる地母獣』に追っかけられてる」
「ほんとだぁ。エイトちゃん、びっくりするくらい助ける気ないねぇー」
遂には、呑気に実況なんぞ始めてしまう始末。
ボスと対面した瞬間の獰猛な笑みはどこへやら、突発空中散歩のあまりのゆるふわ感に、二人は完全に闘志を失っていた。
「お、上手い」
「いけいけー」
リンカの援護射撃を受けながら、紙一重でボアの牙を回避するフレア。すれ違いざまに大剣で前脚を切り付け、ほんの少しだけ勢いが弱まったところに、周囲のプレイヤーが殺到していく。
「フレアもだんだん強くなってきてるよね」
「ねー。『ティーパーティー』のみんなも」
重装騎士ながら、防ぎきれない攻撃はギリギリで回避する。『ティーパーティー』内でタンク役も兼任する彼女の生存能力向上は、そのまま、パーティー全体の戦闘能力向上を意味していた。
相変わらずの徒手空拳をジェットパックで強化した白ウサちゃんは近接系プレイヤーの一群に、中距離スキルを有したノーラは魔導士系プレイヤーと共に、フレアとリンカはタンクやヘイト稼ぎを主なタスクとして。
多人数のレイド戦にあっても、パーティー時の役割を拡張し、他のプレイヤーたちと上手く連携できている。
正直なところ自分たちにはできない戦い方に、素直に称賛の声をあげる婦婦。
時折危なげなシーンもあるものの、それこそこの場には多くのプレイヤーが居るわけで。エイトだってフレアを助けることこそないものの、大猪相手に正面からどつき合いを繰り広げるくらいには、積極的に戦闘に参加している。
……つまるところこの婦婦、自分たち以外の皆が奮闘する姿を高みの見物と洒落込んでいるだけなのだが……
「がんばれー」
「やっちゃえー」
それが許される程度にはゆるーい空気を維持したまま、数刻もしないうちに、プレイヤーたちは『母なる地母獣』を無事討伐せしめた。
「「ないすぅー」」
当然ながら、『百合乃婦妻』のボス戦における所得経験値は、ほとんどゼロであった。
次回更新は7月24日(土)18時を予定しています。
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